第2話


 『あなた』が物置部屋の扉に気付いたのは、単なる偶然でしかなかった。


 ある休日の昼下がり、誰かに掃除を頼まれたわけでもなく、唐突に物置部屋の中が気になった。ただそれだけで物置部屋に立ち入り、その黒い扉を見つけた。それだけである。

 気になったと言っても、物語の冒頭にある劇的な予感だとか、そういった類のものではない。誰にでもある気紛れから起こした行動でしかない。

 だが、その気紛れが、『あなた』に壮大な冒険と、そして運命の出会いへの一歩を踏み出させた事は間違いない。


 前述した通り、『あなた』は今時の高校生にしては風変わりな性格をしている事を除けば、極々普通の家庭に育った、極々普通の高校生に過ぎない。

 成績は平凡。運動も平均的。ただ、その性格だけで人より少し目立つが、悪い意味で目立つ事はあまりない、そんな少年。

 家庭環境もまた然り。特に困っている事など、何もない。幸福な生活そのもの。足りないものなど、何一つない。


――そんな人間が異界への扉を見つけて、何がおかしいだろうか?


 不自然に置かれたその扉のノブをなんとなしに開けて見ると、そこには闇が広がっていた。

 一寸先は闇とは、こういう事を言うのだろう。

 全く光の差さないその空間に、『あなた』は興味本位で飛び込んだ。

 何か刺激が欲しかったわけでもない。冒険がしたかったわけでもない。ただ、気になったゲームを買ってプレイする。その程度の気持ちで『あなた』は飛び込んだ。


『これはどうした事やら』


 『あなた』は、自分がそう思った気がした。だが、どういうわけかその言葉は、音となって自分の耳に届いていた。


『まさか、自然に穴が開いたか? それとも、自らの力でこじ開けられるような者が……』


 それは、間違いなく自身の思考ではないと、『あなた』は考えた。そもそも、『あなた』の声は、このようなRPGに出てくるラスボスの如き声ではない。

 それに、穴だのと言われても、自分が潜ったのは扉だ。扉だけのそれを、はたして潜ったと言えるのかはともかく。


『どれ。こっちゃこい、こっちゃこい』


 突然、どこからか聞こえてくる声が、まるで胸を突き穿ち、直接心に届くような、そんな感覚に『あなた』は襲われる。

 ふと、脳裏に過ったのは、テレビでやっていた無人島サバイバルで、銛で突かれた魚の映像だった。


 次の瞬間、彼の前には見慣れない風景が広がっていた。

 まるで、映画で見た火山の中のような光景。だが、上からは光は差さない。辛うじて、下からの赤い光が辺りを微かに照らし出している。

 風が轟々と唸り、渦巻き、『あなた』の耳に直接叩きつけられる。


――そして、それは現れた。


 突然、視界の下から黒い何かが伸び上がる。

 それは、『あなた』の首の限界まで見上げたところまで伸び上がると、そこで静止した。巨大な、黒い柱。

 表面は岩肌のようであり、同時に肉のような質感を感じさせる。

 そして、そこを血管のようなものが這っている。そこを、ちょうど『あなた』の心臓の鼓動と同じようなリズムで、血を思い起こさせるような赤いラインが走っている。


『ほぉ。ほぉほぉ。これはまた、珍しい』


 黒い柱――というより塔だろうか――の頂点が、ぐらりと動く。

 心なしか、まるで『あなた』に向かって崩れ落ちているかのようにも見える。


 さしもの『あなた』も、これには「うわっ」と、驚きの声を上げざるを得ない。

 無駄だとは分かってはいたが、思わず目を瞑り、腕で自分を庇った『あなた』だが、いつまでたっても、来るであろう痛みは来ない。どんな痛みかは全く予想できないが、恐らくは一瞬で死ぬのだろう。

 まだ意識はある。だが、もしかするともう死んでいるのかもしれない。『あなた』はそんな事を思ったが、薄目を開けたところで何かがおかしな事に気付く。


『く、カカ。相も変わらず、臆病だな。ヒトというものは』


 明らかに見下すかのような声色。この声の主は、神か何かだろうか。

 そんな想像をしながら、腕をゆっくり広げ、視界を確保しようとする。





――それを初めて目にした時、直感で想起したのは『竜』だった。


 竜。龍。ドラゴン。ドラッヘ。エトセトラ。様々な呼び名があり、世界各地に伝承がある、幻獣の中の幻獣。

 ファンタジックな世界観の物語、あるいはゲームでは、もはや登場していない作品を探す方が困難かもしれない程に有名な存在だ。

 更に言えば東洋と西洋でその見方が異なり、西洋では邪悪なる存在として度々英雄達に討伐される運命にあるが、日本では神霊の一種として捉えられる傾向がある(ただし、かの有名な八岐大蛇ヤマタノオロチはその限りではない)


 眼前にいるその『竜』は、パッと見では蛇のようではあるが、その頭は蛇よりも角張り、堅牢さを感じさせる。

 その圧倒的威圧感。その身から漂う、今まで嗅いだ事の無いような悪臭。『あなた』の知る日本の竜とは程遠く、どちらかと言えば西洋の竜のような、邪な存在である事を、『あなた』は肌で、心で感じた。


 突然、『あなた』の目線から見える『竜』の顔、その真ん中――恐らくは眉間――に、光り輝く亀裂が縦に一閃。

 そして、ぐちゃり、という音と共に開かれる。


――『あなた』は、知らず知らずその光に魅入られていた。


 その輝きの正体は、眼だった。『あなた』の身長よりも一回りも二回りも大きな眼から発せられる眼光。


『……ふん? どうも、我の知るのヒト共とは、纏っている物が違う気がするが。我の知らぬところで、そこまで時間が経っておったか……?』


 そんな事を言っているが、正直どうでもいい。いや、よくはないが。

 何故なら、この時点で既に、『あなた』は何か、大事な物を失ってしまっていたのだから。


『何だ、ヒトよ。そのような小さな声では――は?』


 手っ取り早く、結論から言おう。『あなた』は何の前触れも無く、突然目の前の『竜』に、愛の告白をぶちまけた。

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