突然ですが、異世界通い夫始めました。

Mr.K

第1話


 『あなた』の周りの人間に、こんな問いかけをしてみる。

 ずばり、「彼はどんな人間ですか?」と。


 大なり小なり反応が違えど、大抵こう答えるだろう。「変わっている」と。

 『あなた』はまだ高校生である。その性格は、同年代の少年少女に比べれば非常に温厚で、進んで争いをするタイプではないが、争いとあらば自ら進んで仲裁に入ったりする。

 勿論、そんな風に良い人そうに割り込むものだから、一時は『あなた』がいじめの対象として狙われる事もあった。

 だが、『あなた』はいつもと変わらず、人の良さそうな笑顔で日々を過ごすばかり。ここで周囲の人間は、二つ気づく。

 一つは、『あなた』は良い人、本当に良い人なのだと。

 そしてもう一つは、『あなた』は相当変わった人間性を持っているという事だ。その深奥は、『あなた』の笑顔に隠れて見えないが。


 この日、『あなた』はウキウキとした様子で家路に着いていた。右手左手、それぞれに大量のお菓子が入ったレジ袋を持ちながら。中身はスナック菓子からチョコレート、更には飴に、中には古い駄菓子屋でしか売ってないようなものまで。

 わざわざ町中のコンビニ・駄菓子屋を片っ端から歩き回って買ってきただけあり、それなりの重みがレジ袋を引っ張り、掴んでいる『あなた』の指に負担が掛かる。だが、この後のお楽しみを考えれば、屁でもない。


 自宅である一軒家に帰り着いた『あなた』。「ただいま」と呼びかけてみるが、返事はない。人の気配は無く、どうやら家族は出掛けているようだ。『あなた』にとっては、その方が好都合である。

 ウキウキとした様子はそのままに、きっちりと靴を揃えて下駄箱に入れ、二階にある自分の部屋に学生鞄を放り出す……という事はせず、恐ろしく丁寧に机の上に置いた。こうした変なところで拘るのも、彼が変わっていると言われる所以の一つである。

 そして、『あなた』はそのまま二階の奥へと直行。すると、無造作に積み上げられた段ボールの山に行く手を塞がれる。だが、なんの問題も無い。何故ならこれは、単にダミーとして置いてあるだけのものなのだから。中身は空なので、簡単にどかす事が出来る。

 『あなた』が用があるのが、その奥にある物置部屋であった。


 扉を開けると、部屋の中から生温い空気と共に、埃がぶわりと廊下に舞う。

 『あなた』は若干咳き込みながらも、その中へと入っていく。廊下からの光で薄暗い部屋の中が見える。電灯はそもそも無く、窓からの光も、ある理由から部屋の物で防いでいるので差し込まない。だが、ここ最近何度も立ち入っているだけあって、『あなた』は迷いなく突っ込んでいく。

 掃除しても良かったのだが、『あなた』が出会ったある――と呼んでいいのか怪しいが、とにかく教えてもらった事によれば、陰気がどうの、負の気配がこうのという理由で、このままの状態にした方がいいのだという。

 風水だとかには疎い『あなた』だが、極端な話、とりあえず部屋を掃除せず汚くしていれば大丈夫という事ぐらいは分かる。


 物置部屋には様々な物が並んでいるが、『あなた』が必要とするのは、たった一つ。

 物を掻き分け、更に奥へと行くと、少しだけ開けた空間が出来ている。そこには、ポツンと、黒い扉が静かに佇んでいる。

 そう、扉。当然、ノブを捻って開けたところで、裏には何もない。本来ならば。

 しかし、『あなた』は扉を開ける。普通、扉だけなら開けるというより、扉そのものを持ち上げていると言った方が正しいだろうが、この扉の場合は、


 はたして、その先には闇が広がっていた。それは、この部屋の暗闇ではない。確かに、そこには別の空間が存在している。物置部屋の埃っぽい空気とはまた違う、外の空気。


 一寸先も見えない程の闇であったが、『あなた』は一切の躊躇なく、闇の中に身を投じた。

 その先に、『あなた』が愛してやまない存在がいると確信しているのだから。





 闇の中を、『あなた』は進む。歩いているとも言えるし、ただただ闇の中を漂っているだけとも言える。

 上も下も、右も左も、それどころか前も後ろも分からなくなってくる不可思議な感覚が『あなた』を襲う。だが、この闇の中も、すでに行き慣れた道。今の『あなた』にとっては、目を瞑って進む事すら朝飯前だ。もっとも、目を開けていたところで、目を閉じているのと変わりないのだが。


 しばらく進んでいると、薄っすらと赤い光が見えてくる。この闇の中では距離感などアテにはならず、それが目の前の光なのか、はたまた遠くの光なのか、それすら判別できない。が、目的の場所に近づいているという事ははっきりとしている。

 そうして突き進んでいると、急に空間が開ける。その空気は、先程までいた物置部屋とも、ましてや外の空気とも違う。


『……ようやっと来たか』


 不意に、腹の底から響くような荘厳な声が轟く。男のものとも女のものとも、果ては子供の声とも老人の声とも判別し難いその声は、並の人間にとっては精神的な負荷となって襲い掛かってくるだろう。

 しかし、何度もその声を聞いてきた『あなた』には、どこか甘えるような声調だという事が分かる。


 突然、『あなた』の眼前に赤黒い壁のような何かがにゅっと現れる。表面はゴツゴツしており、しかし岩肌とはまた違う、生々しさがある。

 そして時折、ドクリ、ドクリと、赤いラインが血管のように浮き出て走る。


 だが、『あなた』は驚かない。最初の頃に散々驚かされたのだ。何度も見ていれば

嫌でも……無いが、とにかく慣れる。

 その赤黒い壁に『あなた』は一言、「お待たせ」と言う。


『おお……おお……待っておったぞ』


 急に、赤黒いそれが『あなた』の元に迫ってくる。それを『あなた』は、ただ黙って受け入れる。それどころか、『あなた』は手を差し伸べ、優しくその表面を撫でた。

 肌自体はザラザラとしていて暖かいが、それでいてぬるりと湿っている、そんな奇妙な感触。例えるなら、温くなった海水に浸された、海藻に覆われている岩。

 それを、『あなた』は愛おしげに撫でる。


 瞬間、撫でた箇所から数十メートル上で、何かが動く気配がする。


――それは、縦一文字に走る、巨大な亀裂。


 それが開かれると、中から爛々と黄金の輝きが差す。

 ぐちゃり、ぐちゃりという生々しい音と共に開かれたそこから現れたのは、眼だ。

 爬虫類を想起させる縦長の瞳から発せられる眩い眼光が、『あなた』を監獄の囚人のように照らし出す。


 『あなた』は、嬉々として手に持ったビニール袋を掲げる。


『ほぉ。それがぬしの……ほれ。はよう開けい……と、その前に』


 目の前のそれが、『あなた』から離れていく。

 それを目で追っていると、それが巨大な、赤黒の皮膚をした蜥蜴トカゲのような頭部であった事が分かる。

 だが、本来あるべき場所に目は無く、あるのは眉間の大きな一つ目だけだ。

 加えて、かなり首が長い、あるいは『あなた』自身がそれに比べて小さすぎるのか、もたげた首がまるで塔のように、禍々しくそそり立つ。

 それにとっては、『あなた』など矮小な存在でしかない。にも関わらず、それが『あなた』に向ける感情は、親愛の情だけでもあり得ないというのに、それ以上の色が含まれている。


 首をもたげたその巨大な蜥蜴――否、もはや竜と呼ぶべきであろうそれは、その状態のまま静止する。

 そこから視線を下へ、下へと降ろしていくと、『あなた』が立っているのが切り立った崖の上である事が分かる。

 しかし、自然に出来たものと呼ぶには、あまりにも人の手が加えられているような、そんな印象も見受けられる。事実、美術や歴史の教科書でしかみないような、ギリシャの神殿にありそうな柱が何本も立ち並んでいる。

 硬い岩のような地面は、薄暗いながらも目を凝らすと、タイル張りのように大きな石が敷き詰められているのが分かる。

 その奥、視線の先の崖下から、その巨大なるモノは首を伸ばしていた。先程見た赤い光も、その崖下からのもののようだ。

 何の光か、というのは『あなた』は特に気にかけず、ただただ、巨大なる竜の様子を見守る。


 しばらくすると、その肉体は突然、内側からブクブクと、洗剤と水を混ぜた時に出来る泡のように膨れ上がる。

 最初は崖下にあるであろう肉体から、徐々に首に、そして頭頂部が、おどろおどろしい変異を見せる。

 身体のあちらこちらに出来た泡が爆ぜ、そこから噴き出した黒くドロドロとした血液のようなものが、竜の身体を包んでいく。

 やがて、その黒い液体が、目に見える範囲の竜の身体全てを、縦長のドームのように包み込む。

 それから程なくして、『あなた』の耳に、ピキリ、という卵の殻の割れるような音が聞こえてくる。

 漆黒のドームの頂点の方を見てみれば、先程浴びせられた黄金の眼光と同じ光が漏れ出している。やがて、その光がドームの内側から溢れ……そして、ドームが爆ぜた。

 だが、その欠片が『あなた』に届く事は無い。黒い雪のように舞い散るそれらは、この空間に溶けるように、すぅ、と消えてしまう。





『ふむ。主よ、これでよいか?』





 先程聞いた声よりも、幾分か女寄りの声。しかし、その荘厳さは欠片たりとも失われておらず。

 ドームを破って現れたのは――恐ろしく長い黒髪を無造作に垂らした肌色の女。ただし、先程の竜と同じぐらいの大きさの。ここから『あなた』の目に映るのは、腹部から上の肉体だけだ。

 頭部からは、まるで子供の描いた落書きのように不可解な捻れ方をした角が二本生えており、目元は陰になって良く見えないが、顎などには爬虫類のような黒い鱗や角めいたものが見て取れる。

 衣類と呼べる物は纏わず、代わりに目元や顎のそれと同じ鱗が、まるで鎧のように、しかしながら不規則に身体の各所に見受けられる。

 『あなた』のいる位置からでは、その存在の顔は暗くてよく見えない。

 しかしその身体の肉付きは、出るところは出て、引き締まっているところは引き締まっているという、『あなた』が知る限りで最も女性らしい肉体美を誇っていると言える。

 が、ここからでも見える巨大な乳房には鱗は纏っていない。それでも、崖下の光を一切反射しない黒の長髪のおかげで、大事な部分はしっかり隠せている。最も、『あなた』にとっては

 というより、『あなた』にとっては眼前の存在が人の姿を取る事自体、どうでもいい事なのだ。大事なのは、この明らかに地球上に存在しえない冒涜的な存在の、その中身、そして深奥である。外皮など、大した問題ではない。


 竜から巨大な黒い女に変じたのを確認した『あなた』は、片手に持っていたレジ袋を一旦降ろすと、そのまま腕を高く上げ、笑顔でサムズアップの仕草をする。

 それを見た巨大なる異形の美女は、その上半身を屈め、頭を、というより顔を『あなた』に近づける。


 視界一面に広がるその顔は、人間の基準で言えば美女と言っても差し支えない。否、それ以上に作り物めいた美しさだ。それはそうだ。何故ならこの原型となったのは、『あなた』の記憶の中。より正確に言えば、読んでいた漫画に登場するキャラクターの中で、最もあの黒く禍々しい竜と一致するであろう女性を、この巨大なる存在が読み取り、自らの肉体で再現したのだ。

 『あなた』に近づけたその顔が、記憶にある女性キャラクターと異なる点と言えば、目元に生えている黒い鱗、そして竜の姿の時と同様に、爛々と輝く黄金の瞳を持っている事だろう。


『ほれ、はよう寄越さんか』


 巨大な美女が、口を開く事無く催促する言葉を放つ。荘厳だが、まるで好物を欲しがる子供か、もしくは犬のようだと、『あなた』は失礼ながら思う。脳裏に、未だ見えぬ竜の尻尾を振るう目の前のそれの姿がちらつき、『あなた』は微笑む。そして、ビニール袋から適当に選んだスナック菓子を取り出し、丁寧に袋を開けると、待っていたとばかりに、その存在は口をあんぐりと大きく開く。

 開かれた巨大な口から湯気のような吐息が漏れ、腐り落ちた肉と生クリームを無理矢理混ぜたような、奇怪な臭いが漂う。だが、『あなた』は笑顔を変える事無く、手にしたスナック菓子の袋を振るう。

 『あなた』の知る物理法則に従い、スナック菓子が中から飛び出す。それを、眼前の巨大な美女が舌を伸ばし受け止める。

 滴る唾液が舌先から垂れ落ち、あんぐりと口を開けたその顔も相まって、艶めかしさすら感じられ、『あなた』はごくりと喉を鳴らす。

 それと時を同じくして、巨大な美女も、舌に乗せたスナック菓子を飲み込み、咀嚼する。

 「そんなんじゃ、足りないんじゃない?」と『あなた』は問う。


『いやいや。見た目の大きさなど、然したる問題ではない。口にしたものが如何なる物なれど、味わう事など容易い事よ』


 逆もまた然り、と、美女は『あなた』に言う。


 確かに、それぐらいならば、目の前の存在なら容易くできるのかもしれない。


……そう。『邪神格』なる役割烙印と宣う、この大いなる冒涜的な存在ならば。


 しばしそのスナック菓子を味わっていた『邪神格』の美女は、不意に言葉を『あなた』に届ける。


『……そうさな。一度主という存在を味わってみたくもある。……嗚呼、一体どれほど甘美で、劣悪な味がするのだろうなぁ。愛する者というものは!』


 『邪神格』の美女は笑う。内包する邪悪を隠す事無く。

 だが、『あなた』はその邪悪を理解している。理解した上で『あなた』は――この眼前の存在を、愛しているのだ。


『……冗談だ。冗談だから我の口を無理矢理こじ開けようとするのはよさぬか。な? まだ我は主と触れ合っていたいのだ、だからよせ!』


 愛するが故の『あなた』の行為を、『邪神格』の美女が必死の形相を浮かべ止める。

 こんな風にコロコロと表情を変えるのが、たまらなく可愛いとは『あなた』の言だ。


『ぬゥ……そも、我らは『魂結たまむすび』をしておるのだぞ……主が死のうと我は滅びぬが、それでもな……』


 分かりやすく苦々しい表情を浮かべる『邪神格』の美女に、「流石に悪い事をしたな」と、『あなた』はその頬を優しく撫でながら、真摯な態度で謝る。

 なお、『あなた』は眼前の存在の望みとあらばなんだってする。当然、先程の行為もでやろうとしていた事を、ここに記述する。


 そんな『あなた』の本気度合を知ってか知らずか、『邪神格』の美女は撫でられながら微笑む。


『クク。主は、優しいな。いや、従順であるというべきか。いやいや、それこそ主らしからぬか、な?』


――ここで突然だが、『魂結』とは言い換えて『結魂』と呼び、分かりやすく言えばこの世界における『結婚』の、その最上級の儀式を指す。

 が、本来『結魂』というものは、それこそ禁忌の契りであり、ましてやよこしまなる者なれど神格たる存在が、矮小なる人間とそのような事に及ぶ事など無いと言ってもいい。

 しかし、この『邪神格』の竜は、間違いなく『結魂』の儀を行った。目の前の、小さな『あなた』と。


 何が大いなる者を突き動かし、そうさせたのか。


 それは、今からたった一ヵ月前の事――

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