5-3

 上空に昇ってみて分かったことがある。

 あの大氷河から離れてみると、意外にも石造りの家らしき建物や塔、城なんかがちらほらと確認できた。


「氷だけしかないってわけじゃないんだな」

「そうね。ここの中央には万魔殿もあるし、大罪の悪魔やベリアルの火焔領域もジュデッカにあるのよ。東の外れには私が住んでいる城もあるしね」

「お前、城に住んでるのか?」


 なんて豪勢な生活だ。悠々自適に暮らしてそうだな、なんて湊は思う。

 しかし東の外れとはまた皮肉めいた寂しい響きだった。光を掲げる者ルシフェル。太陽が昇るのは、東だ。

 だが今までを鑑みるに、ルシファーの性格からして納得できる部分もあった。

 東に居を構えているのも、ある種の未練なのだろう。


「別に驚くことでもないわ。私たちは天使だった頃の階級によって、ここでも位が決まってるの」

「熾天使だったっけ?」


 尋ねると、彼女は「そう」と頷いて語る。


「私やベルゼブブ、そしてベリアルを始めとする第一位の熾天使。そして第二位の智天使と第三位の座天使は、天使のヒエラルキーにおいて父の位階という最上位にあるの。父の位階にあった者たちは、堕天した地獄で魔王の地位に就いている。それぞれが異なった地域ごとに城を持っているわ」

「へー。あのベリアルも熾天使だったのか」


 感心しつつも、あんなちゃらんぽらんで本当に強いのか? と半信半疑でいると、


「地獄でゲヘナを最も上手く使いこなすのは、たぶんあの子でしょうね」


 ルシファーがそれを払拭するような一言を放った。

 確かに。精通していなければ、あの火焔領域での特訓だけではゲヘナを習得できなかったかもしれない。それほどまでに教えるのが上手かった。

 納得できるような出来ないような。普段らしき姿を知っているため、なんとも複雑な心情だ。


「――さて。この辺りなら、もう氷の下は永久凍土のはずよ」


 気がつけば、もうそんなところまで飛んでいたのか。

 緩やかに下降線を描きながらルシファーは降下する。着氷寸前で一度大きく羽ばたいて浮揚し、湊とルシファーは静かに降り立った。

 見たところさっきの大氷河とほぼ変わりない。氷も透き通っていなく、多少起伏は見て取れるがそれも僅かな相違点に過ぎなかった。


「本当にこの下に土が?」


 もしかしたらなんて思いが沸き起こってくる。

 彼女を信じていないわけでは勿論ないが、作戦を確実に成功させるためだ。


「確かめてみたら?」


 湊はその言葉に頷き返し、右手を開いて氷上へ向けて構える。


紅焔収束劫砲ロウル・エン=ジアー


 目がチカチカするほど赤く眩い魔方陣から、一点に収束した炎が氷に向かって放射された。まるで太いダイヤモンドカッターのようなそれは、氷を容易く溶解して穴を穿つ。

 やがて穴に吸い込まれるようにして、尾を引いてから消えた焔。

 奥の方から水蒸気と橙色の明かりが漏れてくる。

 そっと覗くと、確かにどろっとしたマグマが溜まっていた。しかし外気に触れた部分がものの数秒で固まり、穴に光沢のある黒い蓋をする。


「……なるほど」


 顎に手を添え納得したように頷くと、湊は堕天使に向き直った。


「ルシファー、アスモデウスの時に使った氷魔霊棺ジエル・ネヴラってやつ、ここで使えるか?」

「まあ、魔法だしどこででも出来るけど……」


 何をしようというのか分からない。そんな訝る視線で彼女は見つめ返してくる。


「よし、じゃあ頼む。サタンを中心になるべく広域に張ってくれ。あっ、俺たちは容れずにな」

「――作戦会議は、終わったのか?」


 突如として背後から聞こえた玲瓏な声に、穏やかな空気が一瞬にして不穏へと変わった。

 二人は同時に身構える。

 遠く離れた氷上にどこからともなく闇色の霧が現れ、人のシルエットが浮かび上がってきた。


「サタン……」

「矮小な虫けらの考えることだ。碌でもないことに違いないだろうが、いいだろう。児戯に付き合ってやる。王の寛大さを身を以って感受し、後で平伏せ」

「はっ。余裕ぶっこいてられるのも今の内だぞ。――ルシファー!」

「氷魔霊棺!」


 彼女は勢いよく足元の氷に手を叩きつけ、瞬時に魔力を流し込む。パキパキと音がし、手元から広がっていく小さな氷の隆起は、円をなぞるようにして加速し連なっていく。止めといわんばかりに、押し込むようにして一層の魔力を送ると、一気に氷は成長を遂げた。

 すると注文したとおり、テニスコート八面分ほどもある氷のドームがサタンを中心にして形成される。


「いまだッ!」


 湊は一切の間を置かず、サタンの真下、足元深くの場所へ右手を向けて広げた。


焦熱炎劫灼烈弾イグニスキュラー!」


 口にすると、炎上する魔方陣から飛び出るように一つの光球が出現する。

 ゲヘナの種火を宿すそれは円環の前で静止し、分裂を繰り返しながら大きくなっていく。あっという間に、ベルゼブブの領域で放った時よりもさらに肥大した。


「まだだ――ッ」


 ありったけの精神力を練り上げて球に込めていく。全身から力という力が吸い出されていくようだ。

 魔方陣から流れる膨大な魔力を吸い上げて、やがて光の球ははちきれんばかりに膨張した。直系にしておよそ五メートル。

 足の踏ん張りが利かず、反発する魔力の塊に今にも弾かれそうだった。

 ――その時だ。ルシファーがそっと背中を支えてくれた。心強かった。一緒に戦っているのだと実感し、それが自信にも繋がる。安心して背中を預けられる、もはや戦友と呼べる関係だった。

 それでも足は氷上を滑る。臨界に達しそうなギリギリまで溜め、見極めて、そして――


「いっけぇえええええええ!」


 一気に枷を解き放った。反動で、二人そろって後方に吹っ飛ばされる。

 衝撃と共に放たれた光弾は音もなく地表に吸い込まれていった。数瞬の後、それは起こる。

 地鳴りがし、大地が大きく揺れ始めた。

 湊の思惑通りなら、この後――


「ん? ……水蒸気?」


 湊を抱きとめていたルシファーが、ぼそっと呟く。

 言葉どおり、至る所から発生した莫大な水蒸気が、ドーム内をもの凄い勢いで満たしていく。同時に蒸気が明るい橙色を映し出した。やがて密閉されていたドームが、水蒸気の圧力に耐えられなくなり――ついには耳を劈く轟音とともに大爆発を起こす。


「ルシファー、退避だ!」


 慌てて促すと、ルシファーに後ろから抱き締められる形で、湊は遥か上空へと逃れた。

 もくもくと立ち上る噴煙。まるで隕石のように地上に降り注ぐ無数の噴石。

 辺りに漂うは硫黄の臭い。そして噴火と同時に、ゲヘナの種火で溶かされた地下の岩石などがマグマとなって、勢いよく噴き上がっていた。氷上に流れたゲヘナを含む灼熱の液体は、氷を溶かすことにより発生した水蒸気を孕んで、ぼこぼこと泡立ちながら流れていく。絶えず鉄板で肉を焼くようなジューシーな音を響かせ、外気で徐々に冷やされながら、やがて黒々として固まった。


「これは……」気づいたようにルシファー。「なるほど。マグマ水蒸気爆発ってやつね?」

「ああ。焦熱炎劫灼烈弾の特性を考えれば、不可能じゃないと思ってさ。試してみたかったんだ」

「そのために、氷魔霊棺を張らせたってわけ」


 そのとおりと、湊は自信ありげに頷き返す。

 マグマ水蒸気爆発。

 そもそも水蒸気爆発とは、密閉空間内の水が熱により急激に気化し膨張することによって、封をしていた物質が耐え切れなくなり、一気に破砕されて起きる爆発現象のことをいう。

 この場合、氷魔霊棺により密閉された空間内の氷が、地下からのマグマにより溶かされ急激に気化し、密閉していた氷の壁が内圧の上昇に耐えられなくなったために爆発した。

 現状を見て分かるとおり、その際にマグマも一緒に放出されると、マグマ水蒸気爆発と呼ばれるものになるのだ。

 自然界の溶岩ではなく、下位とはいえゲヘナを含むマグマ。水蒸気も魔力を孕んで膨張するため、いくら悪魔王とて自然災害と魔法のダブルパンチをまともに受けて無事では済まないだろう。


「考えたわね」

「氷の下の大地が岩石を含む永久凍土だって聞いて、確信したんだよ。水が大量に含まれてるし、地上に出てる氷もある。でも密閉しないと外気に曝されて、さっきみたいにすぐ凍っちゃうだろ? だからお前の力が必要だったんだ」

「ふふっ、初めての共同作業だわ」


 どこか嬉しそうにルシファーは言う。吐息が耳にかかってくすぐったかった。


「けど、これで無傷なら本当に本物の化物だな」


 そんなことは考えたくもないが、万が一、いや千に一つくらいはそんなこともあり得るかもしれない。いまだ噴煙を上げる噴火地点では、なんの変化も見られなかった。


「ダメージくらいは負っていてくれることを、願うばかりね」


 ルシファーは弱気なことを口にしながら、ゆっくりと地上に降下する。氷上に降り立つと、湊は油断なく気配を探った。

 ――きっと、倒したはずだ。そう思わずにはいられない。

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