第五羽 決戦! 悪魔王サタン
5-1
「領域へ繋いだよー」
厳かな静寂に包まれた自室。クローゼット横の姿見の前で、準備していたベリアルが明るい声で言った。
「まさかこんなに早く来るとはね」
もう少し物質界の日常を満喫していたかったのか、ルシファーが少し残念そうにぼやく。
一晩が明け、気がつけば机の上に一通の手紙が置かれていた。
差出人は道化師長ニバス。そこには決戦の舞台となる場所、日時が記されていた。もちろん相手は悪魔王サタンだ。
そして今、少しでも魔力を温存するためだと言って、戦場であるジュデッカへの入口を、わざわざベリアルが開いてくれたところだった。
「ミナト。泣いても笑っても、これが最後よ」
「ああ。覚えたてのゲヘナでどこまでやれるか、試したくてうずうずしてるところだ」
ちょうど目の前に火炎専門っぽい悪魔がいるなと昨晩思い立ち、秘策がないか質したところ、親切にゲヘナの使い方を教えてくれた。
ベリアルの火焔領域での特訓は、短時間ながらも効率的に習得することを可能にしたのだ。現場はかなり白熱して暑苦しかったが……。
「でもあんまり過信はしない方がいいかも? サタンはアバドンを使うからね。互いに撃ち合ったら、間違いなく競り負けちゃうんだよ」
「忠告ありがとうな、ベリアル」
現在、午前十一時五十七分。指定の時間まで三分を切った。
「ほらほら、ネオンちゃんも戦地に赴く恋人にどうぞ一言ー」
「あっ」
ずずいと背中を押され、音遠がたたらを踏みながら目の前に躍り出てくる。
「ってお前、楽しんでるだろ?」
「しょうがないんだよ? 色恋沙汰は悪魔でも面白いんだから」
ゲヘナを教えてもらった手前、これ以上はきつく言えない弟子心。内心感謝で一杯だったりする。満面の笑みを浮かべるベリアルへ呆れ混じりの嘆息をしたところで、熱い視線を感じた。
振り返り、音遠と正対する。自然と赤と翠の視線が交わった。
…………。
こうして改まると、なんて声をかければいいか正直悩む。霊核の欠片で繋がり、生と死を共にする伴侶となった音遠。あらゆる言葉が、もういまさらな気がするけれど――
「えーと、い、行ってくるよ?」
「……う、うん」
「……あー……、ここで、待っててくれるか?」
「っ……はい」
ぎこちない。新婚夫婦でももう少しうまくやるだろうに。
気まずくなり、二人して押し黙る。
すると突然、「チューしないの?」ルシファーがおかしなことを言い出した。
「なっ、お前はいきなりなにを言い出すんだよ!」
「お出かけ前にはチューするものなんでしょ? そうよね、ベリアル?」
「そうなんだよー。じゃあ、ボクたちはお先に、行ってらっしゃいのチュー――」
言って、ベリアルは銀髪少女の首に腕を回し、なんの躊躇いもなく口付けした。ルシファーも拒絶するどころかされるがままで、口が離れたところで「熱いわね」なんて平然と呟いた。
「って、お前ら女の子同士でなんてことを――」
つい男のモノを見てしまった女の子みたいに、いけない場面を目撃してしまったと手で顔を覆ってしまう。じゃっかん隙間を開けて覗っていると、
「何って、挨拶みたいなものでしょ?」
きょとんと不思議そうな顔が返ってきた。伴侶になるならない以前に、挨拶だからと、おいそれと人前で気軽にキスなんて出来るわけがないだろうに。
外国人のノリで言わないでほしい。
「それに、私はミナトと以前したけれど。二番目だからといってネオンにさせないだなんて、私の器が小さいと思われるじゃない?」
「お前は誰に見栄張ってんだよ……」
はぁとため息をこぼすと、堕天使と悪魔はなぜか湊の隣をにやついた顔で見ていた。
なんとなく嫌な予感がし、横目で窺うと――
「…………」
ぽっと頬を朱に染めた音遠が見つめていた。それはもう火傷しそうなくらいに熱い眼差しだ。黙ってはいるが、潤んだ上目遣いがキスをねだっていることを、これ以上ないくらいに表している。
このままじゃ時間に遅れてしまう。湊は心を決めて、「あっ」と気づいたように壁を見た。「えっ」とつられて顔を向けた音遠の頬に、軽く触れる程度にキスを降らす。
「恥ずかしいから、これで勘弁してくれ」
目を合わせることが出来ずに横目で流していると、不意に頬へ手を当てられた。そのまま正面に顔を向けさせられる。そして――
「チュッ」と音遠の唇が自分のものに重なった。耳まで赤くしながら、目をぎゅっと固く瞑る音遠。やわらかくて、甘い花の香りがした。
静かに離れると、彼女は照れ笑いを浮かべながら、「いってらっしゃい」と呟いた。
一瞬呆然としてしまったが、「ああ、行ってきます」はっきりとそう口にして、湊は微笑しながら背を向ける。
「ルシファー、行こう!」
「ええ」
そうして二人は姿見の中、悪魔王サタンが待つ最終地獄ジュデッカへと旅立った――。
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