4-3

 その後、腹を空かせた音遠に軽く料理を振る舞い――といってもレトルトのカレーだが――湊らはひと時の休息を得た。

 ダイニングテーブルでくつろいでいると、


「紅茶、淹れたんだけど」


 なぜかどこか遠慮がちに、音遠がおずおずとティーカップを差し出してくる。


「ああ、ありがとう。俺が淹れるべきだったな」


 気の利かなかった自分を少し恥じながら、湊はカップを受け取る。


「ううん。湊君はずっと眠ってたから、体、疲れてるでしょ? だから気にしないで。台所、勝手に使っちゃってごめんね。わたし、こんなことしか出来ないから」

「気を遣う必要なんてないよ。音遠は客人なんだからさ。それに、心配してくれて、その……ありがとうな」


 クラス委員なのに、二日も学校をサボってまで家にいてくれた。それに対して素直に礼を口にすると、音遠は嬉しそうにはにかんだ。

 照れくさくて、湊は頬を掻いて誤魔化した。


「ふふふー」


 聞こえた声に振り向くと、リビングソファーからこちらへにやにや顔を向けるベリアルが。


「なんだよ?」

「いやいやー、お熱いねーお二人さーん」


 なんだか少し、イラッとした。言い方の問題だろうか?

 その脇で、音遠が淹れた紅茶を暢気にすするルシファーも、やわらかく微笑を浮かべていた。


「このお茶、本当に美味しいわよ」

「ホントホント! ネオンちゃんはいいお嫁さんになれるんだよ」

「そうね。他人を思いやる心で満ちている。やわらかくて、優しくて、温かいわ」


 どこか懐かしげに目を細めるルシファー。両手に持ったカップを胸に抱く。

 ただのお茶に何をそこまで感心しているのか、湊には理解できなかった。手渡されたお茶を一口含み、飲み込むと――

「…………っ」ほっとため息が零れた。

 確かに、いつも自分で淹れているのとはまた違った味わいがある。お茶の味なんて正直判らないけれど、初めて他人に淹れてもらって飲んだ紅茶は、温かくて落ち着く、優しい味がした。


「でもボクは、このクッキーも大好きなんだよ!」

「悪魔のくせに、なんでお前そんなに食い意地張ってんだ」


 ルシファーとは大違いだ。

 仕方がないからレトルトカレーをベリアルにも用意したのだが、それだけでは足りないと駄々をこね、カップラーメンまで奪われた。しかも七つだ。一週間分だ。

 しょうがないから作り方を教えてやったものの、待ち切れないと怒り出し、挙句乾麺をそのままバリバリと食べ始める始末。味もなにもあったものじゃないだろうに。

 そうして今に至る。


「人間の食べ物は美味しいんだよ! 地獄にも美味しいものは一応あるけど、こっちには敵わないんだもん」

「そういえばさっきルシファーが言ってた、禁断の命の樹の果実がどうのって。それは美味しいのか?」

「美味しいよー。甘くてしゃりしゃりしてるんだよ。あんまり採れないから貴重なんだ。それに、栄養士でもある料理長ニスロクは天才なんだよ! どんなゲテモノだって美味しく料理できるんだもん」


 手振り大きく、まるで子供みたいにはしゃぐベリアル。


「いや、ゲテモノを食う趣味は俺にはないよ。しかもなんだよゲテモノって……いったいなに食ってんだよ……」


 嫌悪に拒絶をたっぷり混ぜたしかめっ面をして言うと、自然とリビングに笑い声が満ちた。

 いくら天才料理長が調理したものとはいえ、ゲテモノはさすがにパスだ。

 地獄に行ってからの食生活が、なにかと不安になってきた。

 ふとルシファーに視線を転ずると、自分を素通りしてその向こう側を見ていた。どうやら音遠を気にかけているらしい。


「どうしたの、ネオン?」


 心配そうに訊くルシファーにつられて、湊は背後を見た。

 音遠はトレイを提げ、思いつめたように俯いている。


「音遠? どうかしたのか?」

「湊君……」

「うん?」

「――楽しいね」


 どうしたんだろうか。いつもみたいな元気がない。腹は多少満たされただろうから、空腹から来るものじゃなさそうだけど。

 それに『楽しいね』なんて言葉は、そんな浮かない顔をして言う台詞じゃない。

 ややあって。まるで緊張している時みたいに細切れの深呼吸をした音遠は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、どうしてか涙で濡れている。ますますもって解らなくなった。


「私たちは、席を外した方がいい?」


 ただならぬ雰囲気を感じたのだろう。ルシファーが気を利かせて尋ねると、


「いいえ。ルシファー様にも、聞いて欲しいから」


 ふるふると首を振り、彼女は無理やり作ったぎこちない微笑を浮かべ、少女へここにいることを請うた。

 何もいわず小さく顎を引き、ルシファーは首肯で了解を示す。


「ミナト、ネオンもこっちに来て座りなさい。落ち着いて話した方がいいわ」

「……分かった。音遠」

「…………うん」


 力なく頷いて、音遠は湊の背中について歩く。そして二人は四人掛けソファーに腰掛けた。ベリアルは肘掛に座り、ルシファー、音遠、湊の順に座る。

 腰を落ち着けたはいいが、彼女は一向に話し出す気配がない。そのまま、沈黙の五分が過ぎた。時計の針と呼吸音だけが、耳にシンと響き渡る。

 このままでは時間がただ過ぎるだけだ。音遠だって、いつまでもここに居られないだろう。

 痺れを切らした湊は、自分から尋ねることにした。


「どうして、泣いてたんだ?」

「ミナト」


 なぜか責めるような視線で睨まれた。ルシファーの性格から察するに、たぶんデリカシーがないと言いたいに違いない。


「……ごめん」


 確かに配慮が足らなかった。自省し、素直に謝る。


「ごめんね、ちょっと、落ち着いたから……」


 そう言うわりには声が震えている。

 そして、黒い段々のスカートの裾をぎゅっと握り込みながら、音遠は重たい口を開いた。


「さっきの話、本当なの?」

「さっきの?」

「サタンって悪魔に、勝てるかどうか分からないっていう話」

「……ああ、そうみたいだ」

「どうして……どうしてそんなに落ち着いていられるの? 負けたら死んじゃうんでしょ!」


 目を合わせることなく、音遠は俯いたままで叫ぶ。

 切ない声は心を震わせるが、しかし湊は穏やかな気持ちだった。


「なんでだろうな。死んで、逝く場所がはっきりしてるからかもしれない」

「……地獄?」

「そう。俺はルシファーと契約する時、迷いがなかったんだ。目の前に、俺のことを理解してくれる存在が現れた。表層では別にいらないって否定し続けてきたその想いは、やっぱり心の奥底で燻ってた願いでもあったんだ。単純に、彼女がいてくれるだけで嬉しかったんだよ――」


 普段では言い辛い、言いにくい言葉がつらつらと出てくる。

 どうしてか恥ずかしさも感じなかった。


「だから、そんなルシファーのいるジュデッカに逝けるって知って、安心してるんだろうな」

「…………ぃやだ」蚊の鳴くように小さく、でもはっきりと耳の奥で残響する声だった。「――そんなのいやッ!」


 彼女の悲鳴が、リビングに激しく響き渡る。

 いきなりの大声に、ベリアルも肩をビクつかせた。


「音遠?」

「いかないでよ、わたしを置いていかないで!」


 顔を上げた音遠の顔は、止め処なく溢れる涙に塗れていた。再び胸に顔を埋められ、悲痛な泣き声が鼓膜を震わせる。乾いていたシャツの胸元を、もう一度音遠の涙が濡らしていく。

 ルシファーもベリアルも、沈痛な面持ちで見守っていた。


「湊君がいなくなったら、わたし、また一人ぼっちになっちゃうよ……」

「そんなこと、ないだろ。周りには――」


 湊は、音遠の普段の学校生活を思い返した。

 日直の仕事を押し付けられ、それを文句一つ言わずに毎日こなす真面目なクラス委員長。自分が見ていた限りだと、友達らしい友達もおらず、手を貸してくれる人間も見当たらなかった。

 人のやりたがらない仕事を一手に引き受けている姿を見て、それを酔狂だと思っていた。

 他人との軋轢を生むことを嫌う湊は、外面ばかりを気にして、他人からの評価を気にして、心象を良くしようとただそれだけのために手伝っていた。


「湊君だけだよ? わたしが困ってた時、助けてくれた人。湊君は、いつも助けてくれた。学校でも、先輩に襲われた時も、ベルゼブブって悪魔の領域に入った時だって……。すごく、嬉しかった、心が救われた。わたしは独りじゃないんだって思えた! いつの間にか……、あなたを好きになってた……。だから……だから、死なないでよ、生きることを諦めないでよっ! お願い、だから……」


 体面を気にして手伝っていた自分。それが音遠の拠り所となっていたことに気づき、湊は自身を恥じた。なぜ親身になってやらなかったのか、やれなかったのか。

 強引なデートの申し出も、初めは煩わしく感じていた。強かだと言ってのけた彼女を、意外と図々しいやつだと思ったことさえあった。

 そんな自分を支えだと思っていてくれたこと。必要としてくれていたこと。全てに対して、罪悪感が込み上げてくる。虚飾では到底塗り潰せない罪だった。

 目頭が熱くなり。だんだんと視界が溺れていく。音遠の姿が水の中で揺れていた。やがて堪え切れなくなった涙が、目尻から静かに零れていく。


「ごめん…………気づかなくて、ごめんな」


 そっと音遠の体を抱きしめる。しゃくりあげて震える彼女の体は、ガラス細工のように脆く感じた。力を入れれば壊れそうで、しかし、そんな危うさの中にもしっかりと温かさがあった。

 湊は理解する。きっと音遠も、自分と同じなんだと。

 そんな時だ。急に大きな影が湊と音遠を覆う。それは白と黒の翼だった。二人は優しく包み込まれ、ルシファーに抱き寄せられた。


「ネオン、よく、想いを打ち明けたわね。その凄さが、いまの私には解るもの。すごく苦しくて、勇気がいるわよね。でも、それを成し遂げたあなたは、……素敵だわ」


 慈悲深いその言葉に、音遠は堰を切ったように声を上げて泣いた。見れば、ルシファーも目に涙を浮かべていた。微笑んだ拍子に、涙が頬に緩やかに線を引く。

 優しい時間、そして涙だった。

 それから如何ほどの時間が過ぎただろう。落ち着きを取り戻したリビングに響く秒針の音。時刻は九時を刻んでいる。

 互いに恥ずかしいところを見られたと、なぜかぎこちない沈黙の場に、最初に声を持ち込んだのはルシファーだった。


「……ネオン、あなたの望みを聞かせて」

「えっ――」と目を見開く音遠。

「ルシファー」ベリアルはなぜか深刻そうな顔をしていた。


「いいのよ、ベリアル。私がそうしたいの、してあげたいの。お願い」


 それが本気であると真剣な眼差しを向けるルシファーに、ベリアルは辛そうに顔を歪める。湊にはその真意は判らない。けれど、覚悟の上で言っていることを雰囲気から悟った。


「本気なんだね」

「ええ」

「……解ったよ。ルシファーが言うのなら、ボクは何も見なかったことにする」

「ありがとう。大好きよ、ベリアル」


 火の少女は、切なげに儚く笑って頷いた。


「ルシファー様、望みって……」

「あなたが願うもの、願うこと。きっと私が考えていることで合ってるとは思う。でも、あなた自身の口から聞きたいの。私がそれを叶えてあげるわ。……ネオンが望むことは、なに?」


 問われ、「わたしは――」そう言って音遠はこちらを向き、


「わたしは、湊君と一緒にいたいです。これからも、そして、死んでからも永遠に」


 まるで迷いなく言葉にした。


「辛いことも多いわよ、地獄は」

「かまいません。わたしは湊君が好きです。その気持ちだけで、どんな困難も乗り越えられます。いえ、必ず乗り越えてみせます」


 いままでに見たこともない精悍な顔つきだった。男の湊でもかっこいいと思えるほどに。

 決意の宣誓を聞き終えて、ルシファーはやわらかく笑みを湛えた。


「ネオン、あなたの想い、確かに受け取ったわ――ミナト」

「んえ?」


 まさか自分に振られるとは思ってもみなくて油断した。変な声が出た。案の定、登校途中にあくびを注意された時のような厳しい顔が返ってくる。

 まさかこの状況でそんな顔をされるとは思わなかった。


「あなたの気持ちはどうなの?」

「俺の気持ち?」

「あなたはネオンを、伴侶として迎え入れる気はあって?」

「は、伴侶!? 」


 いくらなんでも話が飛躍しすぎている。さすがに突飛だ。それに自分たちはまだ高校生だし。

 問いの答えに逡巡していると、ルシファーが呆れ交じりのため息をこぼした。


「あなたを想って、こんなに可愛い子が思いを伝えたのに、それに応える気がないの?」

「待て、そうじゃないそうじゃない。お前、結婚とかそういうことを言ってんのか?」

「結婚? ……そうね、感覚的にはそれに近しいけれど、まったくの別物よ。これは互いの霊魂を繋ぐための魔の儀式。十字架の下、神父の前で薄っぺらい誓いを立てて紙面上の契約を結ぶに過ぎない、人間の安っぽい結婚などというものでは断じてないわ」

「霊魂を、繋ぐ?」

「そうよ。互いの想いが等しくなければ成立しないの。それで、あなたの気持ちは?」


 音遠を見やる。先ほどから変わらずにいい顔をしていた。意思を固めた決意の表情だ。

 彼女の想いは本物だ。それをルシファーも認めている。霊魂を繋ぐことをベリアルも許容した。そこにどんなリスクが伴うのか、湊はいま聞いておきたかった。


「ルシファー、一ついいか」


 黙したまま、彼女は細い顎を引く。


「お前はなにを覚悟したんだ? それを聞かせてくれ。何かしらのリスクがあるんだろ」

「いいけど。それを聞いたから考えを改めるってのはなしよ。あなたも、心中は決まっているはず。考え直すようなら、私は話さない」


 質すような視線が射抜いてくる。湊は「分かった」と言って了解した。


「そう。……この儀式は、私の霊核の欠片をもう一つ使うの」


 聞けば、契約者に対して一つの霊核の欠片を用いる。それは唯一無二で、本来、一度の受肉で裂ける最大量だそうだ。それをもう一つ使うこと。それは制約の禁忌を犯すことでもあり、結果、王が決まった後の地獄で責め苦を受けなければならないらしい。それも半世紀もの間だ。

 たとえ自分が王になっても免罪されない罰として、きっちりと贖わなければならないという。


「ルシファーは、それでもい――」


 険しい表情をし、彼女は「それ以上言うな」と視線で訴えかけてくる。

 威圧的な表情に、湊はぐっと言葉を飲み込んだ。ルシファーも、そして音遠も覚悟の上だ。自分の安っぽい同情でその決意を少しでも鈍らせることがあれば、それは失礼に当たるだろう。


「ルシファー様……」


 物悲しく翳る表情の音遠に、「気にしないで」そう言って首を振ると、「私は、ネオンのことも好きだから」翼の少女は幼く顔を綻ばせた。

 その言葉を噛み締めるように、音遠は手を組み合わせて胸に抱く。


「――解ったよ。俺は、音遠を守る。あの時お前と、そう約束したからな」

「添い遂げるのね?」

「ああ。音遠と契るよ」


 確かな意思をもって頷くと、ルシファーは満足そうに破顔する。


「よく言ったわ。じゃあ、始めるわよ」


 言いながら胸の前で両手を組む。祈るように目を閉じると、指の隙間から突如黒い光が漏れ出した。やがて収束すると、静かに彼女は手を開く。手の内にあったのは、湊が首にかけているものとまったく同じ、翼を象った黒い逆十字のネックレスだった。

 ルシファーはそれを、音遠の首にそっとかける。


「互いに、ネックレスに口付けを――」


 指示に従い、二人は互いの十字架にキスを降らす。すると、二つ同時に発光しだした。悪魔文字が書き込まれた紫の帯が、何重にも首飾りを覆う。湊は似たような光景を思い出す。

 少し違うが、ルシファーから魔道書を受け取った際に見たものに酷似していた。

 あの時と同様、帯は十字架に重なり、二人の物に同じ文字列がびっしりと刻み込まれた。湊の方は大罪の契約文に被さっている。


「これで二人の霊魂は私の楔によって繋がれた。どちらかが死す時、必ず引き合い死を共にする。もちろん逝くところは、二人ともジュデッカよ」


 ルシファーの言の葉に、音遠は目尻の涙を拭いながら「はい」と満ち足りた顔で頷いた。

 心から喜んでくれて、湊も胸の奥が温かくなる。

 決戦の日は間近だ。

 生と死、そのどちらに転ぶにせよ、一人じゃないということがこれほど心強いものだとは思わなかった。もしかしたら……そんなことをつい想う。


「ミナト」


 唐突にルシファー。


「うん?」

「今からこんなことを言うのもなんだけど、……」


 彼女は意外にももじもじとし、どこか言いにくそうに逡巡している。


「なんだよ、なんでも言ってくれ。俺たちは深いところで繋がった仲間だろ」

「あの、その……ね?」


 なんとも歯切れが悪い。見れば、頬をほんのり桜色に染めて恥ずかしがっているようだった。

 今までの経験則から、こういう時は黙って相手が話すまで待った方がいい。学習したことを実践し、じーっとルシファーを見つめていると――


「そ、そんなにジロジロ見ないでッ!」


 なぜか怒られ、翼で顔を、そして必要ないであろう体全体まで覆って彼女は隠れてしまう。


「いったい何なんだ……」


 ややあって、仕方なさそうに申し訳程度に顔を覗かせると、


「……し、死んで地獄に来たら、みんなで一緒に暮らしましょ」


 照れくさそうに目を逸らしながら少女は言う。

 嬉しかったのか? そんなことは口に出して言わない。ルシファーが、自分の思っていることをはっきりと口にしたのだ。からかえるはずもない。


「ああ。みんな一緒だ」


 答えると、首をすくめながら「うん」と彼女は頷いた。

 が、すぐさま思い出したように、


「それと、忘れないで欲しいことがあるんだけど」

「まだなにかあるのか?」

「ええ、大事なことよ」


 なぜか頬を赤らめムッと眉根を寄せる表情が気になって、何を言われるのか緊張しながら待っていると。


「私が最初にミナトと契ったんだからね、それを忘れないでっ。ネオンは二番よ、いいわね?」

「なんだ、そんなことか」


 思わずいつもの軽口みたいにこぼすと、ルシファーは口をあんぐりと開けて呆然とした。


「そんなことって。あなた相変わらずデリカシーがないわね。女心をなんだと思ってるの?」

「あ、……ごめん」


 怒り顔の少女に素直に頭を垂れると、「まったく――」と毎度のように説教が白熱しかけた。

 しかしそれに待ったをかけてくれたのは、音遠の一言だ。


「ルシファー様、わたし解ってますから、大丈夫です」


 やわらかく笑む音遠に振り向くと、「そ、そう? ならいいんだけど」とどこか嬉しさを隠しきれていないニヨニヨした顔をして呟くルシファー。

 照れくさそうに顔を背けた先で、ふとベリアルと目が合った。


「ルシファー、ボクは? 一緒に住んでいいの?」


 火の少女がキョトン顔で尋ねる。


「もちろんあなたもよ。当たり前でしょ、私は保護者なんだから」


 ぱあっと顔を輝かせると、火炎が勢いを増した腕でベリアルはルシファーに抱きついた。


「ボクはこの上なく嬉しいんだよ! でも、ボクは子供じゃないんだからね?」

「翼が燃えるでしょ! 離れなさいよ」


 慌てて翼を開いて逃げる。いつもの如く盛大に羽根が散らかった。照明を反射する白と黒の羽根。綺麗だった。

 この光景も、ここで見るのはこれが最後になるかもしれない。掃除もしなくてよくなるんだな。目を細め、湊は二人のじゃれ合いを温かく見守る。


「湊君」

「うん?」


 振り返ると、音遠が控えめに寄り添ってきて、トンと肩に額を当ててきた。さらさらとした蜂蜜色の髪が鎖骨に触れてくすぐったい。 


「どうした? 怖いか」

「ううん、そうじゃないよ。湊君と一緒だもん。なにも怖くない、怖いことなんてないよ」

「だったら、」

「……寂しそうな顔、してた」


 ――いけない。つい感傷的になってしまったか。弱気だと取られただろうか。

 けど、祭りの後を思うと切ない気持ちにさせられるのだ。死んでからすぐに会えるといっても、この世界で、自分の家で、こうして彼女と団欒できるのはこれがきっと最後だから。遣り切れない心も、やはりどこかにあって。


「ミナト」

「……ルシファー」

「サタンと戦う前から、なにしょぼくれた顔してるのよ。今生の別れでも、私たちはまたすぐに会える。でしょ?」

「……そうだな」

「あっそうだわ! ジュデッカにはね、私のとっておきの場所があるのよ。すっごく綺麗なの。あなたとネオンにも見せてあげるわ。楽しみにしててね!」


 無理して作った笑顔をして、元気が空回ってるのがありありと見て取れた。

 けれど、湊は余計なことは言わずにいつも通り、「ああ、楽しみにしてるよ」と笑いながら返事した。

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