3-5

 そこは、腐臭に塗れた荒涼として陰鬱とした世界だった。

 スモッグがかかったように霞む景色の中。確かな存在感を示すものは、地面に突き立てられた夥しい数の十字の墓標。

 なだらかな丘陵地帯の先には小高い丘があり、墓はそこまで続いていた。

 脳裏にルシファーの言葉がよぎる。『人間を餌にしている』

 恐らくこれらは、ベルゼブブに喰われた人々のものなのだろう。

 雰囲気からくるものか、それともこの領域の主のものか。湊は言い知れぬ重圧感を肌で感じていた。


「なんだこの感じ……。空気が、重い? 静かに沈みこんでくるみたいな。内臓が上から圧迫されてるみたいだ」

「あなたも感じる? アスモデウスとは比べ物にならない、この桁違いの霊圧を」


 呟くルシファーは不敵に笑んでいた。しかし頬を伝う汗が、少女の危機感や焦心を如実に物語っている。


「湊君……」


 不安げに背中に寄り添う音遠。

 庇うように腕を広げ、湊は周囲の警戒を怠らない。

 ――と、背後でボコッと音がした。

 慌てて振り返ると、いくつかの墓標が傾き、墓土が盛り上がっている。そこから骨張った手が出て、次いで頭蓋骨が剥き出しの頭が現れる。やがて腐蝕の進んだ人の姿をしたモノたちが、ずるずると這い出てきた。


「ルシファー、こいつらはッ!? 」

「何百年か前に、ベルゼブブに喰われた人間たちね。数多の戦闘で無事だった死人よ。瘴気による腐蝕具合からしても、アンデッドとしての能力は低いわ――」


 言いながら、翼の少女は丘を指差した。


「あの頂にベルゼブブの玉座がある。這い出る雑魚は丘の麓で処理すればいい。急ぐわよ」


 少女に先導され、二人は一斉に駆け出した。

 流れていく景色の中、墓から屍たちが次々に蘇る。息を切らせながら無我夢中で走っていると、「きゃっ」背後で小さな悲鳴が聞こえた。

 足を止め、振り返る。躓いたのだろうか、音遠がうつ伏せに倒れていた。


「大丈夫か!」


 すぐさま音遠に駆け寄り、湊は彼女を抱き起こそうとした。


「湊君! 足に、何か――」


 足元に目をやると、屍の手が土から飛び出て音遠の足首をがっしりと掴んでいる。


「こいつッ!」


 とっさに、骨が露呈する腐肉の手首を、湊は思いっきり踏みつけた。すると肉が抉れて骨が砕け、あっけなく手首が捥げた。握力をなくした屍の手が、自ずと音遠の足首から離れる。


「立てるか?」

「う、うん」


 嫌悪と恐怖に顔を引きつらせながら頷く音遠。

 湊は彼女の手を握り、丘を目指して駆け走る。今度は転ばないように、速度を考えながら走る。不意に音遠が、繋いだ手に力を込めてきた。

 不安でしょうがないのだろう。初めて見る悪魔の領域に戸惑いもあるのだろう。

 まるで映画みたいなゾンビの群れを前にして、恐怖心で竦んでしまうのは仕方のないことだ。これはホラーハウスの作り物なんかじゃなく、正真正銘、本物の生きる屍なのだから。

 音遠も拠り所としている。自分が守らなければいけない。そのために、ルシファーが戦う力を与えてくれたのだ。

 湊も手を強く握り返し、音遠の思いに応える。

 息も絶え絶え、ようやく丘の麓まで走りきった湊たち。

 膝に手をつき、酸素を求め肩で荒い呼吸をする。少しして気息が整ってきた。

 悠長な時間はない。迎え撃つため、足音を多重に轟かせるゾンビたちに振り返ろうとして、視界に入った目の前の光景に驚愕した。

 遠目には土で出来た丘に見えていたそれは、死屍累々が折り重なって築かれた死体の山だったのだ。鼻を突き刺す死臭が大気の腐臭と相まって、名状しがたい悪臭となっている。

 脳髄まで毒されそうな臭いの中、顔を背ける音遠を背中に庇いながら湊はゾンビの群れに体を向けた。

 距離およそ一〇〇メートル、目標の数は約二五〇。よたつく千鳥足ながらも、肉を求める確かな本能に従って歩を進めてくる。

『殺らなきゃ殺られる』ルシファーの言葉を脳裏で何度も繰り返し、明確な害意を以ってやつらを睨み付けた。黒い視線に紅が混じる。

 意思に呼応し発光する魔道書。ページがめくれ、赤い文字が浮かび上がった。すぅと息を吸い込み、ゆったりとした動作で右手を開き前方へとかざす湊。


焦熱炎劫灼烈弾イグニスキュラー!! 」


 魔法名に、ルシファーがぎょっと目を見開いた。

 魔方陣から飛び出た小さな玉は、まるで細胞分裂のようにして急激に膨張を始める。やがて直径一メートルほどの輝く光球へと肥大した。中心部には揺らめく紅蓮の炎を内包している。

 数メートルほど進んだ後、それは破裂し無数に分裂した。業火を宿した光の球一つひとつが、領域の瘴気を焼き払いながら散弾の如く猛スピードで空を切る。対象であるゾンビたちの体にそれらが触れると、音もなく光の球は消失した。

 瞬きの後――ゾンビの体表から幾筋もの光が漏れ出し、膨れ上がったと思ったら、一瞬にして内側から爆散する。

 飛び散った肉片からもたちまちに炎が上がった。連鎖する爆発は、群れを一体残らず木っ端微塵にしつつ炎の壁を作り出す。

 濛濛と立ち上る黒煙。爆風によって辺りを漂う死臭が一時的に吹き飛ばされる。


「ミナト、その魔法は……」


 少女は戦慄きながら問うてきた。

 熱風に黒い髪を揺らしながら湊は振り返る。


「ああ、一発でやつらを吹っ飛ばせる魔法を思い浮かべたら、これが出てきた」

「それ、ゲヘナの下位魔法の一種じゃない」


 指差す少女の手が少し震えている。


「ゲヘナ?」

「地獄の業火よ。かつて人間に対し幾度も加えられた神の懲罰。その際に天使が振るった力の一つが、ゲヘナ。古の都市ソドムとゴモラを滅ぼし、また神意に叛いたアッシリア軍十八万五千人を一瞬にして焼き払った話はけっこう有名よ。硫黄の火だとか、神の雷と伝えられているものだわ。ゲヘナそのものではないけど、まさか魔道書を手にしてすぐの人間が使えるとはね」


 少女は眉根を寄せて腕を組む。感心か、それとも憂慮か。その表情からは窺い知ることが出来ない。不意に目が合うと、ルシファーがはっとした。


「あなた、目が……」


 少女が呟くと、後ろにいた音遠も気になったのか顔を覗き込んでくる。


「本当だ。湊君、目、赤くなってるよ!」

「えっ」


 音遠はポーチから手鏡を取り出すと、それを顔の前へ差し出してきた。半信半疑で鏡面をのぞく。確かに、両の瞳が真紅に染まっていた。


「強力な魔法を使えば、その反動は大きくなる。罪を加速させるから……」

「そっか。でも、自分の意思でやったことだ。後悔はないよ」


 カチカチと鳴る奥歯を強く噛み締め、湊は固く拳を握った。殺人という罪の重圧に……潰されないように。にもかかわらず、カタカタと足が震えている。


「ミナト……」


 少女は心苦しそうに眉をひそめた。


「なんて顔してるんだよ。心配ない、俺なら、まだやれるさ」


  ――殺ってやる。殺らなきゃ、殺られるんだ!

  再び眼球に熱と痛みを感じた。


「それよりも、この上にベルゼブブがいるんだろ? 早く行こうぜ」


 堆く積まれた死体の山を見上げ、湊は言った。


「……そうね」


 心を決めたのか、ルシファーの瞳に力強さが戻る。

 死体を踏みつける、最初はその行為に罪悪を感じていた。しかし丘の中腹まで来たところで、聞き覚えのある不快な音が耳に障り、注意を削がれた。

 羽音だ。ブブブブと細かな振動音が頂上から聞こえてくる。

 間違いなく、奴らはいる。骸を踏み込む足が急く。

 突然、「ひっ」と小さな悲鳴が聞こえ我を取り戻す。聞こえた方に目を向けると、音遠がおっかなびっくり涙目で難儀していた。

 さすがに女の子だ。いくら生体が星幽体に置換されているからといっても、感触は直に伝わってくる。こんなものを踏んで歩くだなんて、到底慣れるものじゃないだろう。

 湊は音遠の下まで降りていき、「ほら」と背を向けた。一瞬戸惑っていた彼女だったが、「ありがとう」と遠慮がちに礼を言いながら体重を預けてくる。

 音遠をおんぶしたまま、再び丘を上る。上に行くにつれ、死体の鮮度が増している気がした。踏み込む靴裏に確かな固さを感じるのだ。

 上りきる寸前、視界を掠めた景色に奴はいた。

 頂へと至り、おぶっていた音遠を下ろして対峙する。


「ようこそ。ボクの領域、デッド・サンクチュアリへ」


 赤い絨毯の上。金で装飾された血塗れのテーブルを挟んで、真向かいの玉座に悪魔はいた。

 灰色の頭髪、後頭部へ向かって曲がる二本の角。眉目秀麗な青年の体は見た目に反し筋肉質で、上半身は惜しげもなく晒されている。黒いレザーのパンツを着用し、不遜に足を組んで座る悪魔ベルゼブブ。

 しかし湊は疑問を抱いた。大罪の悪魔は、あの一メートルほどの棺の身長しかないはずである。けれど、目の前の悪魔は等身大をしているのだ。


「ルシファー、こいつはどういうことだ?」

「あいつが、本気だということよ」


 突然、ルシファーが六枚の翼で自身を包んだ。頭から足の先まで、びっしりと黒と白とで覆われている。花のつぼみにも似たそれは徐々に膨れ、開花するように静かに翼が開かれた。

 湊は目の前の出来事に、驚愕した。

 中から現れたのは、膝を抱えた女性だったのだ。今の今まで少女だったルシファーが、大人の容姿に変貌していた。

 流れる銀髪の隙間から切れ長の目がゆっくりと開かれる。真紅の瞳が朧気に彷徨い、湊の双眼を捉えた。

 見つめられ、初めて出会ったあの日がフラッシュバックする。

 神に愛されたと形容すべき彫刻のような美顔。その容貌は、翼が黒いことを差し引いても、正に天使と呼ぶに相応しい気高さと優雅さ、そして高貴さに満ち溢れていた。


「お、お前、その姿は――」

「あいつがあの姿になっているということは、楽に勝たせてもらえないってこと。全力で戦うために、私も戻る必要があったってだけよ」


 湊の感動とは裏腹に、堕天使の声音は至極冷静でそっけなかった。


「――へぇ、やっぱり。キミも人間に魔道書を与えたのか」


 ベルゼブブが言う。


「ええ。あなたが動いたのであれば、私も魔道書を出し渋ってる場合じゃないでしょ」

「そうだね。この姿に戻るためには、魔道書の授与は絶対不可欠だ。魂に大罪の楔を打ち込まなければ繋がりが弱く、元に戻れるだけの霊子提供は得られない」


 ルシファーがあれだけ渋っていた魔道書を、なぜあっさりと渡す気になったのか。悪魔の言葉で完全に腑に落ちた。

 それは音遠を守らせるためだけでなく、そうしなければベルゼブブと全力で戦えないと踏んだからだ。そして本気を出すには元の姿に戻らねばならず、そのためには霊子とやらを、自分から供給されなければならないらしい。


「あいつ、そんなに強いのか……」

「実力で言えば、サタンに次ぐわ――」

「キミに次ぐ、とは言わないのかい?」


 にいっと鋭い犬歯を見せて悪魔が笑う。

 ルシファーの翼が身震いするようにざわつき始めた。


「怒ったかい? 変わらないね、キミは。天界にいた時からなにも変わっちゃいない。だから、からかい甲斐がある」


 肘掛に肘を付きくすりと鼻を鳴らすベルゼブブに、堕天使はノーモーションで羽根を飛ばした。数百はあろうかというナイフみたいな鋭い羽根が、一枚も軌道を逸れずに悪魔に殺到する。

 無数に迫り来る羽根の弾丸を目前にして、眉をぴくりともさせず微動だにしないベルゼブブ。

 あわや直撃かと思われた刹那、悪魔の前に一メートルはあろうかという巨大な蝿が出現し、翅で全てを払い落とした。髑髏が描かれた翅を持つ蝿は、一仕事を終えて空へと上っていく。


「短気なところも相変わらずだ」


 よく知った風な口振りであることに、つい湊は疑問を口にする。


「天界って、どういうことだ? まさかあいつも、天使だったのか?」

「ご明察。元堕天使だ。ボクだけじゃないよ、他の大罪の悪魔たちも、皆元堕天使だ。ああ、サタンは違うんだけどね。ちなみにボクは熾天使。そこのルシファーも熾天使だった」

「熾天使?」

「キミは相変わらず人間になにも説明してないんだね。彼、困惑してるじゃないか」


 悪魔の指摘に、ルシファーはすっと目を伏せながら言った。


「……九つの階級に於いて天界最高位、第一位の天使のことよ」

「知ってるかい? ルシファーは神によって創られた最初の天使だったんだよ――」

「ベルゼブブッ!! 」


 激昂し声を荒げるルシファー。美しい相貌は怒気に歪められている。


「そう癇癪を起こすなよ。いいじゃないか別に、じきに知れることさ」


 玉座から立ち上がり、悪魔は大衆演説のように手振り大きく語り出す。

 ルシファーを思えば、こんな話すぐに止めさせた方がいいのかもしれない。けど、彼女のことを知るいい機会かも。相反する二つの思考。

 決して混じることのない自問の末、湊は沈黙を選択する。


「天界では暁の子、明けの明星なんて呼ばれていてね、その頃は光を掲げる者――ルシフェルという名だった。神の寵愛を一身に受けた彼女は、それはもう美しい天使でね。天使たちの長をしていてさ、栄光に煌き輝く十二枚の白翼を持っていたんだよ。ボクら他の熾天使の倍さ」


 彼女は否定も肯定もしない。ただ押し黙り、不愉快そうに腕を組む。

 明後日の方を睨むルシファーから視線を転じ、湊はベルゼブブを見た。


「それが今はどうだい? 堕天し、かつての半分になった翼は黒く染まり、未練がましく一枚だけ白いまま。いまだ天界が恋しいのかな? ――滑稽だね」


 ぎょろっと目を剥き、「ハハハハハッ!」と悪魔は大音声で哄笑した。

 領域の大気が震え、大地を揺るがし、空は暗黒色に染まっていく。稲光ののち落雷し、遠くでは風が巻き上がり地割れが発生した。

 圧倒的だった。ただ嗤っただけで自然災害だ。

 こんな奴相手に勝てるのか、それを疑問に思ってしまうほどに気圧された。


「地獄でキミがなんて噂されているか、知ってるかい?」


 笑みを浮かべる悪魔へ、細められた冷徹な視線を返すルシファー。

 おもむろに体を浮かせる。


「“人間にも劣る下等種”だってさ」

「貴様ッ!! 」


 ルシファーの魔力が急激に高められる。

 翼が輝きを増して羽根の一枚一枚が蒼焔に包まれた。それを左右から思いっきり薙ぐ。荒れ狂う暴風とともに発射された無数の羽根が青白い炎で繋がれ、風を纏い火の勢いは増し、火炎放射となってベルゼブブを襲う。

 音遠もいることを完全に忘れた攻撃だ。湊は必死で風と熱から音遠を庇う。

 しかし、少女だった時と比べても、魔力が桁違いに上がっている。さすがにこれを受けて無傷だとは到底思えない。

 それはほんの数秒の出来事だった。

 火炎が収まり辺りを見てみると、血塗れの金テーブルと玉座が消し炭となり、ベルゼブブが影のような黒炭と化していた。

 ――やったのか?

 湊は油断なくことの行く末を見守る。その時、ルシファーがはっとした。


「やっぱりいいね、怒りの焔。キミの憤怒は心地良いよ。サタンと違って、ね」


 声がした。それは空から降り注ぐ。

 見上げると、先ほど上空へと消えた巨大な蝿が、空中浮揚していた。騒音並みの羽音を立てながら、猛スピードで降下する。

 炭となった悪魔の頭を食すると、蝿がベルゼブブの姿へと変化した。黒炭は粉々となり、風にさらわれて消える。


「身代わりか」


 ルシファーが舌を打つ。


「正解。気付かないなんて、だいぶ冷静さを欠いているようだね。そんなことでボクに勝てるのかな?」


 パチンとベルゼブブが指を鳴らすと、屍の山が徐々に崩れ始めた。丘はだんだんと低くなっていく。死体がぐずぐずと土に還ってやがて平地となり、湊らは地上に降り立った。


「キミが魔道書を与えた理由、想像がつくよ。ボクとタイマン張るためだろう?」

「全部お見通しってわけ」

「伊達に複眼を飛ばしてないよ。鏡にしかないと思ってたようだけど、実は城の外にも放ってあったのさ」


 悪魔が空中でくるくると指を回す。突如、上空から降り注ぐ羽音の大合唱。

 見上げると、無数の黒い点々が降ってくる。それはすべてが蝿だった。十や二十でなく、数百はいるであろう大群だ。

 それらは雨のように大地に降り注ぎ、やわらかい墓土を穿った。


「なにをしたの!? 」

「なーに、ボクらはボクらで、彼らは彼らで。ただ戦闘を分けるだけさ。なあ、トシヤ」


 ベルゼブブの背後の土が盛り上がり、人の手が出てきた。大地に手を付き、体を持ち上げるようにして這い出たのは、浅黒い肌を持つ人間だ。


「ぐ、ぐぁご……」

「な、なにあれ」


 顔を引きつらせて、音遠が寄り添ってくる。それもそのはず。

 ゾンビと呼ぶには、彼はあまりにも生々しい。生気すら感じさせる血の通った肌をしているのだ。

 しかし常軌を逸した人間以上に、狂気に塗り固められた存在だった。白目を剥き、血の涙を流しながらくちゃくちゃと咀嚼するのは、どこの部位とも判別つかない肉片だ。

 首元には、土に塗れた逆十字のネックレスがかかっていた。


「まさかこいつ、暴食の契約者かッ?」

「見ての通りさ。クガトシヤ、ボクの契約者だよ」


 久賀俊哉、テレビで見たことがある。最近大食いで有名になりだしたフードファイターだ。

 たしか貧困で飢えていたらしく、金のために大食いの道を志したと言っていた。


「死んでる、のか……? いや、死んでたらベルゼブブがここにいるはずがない。どういうことだ……」


 悪魔が生きている限り、契約者に死はない。その逆も然りだ。

 テンパる頭でいくら考えようとも、まともな答えが出てくることはなかった。なにかタネがあるはずだ――


「残念ながらヒントはなしだよ、虚飾の少年。キミの相手は彼らがしてくれるだろう」


 その言葉を待っていたかのように大地が盛り上がり、次々に死体が蘇った。三六〇度見渡す限り、ゾンビの群れに囲まれている。


「この数はッ!? 」

「ボクは少しばかり早く受肉したからね、その間にいろいろ喰ってたんだよ。残り物の方が多いけど、新しいのは二百くらいいるのかな? 苦労したよ。一箇所で浚うと目立つからって、場所を何度も変えるのはさ」


 悪魔の背中に蝙蝠の羽が生え、音もなく飛翔する。


「虚飾の少年、面白いものが見られるかもしれないよ。それまで生きていられるかな?」


 彼の捨て台詞は、どことなく意味深だった。


「ミナト、私があいつを倒すまで、どうか死なないで!」

「ああ」


 ルシファーはベルゼブブを追って昇っていく。

 任せろ、そう言ってルシファーを送り出したかった。しかし、優に五百体はいるであろうゾンビの群れ。得体の知れない暴食の契約者。

 音遠を守りながら、一体自分にどこまで出来るのか。隣で震える彼女を守りきれるのか……。


「違うッ! そうじゃない!」


 湊は強く頭を振った。

 ルシファーは自分を信じて任せてくれたんだ。守れるかどうかじゃない、守るんだ!

 意思に呼応し輝く魔道書。瞳が次第に熱を帯びていく。とにもかくにも、契約者だ。

 湊は開かれたページの魔法名を、口にした。


風裂真空波ヴァン・ヴォート


 深緑の魔方陣から衝撃波を伴った風の刃が発生し、久賀俊哉とその背後に群れるゾンビを一瞬にして切り苛んだ。X字に切り裂かれた俊哉の体は、鮮血を撒き散らしながらバラバラになって大地に転がる。


「あ、れ……。やった、のか?」


 あまりに手応えがなさすぎて、呆気にとられてしまった。

 音遠に目をやると、目を瞑って変わらず震えている。そうだ、この領域では幸い痛みがないため断末魔もないが、血は噴き出るんだった。

 迂闊だ、と自省する。

 殺ったはず。そう思わざるを得ない男の惨憺たる死に様を前にして、しかし湊は嫌な予感がしていた。

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