3-4
林で爆発を起こしてから、何度かさらに騒ぎを起こし、ようやく湊たちは混乱に乗じて城内へと侵入することに成功した。
「誰もいないみたいだな」
完全防音なのか、エントランスは静かだった。湊は周囲を見渡す。
天井からは大きなガラスのシャンデリアが吊り下げられ、両の壁際には階段があり二階へと続いている。壁にはさまざまな肖像画が並び、その全ての視線がこちらを向いていると錯覚させる角度で飾られていた。
外はあんなにも喧騒に満ちていたのに、重い扉を一枚隔てた向こうの音が聞こえてこない。
「まあ、城からの退避は当然の判断ね。それに、これ以上雑魚に増えられるとミナトが困るだろうし。入ってこられないように、とりあえずこの城に封印を施しておくわ」
言うなり、少女は翼で扉を仰ぐ。カッと音をたて黒い羽根が鉄扉へ鋭く突き刺さった。六芒星の頂点へ計六枚。
するとルシファーはおもむろに扉へ手を翳す。
「
星の頂点へ配された羽根が瞬時に鉄みたく硬化し、文字通り楔のように扉に打ち込まれた。同時に扉から広がった光が、城の壁という壁を伝いやがて消えた。
「さ、これで大丈夫。行くわよ」
少女に頷き返し、いざ戦場へ。
そう気持ちを新たに一歩踏み出したところで、湊は袖を掴まれた。振り返ると、音遠が不安げに俯いている。
「あ……。なあルシファー」
「なに?」
「音遠には、外で待っててもらった方がよかったんじゃないのか」
「それはダメよ」
じゃっかん食い気味で少女は否定する。
「なんで?」
「私たちと一緒にいるところを、フードコートであいつに見られてるから」
フードコート? 湊はあの時の光景を回想した。
店の前を埋め尽くす人だかり。買うために並んでいるのではなさそうな雰囲気はあった。そして城門前の広場。聞こえてきた話し声は確かに、「ピザを食べていた大食いの人も出てこない」そう言っていた。極めつけは、悪魔の司る大罪だ。
それらの情報を総合的に判断してみても、答えは火を見るよりも明らかだった。
「暴食……あそこにいたのか」
「狡猾さでいえば、ベルゼブブは悪魔の中でも随一。あいつのことだから、きっと一人になったネオンを狙うはず。だから、あなたが守ってあげなさい」
言いながら微笑を浮かべるルシファー。温かさを感じる声音と相まって、優しさを感じた。
それと同時に理解する。その為に魔道書を与えてくれたのだと。
任せてくれた仕事と想いを抱懐する。湊はぎゅっと本を握り締めた。
「音遠、行こう!」
不安げに、しかしはっきりとした意思を以って頷く音遠。彼女を守るのは自分だ。
湊は気持ちを改め、先への一歩を踏み出した。
城内をくまなく探し歩いた一行。
回廊を何度も折り返し、階段を上っては下りて、部屋を一つずつ見て回った。しかしどこにも異次元へのたわみが見当たらない。罠らしきものも見つからなかった。
「なあ、本当にこの城、ベルゼブブの領域へ繋がってるのか?」
歩き疲れたのもあってか、湊の声に覇気がない。代わりに漏れ出たのはため息だ。
気持ちを新たにしたはいいが、肝心なものが見つからない。進退窮まり辟易していた。
「間違いなく繋がってるわ。感じるのよ、漏れ出るベルゼブブの霊圧を……」
周囲に目を配りながら廊下を浮遊する少女。しかしその表情には困惑が見て取れた。
「断言してるわりに、なんでそんな自信なさそうな顔してるんだよ」
「おかしいの」
「なにが?」
少女は細い顎に手を添えながら、
「あいつの霊圧が分散してるっていうか、一つじゃないのよ」
「ベルゼブブって、何体もいるのか」
「一人に決まってるでしょ、なに呆けてるの」
半分冗談で言ったつもりだったが、少女にはそう取られなかったようだ。湊は苦虫を噛み潰した顔をする。
すると音遠がおずおずと、控えめに手を上げて発言権を求めてきた。
「どうした?」
「もしかしたら、鏡の間なんじゃないかな」
「鏡の間?」
ルシファーの興味深そうな視線が音遠に降り注ぐ。
「うん。パンフレットで見ただけだからなんとも言えないんだけど。たしか、王の間のクローゼットが入口になってるんだって――」
城の五階。天高く聳える尖塔の真下。テーマパークを端から端まで見渡せる絶好の位置に、その部屋はあった。
白亜に塗り固められた室内は、まさに映画で出てきた調度品の数々が完璧に再現されている。
中央に黒檀の天蓋つきベッド、その近くには同じく黒檀の丸テーブルに猫脚の椅子が一脚ずつ、対面に配置されている。テーブル上にはワインとグラスが置かれ、ラベルにはロマネコンティと表記されていた。中身は空のようだ。
部屋を囲う壁面のレリーフは世界地図と、それを祝福するかの如く天使の浮き彫りが施されている。モノクロで纏められた、モダンでシックな印象の部屋だった。
そして目を引くのは、身長の倍はあろうかという窓だ。外にはバルコニーが突き出している。しかし安全を考慮して一般開放はされていない。
森閑とした中、湊は部屋の隅に立つ。
「これか……」
そこには、自分の背丈よりも高いクローゼットが、物言わず起立していた。
「確かに、この辺りから強く感じるわ」
翼の少女は音遠に向き直る。
「よくやったわ、ネオン。どこぞの役に立たないマスターよりもお手柄よ」
褒められた音遠は、小さな子供みたいにはにかみながら身をよじる。それを微笑んで見ていた湊だったが、ふとルシファーの言葉が耳に引っかかった。
「ん? おい、まさか役立たずのマスターってのは、俺のことか?」
「他に誰がいるのよ、自覚なかったの?」
「こ、こいつ……」
真顔で言われ、さすがにカチンときたが。子供相手にここで怒っては大人気ないというもの。自分が役に立つ場面はここじゃない。そう自らに言い聞かせて、湊は心を落ち着かせた。
「戦闘になったら役立ってみせるから、安心しろよな――」
「頼むわよ」
少女の瞳に真剣さが灯る。危惧を孕んだ眼差しに固く引き結ばれた唇。その迫力に思わず瞠目したじろいでしまう。
返事するのに一瞬戸惑い、「あ、ああ」と情けない声が出た。
「……じゃあ、開けるぞ」
気を取り直し、湊はクローゼットの扉に手をかける。
背後で音遠が息を呑む音が聞こえた。彼女も緊張しているのだろう。しかしここまで来て足踏みするわけにはいかない。
間を置かず、湊は警戒しながらも勢い任せに扉を引き開ける。
いきなり領域に引きずり込まれるものだと思って身構えた。しかし中にあったのは、人一人が通れる幅の階段だ。緩やかにカーブを描いて闇の中へと飲まれている。
「なんだよ、驚かすなよな」
ほっと一息、
「行くわよ」
つこうと思ったのも束の間、ルシファーが先行して階段を下りていった。吐き出せなかった息を飲み込み、慌てて音遠を先に行かせて湊もそれに続く。
下りだと思った階段は、途中で踊り場らしきものを挟んで次は上っていった。複雑な折り返し構造をしている螺旋階段のようだ。
上りきると、やがて三人は広い場所へ出る。そこは照明を反射して眩しく輝く空間だった。
ドーム状の部屋には隙間なく鏡が配され、各々が反射し合い無限に広がる虚像の世界を作り出している。三人の姿が数十、数百数千にもなって映し出され、万華鏡さながらだ。
ここは鏡の間。尖塔の最上階に位置している。
映画の中では、魔女が鏡から鏡へ移動しながら、主人公を翻弄する戦闘シーンが登場した。
「ベルゼブブのやつ、見てるわね」
「見てる?」
「よく見てみなさい、鏡の形を。わざわざ作り変えたみたいよ」
言われるまま観察すると、鏡が六角形であることに気づく。映画の中では、確か長方形だったはず。ドームを見上げながら、湊は同時に理科の授業を思い出す。
顕微鏡越しに見る蝿の複眼画像を連想した。まるでその内側から自分たちを見ている感覚とでも言うのだろうか。
無数に写る鏡の中の自分たちを見ていたら、寒気がし、気分が悪くなってきた。
「ハエ?」
鳥肌を治めるように腕をさすりながら、湊は尋ねる。
「ご明察。ベルゼブブの異名は蝿の王。おそらくこの鏡一枚一枚に、魔眼である複眼を埋め込んである。だから霊圧が分散してると感じたのよ。たぶんこの中の一つが、あいつの領域に繋がってるはず」
少女は言いながら、おもむろに前へ出る。
「何するつもりだ?」
「ミナト、ネオンを連れて入口まで下がってなさい」
音遠とともに入口まで後退すると、ルシファーは宙に舞い上がりながら六枚の翼を大きく広げた。
そして急速に回転しながら黒い羽根を飛ばす。鏡の一枚一枚全てにそれらが突き刺さった。
ひび割れた箇所から赤い液体が滲み出てくる。血だった。針を通すような正確さで、ベルゼブブの複眼を射抜いたのだ。
しかしよく見ると、最奥中央の一ヶ所だけには羽根が一切刺さっていない。
確認するように、少女はもう一度その一枚に向かって翼を扇ぐ。すると羽根は鏡に吸い込まれ、鏡面に波紋を残して消えた。
「どうやらあれのようね。パッと見じゃ分からない。カムフラージュが上手なこと」
感心しながら奥の鏡へと飛ぶ少女の背に、湊らはついて歩く。
「ミナト、決して油断しないで。そして躊躇わないで。あなたが相手をするモノたちは、もう人ではないのだから」
背中越しに言い残し、少女は鏡の中へと消えていく。その言葉を胸に刻み、湊も音遠とともに鏡に入った。
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