2-2

「――面白くねえな」


 昼休みの屋上。

 休み時間ともあってか、校舎からは生徒たちの明るく楽しげな声が溢れている。

 ただ一人。給水タンクに背を預け、男女が絡み合うような抽象的な意匠のネックレスを弄ぶ、茶髪の男以外は。


「ククッ、気に入らないのかい?」


 それをタンクの上から見下ろしている悪魔が嗤う。青い煌びやかな法衣に金色のベルトを締め、ヤギのように捩れた角を二本生やした悪魔だ。

 にやにやとしていて実に厭らしい笑みだった。


「当たり前だろ。なんであんな奴に靡いてる? 今まで気に入った女は全員抱いてきた。教師も生徒も行きずりも関係なく、例外なく全部だ。俺を意識しないとか、おかしいだろうが!」


 モデルのように整った顔を歪める、立花英嗣の激昂が空へと吸い上げられていく。怒りの声音も、悪魔アスモデウスにとっては心地良い風のようなものだった。

 下品に嗤う顔を崩さず、悪魔は静かに問いかける。


「なぜそこまであの女に拘る?」

「あいつだけ犯ってないからな。何度モーションかけても暖簾に腕押しだ。本当にテメエの力は発揮されてんのかよ」

「いままで好き放題やってきた男のセリフとは思えないな。ハーレムまで与えたっていうのに――」

「お気に入りがいない時点でハーレムなんて呼べねえよ」


 非難されていることにもまるで動じず、アスモデウスは言葉を続ける。


「それよりあの娘、ルシファーの契約者と何か約束事をしていたようだけど」


 先の光景を思い出し、英嗣のこめかみがピクリと動いた。


「クソが! 俺を差し置いて他の男とッ!!」


 強く吐き捨てる英嗣に焦燥が浮かぶ。

 ああいう堅物は十中八九処女だ。英嗣はそう確信を持っていた。

 色欲に中てられた女は頑なでもすぐに落ちる。最近引っ掛けた女教師なんかもそうだった。眼鏡をかけたいかにもなタイプで、行き遅れた感は否めないが、肉感的で蠱惑的な艶かしさがそそられる美人だ。一度乱れた後の堕ち様は見ていて至極愉快だった。

 外見こそ違えど、堅物さは神代音遠もそのタイプによく似ている。

 誰に操を立てているわけでもないのに貞操を重んじる馬鹿な女だ。アスモデウスの能力を以ってしても靡かないなんてことは想定外だったが。

 経験則から、そういう女は初物だと高を括っていた。処女は面倒だが当分の間は締りがいい。やり捨ててきた女共では味わえない快楽がもたらされる事だろう。故に、なんとしてでも手に入れてハーレムに加えたかった。

 心情を唾棄した一言から汲み取ったのか、冷たい声音でアスモデウスは囁く。


「いずれは戦う相手だ。遠慮せずに殺ってしまえばいい。そうすれば、気に入る女は全て君のものだよ、エイジ」


 それは文字通り、悪魔の囁きだった。

 耳鳴りのように英嗣の鼓膜を多重に震わせる。

 色欲が英嗣の心を幻惑し、良心などの善なる部分を獣性が侵食し始める。言い知れぬ昂揚感が心身を支配していくのを、英嗣は心地よく感じていた。

 どこからともなく現れた魔道書が、彼の手の内にすっと収まる。黒々として見るからに怪しくも妖しい本だ。

 色欲に呼応するように、手の内で脈動するそれへ視線を落とす彼の瞳は、血肉に飢える肉食獣の如くギラついていた。

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