林檎の周辺:第1話 ジェイコブ・コリアー

神秘で出来た美しい獣を見た……。


いや、林檎さんの「ハツコイ娼女」の一節じゃないんです。

今朝の「あさイチ」に出演した、ジェイコブ・コリアー23才です。


ハンコックのように鍵盤を弾き、コードを操り、ボコーダーを鳴らし、チックコリアのように弦をはじき、ジャコのようにベースを走らせる。

打楽器も、百戦錬磨のNYミュージシャンのよう。

エフェクト操作もトップDJさながら。

音のコーディネーション、プロデュースも第一級。


ワンマンバンドで脚光をあびている若い才能ですが、わたしにとって、彼のひとり演奏が最高に巧みであっても、それ自体は驚きではないのです。

とにかく、ひとつひとつの楽器の水準がトップレベルだということ。

トップレベルを三つも四つも合わせて、最終的にできあがった曲が、すばらしい。

ジャズもクラシックもポップもブラックもエスニックも……。

すべて最高の境地で融合しています。


ロンドン育ちの彼。

音楽一家に生まれ、いつも楽器遊びをしていたという。

たくさんの音楽を聴き、作って楽しむ。

自分の部屋全体が遊園地のようだったと話す。





そこで、思い起こすのは、林檎姉さんの幼少期。

お父さんもお母さんもお兄さんも音楽好き。

クラシック、ジャズ、ポップス、歌謡曲、ロック、ラテン、ブラックミュージック、和楽、エスニック……。

ピアノを弾く彼女は、ほぼありとあらゆる音を吸収し、出力し、またフィードバックしたはず。

事実、彼女の音楽には、上記すべての要素が、ぎっしりと詰め込まれています。

まったくパクりにならず。


デビュー前の彼女を垣間見る気持ちになるのが、世界名曲カバーアルバム「歌い手冥利」。

彼女が聴いたであろう膨大な楽曲のうちのほんのわずかが、素晴らしいアレンジで提示されています。

亀田師匠と森さんの全面的なプロデュースにおまかせで、あたしは歌うだけ! という2枚組です。

が、音の奥に椎名林檎のその昔が十分に透けて見えます。


家に音楽がなかったわたくし瀬夏。

そんなわたしでも、アマチュアながら、現在まで楽器を演奏したり曲を作ったりDTMを楽しんだりするようになったのは。

幼少期や、思春期での、数少ない一曲一曲との、めぐり逢い、なのです。


テレビドラマのテーマミュージック。

映画のエンディング。

CMで流れた音。

ブラバンで演奏した曲(オーラリー=ラブミーテンダーなんて、すごく好きだったなあ)。

なけなしの小遣いで買った、イギリスのミュージシャンたちのアルバム。

そんな音楽たちが、昨日のことのように、頭の中で鮮明に鳴ります。

それらを完全に消化して、自分のものにしたときに、まぎれもないオリジナリティが生まれます。


林檎さんの場合、わたしのような普通の人間の何百倍、何千倍、何万倍の音を、聴いて、出力して、フィードバックしたに違いありません。

ひとに与えられた時間はひとしく同じ。限りがあります。

そう。

きっと彼女たちは、常人には計り知れないほどの集中力と演算力で、音楽を聴くのです。

その後に脳内や現実の手指で、ものすごい回数の反芻をするのです。

それだけではありません。

「このメロディはこうしたら?」「このコードを裏にしたら?」「ブレークを入れたら?」「Bメロはこう変えたら?」「あたしの場合こうかな?」「彼だとこうするかしら?」

そんなふうに、めまぐるしくアレンジしているに違いありません。


もしかしたら、初めて聴くときに、すでにそんな作業をしているかもしれないのです。

常人の何倍もの早さで、何十倍もの回数を、何百倍もの集中力で。


そしてもうひとつ。

分けへだてなく、吸収する。

好き嫌いはあったと思います。

けれど、凡人のそれと同じであるはずがない。

だって、あれだけの広い音楽のエッセンスが、彼女には満ちているのだから。





ひるがえって、小説の世界では、どうでしょう。

優れた小説をつくろうとしたら、いろんな小説をたくさん読まなければいけないと、よくいわれます。


これを音楽の世界から裏付けるのが、われらが林檎姉さんなのでした。


姉さん。

やっぱり、あんた、すごいよ。





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PS:ジェイコブくん、林檎さんともうひとり、とんでもないひとを紹介いたしましょう。それは ジョーイ・アレキサンダーくん。バリバリにセッションをこなし、CDをリリースしている、現在ローティーンのジャズピアニストです。バリ島出身で、8才のときにその演奏をハービー・ハンコックが絶賛したという。


PS2:「歌い手冥利」の2枚のうち、森コンパクト収録の「黒いオルフェ」。大大大好きです。

あの曲、なんであんなにいいのか。

人間の、解けない謎、とすら思っています。







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