異なる道
処刑にされるはずだったの王女が行方知れずになったという情報は瞬く間に広がった。
教会としては親の敵より憎らしかっただろう王女の首を掲げて新たなる時代の幕開けを盛大に謳いたかったのだろうが、そのメンツが丸つぶれにされたのである。
各地の生き残っている町や村には早馬が放たれ、王女は一級の指名手配になった。
ただ、写真なんて技術はまだない世界だ。多くの人は王女の顔を直に見たことはないし、そうなると特徴だけが多くの人に伝わっていく。つまり、それを変えれば存外に気づかれないものだ。
髪を下ろし、枯れ草の詰め物をして獣の耳のような形を作った例のフードをかぶせる。それから、ちょちょいと目の周囲や顔に化粧を施せば、誰も彼女が王女だとは思わなかった。夜々も普段は外套で隠している耳としっぽを出して妖怪であることを隠さない。そうして後は私がそれなりの術師の振りをすれば、お付きの妖怪を二人従えた旅の一向の出来あがりである。
もちろん、妖怪を連れていることのデメリットはあった。行く先々で奇異と恐怖の目を向けられ、町の宿にはもちろん泊まれず、道中で術師の連中に襲われたことも二回あった。もっとも、その連中は何秒も経たない間に逆に夜々が片づけてしまったが。
とにかく、楽な道のりではなかったけれど、それでも、一級の指名手配犯を連れているよりはるかに呑気な旅路と言えただろう。
眼下にはまだ青々とした緑を茂らせている森が広がっている。
災厄の影響が出ると言ってもどこの地域も万遍なく均等に、というわけじゃない。王都を中心として北の方は災厄の影響が強く、それこそ人の住んでいる村などほとんど残っていないのは当然のこと、草木にも力がなかったが、南の方はまだ大きな影響が出ていない。森には植物特有のずっしりと根の張った力強さを感じることが出来た。
そんな森を一望出来る切り立った崖は高く、高所に慣れている人でなければ身震いするくらいの高さだった。落ちたら最後、いくら木々が多少のクッションになるとは言っても、命が助かる見込みはないように思えて当然だ。
「ここから落ちた、ということか……」
「そのようですね。正確な場所まではわかりませんが、この辺りで間違いないでしょう」
峠を越えるのにこの崖の付近を通った時に少数のオラクルに襲われたらしい。足場も悪く、広く展開出来るスペースもない。
ロエルが率いていたのはオラクルに対抗するために研究された神術を操る集団だ。普段なら撃退出来たはずのものだっただろうが、このような場所で不意に急襲されたのだとしたら壊滅まで追い込まれてしまうのも頷けた。
「行きましょう。彼が生活しているという村はこの先にある森を抜けた所にあるはずです」
王都を出て二十日ほど。
たどり着いたのは本当に小さな村落だった。
木の板と針金で作った簡素な柵……と呼ぶのも大げさなくらいの、とにかく外部からの敵を防ぐための囲いが村の周囲をぐるりと囲っている。
入口には木で組んだ小さな物見の塔があった。塔に一人。そして塔の下に二人。合計三人の見張りが立っていたが、王国の兵士というわけじゃもちろんない。それどころか、本格的に戦う訓練をしている傭兵ですらないように思えた。たぶんこの村の村人なのだろう。男たちが持ち回りで警らをやっているのかもしれない。
「どうしますか? 侵入するのは容易そうですけど」
「別に私たちは村を襲いに来たわけじゃないわ。人に会いに来たんですもの。正面から堂々と行けば良いでしょう」
王女は少し硬い表情を浮かべている。
ある程度まで近づいたところで物見の塔にいた見張りがこちらに気がついたらしく、何か下の人間と言葉を交わしている。慌ただしい雰囲気が遠目にも伝わってきた。夜々の大きな耳と尻尾がわかったのだろう。
下にいた一人の人間が村の中へと走り、残った二人は顔をこわばらせながらも果敢に武器をこちらに向けた。塔の人間は弓を引き、下の人間は槍を構えている。術師の類ではやはりないらしい。ともなれば、妖怪相手にそんなものが通じるわけもないとわかるだろうに……きっと、村をさぞかし大切に思っているのだろう。
「と、止まれ! そこで止まるんだ!」
まだ距離がある所からかけられた声に、私たちは素直に従って立ち止まった。
「よ、妖怪が、な、何の用だ!?」
声が震えている。私も声を返した。
「別に貴方たちに害をなそうというつもりは毛頭ございません。少し確かめたいことがあって訪ねて来たのです」
「確かめたいことだと?」
怪訝そうな顔をした男にゆっくりと近づく。弓はしっかりとこちらに向けて構えられていたので、あまり近づきすぎて刺激しないように。向こうにもこちらの表情が見えるだろうくらいの所で立ち止まる。
「安心してください。この子は余程のことがないかぎり狼藉を働きません」
「……それより、確かめたいこととはなんなんだ?」
こちらに敵意がないと少しはわかってくれたらしい。男たちは構えていた武器を下げてくれた。
「悪いが、こんな世の中だ。あんたらが本当に安全とわかるまで村の中には入れられない」
「承知いたしました。特別急いでいるわけではありませんので、少しの時間くらい待つのは構いません」
あぜ道の隣の芝生の上に腰を落とす。夜々もそれに倣って私の隣に座った。ただ一人、王女だけが何かを我慢するかのように唇をぎゅっと噛んだまま村の中を見やっている。
「……ここに、本当にいるのか?」
「ええ。少なくとも私が調べた中ではそうなっています。まぁ、直にわかるでしょう」
疑っていると言うより不安の色が大きいように思えた。嘘であって欲しい……とまではいかないまでも、揺れるのだろう。
誰かを信じるというのは非常に危ういものだと思う。信じたところで相手の心が見えるわけでもなければ、嘘を見抜けるようになるわけでも、その人の本心を寸分の狂いなくつかめるようになるわけでもない。どれだけ信頼し合ったところでその関係が目に見えるような物質になってはくれないのだ。
そして、人間は時としてその心を利用する狡猾な生き物でもある。
「ケイド! ソルディ!」
十分ほど経っただろうか? 大きな声が村の中から聞こえてきた。それに見張りの男たちが胸をなでおろしたのがわかった。
「来てくれたか、ロエル」
「遅れてすまない、ちょうど会合に出かけようとしていたところだったんだ。そうしたらライクが青い顔をして押しかけてくるもんだから驚いたよ」
「………………」
男たちと言葉を交わす青年の姿に王女の顔から血の気が引いていくのが手に取るようにわかった。言葉で事前に知らされていたとしてもいざ目の前にしてみるまで信じられないことというものはある。そうなって当然だ。
「それで、その妖怪っていうのは?」
彼が前に出てくる。
それは他でもない、彼女が聖者と呼び、一年前に死んだとされるその人だった。
「本当に、ロエル……なのか?」
声が震えている。
急に名前を呼ばれた彼は驚いたように王女を見やったが、その驚きはすぐに別の種類のものへと変わった。
「フェリーユ、王女殿下……?」
王女が妖怪の耳を模したフードを取る。化粧の類をしているとは言っても人相まで変わったわけじゃない。見知った相手であれば気づくのは当然だ。
私はゆっくりと立ち上がった。少なくとも、多少は言葉を交わさなければこの状況はお互い飲み込むことは出来ないに違いない。
部屋の中には五人の人がいた。
私と夜々ももちろんその内の一人だが、今回の主役は中央のテーブルを挟むように座った二人だろう。
簡素な作りで、家と言うよりかはいくらか豪華なログハウスを思わせる。昔ながらの木で組んだ家には装飾の類もなく、全体的な質素な、慎ましい感じを抱かせた。
それでも、私たちの隣……少し膨らみかけたお腹をした若い女性が色々と工夫をしているのだろう。決してみすぼらしい印象はなかった。聞くところによると、彼女はロエルの妻だそうだ。
この沈黙がいつまで続くのだろうかと思った矢先、王女が先に口を開いた。
「いつからこの村に?」
ロエルが王女を見る。窺うような視線だったが、すぐに小さくかぶりを振った。彼の中で答えはもう出ているのだろう。
「もうすぐ一年になります」
「村にはすぐに馴染めたのか?」
「こんな世の中です。最初こそ警戒している方もいらっしゃったようですけど、ミイナをはじめ、皆さんよくしてくれました。私も出来るだけの恩を返そうと思っていたら、自然と村の一員になれたような感じです」
「そうか……」
ロエルがここに来たあらましはこの村の長からすでに聞いていた。
一年前、崖から落ちた彼をそこの女性……ミイナが見つけ、村で介抱した。幸い大きな傷はなく、すぐに彼は動けるようになったが、記憶があやふやで、名前と、自らが神術を使えるということ以外は自分が誰なのか思い出せないと……この場合、偽ったと言うべきだろう。そしてその内、二人の間には愛が芽生え、ロエルは正式に村の一員として迎えられた。まぁ、人間にはよくある話だ。
ここが田舎だったおかげで聖者の噂は流れてきていてもあまり関係のある話と思われていなかったのも幸いだっただろう。ロエルがその聖者などとはつゆほども思わず、彼は無事この村に溶け込めたというわけだ。神術が使えた彼は用心棒としてはもちろん、様々な場面で非常に重宝されたに違いない。
記憶がない。
もしそれが本当だったら、それはどれだけ幸せなことだったか?
もしくは、記憶がなくなったフリをここでもやり抜けるほどの人の悪さがロエルにあったなら……そう思うが、残念なことに彼はそれをするには心が純粋過ぎた。
「……申し訳ありません」
謝罪の言葉を口にする。
それに王女はなんと言葉を返せば良いのかわからない様子だった。視線を左右に僅かに揺らして言葉を探しているようだったが、彼女自身ショックが大きすぎたように見える。
私は王都に来た時点で彼女たちの元を離れたから詳しいことはわからない。それでも、共に異形の災厄へと挑もうと誓ったのは確かだろうし、王女がロエルにかけていた期待も大きいはずだ。
「ですが、どうやら私はフェリーユさまがおっしゃるような聖者でもなければ、人々の導にもなれなかったようです」
「………………」
「昔……いつのことだったでしょうか? 初めてお会いし、その後、ジャーチジェル卿の屋敷でお会いした時だったように思います。その時分から私は、自らが聖者だという気はあまりしておりませんでした」
「そう言えば、そんなことも言っていたな……」
「そして、戦いを通しても私が聖者である……聖者となれるという実感はこれっぽちも抱けなかったのです」
「そう、なのか?」
ロエルはきゅっと少し唇を噛みしめた。少しだけ言い淀むが、とつとつと語り始める。
「今となってはただの言い訳に聞こえてしまうことでしょう。それに、多少なりとも力があったのは事実です。少しでも良いから災厄から人々を救いたい。聖者うんぬんの話はさておき、私はそう考え、災厄が多発している地域に赴いては退治をしてきました。けれど、退けて退けても災厄はその数は一向に減るような気配を見せない。それどころか、日を追うごとに増えていったように私には感じられました。そんな中、私に賛同してくれた仲間たちは戦いの中で消耗し、倒れてゆく者も増えていくばかり。本当にこのままで良いのだろうか? 聖者などと呼ばれたまま、本当に民を導いて行けるのだろうか? 考えれば考えるほど自信がなくなり……一年前、あの崖で異形の災厄と戦うことになり、崖下に落ちました」
一旦言葉を区切る。ロエルは俯かせ気味にしていた顔を上げ、微苦笑をその顔に浮かべた。
「その時、私が何を思ったかわかりますか? ……安心したんです。落ちながら、これで聖者という役割から解放される、と。今となっては随分身勝手なことだと思います。けれど、だからこそ私の本心でもあったのです。私には……聖者という役割は荷が重すぎました」
沈黙が落ちる。
ロエルの気持ちもわからないと言えば嘘になる。
期待された役割を全う出来ず、いかに自身が未熟で不完全な存在かを思い知らされる。それを体感することがいかほどの苦痛か……王女もわからなくはないだろう。
だが、彼女は彼を失ってからその地位を危ういものとされてしまった。実際、教会の蜂起をまねき、ついこの間処刑されかけたのだ。いや、私というイレギュラーな存在がなければ、彼女は確実に殺されていただろう。こんな遠くの村にまで王都での話が流れてきているようには思えなかったが、ロエルだってきっと自分がいなくなったことによる影響は容易に想像がついたに違いない。
それでも彼は王女の元に戻らず、この村に留まることを選んだのだ。
「あ、あの!」
まるで鉄が重たくのしかかっているかのような沈黙を私の隣にいた女性が破った。
「ロエルを……ロエルを連れていってしまうのですか?」
その顔には悲壮な感情が浮かんでいる。
「聖者さまのことは聞いております。世界に光をもたらす者だと……災厄を振り払い、世界を救う者だと。ですが、ロエルは――」
「それ以上は言わなくて良い」
王女はゆっくりと首を振って立ちあがった。
「何も、幸せな一つの家庭を壊そうなどとは考えてはいない」
「フェリーユさま……」
ロエルが顔をあげる。
王女は静かに彼を見やった。そこには様々な感情が浮かんでいるように感じられた。自身を裏切った悔しさや恨みつらみの類が一切ないということはない。それでも、一番に目立ったのは心苦しさだった。
ここで彼をなじったって誰も文句は言わなかっただろう。しかし、彼女はそれを出来るほど我儘ではなかったし、独善的でもなかった。少なくとも、そんな人間であれば彼女はここまで苦しむことはなかったに違いない。
「私が勝手に重荷を背負わせてしまっていたのだな。自身の理想を押しつけるままに」
「………………」
「……すまなかった。どうか、これから生まれてくる子の良き父親となってくれ」
王女が立ち上がってこちらを見る。
「行こう。確認したいことは全て確認出来た」
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