人間なるもの

 首から上が胴から落ちる。

 もう時間は夜も深い。辺りは暗闇に覆われ、二本の松明が僅かに入口の周囲を照らしているだけだ。

 そんな中、眠たそうに欠伸を噛み殺した兵士の顔は、その表情を保ったままごろんと地面に転がった。胴体からは血がこんこんと溢れ、まるで操り人形の糸が切れたように膝からその場に崩れ落ちる。


「……主さま、やはりこいつだけのようです」


 鉄扇を懐にしまう夜々はひどくつまらなそうだった。

 王女が閉じ込められているだろう塔の見張りは一人だけ。もちろん中にはもう何人か兵士がいるだろうが、今更それなりの人数で助けに来るような組織があるとも考えにくいのだろう。手薄な警備になっているのもうなずけた。

 五年前に彼女が随分と頼りにしていたジャーチジェル卿も、ロエルが行方不明になって間もなく失脚し、今では王都から遠く離れた地に幽閉されているらしい。聖者であるロエルが消えてからの一年間の間に彼女に味方していた者は次々と彼女の前から去っていったようだ。自ら逃げ出した者もいれば、外圧によって追われた者もいただろう。ただ一つ言えることは、今となってはもはや誰も彼女をかばおうとする者はいないということだった。それは彼女の親や兄弟でも変わりない。王や兄とて自ら死に急ぎたくはないのだろう。


『男を知らないまま死ぬのも可哀そうってもんだろう? 俺たちは親切心でやってきてやったんだぜ?』


 扉を入り、らせんになった階段を登っていると、一番上の扉の向こうから男の耳触りなダミ声が聞こえてきた。

 ……なるほど、この様子でいくと、見張りの何人かはロクでもない人間ということだったようだ。


『わ、私に触れるな、痴れ者めっ!』

『ナニ偉そうに言ってんだよお前。まーだ王女さまのつもりでいんのか?』

『立場ってもんがわかってねぇなぁ。今じゃお前はただの罪人。そして明日には死人になる』

『くっ――』

『大人しくしやがれってんだ! だまってりゃ優しくしてやんよ』


 下衆な笑い声。

 聞いているだけで吐き気を催してくる。


『いやぁ、それにしてもたまんねえぜ。胸はそんなにねぇが、尻が良い。身体も鍛えてんだろ? アソコの締まりもさぞかし良いに違いねえ』

『おい、早くしろよ。お前が終わったら外で暇してるキッケも呼んでやんなきゃいけねぇんだからよ』

『四人でまわすんだ。王女さま、明日が処刑の日だからな? 明日までに死んじまわないよう頑張ってくれよ?』


 どっと男たちが笑う。

 夜々はこめかみにうっすらと血管を浮かせ、怒りをあらわにしていた。

 別に王女を想ってのことじゃない。彼女はこの手の人間が一番我慢ならないのだ。私が軽く頷けば、おそらくこの塔ごと木っ端微塵にしてしまうことだろう。今の彼女ならそのくらいのことはなんなくやってのける。それを手で制して、私は四回ノックしてから木の扉を開き、部屋へひょこりと顔を出した。


「随分と楽しそうにおしゃべりしていますね」

「あっ?」


 男の一人がこちらを見て怪訝な表情を浮かべた。王女は両手足を二人の男に掴まれ床に押し倒されていた。

 私の姿を見た瞬間、王女の表情が驚きに変わる。昼に受けたと思われる傷が生々しいが、そこまで大きな怪我をしているようには見えなかった。


「誰だてめえ?」

「フェリーユ王女に少し縁のある者です。明日、刑が執行になると聞き及んだもので、その前に少し王女殿下とお話が出来ないかと思いまして……」

「ったく……キッケの野郎、外で居眠りこいてやがんな」


 ズボンのベルトを外し、今にもその股間にぶら下がっているだろう汚らしい粗末なモノを出そうとしていた男が舌打ちをして立ち上がった。


「どこの嬢さまか知らねえが、とっとと失せな。どんな縁かは知んねぇけどよ、王女は誰にも会わせるなってことになってんだよ。面倒事にはしたくねえ。今なら目を瞑ってやるから、帰れ帰れ」

「ふふっ……」

「……何がおかしいんだ?」


 お楽しみの前に大きく邪魔をされ、不機嫌度は頂点のようだ。チンピラとしか思えない男はその下種な態度を何よりも如実に表した表情で私ににじり寄ってくる。


「いえ、帰れと言われて素直に帰る人がこの世界にどれだけいるのかなぁ……と思いましてね」

「は? てめぇ、バカにしてんのか? なんならお前も王女と一緒に――」


 手で軽く男の胸に触れる。

 瞬間、大穴が男の体に開いた。


「ご、ぶっ……」


 まるで空間ごと喰らったような穴。向こう側がよく見える。

 男はうめき声と大量の血をその場に吐き出しながら倒れ込んだ。辛うじて急所は外してあるから即死は免れているが、数分の地獄の苦しみを味わった後で息絶えることだろう。痛みに呻きながら、潰されかけた芋虫みたいに無様に身体を蠢かせている。


「あまり血を見るのは好きじゃないのですが、貴方方の会話は心の底から反吐が出そうでしたので、少しくらい苦しい目をみていただきましょう」


 言葉を終えて、私はにっこりと微笑む。

 呆気に取られた二人の男たちは訳がわからないという様子だったが、それでも王女を押さえていた手を外して立ち上がった。少なくとも、今目の前で起こっていることが普通じゃないことは理解出来たのだろう。傍に置いていた剣に手を伸ばしてこちらに向けてくる。

 けれど、今の私は非常に機嫌が悪かった。ここまで胸糞が悪くなったのは一体何十年ぶりのことだろうか?


「こいつ!」


 二人の内、思い切りの良かった方が私目がけて躊躇なく剣を振るってきた。この時代にまで生き残っているというだけあってその剣筋は決して悪いものじゃない。達人が百点満点だとしたら、七十点くらいはあげられるかもしれない。


「――っ!?」


 しかし、それはあくまでも人間基準の話。

 指の一本で剣を受け止める。

 男は歯を食いしばって精いっぱいの力を振り絞っているようだが、私の指はピクリとも動かない。

 私が軽く剣を指先で弾くと、男は勢いを殺しきれず、剣に振り回されるまま壁に激突した。鈍い衝突音。したたか打ちつけたようだ。


「うわああああっ!」


 それに比べ、残った方の男は随分と臆病だった。混乱と恐怖に呑まれ、闇雲に剣を私に振るってくる。これでは三十点もあげられない。

 剣をいなして、男の顔面を、まるで恋人の肩に乗っかった木の葉をのけてやるようにちょんと押してやる。


「んぶぅっ――!」


 瞬間、男の身体がぐるんと回転し、頭が百八十度反転、床に思い切り衝突する。


「これで終われるとは思わないでくださいね」


 私はぱっぱっと軽くホコリを払うと、倒れた男たちにゆっくりと触れていった。

 肩、腹、足。太い神経を切断するように、しかし、すぐに命は無くならないように。

 男たちの体が大きく抉られ、それぞれうるさく聞き苦しい叫び声をあげる。血は噴水のように噴き出して床を鮮血で染めていく。呼吸もままならない状態でありながら、想像を絶する痛みに気絶することさえも許されない。


「うるさいですね」


 そんな男たちの頭を後から入って来た夜々が文字通り踏み潰し、蹴り飛ばして絶命させた。絶叫は他ならぬ断末魔で、十秒もしない間に周囲はただの肉塊から血が滴る音だけになった。

 私は大きくため息を吐いた。


「もぅ……簡単に殺したのでは罰にならないでしょう?」

「ソレはまだ主さまのモノとなったわけではありません。主さまが侮辱されたわけではないのですから、そのような罰は不要かと」

「もしかして、妬いているの?」

「……違います」


 王女の姿を見てから、夜々はふん、とそっぽを向いた。五年前にあった幼い独占欲は年相応の嫉妬心に変わっているようだ。


「貴女たちは……」


 今更、王女がぽかんと呆気に取られたように口を開く。


「別にここで久しぶりの再会を喜んでも構いませんが、流石に少し血生臭くて嫌ではありませんか?」

「………………」

「それとも、私たちはこのまま引き返した方が良い、と? 貴女が心の底から、自らが明日死ぬことによってこの国が救われると信じているなら、それでも私は構いません」


 だが、彼女はもう十分にわかっているだろう。

 今更自分が死んだところで、民衆たちは一時の喜びを得るかもしれないが、すぐにそれは異形の災厄によって破壊される。教会がどれだけ術師を集め、対抗しようとしても、それこそ天地がひっくり返ったってオラクルには敵わない。だとしたら彼女が今ここで死ぬことは何の意味も持たない。単なる犬死である。


「主さま。この期に及んでまだ彼女に選択権を与えるのですか?」


 面倒くさそうに夜々が愚痴る。


「ヤヤ……なのか?」


 元から吊り上がり気味の目だったけれど、夜々が王女に向ける視線は一段と鋭く厳しいものだった。五年前、私の申し出を断った彼女をどこか目の敵にしている風がある。まぁ、年齢的に考えれば夜々は今が一番難しい年頃だし、もう少し大きくなれば多少なりとも丸くなるだろう……なんて場違いなことを考える。


「それ以外の誰かに私が見えますか?」

「いや……昔と少し雰囲気が変わっているものだから、驚いてしまって……」

「五年の月日が経っているのです。多少は変わっていて当然でしょう? 加えて言うなら、私は妖怪ではありますが、その前に主さまの巫女です。普通の妖怪と一緒にしないでください」


 それはすまなかった、と王女が力なく笑う。疲れがひどく身体に残っているようだった。


「さて、再会の挨拶もこの辺にしましょう。そうね。王女さまはなんだか考えがまとまらないようだし、夜々、彼女を連れてきてくれるかしら?」


 塔を出て、夜々が王女を抱き上げる。周囲に気を配りながら町中を走り、王都の城壁を一息で跳び越えた。見張りの兵士も多少はいたが、裁判が行われる前よりかは遥かに少なくなっていた。気づかれずに済むのは容易かった。

 昼間には厚い雲が覆っていた空だが、今は微かにに月が出ている。弱々しい月光に照らされ、私たちは王都から少し離れた川辺を上流へと向かった。

 木々が少し茂っている場所で夜々が王女を降ろす。ここなら人の目にはつかないだろう。


「そのように汚れにまみれていては気分も晴れないでしょう」


 昼間に負った細かな傷を術で治していく。別にこの程度なら放っておいても痕も残らないだろうけれど、水浴びをするとなると随分と沁みるはずだ。


「夜々、手伝ってあげて」


 傷を全て治し終わり、私には関係ない、とでも言うように川辺にある岩に腰かけていた夜々に言った。別に一人でも出来るでしょう、と露骨に不満そうな顔をする。けれど、どこかまだ暗い表情を浮かべている王女を見て、不承不承という様子ではあったけれど手伝いをし始めた。王女には色々と思うところがあるだろうが、元々は優しい子だ。

 首にかかっていた枷を捻じ切り、もはやぼろ布と大差なくなっていた囚人服を脱がせる。サイドでまとめていた髪もほどくが、この最近は手入れもろくに出来ていなかったようでかなり痛んでいるように見えた。

 持っていた真新しい布と私が愛用している櫛も夜々に渡した。


「………………」


 月の光が木々の葉からもれてくる川で彼女はゆっくりと身体の汚れを落とし、髪をといていった。

 綺麗な身体をしている。胸や臀部は女性らしくあるが、下品さは微塵も感じられない。日頃から鍛錬をしているおかげで、どちらかと言えば全身は締まって見える。

 もし私が画家や彫刻家なら今この瞬間の彼女を絵画や彫刻に残そうと思ったはずだし、文筆家なら持ちうる言葉の全てを使って表現しようとしたに違いない。作曲家なら、この光景を夜想曲として書き上げようとしたのだろう。

 少なくともそのくらい今の彼女は美しかった。

 彼女が穢される前で本当に良かった。

 王都に着いた時には、裁判の結果が出るまでは最低限王女としての扱いを受けるだろうとたかをくくっていたが、今この姿を見ると、間違いが起こる前にさっさと彼女を奪取した方が懸命だったかもしれないとすら思う。

 神は穢れを何よりも嫌う。それは全ての神に共通して言えることだったし、私もそれにたがわなかった。

 男女が交わす肉欲はどうあがいても俗世で子を成すための、つまりはこの世界に深く結びつけざるを得ないものなのだ。要するに、それをした時点でその者はどこまでも俗世の者になってしまう。そうなっては、私の巫女にすることは叶わない。

 ただ、私はそんな風に安堵の気持ちを抱いていたが、彼女の顔にははっきりと憂いの色が見てとれた。


「後悔していますか?」

「え?」


 彼女が振り返る。


「自分は明日、死罪になるべきなのではないだろうか? 未だにそう思っている自分がいるのでしょう?」


 王女は少し沈黙したが、ややあって、


「そうかもしれない」と呟いた。

「私は民を導こうと思った。導けると思った。そうしてやってきた結果、民にもたらしたのはなんだったのか? そう言われたら、私は何も反論することが出来ない。結果だけを考えるなら、私は死罪になって当然の身だ」

「………………」


 水をすくって見やる目は憂いのものだった。指の隙間から絶え間なく落ちていく水は彼女が守りたかった民の命なのかもしれない。けれど、それは正しく手で水を一切漏らさないようにしようと試みるようなものだっただろう。どだい無理な話だったのである。


「それは単なる思考の停止と逃亡に過ぎないでしょう」


 何も言わなかった私に代わって夜々が冷淡な言葉を吐いた。


「そう言って明日死ねば貴女は全てから解放される。罪を受けて死ぬと言うことは、全ての贖罪を終えて自由の身になるということ。貴女が考えているその思考は、自分を綺麗に取り繕っただけの、全てを放棄するための思考でしかない」

「夜々、言い過ぎよ」


 小さく注意するけれど、彼女は真っ直ぐに王女を見やり、その視線を緩めようとはしなかった。


「……そう、なのだろうか?」

「少なくとも、明日死ぬことによって国の人間たちが救われるわけじゃない。貴女は、自らに課した、民を救うという意志を放棄しようとしている。そうして自分だけ救われようとしている。楽になろうとしている。こんなこと、私に言われなくても十分にわかっているはずなのでは?」

「夜々」


 語調を強めると、今度は夜々も口を閉ざした。

 王女はうつむき、僅かな風で波立つ川面に目を落としていた。

 夏の盛り。災厄の影響で虫の数も減っているけれど、木々が茂った清流ということだけあってまだそれなりに夏虫の姿があった。綺麗な水を求めた彼らは、身体に淡い光をまとわせて、まるで王女を慰めるかのように飛んでいる。


「……結果がどうであれ、貴女のなそうとしたことは他者を思い、民を考えてのこと。決して利己的なことではなかっただろうと私はわかります」


 一匹の夏虫が私の手に止まる。ちかちかとゆっくりと光を放つそれを眺めながら言葉を続けた。


「けれど、貴女は裁かれた。残念ですが、それが現実です。あの時、民衆の誰か一人でも貴女の味方をしてくれましたか? 誰か一人でも貴女を理解し、共に歩んでくれようとしましたか? 誰か一人でも、貴女の頭から流れる血をぬぐおうとしてくれました?」

「それは……」


 言葉に詰まる。

 孤独な戦いであっただろう。いや、今だって孤独な戦いを続けているのだ。

 称賛されることはなく、非難を浴びながら、それでもなお一人戦い続けた。しかし、民を思ってのことでも、その先に待っていたのは罪という言葉であり、理解すらされなかった。


「……ロエル」


 夏虫から視線を上げる。王女は月と虫たちの光をその肢体にあびながら、ポツリと呟いた。


「彼が生きてくれていれば……まだ私は立つことが出来たかもしれない」

「しかし、この五年の間に段々と意見の相違が生まれていたのでしょう? 今なお、もし彼が生きていたとしても、共に闘う仲間となり得ますか?」


 再び王女は顔をうつむかせた。

 今の彼女は、天から降ろされた一本の細いクモの糸にすがっているように見えた。五年という月日。どれだけ彼女が強い意志を持っていようとも、たった一人のちっぽけな人間であることには変わりない。五年の間置かれていた環境は精神を摩耗させるのに十分なものと言えただろう。


「……意見の相違が生まれていたのは確かだ。始めの頃は積極的に先頭に立ち、異形の災厄を退けていてくれたが、退けても退けても数の減らない災厄に、彼は疑問を持つようになっていたようだった」

「つまり、貴女の意見にも違和感を覚え始めていた、と?」


 こくりと王女がうなずく。


「公には病気で没したとしているようですが、その様子だと少し話が違うようですね」

「……我ながら、随分と稚拙な嘘で取り繕ったものだと思っている」


 まるで自分自身を嘲るような表情だった。


「でも、そうする以外にどうしようもなかった。異形の災厄を退け、この世に光をもたらすはずの聖者が、正にその異形の災厄との戦闘で命を失ったなど……どう民に説明すれば良い? 聖者を希望とし、まさに崇めるようにしていた人も出始めていたんだ。そんな者たちに、今度は何を希望にしろと言えるんだ?」

「噂では戦闘中に崖から落ちたと聞きましたが」

「私も残った討伐隊の兵からそう聞いている。異形の災厄との戦闘中、切り立った崖のから落ちた、と……。念のため後に捜索隊を向かわせたが、深い森の中……何も見つからなかった」

「死体もなかった、と? それでは、まだ生きてる可能性だってあるのではないですか?」


 夜々が口を出した。

 意地の悪い聞き方だ。たしなめようかとも思ったが、ある意味ここで現実を知らせておくことも必要なのかもしれない。人間という生き物がどんな生き物なのか。昼間の出来事だけではまだそれを十分わかってもらうには不足だった可能性もある。


「生きているのであれば、どうにか私に連絡をつけようとしてくれるはずだ。意見の違いはあれど、少なくとも民を救いたいと思っていたことに違いはない」

「本当にそうでしょうか?」

「少なくとも彼はそういう人物だ。彼が崖から落ちたと聞いてから一ヶ月以上待ち、秘密裏に各々の町で情報を収集した。けれど、結局彼からと思えるような情報は何もなかった。……きっと、無念の内に散ったのだと思う」


 残酷な話だと思う。特別誰にとって、という話ではない。この話に関わった全ての者にとって、哀しく、しかし誰も責めることが出来ない物語だ。

 手に止まった夏虫にそっと息を吹きかけて宙に飛ばしてやる。ふよふよとした光はゆっくりと仲間の元に加わると、ちかちかと柔い光を放った。


「夜々、私の替えの服があったわよね?」

「それはもちろんありますけど……」

「彼女に着せてあげて」

「なぜ替えの服を? 巫女の装束ではダメなのですか?」

「一応、あれは神と巫女の契りを示す儀式礼装だもの。渡すにはまだ早いわ」


 わかりました、と夜々はうなずいた。

 私は肢体から水を滴らせる王女を見やった。少し気持ちが落ち着いてきたのか、今更恥じるように頬を染めて身体をひねる。

 そんなところもすでに私は愛おしく思え始めていた。出来ることならすぐにでも彼女をこの腕の中にかき抱いてしまいたい。しかし、今から私が口にする言葉はその欲望とは逆に、さらに彼女を傷つけるものだ。


「せっかくです。全ての疑問に答えを出していきましょう。貴女にとっては、少し酷なものになってしまうかもしれません」

「どういうことだろうか……?」

「結論から言えば何の変哲もありません。彼……ロエル・ウェザヒコーゼは生きていますよ」

「え?」


 呆気に取られた声に、まるで悪い冗談を聞いたかのように小さく笑った。


「ロエルが……生きている?」

「はい。散ったと言われる崖から少し行った所にある小さな村で今も暮らしています」


 そんな知らせを私が使い魔から受け取ったのは昨日のことだった。

 その報告は、言うなれば彼女にとって最後通牒と言えたかもしれない。人間というものを信じて信じて、信じ抜こうとした彼女にとって、あまりに残酷な通告だ。

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