裁きの場

 裁判の当日は朝から厚い雲が空を覆っていた。どんよりとした鈍色の雲が重厚なカーテンのように重たく広がり、今にも大粒の雨粒を落としてきそうに思う。

 私と夜々は教会から広場までを見通せる背の高い商工会の建物の屋根にいた。広場へと続く道は人でごった返している。この町の全ての人が今日という日を待ち望んでいたかのような、ある種の祭の日の高揚感にも似た何かを感じ取れる。しかも収穫や日々の安寧を願うような祭じゃない。暴力的な祭だ。日頃溜まっているストレスのはけ口と出来るような、一種の狂乱染みた祭である。もちろん、その祭を楽しみに来たここの群衆に王女の味方はどこにもいない。

 五年前。サラスで異形の災厄を破り、この王都へと凱旋を果たした時とはまさに正反対の光景と言って良かったかもしれない。


「主さま、出てくるようです」


 夜々の声に遠くにある教会脇の塔を見やる。大きなものじゃなく、少し先の様子をうかがうためだけのような塔で、折檻で閉じ込めておくために造ったと言われても違和感は覚えなかっただろう。

 黒がねで出来た扉が開かれ、中から王女が姿を現す。


「………………」


 白い簡素な囚人服に、首枷。後ろ手に縛られ、先を歩く兵士が鎖で彼女を引っ張っている。

 彼女はそれでもなお王女たろうとしているのがわかったが、それがもはや見せかけのものに過ぎないのは明らかだった。伸ばした背筋にかつての堂々とした様はなく、顔にはありありと疲弊の色が見てとれた。

 五年の時が経っているが、それほど大きく変わっているようには思わなかった。ただ、少しだけ痩せたただろうか? 元より細かった身体は一回り薄くなり、今の状況のせいもあってかどこか弱々しくなったようなイメージさえ抱かせた。

 ただ、そんなことより、彼女にまだ『穢れ』がないのがわかって私は大きな安堵を覚えた。私がいた時にはそのような空気は微塵もなかったが、男と女だ。ちょっとしたきっかけがあればロエルと好い仲になった可能性はあっただろう。それに、教会が行動を起こし、捕縛されてからは無理矢理に犯されるということも考えられる。

 もしそういったことがあって彼女がすでに穢されていたら、それはどんなに私が望んでも相応しい巫女とは足り得ない。その時は見殺すつもりでいた。


「町に来た時から思っていたのですが、どうしてすぐに彼女を助け出さなかったのですか?」


 歩かされる王女を見やっていると夜々が不思議そうに尋ねてきた。王都に来てから今日まで、私と夜々は辛うじて空きのあった安宿に泊まっていた。


「場所もわかっていましたし、人間どもがいくら厳重に警備していたところであってないようなものです。その日の内にだって救い出せましたのに……」

「でも、それでは彼女が人間の本当の姿……本質というものがわからないかもしれないでしょう?」

「人間の本質、ですか?」

「ええ。見ていればわかるわ」


 やがて王女の姿が群衆の前までたどり着く。兵士が並び、王女には近づけないようにはしていたが、それだってこの劇場を盛り上げる一つのギミックに過ぎなかった。


―― このペテン師が! ――

―― 国賊は死んじまえ! ――

―― 忌族の王女! ――


 次から次に罵声が浴びせられる。遠くから聞いているとざわざわとした声のうねりにしか聞こえない。それでもその言葉の一つひとつには悪意とある種の殺意がこもっていたのは確かだっただろう。

 そして、罵倒の言葉が飛べば、それと同時に小石が投げつけられた。

 この日のためにわざわざ用意したのか、人々の足下には手ごろな石が転がり、それを拾っては王女目がけて投げつける。そのいくつかは彼女に当たり、頭部や額からは血が流れ、囚人服の上からでも強く当たった所は血がにじんだ。

 もちろん、そんな様子を兵士たちは止めることはしない。せせら笑い、中には群衆を煽るようなことをしている者までいる。

 教会から広場までの道のりは長く、多数の石に打たれた彼女は何度もよろめき、三度倒れ込んだ。その度、首枷の鎖を握っている兵士も罵声を浴びせ、強引に鎖を引っ張っては彼女を立ち上がらせた。


「……彼女はなぜこのような扱いを?」


 夜々は実に不思議そうだった。


「成しえなかったというのはそれほどの罪なのですか? 彼女では力不足であると感じたのなら、出来うると考えられる者に交代させれば良いだけなのではないですか?」

「理解出来ない?」

「少なくとも、私には。元より、彼女が直接民に害を与えていたり、後ろで手引きをしていたりしたという証拠があるわけじゃないのですから、彼女にあのような仕打ちを浴びせる理由がわかりません」

「でも、それをするのが人間なのよ」

「……不思議なものです」


 広場に設置された尋問台に着くころには彼女の装束は血と泥で汚れにまみれていた。うつむいた姿はみすぼらしく、五年前にあった姿はそこにはない。この五年間が彼女にとってどのようなものだったか、私は詳しく調べたわけでも聞いたわけでもないが、易しいものでなかったのは間違いないだろう。

 それでも、民のことを考えて彼女は戦ったということだけはわかる。

 逃れようのない災厄と戦い、民を導いてみせると誓っていたに違いない。

 だが、その結果が今のこの状況だ。

 彼女は彼女にとって出来る最善を尽くしたことは疑いようがない。そして、それが僅かでも民を守り、人々に安寧をもたらしたのも事実だろう。

 しかし、人間という生き物は時として理不尽なまでにそれを無視することがある。何の根拠もなく、勝手に百の結果が与えられると期待をしたところに三十の結果しか与えられなかった場合、まるで報酬がマイナスであったかのような非難の声を浴びせかけるのだ。自分はその結果にたったの少しも貢献していなかったとしても、まるで最大限の被害をこうむった者のように責め立てる。しかも、それが当然の権利であるとすら思ってしまうのだ。

 尋問台とは反対の場所に立つ、審問官と思しき男が長々と文章を読み始める。

 罪状は、神の遣いである聖者などというものをでっちあげ人々を混乱させた罪。そして、忌族の肩を持ち、さらなる災厄を招いた罪。それがいかに悪徳に満ちたもので、人の道に反し、許されざることなのか、逆に災厄に魂を売ったものなのかを審問官が大きな身振り手振りをくわえて声高に叫ぶ。


「近くに寄りますか?」


 審問官が文章を読み上げ終えた頃に夜々が言った。

 広場にいる群衆からは、殺せ、殺せ、という言葉が波のように木霊している。ここでも声が聞こえないわけではなかったが、微細な表情の変化までは少し見えづらい。


「そうね、少し近くに行きましょう」


 商工会の屋根から近くの民家の屋根へと移り、誰の目にも気づかれないように段々と近くに寄ると、声は木霊から怒号に変わった。一度火がついた民衆の感情というものはなかなか収まるものではない。そんな中、裁判長と思しき人間――おそらくは総主教か何かだろう――が木槌で台を叩きながら「静粛に!」と言葉を発する。それでも民衆の声は収まらなかったが、総主教は審問官の発言に続いて王女が発言を許した。


「私は……」


 王女はまるで言葉を噛みしめるかのように言葉を口にし始めた。


「私は、自分が間違ったことをしてきたとは思わない」


 はっきりとした口調。徐々にではあるが、民衆の声が収まっていく。


「災厄から民を守る。施政はもちろんのこと、そのことを第一に考え、災厄によってこれ以上の被害が出ないよう、私はこの五年の間に出来る限りのことをしてきたつもりだ。伝承をたどり、遺跡を研究し、過去をひも解いては、最新の術をもって災厄を研究し、対処する。今の私が出来る、ありとあらゆる方法をもって災厄への対抗策を考えた。……今、その対抗策が著しい成果をあげているかいるかどうかと問われれば、私だってそれが芳しくないということはわかる。一年前、聖者であるロエルを失ってからは一層厳しくなっているのも事実だ。しかし、私はここに誓って言う。私が民を思い、民のために全てを捧げようとしてきたのは紛れもない本心だ。憎むべきは災厄であり、ここにいる他の誰かでもなければ、ましてや妖怪でもない。世界はかつてない危機に瀕している。人間はおろか、妖怪や動物、木々を始めとした植物までも生命を奪われつつある。今こそ、人はこの世界に存在する全てのものと手を取り、この危機に立ち向かわなければならない。憎むべきはこの世界の『誰か』ではない。この世界こそ一つの生き物であり、共同体である。災厄はそんな世界を滅ぼそうとするモノだ」


 一息に彼女は言った。しん、と一瞬だけ群衆が沈黙に落ちる。

 だが、すぐに審問官がその静寂を切り裂いた。


「そんなものは詭弁に過ぎません!」


 荒々しい手ぶりを加えながら審問官が叫ぶ。


「この世界は一つ? 貴女は五年前からよくその言葉を使いますね。そして、忌族の保護などということさえも始めました。そして、それとまるで時期を同じくして災厄に襲われる町の数も多くなっていきました。それは動かざる事実です!」

「それは違う!」


 王女が反論する。


「教会が妖怪を討伐していた時からすでに災厄に襲われる町の数は増加傾向にあった。今のところ妖怪と災厄を結びつけるものは何一つとして存在していない!」

「でも、貴女はこうも言っていたではありませんか。忌族を虐げるような神術の乱用がなくなれば災厄も少なくなっていくはずだ、と。それについてはどう言うつもりで?」

「それは……」


 王女が僅かに顔をうつむかせる。


「……私の考えが浅かったと言うより他にない」

「ならば、忌族が災厄の元であるという可能性も十分に考えられる、と?」

「そんなことは――」

「第一、あなたが聖者だと言っていた青年はどうです? 確かに彼は異形の災厄のいくつかを追い払いはしましたが、根本的な解決には全くならなかった。そして彼自身、命を落とすことになってしまいました」

「……彼は、志半ばであのようなことになってしまった。非常に残念に思うし……彼自身、無念であったと思う」


 審問官が思わず笑いをこぼす。くっくっく、と笑う姿は誰が見ても演技のそれに違いなかったが、こういう場ではそういうものの方が効果があることも多い。


「いや、失礼失礼。彼の死については様々噂があるということを思い出してしまいましてね……真相はわかりませんが」

「……どういう意味だろうか?」

「特に深い意味は何も。ただ、命を落とす以前から、彼と貴女との間には意見の相違が生まれていたという話は聞いていますよ。言い争うことも珍しくなくなっていたとか」

「それは……意見の相違があったことは認める。だが、互いに民を思ってのことだ」


 意見の相違。ロエルの異形の災厄についての考えを私は聞いたことがなかったが、彼だって何も考えていなかったわけじゃないだろう。王女の考えは、神術の乱用を控えれば災厄の数は減らせるというものだったが、それ自体が間違っている以上、ロエルもどこかで違和感を覚えていたとしても何もおかしくない。


「まぁ良いでしょう。では、今の現実を見てどう思います? 災厄は減りましたか? 災厄はなくなりましたか? 火を見るより明らかだ。貴女が言っていた、聖者がこの世界に光をもたらす、という理想には程遠い結果となっている。貴女の言葉を信じ、どれだけ多くの民が死んでいったか……貴女にその自覚はありますか?」


 そうだ! そうだ! と観衆からヤジが飛ぶ。王女はそれに何も答えられなかった。

 ……まぁ、もとよりこんな裁判などあってないようなものだ。

 裁判を行い、公正な判断の元に罰が加えられるという過程を踏めればいい。これはクーデターや私的な罰ではなく、正当な手続きを踏まれたものだ、という大義が教会には必要なのだ。元より罪は決まっていたと言う他にない。

 手続きが終われば、総主教が決まり切った言葉を言えば良い。


「フェリーユ・サン・ユミルスヴァーク・エイルクォートを死罪とする」


 総主教は教会側の言い分を全て認め、王女に死刑の判決を言い渡した。

 瞬間、群衆が値千金の勝利を得たかのような歓声を上げた。まるで、これによってもう災厄からは逃れられるとでも勘違いしているのではないかと思えるような歓声だ。

 刑の執行は明日の正午ちょうど。鎖で繋がれたまま牢へと戻る王女に民衆が再び石を投げる。嘘吐き王女。殺戮王女。そんな言葉も、もしかしたらもう王女の元には届いていないのかもしれない。

 尋問台が撤去されると、今度は断頭台が運ばれてきた。隣にでも置いておいたのではないかと思えるくらいの手際の良さだ。

 何もしなければあの大きな刃が明日、王女の首を切り落とすのだろう。そう……それは、方法こそ違えど、私が死んだ時と大差ない。

 民を想い、民のことを考えていたのに、いつの間にか私は悪逆非道の独裁者の名を欲しいままにしていた。だが、それでもやらねばならないという現実を前に、私はひたすらに戦い……そして、そんな苦しい心内を理解してくれていると信じていたはずの臣下の裏切りで私は拘束された。拘束から裁判、そして判決までほとんど時間はかけられなかった。時代が時代だったから私には一応の弁護人がついたけれど、形式だけだったということを考えればそんなに大きな違いではないだろう。

 結局、私はすぐに絞首台の上に立たされることになった。


「主さま……」


 袖を引っ張られる。彼女は眉をハの字にして、どこか憂うような目で私を見やっていた。大きくなっても、彼女が私を心配してくれる時の表情は変わらない。


「……なんでもないわ」


 表情を曇らせたままの彼女の頭を撫ぜる。


「それより、今は成すべきことをするとしましょう。今夜にでも彼女を訪ねてみる必要があるでしょうから」


 私と夜々はそっと路地裏へと降り立った。

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