再びの王都
酒場のある町を離れてから一週間後の夕刻、私たちは王都にたどり着いた。
途中にある町はまだしっかりとしたものが多く、あのマスターから聞いた行商人の話は概ね間違っていなかったのだろう。多くの町にはまとまった数の術師たちが傭兵として雇われ、いつ来るともわからない異形の災厄に対して目を光らせていた。そんな、まだ『生きて』いる町々から結構な人が来ているらしく、王都の検問所には多くの人が待機の列を作っていた。
都市をぐるりと囲むように建てられた城壁の上には等間隔に兵が立っている。王女の裁判はもう間もなく。今となっては彼女に味方する者はほとんどいないだろうが、何があるともわからない。いつもより警備を密にしているのだろう。
「まだこれだけの人が生きているのですね」
純粋に驚いたように夜々が言った。
「私たちが住んでいる所にはもう人の息吹などほとんど感じられないものね」
「人々はまだ自分たちが生き永らえられると考えているのでしょうか?」
「そうでしょう。生きることへの執着は生物として当たり前の本能だわ。生きることを諦めた人間ほど危ないものは存在しないから、そういう意味でここはまだ安全かもしれないわね」
「そうなのですか?」
「ええ。生き続けるということは、自分が殺されないということ。自分が殺されないためには、ある程度の社会のルール……つまりは秩序を保たなくてはならない。生きることを諦めた人間たちの社会は、無秩序と混沌が支配する」
かつて私が生きていた世界のように、とは言わなかった。
私が生きていた時代。異形の災厄……オラクルに現在の文明ではとても太刀打ち出来ないとわかった時から多くの避難船が作られた。幸か不幸か、宇宙に飛び立ち、ある程度の時間を過ごすことが出来る科学力が私の時代にはあったのだ。
もちろん、まだ居住可能な惑星間での長距離航行を実現したわけではなかったし、出来るという考えは理論上のものでしかなかった。けれど、地上でオラクルと対峙することと、宇宙に逃げること。どちらが生き残る可能性が高いのかは一目瞭然で、人々は競って避難船へのチケットを欲した。
けれど、全ての人類を乗せるだけの数の船など到底作ることなど出来るわけがない。限られた上級市民、特権階級の人間だけが船に乗ることが許され、後の人間は種の保存という大義の元に見捨てられた。
避難船が飛び立った後の世界。地上に残されることとなった人民の自棄は目を覆いたくなるものだった。
治安を保つために警察や軍を街中に配置しても、彼らはいとも簡単に暴徒の仲間となって町を荒らしまわった。暴虐という行為にしか楽しみを見い出せなくなってしまったように人々は荒れ、凌辱や殺人なんてものはその辺に転がっている石ころよりありふれたものになった。暴力に暴力が重なり、それはオラクルなんかよりはるかに苛烈に弱い者から喰らっていった。
『最期の時まで人の力を信じる』
私はそう姉さまに誓った。
なのに、結局何よりも頼りにしたのは人工知能も積んでいない単純な機械たちで、これ以上の被害を出すわけにはいかないと、無機質な彼らで幾人もの人を殺すことになった。
五十人を生かすために十人を殺した。
百人を生かすのに三十人を殺した。
千人を生かすのに五百人を殺した。
そこにあったのは、昔の映画やドラマにあったような人類が力を合わせて戦い抜く姿ではなかった。姉さまに誓った頃に思い描いていた理想は、まるで砂で作った城のように簡単に崩れ去った。
それでも私はやらねばならなかった。
私が首を一度縦に振るだけで千人単位で人が死ぬようになっても、やらねばならなかった。
秩序というものを保つには、背後に見上げんばかりの死体の山を作る必要があった。何かを救うためには犠牲が必要である。全てを救うなんて理想はどうあっても手に入らない。
その真理に気づきながら、それでもなお人々のためを想い、僅かでもオラクルに抗うため、姉さまが大好きだった世界を壊さないため、私は必死だった。少なくとも私はあの時他の誰よりも人々を救いたいと願っていただろう。多くの人々の未来を生かすために、最善とは言えなかったかもしれないが、多くの可能性のある選択肢を選んでいたはずだ。
だが、そんな私の想いが報われることはなかった。
「………………」
ここにいる人々は、王女を裁いた後はどうするのだろうか?
彼女を裁けば本当に災厄が収まると心から信じている人などほとんどいるはずがない。今はやり場のない怒りと恐怖のはけ口を王女に向けているだけだ。
「主さま」
夜々の声に私は我に返った。
「どうやって中に入りますか? 城壁も越えられないことはないと思いますが」
「……夜々、貴女、今どのくらいの時間耳と尻尾を隠せるようになったかわかる?」
「どうでしょう……正確に計ったことがないのでわかりませんが、たぶん半日は何の問題もないと思います。途中で給していただけるなら、時間はさらに伸ばせるかと」
妖怪が完全に人に化けられるようになるには百年単位での月日がいるとされている。けれど、私の巫女として育っている彼女の成長具合は並のそれとは比べ物にならない。五年前には耳と尾は外套で隠すしかなく、妖怪としてはまだまだ平均程度だった彼女だが、今は数百年生きた妖怪と同じだけの力を蓄えていた。
「普通に入りましょう。もしかしたら、何か情報を拾えるかもしれないから」
耳と尾を隠させ、検問の列に並ぶ。
並んでいる者は身なりの良い市民が多いように思えた。元より、明日食うに困るような人間はこんな所で油を売っている暇はないだろう。野次馬根性というのは多かれ少なかれ誰もが持っているものだが、この状況でそれを満たせる人間はまだ余裕のある者たちだ。普通程度の市民はせいぜいあの町の酒場のような所で酒を飲みながら仲間内で騒ぐことぐらいしか出来ない。
「次の者」
ようやく私たちの番が来る。
「どこから来た? 名前と、身分を示すようなものがあれば提示を」
「申し訳ありませんが、身分を証明出来るようなものはございません。私の名前はライザ。こちらの者はシーナ。術師で、姉妹です」
どこから情報がもれているかもわからない。名前や関係は偽った。
「術師? 所属はどこだ?」
「別に、どこかの教会や団体に所属しているわけではありません」
「所属していないだと?」
兵が目を細める。あれから五年。いわゆるハグレの術師は減り、何らかの組織に属することが多くなったのだろう。一人の術師では異形の災厄に喰い殺されるだけだが、複数いればまだ生き残る可能性がある。怪しく思うのも当然かもしれない。
「二人だけで活動していたのか?」
「いえ、術師としての活動はしておりません。術師と言っても実戦をしたことはないのです。北の村からここに来るまでに数度野党に襲われ、それを撃退したのが実戦と言えば実戦です」
「一体どういう意味だ?」
「私たちはサラスの大戦で術師だった両親を失いました。それからというもの、始めは王女と聖者の言う理想の世界を目指すため。そして、王女の理想がただの甘言で、両親たちを利用しただけだとわかってからは王女を殺すため。術を磨き、生きてきました。本当ならこの手で王女を殺したかったのですが、裁判にかけられるのなら仕方がない、せめて死ぬ姿だけでも見ようと思って来た次第です」
デタラメな説明だったが兵士は一応の納得をしたようだった。
たぶん仕事の疲れもあってこれ以上聞くのも面倒なのだろう。一応は身分不明の人間ということで手元のリストをめくって確認していたがそれもすぐに終わった。私と夜々があのリストに載っている可能性は極めて低いはずだ。五年前、王女が表に出るようになってから私と夜々は極力露出を減らしていた。名前くらいはどこかに載っているかもしれないが、顔の特徴なんかはないに違いない。
「良いだろう、通れ。裁判は明後日、中央の広場で行われる。間違っても裁判中に王女を狙うようなことはしてくれるなよ」
「はい、心得ております」
「王女は幽閉されている教会の離れの塔から広場へと向かうはずだ。もし少しでも恨みを晴らしたいなら、その道中でやると良いだろう。当日は、どういうわけか路上にたくさんの石が転がっているはずだからな」
そう兵士は嘲るようにアドバイスまでしてくれた。こちらがまだ幼さの残る子供だからだろうか? おかげで王女が現在幽閉されている場所を知ることが出来た。
中に入ると確かに人々の確かな活気が感じられたが、それはどこか殺気立っているように思えた。まるで細かな針が空気中に含まれているかのようにピリピリとした刺激が肌を刺す。五年前の緊張とはまた違った緊迫感。
それはきっと、王女に向けられた細かな殺意に違いなかった。
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