抗うモノ

凋落

 微かな地鳴りが響く。

 夏の盛りだというのに夏虫の鳴き声はあまり目立たず、身体の芯に響いてくるような不気味な地のうめき声のみがやたらと大きく聞こえてきた。

 元より簡素にしていた庭だが、植物らしい植物はまたこの数年で随分と減ってしまった。敷地の外であってもそれは変わらず、青々と茂る草は僅かばかり。立ち枯れしてしまっている樹だって少なくない。まだ辛うじて葉を茂らせているものもあるにはあるが、生命の力強さはというのはそれほど感じられず、一つひとつ、着実にこの世界が滅びへと向かっていっていることを如実に表しているように思えた。

 そんなことをぼんやりと考えていると、ふと気配を感じた。見やると、屋敷から庭へと夜々が出て来るところだった。

 昔より幾らか伸びた身長は十二、三歳くらいと言ったところだろうか? ただ、最近はその外見以上に彼女の成長を感じることがある。


「どうしたの?」

「そろそろ使いに出したモノが帰ってくるころですから」

「もう? ちょっと前に使いに出したばかりだというのに……流石、貴女の使い魔は速いわね」

「そう出来るように教えてくださったのは主さまです」

「貴女の才能があってこそよ」


 空を見やる。青く抜けたその奥に、なるほど、確かに夜々の使い魔の気配を感じた。

 彼女に使い魔の作り方を教えて五年ほど。最初はゆっくりと動かすのですら難しかかったのに、今では彼女の使い魔は音速に近い速度で飛び回ることが出来る。私のように幾つもの数を広く展開させ、周囲を広範囲で探ることは出来ないが、単独での機動力や持って来ることの出来る情報量ということで言えば彼女の作るそれは私のそれを上回っているかもしれない。

 瞬間、風がゴウと鳴いた。

 強風に目を閉じ、髪を抑える。風が止んでからゆっくりと目を開くと、夜々の腕には立派な鷹に似た、半透明の使い魔が留まっていた。それがパチンと大きな音を立てて弾ける。


「……主さま。やはり教会の蜂起は成功したとのことです。一部王女側の勢力が抵抗したようですが、ほどなく鎮圧。フェリーユ王女は捕らえられました」

「そう……他の王族に対しては?」

「少なくとも捕縛はされていないようです。詳しい情報は入ってきていません」

「王や他の王子がいても、実質的な政務を行っていたのは彼女だったのでしょうね……」


 五年前の凱旋を考えれば彼女が実権を握るのは当然のことのように思えた。余程の権力欲があれば別かもしれないが、細々としたことは別として、根幹となる施政に彼女の父や兄は口をはさんだりはしなかったに違いない。

 ましてや、この一、二年で状況は丸っこい石が坂を転がるように一気に悪化に転じた。距離を置くようになっていた可能性だって高い。親族と言えど自らの命は惜しいだろうし、彼らの側近がそう助言したということも考えられる。義理や人情だって万能ではないのだ。それは親兄弟であったとしても変わらない。


「その場ですぐに王女への刑の執行を求める声もありましたが、一応の手順に則った裁判が開かれるようです。裁判は二週間後の昼。王都の中央広場で行われる、と」

「牢から広場まで歩かされ、衆目にさらされる。いつになっても人間は変わらないわね」

「そうなのですか?」

「ええ。罪人はそうやらされるものなのよ。大昔……私がまだ人間として生きていた時に広く信仰されていた宗教の信仰対象だった人も、そうやって衆人観衆の中を茨の冠をかぶせられ、処刑される場所まで歩かされたと聞くわ」


 一つ大きく息を吐く。

 ……やはり、何一つとして変わらなかった。

 いや、わかりきっていたことだろう。私の時がそうだったように、こうなるのは自明の理だったと言っても良い。それこそ億劫に匹敵するだろう年月が経ったが、人間というのがそういう生き物になってしまうのは防ぐことが出来ないことなのかもしれない。


「……そう言えば夜々、少し髪が伸びたわね」

「そうですか?」


 夜々が自身の髪をつかむ。昔は肩口で切り揃えていることが多かったが、今は肩甲骨の中頃まで絹のような黒髪が伸びている。


「切る? それとも、このまま伸ばしてみましょうか? 貴女のお姉さんも長くて綺麗な髪をしていたわ。きっと貴女もよく似合うでしょう」

「私の姉さまが、ですか……」


 夜々はそこで少しだけ考えるようにしたが、


「いえ。やはり切っていただけますか? 昔のように、肩口辺りまで」


 そう彼女は言った。


「わかった。それじゃあ、いつものようにやりましょうか」


 椅子を一脚庭へと出して、髪をすいたり切ったりするための刃物を用意する。彼女の面倒を見るようになってからというもの、彼女の髪の手入れをするのは私の仕事だった。

 彼女が私の巫女となる前からやっていたせいだろう。巫女となってからは私のことは当然のこと、自身のこともほぼ全て自分でどうにかしてしまうようになっていたが、髪を切るのだけは私に任せてくれていた。

 もしかしたら彼女のちょっとした楽しみになっているのかもしれない。私も彼女の綺麗な黒髪をいじるのが大好きだった。

 夜々が椅子に座り、落ちた髪が身体にまとわりつかないようにポンチョのような服を着せる。刃物の様子を確認してからゆっくりと髪に刃物をあてがった。

 しゃりしゃり、しゃりしゃり。

 刃物が小気味良い音をたてる。櫛で髪をとかし、整え、刃物で断つ。切れた髪はとさりと地面におちるが、それさえも一種の宝であるかのような美しさが彼女の髪にはあった。

 ふと、彼女も随分と成長したものだと思う。もう子供と気軽に言ってしまえる年ではない。

 五年前。夜々と一緒に人間の町を周り、衝動のままに王女を自身のものとしようとした時と比べたら女性らしさが顔をのぞかせている。体つきは全体的に丸みをおびて、可愛らしさばかりだった顔には彼女の姉が持っていた美しさが垣間見えるようになってきた。

 外見こそ巫女という特殊な存在からか現実的な成長度合いからは少し逸脱してきているものの、精神的な意味で言えば成長具合は著しい。もう子供扱いをしたところで、怒るどころか呆れるくらいの余裕を見せてくれるだろう。


「主さま」


 姿勢を真っ直ぐに保ったまま夜々が口を開いた。


「やはり、王女を助けに行くのですか?」


 静かな声だった。そこには何の感情は見えない。どうやら声から感情を完全に殺してしまう術もすっかり覚えてしまったらしい。


「五年前、彼女は主さまの申し出を断りました」

「断られた、というつもりはないのだけれど。別にそう言われたわけでもないし」

「同じです。主さまの存在を知りながら彼女は主さまの手を取らなかった。主さまが人間の本質を諭し、待ち受けるだろう未来を示してくださったのに、言葉に耳を傾けなかった。それどころか、主さまが言ったことに、そうならないようにしてみせると大見得まで切ってみせたのです。こうなったのは自業自得という他にありません」


 厳しい物言い。あまりしゃべらず、大人しかった彼女も今ではきちんと自分の意見を言えるまでに成長した……と喜ぶべきだろう。

 私に仕えているからこその矜持があると言えるのかもしれない。少なくとも、彼女は自身の存在に誇りを持っているし、そうでなければ私も困る。


「自業自得と言っても、いきなり出てきた神さまの言うことに普通はそう簡単に従えないものよ」

「そうでしょうか? あれほどの力を顕現されたと言うのに?」

「貴女に巫女としての誇りがあるように、彼女にも人間としての誇りがあったのでしょう。未来は自らの手で切り開いてみせるという……意志の力とでも言いましょうか?」

「人間としての誇り、ですか……」


 胡散臭そう、という感情が今度は言葉にきちんと表れていた。

 まぁ、あまりこれ以上言っても楽しい話題にはならないだろう。声のトーンを少し高くして私は夜々に聞いた。


「それより、夜々はオシャレをしたいとか思ったことはない?」

「オシャレ?」


 急に話題が変わって、内容も内容だからか、どこか不思議そうな声色だった。


「貴女も年頃だもの。可愛らしい格好をしてみたいとか、こういう服を着てみたいとか。髪だって、伸ばせば色々な髪型に出来るわ」

「ですが、髪が長いといざという時の行動に支障が出てしまう可能性があります。服装も、主さまが下さるこの装束が私には一番合っています。それに……」


 そこで彼女は少しだけ言葉を切った。


「オシャレというのは、根源的なところで言えば自分が楽しむためのものなのでしょう? 私は、主さまさえいてくださればそれで十分です。それ以上の喜びはありません」


 僅かに頬を赤らめた彼女に私は思わずくすりと笑ってしまった。どれだけ成長しても、私が彼女の行動基準の一番目にくることは変わっていない。

 私の巫女となった時から彼女という存在そのものが何か変わったのか……そうなる素質があったからこそ私の巫女たりえたのか……どちらなのかは私にもよくわからなかった。


「……それとも」


 そんなことを思っていると、夜々が言葉を続けた。


「主さまはその方が好み、でしょうか?」

「好みって?」

「髪が長かったり……その、可愛らしい格好をしたり……」


 頬を紅潮させたまま彼女は問うてくる。


「もし主さまがそう願うのであれば……そうすることによってさらに寵愛をいただけるのであれば、私はそうしたいです。……いえ、もっと言ってしまえば私は主さまの願うままでありたいのでしょう。主さまの望むもの、それが私の存在でありたいのです」


 そんな彼女に私はぐにぐにと耳の付け根を撫でてやった。昔から考え過ぎることがある彼女を諭す時、私はいつもそうやるのだ。


「そうね……貴女がそう私に言ってくれるように、私も貴女がそう願ってくれることだけで十分よ」


 それきり、言葉を交わさないまま髪を切ってゆく。

 時折吹く風が心地良い。滅びへと向かっている世界だからこそと言えるだろう。儚さを含んだ空気は独特の薫りがあるように私には感じられる。滅んでしまう生物たちには申し訳ないけれど、それもまた一つの美しさであるように思えた。

 髪を切り終わって屋敷の中へと戻る。夜々はさっぱりとした頭を軽く左右に振って一つ大きく息を吐いた。そして私の方を振り返って、


「それでは、出立の準備をいたしましょう」言った。

「夜々……」

「少し急がないといけませんね。人間と同じ速度でのんびりと旅していたのでは、私たちが王都に着いた頃には王女の首はとうの昔にはねらていることでしょう」


 何も言わずともそう言ってくれた彼女に、私は小さく微笑みながら「ええ」と短く言葉を返した。

 私は、自分が神の一柱としてしっかりとその役割を出来ているのかわからなかったが、少なくとも彼女が私には過ぎた巫女であることは確かだと思った。

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