衝突

 突如として現れた、異形の災厄すら打ち倒し、世界の希望となりえるという聖者。それを従えるは、まだ幼ささえ残る王女。

 もしこれがお伽話の話なら、あまりにも出来過ぎたストーリーで非難を浴びるかもしれない。ご都合主義というものは作り話の世界ではあまり人々から受けのいいものじゃない。正しく「そんな都合の良い話があるか」というやつだ。しかし、どれだけ安っぽいストーリーだったとしてもそれが現実に起こったこととなるとそれは大きく支持を得た。

 術者でなくともわかる、尋常ならぬ神術の才能を見せるロエル。

 民をまとめ、横暴な振る舞いを通そうとする教会に反旗を翻したうら若き王女。

 有象無象の集まりだった集団は一応のまとまりを見せ、サラス平原へと陣を敷いた。対する教会も、数では劣っているが、ツェミダーの名の元で一糸乱れぬ隊列で陣を構えている。


「戦いには参加しないのですか、主さま?」


 その光景を私は遠く離れた小高い丘の上から見やっていた。


「ええ。この戦い、もし貴女の耳や尻尾が露見し、妖怪が軍勢の中にいるとわかったら色々と大変なことになるでしょう?」


 王女が決起をする時も、ロエルがその優秀な術を披露する時も、私と夜々は傍にはいなかった。何者かも明かさないのにどういうわけか王女たちのずっと傍にいるのはおかしいだろう、ということだ。王女としては私に傍にいて欲しいようであったが、この戦いにおいて私たちは紛れもない不純物だ。

 加えて言うなら、私は人間同士の争いに加担するつもりは毛頭なかった。

 もし王女たちの軍勢が劣勢となり、彼女が命の危険にでもさらされれば、その時は逃走の手助けくらいはする。が、だからと言って始めから王女の軍に属して戦うつもりはない。

 私は紛れもなく彼女を欲してはいる。でも、彼女のその志までもを叶えようなどとは思っていなかった。別に私は、彼女によって封印を解いてもらった魔神でも悪魔でもない。私が欲しいのは、そんな大志を抱くことが出来る王女そのものであり、極端に言ってしまえば、この世界の人間のあれこれには干渉するつもりはないのである。

 それに、もしこの戦いの勝者が決まるところまでいったとしても、短期的には人間の動向を左右しただろうが、長期的に見れば何も変わらないのである。神の意志はすでに『滅び』を決定してしまっており、今更それを変えることはどうやったって叶わない。リユという禁断の果実を頬張ってしまった人間はこの地上という楽園からすべからく追い出される運命なのだ。

 もっとも、そもそもということで言うなら、私はこの戦いは勝者と敗者が決まる前にそれどころではなくなる、という予測を立てていた。

 いくらロエルをのぞいた他の術者のレベルが低く、リユを消費する量が少ないと言っても、塵も積もれば山となる。これだけの数の術者が揃えば消費されるリユは莫大な量となり、それは宙にいるオラクルの目に留まるには十分な量となるだろう。そして、戦場にオラクルが降ってきたが最後、おそらく戦いどころではなくなるはずだ。




 昼の少し前に両軍の激突は始まった。

 遠くから歓声とも雄たけびとも取れる声が聞こえてくる。ここからだとまるで小さな虫たちの群れの二つが陣取りゲームをするかのようにぶつかっていくように見えた。戦場そのものでは血で血を洗う戦いが起こっていても、遠くから見る限りでは何が起こっているのかもよくわからない。

 私はごろりと芝生の上に横になり天を仰いだ。夜々は外套を取って尻尾をいじっている。術で強化された人間が相手の身体を鎧ごと切り伏せる。神の加護の一端を得た矢が鉄仮面を破って頭を貫く。そんな現実があるところで、私は雲の流れになんとなく思いをはせ、夜々は自身の尻尾に取りつこうとする虫の類を潰す。

 あとどのくらいでオラクルはあそこに降ってくるだろうか?

 神の尖兵、オラクルが降ってくるのには三つのパターンがある。

 一つは、世界にあまねく存在し、たゆたっている神の御業の欠片……リユを見つけ、消費し始めた種族を主として滅ぼすための散発的な降下。これがこの世界で言われていた異形の災厄というやつである。

 二つ目が、前にロエルがやったように、単独で莫大なリユを消費する個体への襲撃。消費するリユの量にもよるが、私が実際に生きていた時代に使われていた、リユをエネルギーとして動く兵器への襲撃は、まるで空に浮かぶ軍艦かと見間違うまでの大きさのオラクルが降ってきていた。

 三つ目が、単独ではないものの局所的な地域で一定量のリユが消費された場合である。遠くでひたすらに戦っている集団の中で単独でオラクルの襲撃を受ける可能性がある術師はロエルくらいしかいないだろう。しかし、その何十分の一の才能しか持たない術師達でもその数が何百何千となってくれば話は変わってくる。私だってそのラインがどこにあるのかはわからない。それでも、ある地点を超えるとオラクルは間違いなくその場所への襲撃を始める。


「主さま」


 尻尾の手入れを終えたのか、寝転がった私に覆いかぶさるように夜々が顔をのぞかせた。


「虫は取れた?」

「はい。最近は虫の数も少なくなってきてますから、それほど面倒じゃありません」

「それは楽になって良かったわね」

「でも、まるで私の尾の価値が落ちてしまったように思えて少し寂しいです」


 そんな言葉に私は思わず笑った。なるほど、虫にとってしてみれば夜々の尻尾は極上の寝床に違いない。自慢の尻尾に虫がつくのは嫌だが、逆に数が減ってもなんだか腹立たしい。その気持ちはわからないでもなかった。


「主さま、これから虫はもっといなくなるのですか?」

「そうね……ゆっくりと、でも確実に減っていくでしょうね。天の国の神様たちは狭量でね、一度リユを使われた星の生き物は全部無くしてしまうのよ。リユなんて使ってないのに、他の生き物にとってはいい迷惑よね。それで全部まっさらになって、そこからまた一つ一つ生命が始まるの」

「そして、それを主さまが見つめて、記録する……」

「ええ。ただ、今度の始まりは貴女も一緒だけれどね」


 可愛い夜々の身体をとらえてじゃれ始める。まだ幼い彼女はこういうじゃれあいも大好きだ。くすぐったり、くすぐられたり、枯れ草にまみれて地面を転がる。

 時々、私の運命に彼女を巻き込んでしまって良かったのか考える時がある。

 夜々を育てると彼女の姉に誓った時は、彼女を私の巫女にするつもりなど毛頭なかった。育て、独り立ちが出来るようになったら山に帰そうかと思っていた。妖怪だって、大人となり、つがいを探して、子を成して、老いてはやがて死んでいく。それが当たり前の流れで、私はそこに異を唱えるつもりはなかった。

 けれど、いつだろう?

 夜々が言葉をしゃべれるようになり、何不自由なく走り回れるようになって、食料も自力で調達出来るようになった頃。私も彼女を山に返す時期を考え始めた頃だった。


『わたしを、あるじさまのものにしてください』


 その時の彼女が私の存在を正確にわかっていたとは思わない。けれど、彼女は彼女なりに私がいわゆるそういった『普通』の輪から外れた存在だと感じていたのだろう。子供らしい一心。親代わりで姉代わりだった私から離れたくない一心。よく、幼い妹が兄に向って「わたしはお兄ちゃんのおよめさんになるの」と言うような、そんなあまりに無邪気な心だったかもしれない。

 それでも私はそこに、私が姉さまを想うような、絶対に曲がることのない――曲げることの出来ない確かな何かを感じ取ったのである。

 枯れ草まみれになった私たちは立ち上がって、それぞれの服についた草を払った。無邪気に遊び回っていた私たちをよそに、離れた戦場では人の命が着実に一つひとつ無くなっている。

 見たところまだ形勢は拮抗しているらしい。数で押そうとする王女の軍に、教会側は術師を使って立ち回っているようだ。もしこのまま戦が続けば勢いが自然と落ちていくだろう王女の軍の方が分が悪いかもしれない。

 その時だった。

 夜々が耳をピンと立て、空を見やる。


「主さま」

「……ええ、来たようね。私たちも少し近くに寄っておきましょう」


 跳んで、丘から戦場へと向かい始める。


「数が少ない……いえ、一体だけですか?」

「そのようね。ただ、大きさはこの前のとは比べ物にならないわ」


 小さなオラクルを多数放つより、結合してまとめて葬った方が早いと思ったのかもしれない。多くの術師が好き勝手術を使ったおかげで周囲のリユはそれなりに消費されたようだ。

 近づいていくにつれて、降ってきたオラクルがどのようなものかわかってくる。

 細長い胴は二十メートルはあるだろうか? そして、それぞれの先端にまるで分銅のような錘が二つずつついている。その錘はどうも各個で動くようで、醜い牙と口が見てとれた。巨大なそれは人間たちをまとめて食い散らかせるだろう。長い身体でなぎ払えば小さな人間たちは簡単に潰されていく。

 頭の中で今からの行動を考える。

 散り散りになるだろう軍団と、襲ってくるオラクル。私はとりあえず王女の身を守ることに徹しよう。どれだけの人間があそこで生き残れるかはわからないが、少なくとも双方に致命的な打撃があるはずだ。王女の軍もそうだけれど、教会だって被害は免れないし、烏合の衆の王女の軍と違いあちらは主戦力をここに集めている。その戦力が壊滅したとなれば、各地に伸びた指揮系統網はズタズタになり、王都の指揮権は王族とそれを支持する者たちが取り返すに違いない。政変は異形の災厄により失敗した、ということにでもなるだろう。

 だが、そんな私の考えがひどく単純で、あまりに考え不足だったことを間近に寄っていった私は知ることになった。


「隊列を乱すなっ!」


この最近ですっかり聞き慣れた声が、激しく檄を飛ばしている。


「ロエルを中心に術師は術を集中させるんだ! バラバラになればそこから喰い破られるぞ!」


 先頭に立つのは、王女が聖者と謳うロエル。全身をかつてないほどの神術で強化し、自分の身の丈の何倍もあるオラクルに立ち向かってゆく。

 もちろんオラクルはそんなロエルに牙をむく。彼がその手に持った剣で頭の一つを食い止めれば、別の頭が彼を襲おうとする。

 だが――


「やらせるな! 喰い止めるんだ!」


 そう叫んだのは教会側の軍の将の一人だった。

 ついさっきまで命を賭けて戦っていた二つの軍がその言葉に呼応するように動く。

 オラクルの頭には無数の神術がかけられた矢が降り注ぎ、オラクルはそれを嫌って頭を退く。そこに、王女の軍も教会の軍も関係ない。神術を使える人間がありったけの力をもって神術を使い、オラクルに対抗しようとしている。術を使えない兵は少しでも術師を守るために盾となってオラクルの動きを封じようとしていた。一人ひとりの力はちっぽけなものでも……そう、正しく塵も積もれば山となり、オラクルの頭一つくらいは抑えられるほどになっていた。

 犠牲がないわけではない。現に今だってかなりの数の兵や術師がオラクルの振りまわす頭に骨身を砕かれ、血反吐を吐いては地面に転がっている。

 それでも彼らは諦めていない。

 どうしてこのような状況になったのか……どういう経緯で敵対していたはずの軍がまとまったのか、それはわからない。

 ただ一つ言えることは、今この瞬間、王女とロエルを中心に、巨大なオラクルに対してちっぽけな人々が立ち向かっているという事実だった。

 私と夜々はそんな騒乱を前にぽかんと場景を見やっていた。


「異形の災厄とて無敵じゃない! 多くの神術の力をもってすれば戦える!」


 王女が馬の上からぎりりと弓を引く。そこに、王女の軍の術師はもちろん、教会の軍にいたはずの術師までもが神術の加護を与えている。

 多量のリユをまとった矢が一直線にオラクルの一つの頭に放たれる。普通なら少々の神術をかけられた鉄など刺さるはずない。しかし、数多の神術を得た矢じりはオラクルの身体に深々と突き刺さる。

 周囲からは歓声が上がっている。


―― やれる! ――

―― やれるぞ! ――


 そんな熱気がその場にいる人間たち全体から湧き上がっている。


「……これはどういうことなのでしょう、主さま」


 夜々がきょとんと私に向いた。私は大きくため息を吐いた。

 ……長生きしすぎたせいか、それとも人間と積極的に関わらなくなっていたせいか? 私は人間という生き物の短絡的で、自己満足的で、刹那的な衝動に大きく動かされるという性質を失念していたようだ。


「そうね……あえて言うなら、人間であっても、時として利口なことをする、っていうことぐらいかしら?」


 敵対していたはずのものが、共通の敵が現れたことによって共闘関係になる。呉越同舟なんて幾千も昔の四字熟語を持ち出せば良いだろうか? ともかく、カリスマ性のある指揮者を得た軍は一人ひとりがその場の劇の登場人物となりオラクルと戦っているのだ。そこに王女側も教会側もない。


「はああぁぁ……っ!!」


 ロエルの振るう剣がついに一つの頭を両断した。

 歓声と熱気が一段と高まる。深く切られ意志を失ってぶらりと垂れ下がった頭の代わりに別の頭がロエル目がけて襲い来る。

 しかし、勢いに乗った人間たちの流れを止めるにはこのオラクルには少々荷が重かったようだ。

 激闘は一時間近くにも及んだが、最終的にその場に立っていたのは人間だった。もちろん犠牲だって並の数じゃない。最初にいた数の半分……いや、もっと少ないだろう。しかし、それでもこの場の戦いということに限るなら人間がオラクルに勝ったのだ。

 頭の全てを割かれ、胴体にも細かな傷を無数に負ったオラクルが轟音を立てて横倒しになる。そして、その姿は儚い光となって霧散していった。

 勝敗は決した。

 ……いや、正確に言えばこの戦いに勝敗はつかなかった、と言った方が良いかもしれない。

 けれど、この場の勝者は誰が見ても明らかだった。

 巨大なオラクルを相手に指揮を取ったのは紛れもなくフェリーユ王女であり、実際に打ち破ったのはそんな王女が聖者と祀り上げるロエルだったのだ。息を切らし、身体には幾つもの傷を負っていたが、ロエルの顔にはこの激闘を戦い制したことの安堵の表情があった。そんな彼に王女が馬に乗ったまま近づき、小さく微笑む。教会側の人間で、この現実を前に再び彼女たちに敵対しようとする者はいなかった。

 兵士たちはただただ、強大な敵と戦い、生き残ったことを喜び合い、まるで厚い雲に覆われていたはずの空から眩い光と共に一人の天使が舞い降りてきたかのような奇跡を……私の生きていた時代からして言えば、深い海を割って見せたというモーセの奇跡を目の当たりにしたかのように昂っている。


「これが人間の力、というものなのでしょうか?」


 そんな彼らを遠目に見ながら夜々が私に問う。

 私は、


「……そうね。これが人間の力ということに違いないわ」

「と言うことは、人間もまだそう捨てたものではない、ということでしょうか?」


 夜々の疑問にゆっくりとかぶりを振る。


「人間の力ではあるけれど、それは最良を求める力ではないわ。集う力は、状況の一つでも違えば、愚かで愚昧な行動に簡単に結びついてしまうものよ」そう答えた。

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