サラトバの町(3)

 町を散策がてら様々な店屋に立ち寄って情報を集めていく。

 質屋の様子からして何かがあるとは思っていたけれど、小銭をばらまきながら話を向けると誰もかれもが話に乗って来た。私が幼子を連れた、この土地とは縁もゆかりもなさそうな行商人の類を装っているせいもあるのだろう。

 警戒心を解いた人間というのは、些細と個人が思っていることであれば世間話の延長のような形で言葉をもらしてくれる。誰しも多かれ少なかれ心に溜まったものを吐き出したい欲求はあるものだ。理性やらなんやらでその扉が閉じていたとしても、少しくすぐってやれば簡単に口を開く。特に今回は私が教会所属でないハグレの術師という情報を与えてやると、みな一様に口が軽くなった。

 そんな人間たちの話によると、このサラトバの町は元々教会の力と領主の力がバランスよく取れていた町だったそうだ。砦の領主は信者ではなく、領民に信者はそれなりにいるものの、対立することなく良くも悪くもほど良い距離で折衷していたらしい。

 それが、この前の王都の政変を境にこの町でも教会の態度が相当に大きくなったらしい。一定の権限を教会に譲渡することや、税の取り立てに関すること。さらには領地の統治についても口を出そうとしているなんて話も出てきた。

 それに砦の領主はもちろん反発をしているらしい。王都での政争をそのままこの都市に持ち込まれても困ると……まぁそれは当然の反応だろう。

 領民としては、今の領主は老成持重な人物で、今までの体制に不満はないから余計な争いは避けて欲しいと思っているそうだが、教会は本部から独自の私兵を派遣するなど強硬な構えを見せている。穏やかとは決して言い難い。

 そして、何軒目だっただろうか?

 もう少し何かしらの情報を得ようと、それなりに繁盛している皮なめしの店に入った私たちに、いきなり声がかけられた。


「もしや……レイラさまでしょうか?」


 突然のことに驚く。ここまで自分の名前など宿の帳簿に書いただけで表に出してこなかった。どういうことかと声の主を見やると……なるほど、と合点がいった。


「やはりレイラさまですね! 私です。先日お世話になった……」


 そこにいったのは、フェリーユ王女と出会った日に訪ねてきていた商家の若旦那だった。

 そう言えば、離れた砦町に店を構えていると言っていたように思う。詳しい町の名まで聞いていなかったが、何の偶然か私はあまり高くないだろう確率を引き当ててしまったらしい。


「その節はお世話になりました。あれから妻の具合も――」


 顔を輝かせてそばにやってくる若旦那に、私は人差し指で「お静かに願います」と合図を送った。急に声を弾ませた若旦那に店の中の客が何事かと私たちの方を見やっている。あまり目立ちたくない立場としてはここで騒がれるのは少し勘弁してほしい。かと言ってここでそそくさと外に出ていくわけにもいかなそうだ。


「お話なら、ここではない場所で願えますか?」

「は、はい! それでは、どうぞこちらに。ウインツ、少し頼んだぞ」


 職人の見習いらしい子に声をかけて、彼は店のバックヤードへと私たちを案内してくれた。

 店と繋がっている住居の応接室に通される。「少しばかり待っていてください」と彼は出ていくと、すぐに妻を連れて戻ってきた。あの時していた眼帯はもう取れていた。白濁していた瞳も随分透き通り、充血もほとんど見られない。

 妻の方はカップが乗ったトレーを持っていた。少しおそるおそるではあるけれど、そのカップを私たちの前に差し出す。目の方は大分良くなっているようだ。


「レイラさま、重ね重ね、その節は本当にお世話になりました」


 改まって、深々と夫婦そろって頭を下げた。


「薬をいただいてからというもの、妻の具合はぐんぐんと良くなりました。光さえも感じられなかったのに、今ではおぼろげではありますが物が見えるまでになったのです」

「そうですか。それは何よりです」

「本当に、本当にありがとうございました」

「この分であれば、専用の眼鏡をこしらえれば日常生活は何の不自由もなくなるだろうと……本当にレイラさまにはなんとお礼を申し上げたらよいか……町の医者などは二目と見られない奇跡などと言っているほどです」

「正しくその通りでしょう。私の薬はほんの手助け程度。きっと、お二方のことを不憫に思った神さまが力を貸してくださったに違いありません」


 適当なことを言って顔に笑顔を貼りつけておく。せっかくここまで案内されてしまったのだ。情報を仕入れておくにこしたことはない。どうやれば上手い具合に引き出せるかと思ったが、幸いに相手の方からその糸口を与えてくれた。


「それよりレイラさまはなぜサラトバに? 特別何かご用がおありだったのですか?」


 いい質問だ。私はとりわけ神妙そうな顔をつくって見せた。


「それなのですが……お二人も王都の政変については聞いていらっしゃいますか?」

「それは、はい。連日その話でもちきりと言っても良いくらいです」

「詳しくは申せませんが、これほどの国難ともなれば私のような遁世者にも助力を求める声がかかってくるのです」


 我が意を得た、という様子で若旦那が首を縦に振る。それも当然だろうとまで言いたげな表情だ。

 加えて、今まであちらこちらで仕入れた情報を多少の装飾を加えて話していく。彼らにとってはもう十分に知っているだろう情報だが、話の反応を見ていると彼らがどちらに……つまり、領主側か教会側のどちらについているのかがよくわかった。

 この町の住民のほとんどが領主の方を支持していたように、やはり彼らもこの度のことについてはあまり教会を支持しているとは言えないようだった。

 なので、私も明言はしないが、教会と対する立場としてここにやってきたように雰囲気をにおわせる。そうすれば、あっという間に私と彼らの間には奇妙な連帯感……正しくそれはまやかしのものであるのだけれど、それが出来あがった。


「それで、どうでしょう? 私たちはつい先ほどこの町に着いたばかりで、細かなところまでは知らされておりません。……領主さまは、教会に対して何かを起こそうと考えているようでしょうか?」


 若旦那は少しの間何かを考えるように沈黙したが、すぐに「まぁ、それに近いことではありますが……」と一段と声をひそめた。


「これは、あまり知られていない情報です。私たちも、ギルドの仲間から聞いただけなのですが……」


 なるほど、力のある商家というだけあって、彼らには彼ら独自の情報ルートを持っているということだろう。であるならば、それは遠慮なく利用させてもらおう。


「フェリーユ王女がパロシナの町の中央教会に軟禁されているそうなのです」

「フェリーユ王女が?」

「ええ。政変があってからというもの、フェリーユ王女は各地でなんとか教会と折り合いをつけようと奔走していたようなのですが、教会は少しも聞く耳を持たなかったようです。逆に、教会はそんな王女殿下をう鬱陶しく感じたのでしょう。半ば無理矢理、パロシナに連れて行ってしまったということです」


 少しの驚きと、やはりそうなったかという思いの二つが同時に起こる。

 パロシナ。

 教会にいたチンピラ兵が言っていた町で、この町の人間の話からするにこの周辺のみならず国全体の教会を取りまとめている教会町のようだ。サラトバからほど近いところにあるらしいが、他の町より何倍も出入りが厳しく制限され、巡礼のために中に入るのもなかなかに難しいとのことだった。

 どのような経路で王女が動いたのかはわからないが、少なくとも町の二つや三つは完全に教会の勢力下に置かれていただろう。流石に大衆の目があるところで殺しなどは出来なかったのだろうが、そこで動きを封じられ、パロシナに連れて行かれたというのは想像にかたくない。


「このようなことを言っては罰あたりなのでしょうが、ツェミダー神教の熱心な信者なら別として、この町に住む……ある意味生かじりの信者であるなら、教会よりフェリーユ王女の肩を持ちたくなるのが性というものです」

「人気があるのですね、フェリーユ王女は」


 言うと、若旦那はきょとんとした表情を見せた。

 それから「そう言えば、レイラさまは隠遁の生活をされているのですよね。このようなことに詳しくなくて当然でしょう」と一人合点がいったようだった。


「フェリーユ王女は、母君が平民の出なのです。王族は鼻持ちならないという人でも、王女殿下のことは別という人は多いと聞いております」

「なるほど。そして、その王女がパロシナの教会に軟禁されている」

「はい」


 若旦那が少し複雑そうな声で続ける。


「領主さまがどう考えていらっしゃるのかはわかりません。けれど、兵の中にはフェリーユ王女を助けるべきだという動きがあるらしいのは確かだそうです」


 政変が一応の成功を収め、王都は教会が祀り上げた者が治めたとしても、それと同時に国に属する領主の土地が一様に変わるわけじゃない。程度の強弱はあるにせよ、この町のように反発する町もあるだろう。

 もちろん簡単な話ではないし、実行に移される可能性は限りなく低いだろう。

 けれど仮の話として、この町の領主が軟禁されているフェリーユ王女を助け出し、教会に対立する旗印とすればわかりやすい旧勢力と教会の対立の図が出来あがる。

 望んでいるのがこの国の内戦でもない限りは教会側としてはこの対立構図は避けたいはずだ。ツツァイという王子を担ぎ上げたとは言え、下手をしたら教会が王族に盾突いているという形にされかねない。そういうこともあって、教会はこの町に私兵を派遣して砦の動きをけん制しているのだと考えることが出来る。

 一応、ここまでで起こりつつあることの大体は理解がいったように思う。


「……わかりました。貴重なお話をありがとうございました」

「いえ、それほどでもございません。レイラさまこそ、難しいお役目を担っているようですが、どうぞご自愛ください」

「はい。一刻も早く貴方方が安心して暮らせる世になるよう、僅かですが助力をさせていただきます」


 店先まで見送られ、雑踏に身を紛らせる。

 空は薄くオレンジの色に色づき始めていた。とりあえず今日の情報収集はこんなところで十分だろう。


「さて、そろそろ食事処でも探すとしましょうか」

「食事処? 主さま、食事をするのですか?」


 夜々がきょとんとした表情を浮かべた。


「ええ、せっかく町にきたのだもの。普段ではお目にかかれないものもあるでしょうし、悪くないかと思ってね」


 私たちは食べる必要性はないが、味を楽しむということくらいは出来る。何より、時たま暇つぶしのように塩漬けの肉を食むくらいしか食事ということを知らない夜々にもっと色んな味を知って欲しいというのもあった。大通りがあちらこちらに伸びたこの辺りなら新鮮な食材も多いに違いない。

 適当に辺りを散策し、結構な門がまえをした食事処に目星をつける。

 中に入るとその辺の雑多な酒場とは違い、豪華な灯りで照らされた空間では質の良い衣服で身を包んだ上流と思しき市民たちが各々のテーブルで食事と会話を楽しんでいた。

 丁寧な仕草で近づいてきた女給に個室の有無を聞くと、幸いなことにいくつかあるとのこと。少し多めに御代金をちょうだいしてしまうことになる。そう言いかけた女給に、私は懐から金貨を一枚取り出して手のひらに乗せてやった。すぐさま言葉を切って、商売に必要な決まり切った笑顔を浮かべながら「こちらでございます」と案内を始めてくれた。明らかに成金のやりそうなことでいささか趣味が悪いが、余計な問題が起こるよりかはマシだろう。


「そのような外套をしていては休まらないことかと思います。よろしければ、こちらでお預かりさせていただきますが」


 個室に通してから女給が恭しくそう言ったけれど、夜々は外套を取られまいとフードを手で押さえた。


「あまり構わないでやってください。育ちが少し難しいところがあるのです。人前に顔を晒すに不慣れで……無礼とは思いますが、どうかこのままで食事を取ることをお許し願えないでしょうか?」

「それはまぁ……左様ですか」


 神妙そうな顔でそう言えば、少し憐憫の表情を見せてそれ以上のことは何も口にしないでもてなしをしてくれる。この辺りも手渡した金貨一枚の効果というやつかもしれない。

 静かな個室で量よりも質や彩りを重視した夕食を腹に収めていく。夜々のような子供にはいささか物足りないかもしれないと思ったが、彼女自身初めての味のものが多かったようで、比較的楽しんで食べてくれたように思う。

 程良くお腹も膨れたところで夜々は目をうつらうつらとさせ始めた。長旅に加え、今日は町でこの子なりにはしゃいでいたからその疲れが出たのだろう。

 私は上等な酒を一つ持ち帰りで買い求め、帰りの馬車を用意してくれようとした店の申し出を断って、今にも船をこぎ始めそうな夜々の手を引いて店を後にした。

 宿に帰って早々に夜々を寝かしつける。

 安物のベッドに固い枕。それでも、余程疲れていたと見えてすぐに眠りに落ちた。

 夜々がすっかり落ち着いた寝息を立て始めてから、私は窓辺の椅子に座って一人、晩酌を始めた。

 酒が飲みたくなったのなんて一体いつ以来だろうか?

 人として生かされていた時には晩さん会などで出されるものを少し嗜む程度で、酔うというようなところまで飲んだことはいくらもなかった。その後だって滅多なことでは酒など飲んでいなかったし、少なくともこの数十年の間にはほとんど口にしていないように思う。

 空には僅かに雲があるが、それでも星の光が多く見える。それを肴にぼんやりと、捕らえられているというフェリーユ王女のことを思う。

 思えば、外見だけではなく、気高く何者にも穢されない精神も彼女は姉さまによく似ているように思えた。

 国を想い、民を想い……先頭に立って人々を導こうとする。

 私はそんな姉さまが好きだった。自分も少しでも姉さまのようになれるようにと琢磨したのを覚えている。

 そして姉さまもまた、私のことをたいそう可愛がってくれた。

 たった二人だけの姉妹。世界が災厄に呑まれ始めた時に私たちは災厄によって両親を失った。

 世界が混乱し始めていた時ということもあって、国の体制をどうするかという議論はなかなか煮詰まらなかった。そんな中私と姉さまは、それでも国を代表する者として気高くあろうと共に誓い合ったのだ。


『もはやこの星で人間が生きていくのは不可能だ』


 懐かしいことを思い出す。

 あの時、災厄によって未曾有の騒乱に世界は包まれ始めていた。異形の災厄によって国の中枢を破壊され、国家として機能しなくなってしまった国も出てきていた中、辛うじて集められた各国首脳の国際会議で出された結論がそれだった。圧倒的な軍事力を誇っていた覇権国家ですら、異形の災厄の前にはあまりにも無力であり、徹底抗戦なんてバカなことを唱える国は一つも存在しなかった。人間たちは、我先にと船に乗りこんでこの星から脱出していった。

 我が国で用意出来た船はほんの数隻だけ。元より、誇りと伝統のある歴史はあっても軍事力や経済力がある国じゃなかった。多くの民は置き去りにしていく他にどうしようもなかった。

 そんな中、いち早く船に乗り込むことを許される立場でありながら乗船を断り、見捨てられた人々のかがり火になろうとしたのは、他ならぬ姉さまだった。


「………………」


 酒を傾ける。喉を焼く感覚が少しだけ心地良い。胃に落ちると、先ほど食べた久しぶりの食事と共に体全体が熱せられるように思えた。

 姉さまの言うことを聞かなかったのは、後にも先にもあの時だけだった。

 この星に残ることと、他の惑星へと逃げること。

 どちらが生存の可能性が高く、より求心力のある指導者が必要かは明白だった。

 だから私は姉さまにこれからの未来を託したのだ。

 自分はこの星で尽きて構わない。自棄じゃない。自暴でもない。星に残り、最期まで災厄と戦い、民を守ってみせると私は姉さまと約束を交わした。


「姉さま……」


 ……おそらくあの王女も最期のその時まで民のために戦おうとするだろう。

 災厄が降りかかろうともその精神は折れることはないに違いない。

 だが、それが報われるかと問われたら答えは否ということが私にとっては火を見るより明らかだった。

 災厄に人間が立ち向かったところで万に一つも勝利を得ることは叶わない。どれだけ王女が身を粉とし、民のことを思って先頭に立ったとしても、その努力も虚しく民は果てていくだろう。そしてその瞬間、民たちは間違いなく王女に忌言を吐いて死んでいくはずだ。

 人間という生き物は浅ましい。

 民のことを思い、王女が一人で立ち向かったという事実があっても、自分が死ぬ運命だとわかったら誰ひとりとして彼女に感謝などするはずがない。それどころか、最大限の努力をしてくれた王女に対して、まるで彼女が原因で死にゆく運命になったとすら思うことだろう。

 もし彼女が折れることがあれば、それは災厄ではなく、自らが守ろうとしている民の本当の姿を知った時かもしれない。その時、彼女は己の全てが無意味であったと知ることになる。


「……現実は、往々にして残酷なものだもの」


 空を見上げながら私の口からはポツリとそんな言葉がもれていた。

 月には叢雲がかかっている。

 虫の声も木々のざわめきも届かない静寂。

 それはまるで、これからの人間たちの行く末を示しているかのように私には感じられた。

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