サラトバの町(2)

 夜々が落ち着いたところで今日一日の予定を考える。

 まだ昼前だ。宿で時間を潰すにはもったいない気もするし、少しくらい町を散策しても良いかもしれない。外套があるとは言ってもあまり大衆的な場所をうろうろとするのは危ないかもしれないが、せっかくの機会だ。直に町というものを経験させておくに越したことはない。

 良くも悪くも夜々は色んな意味でまだまだ経験が不足している。知識がある程度あったとしても、経験がなければそれを生かすことだって難しくなる。

 少し悩んだが、結局外に出ることに決めた。

 これからどう事態が転がるかはわからないが、町の様子というものを把握しておいて悪いということはないだろう。それに、よもやこんな人間の町のど真ん中で妖怪がのんびりと歩いているとも思うまい。

 しばしの休息を取ってから外套をまとった夜々を連れて外に出る。彼女も多少の窮屈よりかは町への興味の方が強いらしく、出かけることを伝えると興味の色が顔に出ていた。俗世のことは関係ないと思いつつも、流石に目から入ってくる圧倒的情報量やアメの味に興味をかきたてられたのかもしれない。

 宿を出て高い尖塔を目印に人通りの多い通りを縫うように教会を目指す。

 通りを歩く人は様々だ。商売人と思える人間からただの市民、武器を携行している傭兵らしきものもいれば、ツェミダー神教に関わっているらしい人間の姿もある。この町にいる人間の見本市のようだ。

 ゆっくりとした足取りで三十分ほど歩いたところで教会の正門と思しき門が見えるところに着いた。

 教会は人工的に作られたと思われる池の真ん中にあり、正面に通じる大橋の入り口には衛兵として軽装の民兵が二人立っていた。どちらも教会の人間らしく、神術を使えるとみえた。橋の親柱と控柱には比較的しっかりとした神術のかけられた紙も貼られている。警備は重にしているようだ。


「おい、そこの小娘」


 そんなことを考えながら橋の向こうの教会を見やっていると、民兵の一人が武骨な振る舞いでこちらにやって来た。成りは一般的な兵士に違いなかったが、中身はその辺のチンピラと大差がないように思える。


「こんな所で何をやっている?」

「これは兵士さま」


 たたずまいを直して男に向き直る。


「別に何をやっていたというわけではございません。ただ、この教会があまりに立派なもので呆気に取られておりました。よもや、ここまで大きいものとは思っていなかったものですから」

「なんだ貴様、サラトバに来るのは初めてなのか?」

「はい。生まれも育ちもちっぽけな寒村なんです。この町どころか、この付近に来るのも初めてで……」

「なるほど、そんな田舎臭い術師でも今回の争いの旨味がわかるらしいな。おこぼれにでもありつこうと思ってのこのこ出て来た訳か」


 高飛車な物言いに侮蔑の感情が見てとれた。ただ、その高慢さのおかげでこちらに向ける警戒心は低くなったようで、近くにいる夜々に注意を全く払っていない。手の仕草で彼女に少し遠くにいるように指示をする。

 争い。

 王都での政変に絡んだものだろうか?

 わからないが、とりあえず男の調子に合わせて話を作る。


「はい。旨味かどうかはわかりませんが、少しでもツェミダーの神に報いることが出来ればと思って訪ねて来たのです」

「そりゃあお生憎さまだったな。ここじゃお前みたいな田舎者は門前払いだ。その弓を見るに一応神術のなにがしを使えるようだが、神術が使えるだけで神様みたいな扱いの田舎の村ならいざ知らず、ここはパロシナの町も近い。神術を使えるヤツなんて五万といるんでね」

「左様ですか……」

「それでも、どうしても何かの役に立ちたいって言うんなら……」


 言いながら男が品のない目つきで私の体を上から下まで見やった。


「術じゃなく、体でも使って奉仕するんだな。そんときゃ俺だって一晩買ってやるよ。毎晩毎晩胸と尻が立派な女ばかりを抱いてても飽きるんでね。たまにはお前みたいなしょんべん臭いガキも良いかもしれねぇ」


 冗談にしても下品にほどがある。程度が知れるというのは正しくこういうことを言うのだろう。

 そんな下品さに似合った笑い声を響かせながら民兵は元の位置へと戻っていった。これ以上絡まれては流石に面倒だ。私は夜々に視線を送ると、さっさとその場を離れることにした。

 しかしあの輩の雰囲気からすると状況は平穏とは言い難いようだ。少なくとも近々何かしらの戦いがあってもおかしくない状態にあると考えて良いだろう。この町の異様にも思える高揚感はそのためかもしれない。

 あの時、村にいた兵はすぐにツツァイ王子が全権を握ったと言っていたが、それに対立しようとしている勢力があるということは間違いないだろう。

 まぁ、何はともあれもっと多くの情報を得ることが必要だ。そして、有益な情報というものはなかなかタダで手に入れられるものじゃない。どういった形であれ貨幣はまだまだ必要となる。今まで持っていた僅かな貨幣はここに来るまでの道中と先ほどの宿代でほとんどなくなっていた。

 教会を後にして中央の通りを観察しながら歩くと質屋はすぐに見つかった。この辺りに金座や銀座があるのかはわからないが、それなりの町ということもあって随分と立派な店屋を構えている。小間使いのような小僧が外を掃いているのを横目に中に入る。広々とした店内に他の客の姿はない。カウンターで銅貨を数えていた若い男に声をかける。


「ごめんください、質に入れたいのですけれど」

「はい、いらっしゃいませ。どのような品物でしょうか?」

「こういった品物なんです。これを貨幣に変えて欲しいのですが……」


 言って懐から出した宝飾品のいくつかに男が目をむいたのがわかった。

 次いで、瞳が小さく左右に動く。

 差し出されたモノが本物か偽物か。本物であるならその純度はいかほどなものか?

 そんな考えが頭の中を巡っているのが傍目にも見て取れた。

 私には今の人間の社会がどうなっているかはわからないが、こういった金に直に結びつく商売には役人の息がかかっていることも多く、ましてや身元の知れない相手からの怪しげな売買は目をつけられる可能性も高い。

 あまり目立ちたくいのであれば積極的にすべきことじゃないだろう。本当ならもっと金に換えやすいものか、金そのものを持っていればよかったのだけれど……まぁ、なかったものはどうしようもない。


「少々お待ちいただけますか?」


 少しして若い男はそう言うと、こちらの返事も聞かないままに奥に引っ込み、すぐに一人の男を連れて帰って来た。

 眼窩にはめ込んで装着するタイプの片眼鏡をかけ、髪は後ろに撫でつけてある。

 年は四十を少し過ぎたほどに見えるが、落ち着いた風貌と恰幅の良い体格が年齢以上の貫録を感じさせた。おそらくこの店の大番頭か……もしかしたら主人かもしれない。どうやら若い男は自分の手に負えないと判断したようだ。


「お待たせいたしました。それで、質に入れたいお品物というのは?」


 見た目よりも少しだけ重たい声。こういった商売であるからこそ、第一印象と声は大きな比重をしめる。もしかしたらわざとそういう声を出してくるのかもしれない。

 渡した宝飾品に男は目を細めた。

 秤などは用いずに、明かりにかざしたり、耳元で軽く叩いてみたりと、己の目や耳で隅々までをじっくりと精査していく様はある種の職人のようにも見える。

 そうやってじっくり十分ほどは調べただろうか。


「……結構なお品物のようですね」

「貨幣にさえ変わってくれた良いんです。造形を保ってもらう必要もありませんから、何ならそれぞれバラバラにしてもらっても構いません」

「いえ、それには及びません。……ところで、大変失礼なのですが、このお品物はどちらで?」


 なんとも表現出来ない目が眼鏡の奥から向けられる。

 疑心に満ちているわけでもなく、用心を光らせているわけでもない。言うなれば、ままごとの小道具としてこれを使っていた幼女にそっと問いかけるような目だった。良い商売人だ。


「話せば少し長くなるのですが……若輩者ながら、私は方々で行商をさせていただいております。神術を医学に応用して、薬師として主に薬を売って回っているんです。それで先日、ここから少し離れた町……なんと言いましたでしょう? ……そう、確かローマニャでした。比較的大きな修道院があるのですけれど、ご存じでしょうか?」


 このサラトバに来る途中に何度か聞こえてきた人間の町の名を言うと、男は鷹揚にうなずいた。


「はい、ございますね」


 まぁ、実際に大きな修道院があるかどうかなんて私も知っているわけではないが、ある程度の大きさの人間の町には往々にしてそういった施設があり、大衆向けの養生所も兼ねているのが常と踏んでの言葉だった。事実、この町にも教会と並んで修道院らしき建物があるのを確認していた。


「そこの修道院と大きな取り引きをしたんですけれど、向こうに手違いがあって、代金がほとんど揃っていなかったんです。用意するには時間がかかるとおっしゃられたんですが、生憎私はそれだけの時間を待つ余裕はない。しかし、向こうも薬は置いていってもらわないと困る。その結果がこれらの宝飾品というわけなんです。立派な品だし、地元で見せるのも一興と思っていたのですけれど、この町で少し仕入れたいものが出来てしまったもので……。まぁ、行商人にとっては同じ宝であっても貨幣の形をしているかいないかでは大きな違い。早いところ貨幣に換えてしまおうと思ったんです」

「なるほど、そういうことでございましたか」


 深く探ろうと思えばいくらでも指摘出来る部分はあっただろうけれど、相手も引き際というものを心得ている。取り引きさえ滞りなく行えればわざわざ変なことは言わないだろう。もちろん盗品などの情報には十分に注意しているだろうが、この品は元々館にあったものだ。その辺りの心配は無用だった。

 三分の二を銀貨と銅貨、残りを金貨で交ぜて用意してもらうように頼み、若い男が指示された通りに用意している間に男が話しかけてきた。


「しかしこれだけの額です。神術の心得があるとのことですが、小さなお嬢さまもお連れですし、どうかお気をつけください」


 手数料を少しばかり弾ませたせいか、顔つきが最初よりも幾分柔和なものに変わっていた。


「これほどの町なのにですか?」


 少しばかり大げさに驚いたように私は言った。言外にこれだけの大きさの町の治安に万全の信頼を置いていることをにおわせる。すると男はわずかに眉を下げ、声の調子を落とした。


「この町自体はそう治安の悪いものではないのですが……貴女さまはあまり教会との関係が強くはないようですね」

「ええ。一般的に言うなら、ハグレ、というやつです」

「であれば、この町の事情を知らなくても当然というものでしょう。最近は少し、教会と領主さまの関係が良好なものとは言い難いものでして……」


 そこまで言って言葉を濁す。何かあるのだろう。


「とにかく、どこに宿を取られているかは存じ上げませんが、あまり教会の絡んだ話には首を突っ込まないことをお勧めします」


 もう少し詳しい話を聞こうかとも思ったが、丁度用意も出来たとのこと。貨幣の詰まった革袋を受け取り、礼を言ってからそのまま店を後にした。この調子でいくと、もう少し情報を探った方が良さそうだ。

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