サラトバの町(1)

 人の町でも比較的大きな、サラトバという町に着いたのは出発してから半月ほど経った時だった。

 今まで見たどの町よりも大きいそれは、騒々しいという言葉が生ぬるく感じられるほどに雑音に満ちている。きっちりと舗装された大通り、家や商店がずらりと並んでいる。宿屋も一軒や二軒ではなく相当な数があり、露天商も中央の通りに所狭しと並んでいた。すれ違う馬車の数も結構なもので、町全体が今までに見てきた村や町とは違う、不思議な高揚感に包まれているように感じられた。

 この辺りはまだ災厄の被害がほとんど出ていない上に、ここには立派な砦と教会がある。災厄に対しての恐怖心というものが薄いのも一つの要因だろう。

 灰色の石材でがっしりと建てられた砦は遠目にも相当に堅固なことが見てとれた。はためいている旗は力強さを感じさせ、人々に無条件の安寧を約束しているように見える。

 一方の教会は、天を目指そうかとしているような尖塔が目立つ豪奢な造りで、人智の及ばない世界の寵愛を受けているかのような荘厳さを思わせた。

 もっとも、高揚感に包まれているということで言うなら、私の隣を歩く夜々も別の意味で気分が昂っているようだった。私に関係すること以外のことにはあまり関心がない彼女も、初めて見る大きな町の様子には興奮を隠しきれないらしい。

 真黒な瞳をキラキラと輝かせ、手を放したら今にも走りだしてしまいそうだ。いつものように耳と尻尾を隠すためのフード付きの外套をまとわせていたが、本人はすっかり身を隠すことを忘れている様子だった。

 夜々にしてみればこれほどの町を見るのは初めてのこと。事前に大きな町というものについてあらかた説明をしたが、言葉で何百回聞いたところで実際に目の当たりにした衝撃を消せるわけがない。そういうことから言えば彼女が外套の下で尻尾をぶんぶんと振りまわしていないだけまだ自重している方と言えるかもしれない。

 ここに来るまでほとんど村や町の宿に泊まらず野宿で済ましてきたが、この辺りで一度身を落ち着けて情報を集めた方が良いかもしれない。このくらいの大きさの町なら王都の政変についての情報も集まってきているだろう。


「主さま、あれはなんですか?」

「うん?」


 夜々に手を引かれ、思考を中断させる。

 彼女が指し示した方を見やると小さな車輪つきの屋台が前方からやってくるのが見えた。手に持った小さなラッパで音を奏でている男は初老にかかったほどだ。なるほど、屋台に飾られた彩り豊かな風船や風車はいかにも子供に受けそうな造りをしている。


「あれはアメ売りね」

「アメ売り? アメ、とはなんですか?」

「糖蜜を熱し、固めた菓子の類よ。あれはアメ細工かしら。砂糖を熱して粘液状になったものを加工して色んな形を作ってるの。あの屋台の横の部分を見てみて」


 夜々にもわかるように指さして、あれあれ、と示してやる。


「色んな形の固形物が棒の先端にくっついて差してあるでしょう? あれがアメよ。舐めると甘い味がするわ」

「どうして様々な色がついているのですか?」


 大きな瞳を輝かせながら聞いてくる。


「菓子とはそういうものなのよ。目で見て楽しむ、というやつなんでしょうけれど……花や虫、そんなものから色素を抽出して、色を塗るか、元から混ぜて作ってあるの」


 そう説明してやるが彼女の耳には半分も聞こえていないように見えた。菓子自体は本当に時たま……一年に一度くらいだろうか、行商人に頼んで買っていたように思うけれど、考えてみれば子供に受けの良いものを選んだ記憶はなかった。


「買ってみる?」


 フードがぐわりと動いた。下の耳が大きく動いたらしい。


「……い、良いのですか?」


 聞いてくるが、その顔はすでに期待の表情が満ち満ちていた。こんな表情をされたら断る方が難しいというものだ。まぁ、今の内に様々な経験をさせておくのは悪いことじゃない。

 屋台に近づいて、ラッパから口を離した男に声をかける。


「すみません、アメを一ついただけますか?」

「はい、毎度。どれにするかい?」


 夜々に視線を向ける。


「この中から好きな形のを選ぶと良いわ」


 どうやら動物をモチーフにしたアメ細工のようで、犬や猫、鳥、ウサギに魚のようなものもある。夜々は、「えっと、これ……」と幾分恥ずかしそうな様子でウサギのものを指さした。


「よし、ウサギさんだな。はいよ、お嬢ちゃん」


 差し出されたウサギのアメ細工を夜々はどこかむずがゆい顔で受け取った。その間に私は小銭入れから一枚の銅貨を取り出して男に渡した。


「……ん? ほぉー、ジネル銅貨とは、久しぶりに見たな」


 受け取った銅貨を見やって、男がどこか感心したような声を出した。


「まずかったでしょうか?」

「まさか。同じ数字でもジネル銅貨の方が含有率は高いからな。こっちとしては儲けもんだから良いが、お嬢ちゃんは良いのかい?」

「ええ、お気になさらないでください」


 あまり考えずに懐の小銭入れから出してしまったが、これを手に入れたのはもう三十年は昔のことだ。それは古い貨幣も交ざっているだろう。今後は、使う時に少し気をつけないといけないかもしれない。


「それにしてもすごい賑わいようですね、この町は」


 買い物ついでの世間話のように私は男に聞いた。


「見たところ、お嬢ちゃんはこの辺の人じゃないようだな」

「はい。普段はここから遠い田舎町で細々と商いをやっているのです。まぁ、商いとは言っても両親の使い走りのようなものですが……私には神の加護がありますので、こうして妹を連れて各地を回っているんです」


 言いながら背の弓矢を見せると、男は納得した様子だった。


「なるほど、そりゃあご両親もさぞかし頼もしいことだろうな。ってことはあれかい? お嬢ちゃんも、やっぱりツェミダー神教の教会に所属してるのかい?」


 男の目に少し探るような色が見えた。安易な返答は出来ない。頭を回す。

 神術を使える人間の結構な数が教会に属しているのは確かだろう。だが、ツェミダー神教の言うところの、『神術はツェミダーの神によって与えられた』というのはツェミダー神教の存在を高めるための嘘八百である。ツェミダーの信者であろうとなかろうと、神術の才能を生まれ持った人間は何かしらのキッカケでそれを発現させる。神術が広まった世界でそのキッカケは決して少なくない。

 もちろん、教会が積極的に神術の才能を持った人間を集めているのは想像に難くなかったが、それでも全ての人間を集められるわけはない。少なくとも今だってツェミダーとは関係のない術師もそれなりにはいるはずだ。でなければ今回のような王都での政変はもっと早くに起こっていただろう。

 三割……いや、もっと多い割合の術師がツェミダーと関係のない術師かもしれない。

 私は声を小さくして、僅かに男に顔を寄せた。


「それが、私は違うんです。私の田舎はツェミダー神教よりも土着の宗教が強くて……」

「じゃあ、本当に商売の目的だけでここに?」


 疑うような目だった。ちらりと教会に対する棘のようなものが感じられたので、そちらの方面で押し通す。


「ええ。王都での騒ぎを風の噂に聞いて、大きな町に行けば何か珍しい物が手に入るんじゃないかと思っただけなんですが……」

「そこまで知ってるんならあんまり教会には近づかない方が身のためだな。今、教会の連中はピリピリしてるからよ。ハグレと知れたら何をされるかわからないぞ」


 ハグレ。おそらく教会に属していない術師のことだろう。やはり術師でも教会に属している者とそうでない者がいるのは周知の事実のようだ。


「ご忠告、ありがとうございます。助かりました」

「気にするな。少なくとも俺はツェミダー神教の信者じゃ一応あるが、その前にエイルクォート王国の国民であると思ってるからよ」


 どういうことだろうか?

 言葉の意味がはっきりしないが、これ以上突っ込んで聞くのは少し危ないかもしれない。情報というものは一点だけから深く探っていくのではなく、広くから大きく取って行った方が危ない橋を渡らずに済むことが多い。

 アメ売りの男と別れ、本格的に宿を探し始める。宿屋と思しき店はたくさんあったが、夜々がいる以上堂々と大手を振って歩いているわけにはいかない。あまりあれやこれやと世話を焼かれてはひょんなことからどんな厄介ごとになるともわからない。

 馬車のほとんど行き交わない、人気の少ない……悪く言えばさびれた細道に入って、私は一軒のさびれた宿屋に目をつけた。朽ちかけた宿屋の看板が軒下に風に揺られてぶら下がっている。ここなら適当だろう。そう思って中へと入る。がらんとした中には他に人はおらず、カウンターにはしかめっ面をした老人が煙管をくわえて新聞に目をやっていた。


「……いらっしゃい」


 ちらりとこちらを見やった目はどこか睨んでいるようにすら見えた。愛想という言葉をどこかの道端にでも落としてしまったようだ。が、こういう方が都合が良い。


「部屋を一つ頼めますか?」

「連れ込み宿じゃないよ、ここは。面倒ごとは御免だね」

「いえ、この町の中でも歴史のある宿だとお見受けしたものですから。もちろんおかしな使い方はいたしません」

「……そうかい」


 ばさりと新聞のページをめくって私たちから視線を外す。


「なら、名前をそこに。金は書いてある通りだ」


 宿帳に私と夜々の名前を書いて、今度は貨幣の種類に気をつけながら書いてある通りの額をカウンターに置く。私も今の人間社会に精通しているわけじゃないから、この額が高いのか安いのかはわからない。

 老人は机の金を乱雑にカウンター下に収めると一つの鍵を差し出した。


「部屋は二階の一番奥を使いな。飯は出してないから、適当に外で食ってくるか、調達してくれ」

「この辺に食事処は多いのですか?」

「少なかないさ。すっかり歓楽町になっちまったからな。余所者には容赦ねえぞ。せいぜいぼったくられないように注意することだな」

「はい。十分に気をつけます」


 部屋へと上がり、扉に鍵をしたところで一息つく。

 外套を脱ぐと夜々はぶるぶると動物のように顔と尻尾を振るわせた。この数日はほとんど常に人の目があったから随分と窮屈だったに違いない。


「主さま、連れ込み宿とはなんですか?」

「名前の通り、連れ込む宿よ。私たちにはあまり関係のない言葉ね」


 栄えている町には多かれ少なかれ娼婦が出てくるのは仕方のないことだが、この町では自分や夜々のような外見の年の子までそのようなことをしているのだろうか?

 そんなことをぼんやりと思いながら窓際の椅子に座ると、夜々がじゃれるように膝の上に乗ってくる。


「夜々?」

「主さま、お願い出来ますか?」


 振り返って、どこか熱を持った目が私を見る。

 つい三日ほど前に給したばかりだし、頻繁に給したところで何のメリットがあるわけでもない。昨日今日巫女になったわけでもない彼女は、まだ幼いが能力的にはもう一人前に近いものである。……だが、まぁこまめに給しておいて悪いこともないだろう。

 手首に傷をつけ、溢れる血をぺちゃぺちゃと夜々が舐める。

 あらかた舐め終わり、普段ならそれで済むが、今日の彼女は甘えん坊のようだ。手首からそのまま腕を舐めるように上がっていって、首筋に顔を押しつけるとすんすんと鼻を鳴らす。こそばゆい感覚に私も彼女の背に腕を回して抱きしめる。ゆらゆらと尻尾が揺れていた。

 見知らぬ街、好奇心もあれど、少なからず不安もあるのだろう。

 子供が母親の心音を聞くと落ち着くように、彼女にとって私は主であると共に母親でもあるのだ。彼女の姉のことは折を見て話しているから、姉代わりであるのかもしれない。


「………………」


 あの王女のことを考えてここまでやってきたが、自分は一体これからどうするつもりなのだろうか?

 姉さまによく似た彼女に、今更姉さまの代わりをして欲しいと思っているのだろうか?

 自分でもよくわからない。ただ、このまま全ての終わりを迎えるには心地悪かったというのだけは確かだった。

 欲しいのだろうか?

 幼子がおもちゃやお菓子をねだるように、あれが欲しい、あれが欲しいとねだっているのだろうか? あの王女が欲しくて欲しくて、喉から手が出そうになっている?

 ……あり得るかもしれない。

 夜々を抱きしめながら、悟られぬよう一つ大きく息を吐き出した。

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