スペユの町にて

 フードつきの大きな外套をまとった夜々が私たちを先導するように歩く。

 道は軽く整備された程度だったが、この三日間、道と呼ぶことすら出来ないような道ばかりだったことを考えると、人間の気配が随分と濃くなっているのがわかる。事実、昨日は樹海から出た直後にあぜ道で一度行商人の馬車とすれ違ったきりだったのが、今日はもうすでに五人の人間とすれ違っていた。

 一体私たちはどのような一行だと思われているのだろうか?

 大きなフードをかぶり、全身も外套の下に隠した夜々に、一般的な装束より多少豪華な服をまとった私。そして私の横を歩く彼女は一目でかなり価値が高いとわかる籠手とグリーブを身につけている。騎士だというのは一目瞭然だ。

 ただの旅の一行には思えないのだろう。すれ違う誰しもが私たちに道を譲り、中には深々と頭を下げる者までいた。こういう場合一番位の高そうな人間が主人で、その他の者は付き従っている御用聞きに見えるのが普通に違いない。


「しかし、本当に大丈夫だろうか?」

「夜々ですか?」


 歩きながら問うと、彼女はこくりとうなづいた。

 いくら外套で隠しているとは言っても彼女は立派な耳と尻尾を持っている妖怪だ。今の世の中、町の中に堂々としていられる存在じゃない。

 本当は彼女に同行するのは私だけで夜々には留守を頼むつもりでいたが、その旨を伝えると夜々は頑なにそれを拒んだ。


『主さまが行くのであれば私も同行します。それがならないと言うのであれば、主さまが彼女の案内をするというのは巫女として認められません』


 どうやら私が彼女に興味があると察した夜々はそれを良く思っていないらしい。今までべったりだった分、私を彼女に取られるのではないかと危惧しているようだ。まぁ、子供らしい可愛い嫉妬と言えるだろう。


「問題ないでしょう。多少怪しくは思うかもしれませんが、誰も大手を振って妖怪が歩いているとは考えません」


 実際、昨日は町の手前にある、集落と言うより行商人たちが休みを取るような場所にある教会で一晩を過ごさせてもらったのだが、誰にも夜々のことを聞かれなかった。地方にあり、中央ほど妖怪を目の敵にしていないとはいえ、教会ですらそのような状態なのだ。たぶん妖怪が教会を訪ねるとは夢にも思っていなかっただろう。むしろ、少女でありながら立派な騎士の格好をした彼女の方に目を取られていたように思う。


「しかし、気になるのであれば夜々は近くの森にでも待機させましょうか?」

「……いや、そういうわけにもいかない。彼女にだって十分に恩がある。このような世の中でなければもっとはっきりと礼を出来るのだが……」


 申し訳なさそうに彼女が言ったその時だった。前を行っていた夜々がピタリと動きを止めた。そして、鋭く周囲に目を配る。


「どうしたのだろうか……?」


 私たちも歩みを止める。

 何者かの襲撃? いや、この辺りにそれらしい気配は何もない。

 そう思った瞬間、


「――主さま、来ますっ!」


 夜々が私に向かって吠えた。


「なっ――!」


 ぐわり、と地面が震えたかと思うと、突き上げるような衝撃が体を浮かすかのごとく駆け抜けた。


「地揺れかっ!?」


 この辺りは地層のプレートがぶつかり合っているわけでもなければ、内部に歪みが溜まるような場所でもない。通常の地震はまず起こるはずのない地域だ。

 ともすれば、この地揺れは災厄のそれに他ならない。

 大きな揺れはすぐに収まった。だが、ここが災厄の中心とは限らない。元よりこのエイルクォート王国は南部の一部の地域でしか地震は起こらず、ほとんど人間が地震というものに経験がない。詳しい地震の仕組みやそれを察するだけの科学力がなかったとしても、想像出来ることは災厄しかなかった。

 だからこそ少女の顔は明らかに厳しいものに変わっていた。ここからあと一時間も行けばスペユの町に着く。災厄の中心として考えられるのはそこぐらいなものだろう。


「……悪いが、少し急げるだろうか?」


 問うてきた彼女に私は小さくうなずいた。



 最悪、異形の災厄に襲われた直後、ということもあり得ただろう。

 だが、早足に着いたスペユの町はそこまでの惨状にはなっていなかった。遠目に人々が忙しく動いている様子が見えたところで彼女は一旦安堵の表情を浮かべかけた。が、それはすぐに消えることとなった。被害がなかったかと言われたらそれは大きな間違いだった。

 地面に走る大きな裂傷は長く、上に建っていた家々の多くは崩れていた。純粋な揺れの規模も大きかったようで、裂傷がない場所でもそれなりの数の民家が倒壊している。

 一通りの救助も済んでいないのだろう。災害直後にある独特な尖った雰囲気が一帯を支配し、人々には一様に疲労の色が見てとれた。余所者だとわかる私たちに向けられる視線は決して優しいものとは言えなかった。この分だと負傷者はもちろんのこと、死者もそれなりの数出ているだろう。


「なんということだ……」


 呆然とした様子で少女が言う。


「異形の災厄が降っては来ずとも……これほどの被害が……」

「あんたら、旅の人か?」


 立ちつくしていた私たちに向かって二人の男が近寄って来た。大きな傷の類はなかったが、衣服が相当に汚れている。今まで救助にでも携わっていたのかもしれない。


「ああ、今着いたところなんだ。これは今日の災厄の影響か? 地揺れを私たちも経験した」

「災厄じゃねえよ」


 確かめるように言った少女の言葉を男の一人がそう否定した。


「災厄じゃない? それじゃあ、これは一体……」

「忌族だ」

「この街で忌族を匿っていたやつがいやがった。忌族があの地揺れを引き起こしやがったんだ」


 もう一人の男が毒吐きながら地面を蹴る。


「どういうことだ? 忌族が地揺れを……?」

「あんたらも中央の広場に行ってみれば良い。ちょうど神父さまもいらっしゃるよ」


 少女と目を合わせ広場の位置を確認してから足早にその場を後にする。


「……一つ、聞いても良いだろうか?」


 私の目を見ずに少女が聞いてくる。


「妖怪は地揺れを起こしたり出来るのか?」

「少なくとも私はそのような妖怪は知りません。妖怪と言えど単なる一つの生き物です。感覚の鋭さゆえ、先ほどの夜々のように地揺れを事前に察知出来ることはあるかもしれませんが、大地を揺らすなんて大業は出来るとは考えにくいです」

「そうか……」


 すまなかった。そう言って少女が歩きながらも夜々の頭をフード越しに撫でる。夜々はなぜ撫でられるのかわからず顔にクエスチョンマークを浮かべていたが、彼女としては一瞬でも妖怪を疑ってしまった申し訳なさがあるのだろう。

 広場と思しき場所には多くの人が集まっていた。しかしざわめきの類はほとんどなく、誰もが声をひそめていた。そんな中、中央付近から良く通る声が聞こえてきた。


「これではっきりとしました! 神の怒りに触れたのです!」


 人々の隙間をぬって中央を目指す。

 ぽっかりと空いた中心では髪を短く刈った男が民衆たちに高らかに声を張り上げていた。黒の祭服を身につけた姿はツェミダー神教のものだろう。

 そして、そんな神父の横には乱雑に作られた木の十字架に一人の妖怪が磔にされていた。まだ夜々ほども成長していない、五、六歳といったところだろうか? 耳と尻尾がなければただの人間の子と何の変わりもないように見える。

 しかし、もう事切れているのは明白だった。腹部にかけて大きな出血の跡が見られ、十字架の足下には多量の血が溜まりを作っている。妖怪が人間より頑丈だとは言え全てが全てそういうわけじゃない。切られれば血が出るし、多量に出血すれば簡単に死ぬ。それが当たり前の生き物だ。


「子供だから? 悪いことをしていないから? そうやって匿った結果がこれです! 彼らの外見に騙されてはいけません! 神の怒りに触れる忌族こそが全ての災厄をもたらすのです!」


 神父の大声に一人の女が震えるように子供を連れて前に出た。

 そのまま地面に座り込み、子供の頭を地面に押しつけて自らも深々と頭を下げる。


「お、お許しください! この子が、この子が勝手に……。知らなかったのです! この子はまだ、忌族の恐ろしさを何も知らなかったから、こんなことを……っ!」

「知らなかった? 知らなかったから、忌族を匿ってしまった、と?」

「は、はい! 何も知らず、同じ子供だとばかり……」

「しかし、それで許されるような罪では決してありません」


 神父に母親が頭を幾重にも下げる。

 お許しください、お許しください。どうか、神の御慈悲をお与えください!

 そう必死に訴える母親の様子に、私の隣にいた少女がわなわなと震えているのがわかった。凛々しい顔が怒りのそれに変わっている。


「しかし、今ならまだ間に合います。神は言っておられます。忌族は全て滅ぼすべきだと。……さぁ、この石を掴んで、この忌族に投げるのです。寛大な我らが神は、それでこの度のことを許して下さるでしょう」


 にっこりと笑って、神父がこぶし大の石を子供の手に渡す。

 子供は何が起こっているのかまだわからないのだろう。今にも泣きそうな様子で……おそらくは友達であっただろう妖怪の子の亡骸と母親を交互に見やっていた。


「やりなさい! やるのよ!」


 母親が子供を叱る。そして、神父は声を大にして民衆へと語りかける。


「さぁ、皆さんも決して他人事ではありません。彼らの過ちはそれを見過ごした町の責任。つまりはそこに住まうすべての民の責任です。このままではさらなる災厄、全てを喰らい尽すと言われる異形の災厄がもたらされることでしょう!」


 その言葉に私たちの隣にいた一人の男が足下の石を拾って妖怪の子めがけて投げつけた。


「………………」


 一石が投じられれば、後は堰を切ったように次から次へと石が十字架へと投げつけられる。

 投げつけられるのは石だけじゃない。口にすることさえはばかられるような罵声も、次から次へとよくもまぁそれだけの語彙力があるものだと感心してしまうくらいに向けられる。生命を亡くした後でも妖怪はこうして非難の矢面に立たされる。

 まったく、人間という生き物がこういった劇場型のものに目がないのはいつどんな場所であっても変わらないらしい。

 魅了され、圧倒され、そして自らもその登場人物へと進んでなりきってゆく。言うなればこの広場は今は大きなお遊戯会場と変わらない。

 だが、そのことが少女の最後の一線を踏み越えてしまったらしい。


「止めないかっ!!」


 空気を一気に切り裂くかのような声が広場を抜けた。

 罵声が飛び交っていた周囲に一瞬にして沈黙が広がっていく。

 そんな中、少女はカッカッと甲高くグリーブの音をさせて中央へと歩み出ると神父と真っ向から対峙した。


「妖怪が災厄をもたらす? 妖怪が神の怒りに触れる? 何の因果もわからないのにそのようなデタラメを……恥を知れっ!」


 突然出てきた彼女に神父は深く眉をひそめ、眼鏡を上げた。


「……忌族の肩を持つというのは、感心しませんね」

「妖怪も人間も関係ない。この子が理由もなく殺されたのだとすれば、それはただの暴虐だ」


 民衆の目が彼女と……そして、彼女と一緒にいた私たち二人に向けられ、波が引くように周囲の人間が距離を取った。仕方なく私と夜々も彼女の方へと歩み寄る。


「随分と偉そうなことを言うのですね」


 神父がぎょろりとした目を少女に向ける。


「こいつらも忌族なんじゃないのか?」


 民衆の誰かがそう言った。他愛もない、もちろん根拠だってないだろう戯言であったが、場の雰囲気はまるでそれが紛れもない真実であるかのような印象を抱かせる。それが一気に人の群れに伝播し、ざわざわと木々がざわめくような騒ぎに変わる。

―― 聞いたことがあるぞ! ――

―― 忌族は忌族をかばって当然だ! ――

―― 忌族は人に化けることが出来ると聞いたわ! ――

 ざわめきはやがて殺気にも似たものへと変わっていく。

 ほんの一分もしない間に私たちは敗走に失敗した残党兵のような形にされてしまった。人々は各々の手に石や地震で崩れた家の一部と思しき木材を持ち、一声あれば今にも私たちを袋叩きにしそうな勢いだ。


「……片づけますか?」


 そして、そんな殺気に反応した夜々が懐から鉄扇を取り出してこちらも殺気を放つ。全身の毛を逆立てかけているのが外套越しにわかったから、ひとまず「待ちなさい」と声をかけて頭に手をやった。先に手を出したら面倒なことになるのは目に見えている。

 と、


「今度は一体何の騒ぎだ!」


 人の壁をかきわけるようにして現れたのは軽装ながらも武装をした二人の兵士だった。どうやら民衆の誰かが連絡をいれたらしい。今日一日相当量の仕事をしたようで、まだ日も沈んでいないのに彼らの顔には疲労の色がありありと見てとれた。


「ああ、兵隊さん! 忌族です! 忌族とその仲間が人間に化けてっ!」

「忌族だと?」


 周囲を取り巻いていた人間の言葉に兵士は顔を険しくすると腰の剣に手をやった。

 眼光で私たちを貫かんとする。その目に、もはや戦闘は避けられないか……と思ったが、何を考えたか、少女が私たちをかばうように前に出た。


「控えろ。彼女たちは私の恩人であるぞ」


 堂々とした物言い。周囲が再び沈黙に呑まれる。

 一方、兵士たちは一体この小娘は何かと目を細めたが、少女の着けていた装飾を見るやいなや顔を蒼白なそれに変え、互いが互いを見やった。そして、ゆっくりと口を開く。


「も、もしや……フェリーユ王女殿下で……あらせられますか?」


 小さな声であったが、周囲が水を打ったかのような沈黙の後だったためにその声はよく通った。


「左様だ。災厄の騒ぎもまだ済んではいないのだろう? 国の兵たる者がこんな所で悪戯に民の不安を煽ってどうするつもりだ?」


 今度は民衆が別の意味でざわめいた。

 王女殿下。そうだったのか、と私も少し納得する。いや、まぁ今までに起こったことを考えればそのくらいの地位にいて当然だっただろう。

 夜々が私の服を引っ張り、「おうじょでんかって何ですか?」と聞くので、ひとまず「この国で一番偉い人の子供ってことよ」と教えておく。しかし夜々はそれで興味を失ったらしい。俗世のことは関係ないとわかっているのだろう。この辺りは幼くともしっかりとした私の巫女である。

 少女……フェリーユ王女は少し悩んだ様子を見せたが――おそらく、見せ物のようにはしたくはなかったのだろうが――この場を収めるにはそれしかないとわかったのか、しぶしぶといった様子で懐から、おそらくは王家の紋が入れられたナイフを出して見せた。

 それに一人の兵が跪き、深く首を垂れて手を捧げた。王族に対する簡易的な礼のあり方かなんかだろう。

 もう一人の兵は民衆に向かって「散れ! 散れっ!」と怒鳴っては民衆を追い払っている。民衆たちも突然の王女の出現に虚を突かれたようで、先ほどのざわめきなどなかったように言われるままに消えて行った。


「神父さまも、どうかお下がりください」


 それは神父も例外ではない。この場ではどうにもならないとわかったらしい。私たちにだけ聞こえるくらいの大きさで「命拾いしましたね、王女殿下」と捨て台詞を吐いて去っていった。


「……それにしても、フェリーユ王女殿下がどうしてこのような場所に?」


 周囲が落ち着いてから兵の一人が問うた。


「二週間ほど前に起こった災厄の調査に来ていたのだ。その際、厄介事に巻き込まれたのをこちらの者たちに救われ、この町に来たらこの騒ぎだ」

「そうだったのですか……」

「それより、彼を降ろしてやりなさい」


 言われた通り兵が磔にされていた妖怪の子を降ろす。彼女はその子に小さく祈りを捧げてから立ち上がった。


『すまなかった』


 そう口が動くのがわかった。


「しかし、驚きました。フェリーユ王女殿下も王都の騒動に巻き込まれたものとばかり思っておりましたから……」

「王都の騒動? 何かあったのか?」

「ご存じないのですか?」


 驚いたように兵が言った。


「今朝方、早馬が来たのです。第一王子であらせられるツツァイ王子が王に反旗を翻し、王都を掌握したと」

「兄上が!?」

「災厄を含む国内の混乱は王の不信心と怠惰が原因だと……。多少の衝突はあったようですが、すぐにツツァイ王子が全権を掌握されたようです」

「そんな……兄上は争いを好むような性格じゃない。何かの間違いでは……」


 戸惑う王女に、兵も困惑したようにかぶりを振るばかりだった。


「わかりません。私どもも何分まだ混乱しているものですから……」

「……教会、か」


 ポツリと言った王女の言葉を兵は肯定も否定もしなかった。

 しかし彼女の持ち合わせている情報からすればそう考えるのが妥当だろう。ツェミダーを良く思わない王女の暗殺未遂と、今回の王都のクーデター。ツツァイ王子とやらがどんな人なのかは知る由もないが、裏で教会が糸を引いている可能性は十分に考えられる。突発的なものじゃなく、ある程度練られた上での決行だろう。

 妖怪の子を町外れの墓地に埋葬すると、王女は兵の詰め所から馬を一頭借りた。


「急いで王都を目指すのはあまり得策とは言えないのではないのですか?」


 一刻も早く王都を目指すと言う王女に私は言った。


「王女殿下が襲撃を受けたことを考えても教会が噛んでいる可能性は非常に高いでしょう。ここから近場に身を置いて、今は情報を収集することに専念しては?」

「心遣い、感謝する」


 王女は柔らかく笑ってから、「しかし」と言葉を続けた。


「四人いる子供の中の末席と言えど、私も王女の一人。国の一大事に悠長に構えてはいられない」

「……立派なのですね」

「そんなことはない。ただ、騎士であり、王女であるが故の責務を果たそうとしているだけだ」


 それは上辺の言葉ではなく彼女の心からのものだっただろう。彼女は生まれながらに王族であり、民の上に立つということがわかっている人間なのだ。馬にまたがる前に、王女は改めて私に向き合った。


「最後になってしまったが、挨拶をさせて欲しい。私はフェリーユ・サン・ユミルスヴァーク・エイルクォート。この度は本当に世話になった」

「気になさらないでください。私たちは出来ることをしたまでです」

「そう言ってもらえるとありがたい。今この場で恩を返せないのが口惜しいが、いつかきっと、この恩は返させてもらおう」


 どういうわけだか彼女はくすりと笑った。


「どうかされましたか?」

「いや、なんでもない。……ただ、貴女といたこの数日間、私はひどく懐かしく思えたんだ。初めて会ったはずなのに……何と言えば良いんだろうか? 難しいが、心が満たされたような気がする」


 頬を紅くして、「何を言っているんだろうな、私は」と照れた様子で馬にまたがる。手綱で馬を抑えながら再度私に向き合う。


「私のわがままで申し訳ないが、また、いつか、と別れの言葉とさせてもらいたい。事態が落ち着いたら是非一度王都に遊びに来て欲しい。私が直接案内させてもらおう」

「それでは、その日を楽しみにさせていただきます」


 視線を交わし小さく微笑む。

 綺麗な笑顔だと思う。『彼女』に良く似た……裏がなくまるで透明な清流を思わせるような美しいそれにほんの少しだけ見惚れてしまう。


「それではレイラ。また、いつか」

「はい、姫さま。また、いつか」


 手綱を打って馬が走り始める。もう日も傾きかけているが、急げばこの先にある町に暗くなる前にはつけるらしい。もちろんここで準備を整え、供にする兵を借りることも出来ただろうが、それらは全て災厄からの復旧に回すべきだと考えたのだろう。

―― 常に民の味方であれ ――

 そんな姿も『彼女』とかぶる。

 フェリーユ王女はまるで『彼女』の器に魂までもをその身に宿して生まれてきたようだ。


「これから私たちはどうするのですか、主さま?」

「………………」

「……主さま?」


 袖を引かれ、はっと我に返る。


「主さま、どうかされたのですか?」

「ううん、何でもないわ。少し、昔を思い出していたの」

「昔、ですか?」


 夜々が興味ありげに首をかしげる。


「主さまは、あまり昔の話をしてくださりませんね」

「そうね……あまり面白くないことだから」


 フードの上から夜々の頭を撫でる。

 兵たちと別れ、私たちは町の外へ出ることにした。

 宿に泊まろうにも王女がいなければ私たちは身分不詳の少女と妖怪の子の二人組でしかない。面倒ごとに巻き込まれる可能性を考えれば森で夜を明かす方が何倍も私たちに似合っていたし、事実、私たちもその方が休まるというものだろう。

 ……しかし、彼らは王女という絶対の象徴がいなくなるのを待っていたらしかった。


「貴方たちは……」


 町のはずれ。

 人気もなくなった場所で私たちの前に現れたのは先ほどの神父と十人ほどの町民だった。各々手には鍬やピッチフォークといったような農具が持たれている。農作業の帰り……と考えるほど私も能天気じゃない。


「何かご用でしょうか?」


 目を細めて聞くと、神父は眼鏡の奥から鋭い眼光を飛ばしてきた。


「臭いますね、貴女方からは」

「………………」

「忌族の臭い。耐えがたい、神に反抗する忌まわしい者の臭いです」

「そうですか?」

「疑われる覚えがない、と? であるなら、そちらの子の外套をはいで見せてください。もしそこに何もなければ私たちはここを退きましょう」


 ぎらりと眼鏡が光る。どうやら穏便には済みそうにない。


「夜々、お願い」

「はい」


 私の前に一歩出て、夜々は外套をばさりと取った。立派な耳と尻尾が現れ、町民は一気にどよめいた。

 妖怪だ、妖怪の子だ。忌族だ。やっぱり忌族だったんだ。

 そんな言葉を吐くが、戸惑いは長くは続かなかった。むしろ、好戦的な殺気の気配が濃くなり、目が異様にぎらつき始める。

 そんな町民に、夜々は鉄扇を広げた。


「フェリーユ王女が忌族と手を結んでいる可能性がある。中央の情報は正しかったというわけですか。国の主たる王族までも忌族と手を結べば、それは災厄も起こりましょう」

「別に手を結んだつもりはありませんよ。ここまで送ったのはほんの気まぐれ。私たちは別に貴方たちと敵対する気もありません」

「仮にそうだったとしても、私は忌族を見過ごすわけにはいかないんですよ。知性なき暴虐者である忌族を滅ぼせというのは、神の御心ですから」


 神父がゆっくりと口述で術を刻むと、呻く風の音が町民たちを包み込んだ。肉体を強化する類の術だろう。普通の人間であっても、術の強化があれば妖怪と同等かそれ以上の力を発揮する。


「神父さまの言った通りだ。災厄のある所に忌族あり。あの王女も行かせるべきじゃなかった!」

「忌族と手を結んだ王女など売国奴だ! 共に殺してしまえば良かったんだ!」


 術に守られた彼らは手に持った武器を構えてそう威勢よく吐き捨てる。

 ……このような場面を彼女が見たらどう思っただろう?

 さぞかし心を痛めただろうということは容易に想像がつく。そして、きっとその誤解を解こうと苦心するに違いない。どれだけ牙をむこうとも彼らは彼女の愛する国の民に他ならないのだ。

 だが、残念なことに私にとっては彼らは何の思い入れもないただの人間にすぎない。


「安心してください。ツツァイ王子の元、王女は適切に処罰されるはずです。元々、フライバッハなどという邪教に関心を持ち、忌族との噂があった王女ですから」

「………………」

「さぁ! 私たちは今目の前にいる忌族を滅ぼしましょう! 神に刃向いし逆賊どもを八つ裂きにしてやるのです!」


 神父の言葉が終わると同時に二人の町民が武器を振りかざして襲いかかって来た。人間では到底出来ない動き。術で強化されたからこそ引き出せる、限界を越えた動きは妖怪相手でも十分太刀打ち出来たに違いない。

 が――

 風が舞った。

 次の瞬間、音もなく町民二人の首が胴から離れ、その場に転々と転がる。


「なっ……?」


 呆気に取られる神父と町民の後ろには夜々の姿。

 鉄扇に滴る血を振り払い、再度扇を開いた。

 交錯する一瞬に扇を振るって首を飛ばしたのだ。もっとも、首を刈られた二人はもちろん、目の前にいた彼らにもその動きは捉えられなかっただろうけれど。


「神術は確かに強力ですね。だから、その力を妖怪が使ったらもっと凄いことになるとは思いませんか?」


 そんな私の問いかけに、神父が声を震わせる。


「ば、バカな……忌族に、忌族ごときが、神術を使えるはずが……」

「ない、というのが、人間の間での共通認識のようですね」


 そこで夜々が口述で神術を刻む。彼女を中心に風が巻いて、漆黒の瞳が鮮血のような紅の色に変わる。視線はさながら研ぎ澄まされた刃のような鋭さだ。並の神術じゃない。夜々が紡いでゆくそれは、神の力を少し借りる、なんて生易しいものではなく、神の加護を直接身にまとうものである。


「でもそれは、人間が未熟であるが故の妄想に過ぎない」

「くっ――!」


 神父が振り向きざまに神術で強化したナイフを投げ、町民たちが一斉に夜々めがけて襲いかかる。

 だが、夜々はこともなげにナイフを弾くと、扇の一振りの元に一人の町民の体をバラした。

 その間に町民たちは夜々を取り囲む。力で敵わないのなら小細工はしていられない。数で圧して一気にやってしまおうということだろう。

 前方からピッチフォークが突き出される。それを軽く夜々はいなすが、それを狙っていたように夜々の背後を取った町民が勢いをつけて鍬を振り落とした。根限りの攻撃。大木さえも一気に両断するような威力がそれにはあっただろう。が、


「消えたっ……!?」


 音速も超えたのではないかと思えるその鍬は呆気なく空を切った。その場にいた全員が夜々の姿を見失ったようで、まるでキツネに化かされたような間抜け面をしていた。


「こちらです」


 上空からの声。ばっと見やるが、時すでに遅し。鍬が振り落とされるよりも早く上空に身を舞わせた夜々は、地上に着地すると同時に自らの攻撃でバランスを崩していた男を一瞬で死へと叩き落とした。

 一方的に繰り広げられる惨殺。

 それは戦いとすら呼べなかっただろう。

 残っていた町民は夜々に触れることすら叶わぬまま次々とただの肉塊へと変わっていき、その場に真っ赤な血をぶち撒けては倒れていく。

 かかった時間は二分にも満たなかった。

 残されたのは神父が一人。


「こ、こんなバカなことがあって良いはずがない!」


 先ほどまでの余裕はすっかりなくなった様子で神父が吠える。


「あり得るか! こんなこと、神がお認めになられるはずがないっ!」

「なるほど。ツェミダーの神は許さないのですね」

「あ、当たり前だ! 神術は神によって人間に与えられた智の理! 野蛮な忌族ごときが使えてたまるものかっ!」


 そんな神父に対して、私はにっこりと笑ってみせた。


「ですが、ツェミダーの神が許さなかったとしても、私は許します」


 これで最後。

 そうとでも言うかのように夜々はバチンと鉄扇を閉じると、大きく一閃を描いた。


「ぶ、ぐぅっ……」


 縦に大きく裂かれた神父の目から光が消える。噴き出す血に、神の寵愛を受けたと自負していた彼は他の町民と変わらずただの肉に変わった。

 呆気のないものだ。わざわざ私たちを目の敵にしなければこうはならなかったものを……。いや、確信犯というものはそういうものか。ツェミダーを信じる者にとっては、それが当然だったのだろう。そういう意味で言えば、彼らは立派な殉教者と言えたかもしれない。妖怪と戦って戦死したのだ。二階級特進……なんてものが教会にもあるのだろうか?


「お疲れさま、夜々」


 ててて、と傍に寄って来た夜々の頭を撫でる。鉄扇についた血をぬぐいながら、彼女は尻尾をパタパタと振っていた。久しぶりの多量の血に少し興奮しているのかもしれない。


「後片づけも頼める?」


 夜々はうなずいて大きく指笛を鳴らした。人間の耳には聞こえないが、動物たちには聞きとれる高音。私も少しだけ耳がキーンとする。

 それに、空からは大きな猛禽類が、近くの森からは獣が次々と現れた。彼らは思い思いに転がっていた死体を持ち去っていく。冬の時期をわびしく越したのだろう。お腹はかなり空いているらしく、死肉に群がる姿はちょっとした宴会状態だ。

 ものの五分もすれば、後にはおびただしい量の血痕と、わずかばかりの臓腑が残っているだけとなった。


「それはどうするの、夜々?」


 残った肉の塊を見ながら聞くと、夜々はにこりと笑って「私の分です」と言った。

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