神術

 森を駆ける馬は全部で三騎。

 先頭をゆく先ほどの少女を二騎の騎馬が追いかけている。

 少女の手綱さばきは年齢から考えても、女性であるということを考えてもかなり卓越したものと言えただろう。太い木の根を越え、邪魔となる葉を剣でなぎ払い、ほとんどスピードを緩めることなく追手から逃れようと駆けていく。

 しかし、追う方はそれ以上の手練れだった。少女に離されることなくピッタリと寄せるどころか、徐々にその距離を詰めていく。いや、元々それなりに熟練した大の男が相手ならそうなって当たり前である。それを、私がこうして追いつくまで逃げ粘っていたことを称賛するべきなのかもしれない。

 しかし、そんな逃走劇も限界が訪れたようだった。ある一定の距離まで詰めた時、二騎の内の一人が馬上で弓を引いた。ぎりぎりと弦が張る音が聞こえてきそうな姿勢にぶれはない。足下が不安定な場所を駆ける馬上でありながらあそこまでの姿勢を保てるのはかなりの使い手なのだろう。

 一瞬、木々が密に生えた場所を抜け、視界が開ける。

 その瞬間に男は弓から矢を解き放った。

 少女を狙ったものじゃない。一直線に向かった矢は少女の乗った馬の首を見事に射抜いた。


「――っ!」


 馬の断末魔。走る勢いそのままに倒れ込んだ馬から少女は投げ出されたかと思うと、華奢な体は棒切れかなにかのように地面を転がって樹木の幹にしたたかに打ちつけられた。


「まったく、手間をかけさせてくれる」


 追手は少女の前までゆっくりと馬を進めると悠々とした様子で立ち止まった。それに合わせて私も樹上で動きを止める。


「……生きてはいるか。運は良いようだな」


 追っていた二人の内、弓を射なかった方の男が言った。どこか笑うような声。

 男の割には長い、色素の薄い茶の髪に、顔つきは精悍と言うよりかは神経質そうなものを感じさせる。体つきは悪くないが、病的に思えるほど色白い顔のせいかあまり肉体的な暴力を好むようには見えない。精神的に追い詰めるような拷問の類を好みそうな男だ、なんてことを思う。

 濃い蒼の外套を肩に背負い、服の所々には煌びやかな装飾がされていた。たぶんこの男が追手の中では一番に地位が高いのだろう。

 と、その二つの騎馬に追いつくように三騎の騎馬が後から駆けてきた。


「お待たせしました、グラバカス隊長」

「三人はどうした」

「問題ありません、適切に処理いたしました」


 兵が言うとグラバカスという男はにやりと小さく笑った。


「ご苦労。これで憂いが一つ減ることになった。今が大切な時だからな。こやつも末席と言えど、立場が立場。騒がれたら少々面倒なことになる所だったが、タイミング良くこうして片づけられたのは僥倖と言う他にないな」

「貴方たちは、一体何を……」


 少女が辛うじて上体を起こそうとするが、口の端からは血が垂れていた。内臓のどこかにダメージを負ったのだろう。あれではもうまともに動けはしない。


「大人しくしていれば命は助かったかもしれないものを……余計な好奇心を出すからこうなるのですよ」


 せせら笑うように言うグラバカスとやらに、少女は片膝をつき、剣を杖代わりにして立ち上がった。


「まだ、抗うつもりで?」

「こんな所で、果てるわけには……」


 ぐっと歯を食いしばるようにしながら少女が前を向く。


「仮にも私は、この国に忠誠を誓った騎士の一人だ。天命を受けし聖者を見つけるまで、倒れるわけにはいかないっ」


 少女がそう言って男たちを睨みつける。大人になりきっていない、幼ささえ残っている碧色の瞳は確かな意志に満ちている。しかし、それも目の前の男には何の効果もなかっただろう。もしかしたら余計な加虐嗜好をくすぐったかもしれない。


「また随分と古臭い世迷言を……邪教に侵された考えは見過ごすわけにはまいりませんね」


グラバカスが手をあげる。それに、後ろにいた騎馬の一人が矢を取り出して弓を引いた。


「が、今回は見逃すとしましょう」


 柔らかい口調。口元には下卑た笑みが浮かんでいる。


「なんせ、今際の言葉ですからね。自分への手向けとでもお考えください」


 手が倒される。

 男が矢を放つと同時に私は樹上から降り立った。


「――っ!」


 手に持った一振りの弓で矢を弾き、少女をかばうように立ちふさがる。

 それに男たちは驚きと戸惑いの声をあげたが、グラバカスだけはぴくりと口元を動かしただけだった。不快そうに眉をひそめる。


「あな、たは……」


 少女が息も絶え絶えに私に問う。私はゆっくりと彼女の方を振り返った。


「勝手ですが、助太刀をさせていただきます」


 その言葉に少女は何も答えなかった。いや、答えられなかったと言った方が正しいだろう。本来なら立つはおろか、意識を保っていることすら出来ないほどの痛みが襲っているに違いない。


「ネズミが一匹、隠れていたか……」


 私が再度男たちを見やったのを合図とするかのように黙っていたグラバカスが言った。


「で、なんだ、貴様は?」

「別に何者でも関係ないと思いませんか?」

「……なるほど、確かにそうかもしれんな」


 グラバカスがくっくと笑う。


「見た目は小娘だが、先ほどの動き……なるほど、それなりに力のある妖怪の類とみえる。すでに忌族と手を結んでいたとは驚きですな。見かけによらず手が早かったのですね」


 私の後ろの少女を見る。そして再び視線をこちらに。その目は随分と自信に溢れているように思えた。


「忌族風情が今更一匹出てきたところでこの状況を変えられるとでも思ったか? たかが人間が五人、自分なら勝てる、と? そう思っているなら、所詮忌族はその程度の頭しかないということになる」


 嘲るように言って部下に再び手で合図を送ると、今度は別の男が何かを口ずさみながら弓を引いた。


「これが何だかわかるか? こんな所にノコノコ出て来るんだ。知らないだろうな」

「………………」

「ツェミダーの神より与えられし加護をまとう神術。薄学な妖怪でも、名前くらいは聞いたことがあるだろう?」


 矢を中心として小さく風が巻き、微かなきらめきが矢じりを中心に集まっていく。コウコウと唸るようなそれは空気の小さな声のようにも聞こえた。


「ここから放たれるのは、無駄に頑丈な貴様らの肉体にすら一撃で大きな風穴を開ける代物だ。貴様のようなちっぽけな体なら悠々貫通するだろう」

「随分と自信をお持ちなのですね」


 その言葉に彼が笑い声をあげる。


「この期に及んでまだそんなことを言うとは、相当なバカだと見える。それとも単なる強がりか? まぁ、どちらでも良い。一撃で二人もろとも葬ってやろう。せっかくだ、生贄の一つでもあった方が良いだろうしな。忌族ごときが人間さまの贄になれるのだ。光栄に思え」


 言葉を終えると同時にグラバカスは手首で合図を送る。と同時に、限界まで引き絞られた弓から矢が放たれた。空気を激しくつんざき、真っ直ぐに矢が私たちを撃ち抜こうとする。

 確かにその光りを帯びた切っ先は並の者ではまともに触れることすら叶わなかっただろう。強化されたそれは、軽く触れるだけで肉を裂き、骨さえも断ち切ってしまう。

 だが……


「――っ!?」


 今にも私を貫こうとしたその刃先を私は二本の指で易々と挟み取った。

 矢自体はどこにでもあるような変わり映えのしないものだ。先に毒が塗ってあるわけでもなければ、特殊な細工がしてあるわけでもない。ひらひらと矢を検めてから、ぐっと力を込めて矢じりを粉々に割って傍らに捨てた。


「……これが、ツェミダーの神が与えたという術、ですか?」


 問うと、グラバカスは初めて余裕のない表情をその顔に浮かべた。ひくひくと頬の肉が引きつり、目に戸惑いの色が見られた。


「貴様……何者だ?」

「何者でも関係ない。先ほどそう申し上げたじゃないですか」


 くすくすと笑い、そんな彼らに優しい口調で語りかけた。


「しかし、こうして出会ったのも何かの縁です。貴方たちに、本当の神術というものを教えてさしあげましょう」


 手に持ったシンプルな黒の長弓に力を込める。と、先ほどの男の弓に起こったものとは比べ物にならないくらいの風が巻き起こった。


「き、貴様、術師だったのかっ!?」


 気圧されたようにグラバカスが叫ぶ。そして後ろの部下に声を飛ばした。


「ぼ、防御の術を組めっ! 全ての神術を防御にまわすんだ! 急げっ!」


 四人の部下の内、術者は二人だったらしい。慌てて馬上から降り、二人が口述をもって術を組む。グラバカスも早い手つきで術式を編んでいく。

 途中で攻撃をするのは無粋だろう。見やっていると、彼らは幾重にも術を編み込んで透明な防護壁を張った。なるほど、術者としてはそれなりに優秀ということらしい。

 十秒ほどで全方位に神術の強固な壁が張られる。ただの攻撃はもちろんのこと、幾重にも重ねたおかげで神術を用いた攻撃にもそれなりに対応出来るに違いない。

 けれどそれは、あくまでも一般的なものであれば、の話だ。


「貴方たちの言うところの神術は、この世界……この宇宙に星の数ほど存在する神々の御業の一端を、ほんの少しだけ借りているだけに過ぎない。貴方たちはまるで神の力そのものを手に入れたつもりでいるのかもしれませんが、それは大きな勘違いです。神はほんの先っぽ……毛ほどの部分しか貴方たちに力を貸してはいないのです」

「………………?」


 グラバカスが怪訝な表情を浮かべる。言葉の意図をつかみ損ねていると言うよりは、今の瞬間に何を言うのだろうかという恐怖の方が強いかもしれない。


「つまり、私からすれば……」


 ぎりりと弓を絞る。

 周囲の空気が凍てついたように動きを止めた。張り詰めた弓に光が集まり、オンオンと耳の奥を震わせるような低い音が響く。先ほどのものが空気の小さな声ならこれは空気の雄たけびだ。その威圧感は防御の壁を張っていても十分に感じ取れただろう。びりびりとした圧迫感が目の前の五人に襲いかかり、それだけで彼らに膝をつかせようとしてしまっているのがわかる。

 少し強く術を練り過ぎたかもしれない。

 そう思ったが、まぁ、この際だ。

 天に向かって弦を解き放つ。

 一瞬の沈黙。

 実際に放たれた矢はないが、それでも『何か』が空へと飛んだのを男たちも感じとっただろう。目には見えずとも、そのくらいの圧迫感があったはずだ。

 私は弓を下げ、彼らに小さく微笑んでやった。


「私からすれば、それはただの児戯としか言いようがないのです」


 瞬間――


「――――っ!」


 光の矢とも言うべきものが何十もの数となって流星のように降り注いだ。

 その矢の前には防御の壁などあってないようなものだった。まるで水に浸した薄い紙を破くかのように光の矢は術の壁を簡単に突き破り、その場にいた男たちを容赦なく貫いた。

 時間にすれば五秒にも満たない時間。

 だが、それでも彼らの息の根を止めるには十分過ぎる時間だった。悲鳴を上げる間もなく転がった五つの死体には無数の穴が空き、おびただしい量の血液が地面に広がっていた。このまま森の植物や動物たちの肥料になってくれるに違いない。

 小さく息を一つ。ゆっくりと振り向いて少女の方を見やる。目の前で起こったことに驚いた様子ではあったけれど、それを表現するほどの余裕はなさそうだった。額には汗が浮かび、浅い呼吸を繰り返している。


「貴女は、一体……?」

「少なくとも貴女さまの敵になるつもりはございません。少しの間ですが、御身の安全を保証させてはもらえませんか?」


 私の言葉をそこまで聞くと、彼女は辛うじて保っていたらしい意識を手放してその場に倒れ込んだ。

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