王国の兵士

 夜々たちを見送ってからちょうど一時間ほど経ってから湖を訪れていた人間たちはこの屋敷を発見したらしかった。少しの間周囲を探るような気配がして、玄関の鈴が鳴らされた。

 ゆっくりと椅子から立ち上がる。ここを訪ねて来たのは四人組で、それとは別に動いている五人の人間は相変わらず息を殺して四人組を見張っているようだった。この分だとここを訪ねてきた者たちはこの隠れている五人の存在を知らないだろう。

 まぁ、それより今は直にここに来た連中をどうにかしないといけない。無視をしたらしたで何かと面倒くさいことになりそうだ。

 部屋を出て、正面の階段を下りて玄関へと向かう。

 おそらく王国の兵か何かだとは思う。やはり一番に考えられるのはこの間の災厄についてだ。それ以外の理由で兵がここを訪れる理由はそうそう見当たらない。よもやこんな寒村の外れに新しい軍事拠点を造ろうなどと目論んでいるわけでもないだろう。

 果たして玄関先で適当にあしらった程度で帰ってくれるだろうか?

 厄介ごとになるのは少し勘弁して欲しい。深く追求されたところで彼らが私について何がしかの情報を得ることは出来ないだろうが、それでもなるべく社会との関わりは持ちたくない。

 そう思って扉を開けた瞬間――


「!」


 雷に撃たれたような衝撃が私の体を抜けた。


「突然の来訪、申し訳ない」


 私と同じか、僅かに上に思える外見の少女は十六ほどか。銀に煌めく髪をサイドで一つに結び、しっかりと伸びた背は凛とした空気をまとわせている。白を基調とした衣装は気品があり、その上からつけた銀の籠手と、膝までを覆うグリーブは彼女が確かな地位にある人間であることを何よりも証明していた。おそらく相当な地位にあるに違いない。

 しかし、そんな高い地位の人間が直々に訪れたことに驚いたわけではない。

 初めて見る彼女の姿は、あまりにも似ていたのだ。


「エイルクォート王国の者だが、少し話を聞かせてもらえないだろうか?」


 その声に私の脳の奥深くに眠っていたはずの記憶が呼び起こされる。

 外見だけじゃない。

 年若く高い声だが、耳に障るわけではない。格調高い楽器の音色を思わせるその声も『あの人』を思わせる。

 今一度私はじっくりと彼女の姿を上から下まで探るように見た。それから視線を後ろに向ける。

 後ろに控えているのは一人の男の兵と二人の女の兵。兵の種類をあれこれと知っているわけじゃなかったが、その身なりは昨日今日兵士になったような雑兵とは呼べないように思えた。


「……どうぞ、中へお入りください」


 私はついと視線を動かすと彼女たちを屋敷の中へと招き入れた。玄関先であしらおうという考えはすっかりなくなっていた。



 応接の部屋に彼女たちを通して椅子を勧めたが、座ったのは少女だけで、兵たちは彼女の後ろに控えるように立つだけだった。聞くと、少女は王国直属の騎士で、兵はお付きの一般兵とのこと。もちろんそれはいわゆる建前で事実はもっと複雑なものだろうが、私は特別何も言わないまま口を開いた。


「近くの村が災厄の被害を受けたのは存じ上げております。ここから少し行ったところにある……今では、あった、と言った方が良いでしょうか? ノンバム村のことですね」


 彼女は真剣な面持ちでうなずいた。言葉を続ける。


「災厄が降ったのがいつなのか正確なことは存じ上げませんが、細かな地揺れは二ヶ月ほど前から続いていて、村の人も不気味だと噂をしていたように思います。私が実際に村の様子を見に行ったのは……一週間ほど前になるでしょうか? ここはあまり村人が訪れる場所ではありませんが、それでも数日に一度は山に何用かで来た人を見かけたものです。それが、この二週間ほどパタリと村人の姿を見なくなり、流石に様子がおかしいと思って私も村を訪ねたのです」

「二週間? その間、貴女は一度も村を訪ねなかったのか? 村人と交流はなかったのだろうか? 確かに少し距離はあるが……隔絶するほどのものではないだろう?」


 少女の疑問はもっともだろう。少し困った表情を浮かべて言葉を返す。


「村と私は、交流らしい交流はございませんでした。行商人は時折ここに商いに来ていましたが、行商人は余所者ですから。村人は私のことを世捨て人の類だと言っていたようです。あまり良い感情も持っていなかったでしょう」

「……先ほどから気になっていたのだが、この館には他に誰が住んでいるのだろうか? 主らしき人もいないようだが……留守にしているのか?」


 言ったのは、後ろに控えていた、口ひげをたくわえた男だった。彼らの中では最も年長だろう。戦場をいくつもくぐってきた歴戦の兵のように見える。探るような目。不審が明らかに見てとれる。……でっち上げても良い。一瞬どうするか悩む。けれど、「それなら主が戻ってくるまで待たせてもらう」などと言われたら大変だ。


「恥ずかしながら、私がこの館の主人でございます。他に一人女中が住んでおりますが、今は使いに出しているところです」

「貴女がこの館の主なのか?」

「はい。元々はまだエイルクォート王国が出来て間もない頃に没落した貴族の別荘だったそうです。それが様々な事情で様々な人の手を渡り、今は私が住まわせてもらっているのです」

「失礼だが、どこか名のある家の子女だろうか?」


 男が先ほどより疑いの色を濃くした言葉を吐いてきた。

 まぁ、こんな場所のこんな屋敷に私ほどの外見の少女が主として住んでいるというのはあまりにも奇怪な話だ。深く追求したくなるのも当然と言えた。


「何か身分を証明出来るものがあれば――」

「やめなさい、ジッヒ」


 少女が咎めるように質問した男を見やる。


「しかし……」


 男の目が『この者は人ならざる者ではないか?』と言っているのがわかる。だが、少女はそれをあえて口にしなかった。

 この話はこれで終わり。そう言うように小さく咳払いをする。年老いた老人が似合うだろうそんな仕草を彼女は年端もいかないのに我が物としていた。


「失礼。話が逸れてしまったな、話を戻そう。……それでは、あなたが村を訪れた時には、すでに村は異形の災厄に襲われた後だったわけだな」

「はい。その時には全てが終わった後でした。肉は獣や鳥に食われ、残った肉片はすっかり腐敗し、臓腑の底から吐き気を催すような臭いを放っておりました。広がった血の痕はあまりに広く、まるで血の海の跡を見ているかのようでした。こう言ってはなんですが、今もお腹の奥に不快な塊が落ちているようです」

「それほどとなると、生存者は望むべくもない状況だっただろうな……」


 独り言のような彼女の言葉に、私は「ええ」と首を縦に振った。


「生存者がいれば、異形の災厄について少しでも情報が欲しいところだったんだが……」


 顔をうつむかせて表情を曇らせる。今までは単なる噂話でしかなかった異形の災厄。しかし、最近では『単なる噂』でかたづけるわけにはいかないほどの被害が出てきているのだろう。国としてなんとか対策を立てなければいけないと動き始めているようだ。


「ここに災厄は? 降らなかったのでしょうか?」


 後ろに控えていた女兵士の一人が言った。


「幸い、ここには災厄は降りませんでしたし、地揺れの影響もほとんどありませんでした。書物や棚の上の物がいくつか落ちただけです。命拾いをしました」

「そうか……」


 兵士たちが顔を合わせて互いに視線をやり取りする。

 私が怪しい存在なのは火を見るより明らかだろうけれど、今ここで追及するのはおそらく彼らの仕事ではないに違いない。

 腑に落ちていない表情で女兵士が少女に耳打ちをする。それに彼女は小さく頷いた。そして、ゆっくりと椅子から立ち上がる。


「突然訪ねて来てすまなかった。そろそろお暇しよう」

「いえ、こちらこそろくな情報を提供出来ず、申し訳ありません」


 立ち上がった少女を含めた一団を玄関先まで見送る。

 兵たちは私に対して警戒の目を向けるのを止めなかったが、それ以上のことは何もする様子はなかった。まぁ、今ここで私をどうつついても今回の災厄について有益な情報を得られるわけじゃないとわかっているのだろう。本気で調べるつもりがあっても、後日もっと大人数で来るに違いない。もっとも、もし彼女たちが教会の手のものであったとしたら、妖怪とも思えるだろう私を放っておかなかっただろうけれど。


「それではこれにて失礼する。災厄があった後。何があるとも言えないから十分に気をつけて欲しい」

「心遣い、痛み入ります」


 再度少女の姿をじっくりと見る。

 どうしようか?

 少し悩んだが、結局私は口を開くことにした。


「差し出がましいことですが、一つ忠告をしてもよろしいでしょうか?」

「忠告?」


 不思議そうな目が私を見る。


「貴女さまは随分と難しい立場にいらっしゃるのではないかとお見受けします。であるなら、早くこの場を離れた方がよろしいでしょう。ここは滅多なことでは人目につきません。ならず者が悪事を働くにはもってこいの場所となっています」

「………………」


 こちらを見る目が少しだけ鋭いものに変わる。そこに視線を絡ませると、彼女は先ほどとは少し違った凛々しさの雰囲気をまとわせた。


「……忠告、感謝する」

「いえ。貴女さまの行く末に、幸多からんことを」


 森を通るあぜ道の向こうに彼女たちが消えるのを見送り、屋敷の中に戻ってから近くに放っている使い魔の一つを呼んで状況をうかがった。

 湖の方へと戻っていく四人の気配とは別だった五人の人間たち。こちらを少しだけうかがっている様子だったが、すぐに四人の後を追うように移動を始めたようだ。

 やはり彼女たちは何らかの尾行を受けているのだろう。夜々がまだ帰ってこない所を見ると、後方に大きな動きがあるというわけではなさそうだ。となると、狙われているのはあの少女たちに違いない。


「……でも、だからなんだと言うのかしら?」


 知らずの内に軽く握っていた手のひらに気がついて私はそんなことを独りごちた。

 別に彼女たちが何者に襲われ、それがどのような結果に終ろうとも私の知ったことではない。

私は人間たちのやり取りに関して……いや、この世界で起こる全ての事柄に対して中立者である。もっと言うのであれば先ほどの助言をしたことですら十分過ぎる肩入れと言って良いだろう。

 外を見やる。

 ざぁ、と吹いた風に木々が揺れ、部屋の中にいる私にまで春の匂いが薫ってくるようだった。それに、『あの人』の姿が一瞬だけ思い起こされる。


「………………」


 別れて、もうどのくらいになるだろう?

 少なくとも一つひとつ数えるのが馬鹿らしくなるほどの年月が経ったと言うのに、それでも心の中の『彼女』の姿はこれっぽっちも色褪せることがない。

 そこに先ほどの少女の姿が重なって見える。今まで幾千もの人間を見てきたが、これほどまでに鮮やかに『彼女』を思い起こさせるような人間は誰一人としていなかった。そして、私だってもう二度とそのような人間に会うこともないと思っていた。

 けれどあの少女は……あの少女の魂とも呼べるような何かは、はっきりと私に『彼女』の匂いを感じさせた。それはむせかえってしまいそうになるほど色濃く、愛しく、かけがえのない匂いだった。


「………………」


 大きく息を吐いて自室に戻る。

 悩んだのはほんの数瞬だけ。私は立てかけてあった一張の弓を取ると、森へと向かう準備を始めた。

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