最終羽 いま、舞い上がる

 翌日の放課後、僕は不良たちと対峙していた。不良たちはいつものように嫌らしく笑っていたが、僕は覚悟を決めてここに来た。ちゃんと決着をつけるために。


 鞄から用意してきた紙飛行機を取り出す。海子さん、アイデア使わせてもらいます。そして、それを不良たちの方に素早く飛ばす。一人が気づき、紙飛行機を拾ってみせた。


「なんだよ、これ」

「中になんか書いてあるみたいだぜ」


 不良たちは紙飛行機を解体し出した。中には誓約書が書いてある。今後一切暴力や人のものを隠したりしないことを誓います、と書かれたものだ。


「誓約書ぉ?」


 不良の一人が睨んできた。恐怖を感じながらも自分を奮い立たせて全身に力を入れる。


「それ……書いてください」


 精一杯に声を張り上げながらも、みっともなく震えて上擦っている。だが、不良たちは何も言わずにこちらにずんずんと近づいてくる。見下ろす距離まで来たとき、一人がドスのきいた声で言った。


「こんなもの書くわけねぇだろ」


 紙飛行機は無残にも紙吹雪に変わってしまった。ちらちらと舞う欠片たちを見つめながらもう心が折れかけていた。


 その時、海子さんの顔が浮かんだ。部長や他の部員たちの顔も、次々と浮かんでくる。僕に楽しみをくれて、居場所をくれた人たちとまた笑い合いたい。あの感動をもう一度。諦める訳にはいかない。


 変わらないことの方がずっと楽だと思ってた。けど、変わらなくちゃ! 


「や、やめてください……もうこんなこと」


 絞り出した声はあまりにも決まりが悪かった。ビビりまくって声が震え、だんだんと小さくなっていく。


「いやだ」


 感情というものがまったくない返答を浴びせた後、頬にパンチが飛んでくる。全てが崩れた。体も、気持ちも。やっぱりダメだ。されるがままに胸倉を掴まれ、引き寄せられる。また、殴られる。そう思った瞬間に、不良の顔が凍りついた。


「な、何だ、あれ」


 他の二人も同じ方を見て、口をあんぐりと開けている。つられて僕もそちらを見る。


 思わず目を見開いた。黒い球体が空に浮かんでいる。とてつもなく大きい。よく見ると、黒い何かが集まって球体を作り上げているようだった。ひとつではなく、数え切れないほどある。翼を広げて滑空してくるそれは……カラスだ。カラスの大群がそこにいる。僕らを覆い隠すかのように大きくなっていく。いや、こちらに近づいて来ているんだ。全てがスローモーションのようにゆっくりと進んでいく。カラスの大群は迫ってくる。おぞましいほど黒く、ゆっくりと。不良たちは悲鳴を上げて走っていく。突き飛ばされて、尻餅をついた。地面に巨大な影が落ちた。もう間に合わない。その場で頭を抱え、固く目をつぶる。想像できる。この後の凄まじい痛みを。


 その瞬間、ツンツンツンツンツン。雨粒が触れるように優しい……この違和感。感じたことある。目を開けると、大量の黒い紙飛行機が周りに落ちていた。海子さんの紙飛行機と同じ、鳥の形だ。ひとつひとつ翼の部分に白い文字で何か書いてある。


 負けんなよ。

 頑張れ。

 君がいないと誰が飛んでったヤツ拾ってくれるの?


 個々にメッセージが書かれている。


 私の紙飛行機がつつく相手がいなくてつまんなさそう、戻ってきなよ。


 頼っていいんだよ、君は部員の一人なんだから。いつでもおいで。


 全部書いてある。四十羽。


「小野君!」


 空から声が降ってきた。見上げると、屋上に見慣れた顔ぶれがある。紙ヒコーキ部のみんなだ。四十人全員。僕に向かって手を振っている。ひとりじゃないんだ。そう思った時、涙が出た。いつもの悔しいのじゃなくて、嬉しい涙。溢れて止まらない。黒い紙飛行機は白く変わっていく。


「こっちに返してくれる?」


 海子さんが言った。何という無茶ブリ。地面から屋上までの距離をわかっているのだろうか。でも、応えたくなった。鼻をグスらせながら、海子さんの紙飛行機を拾い、上にむかって力一杯投げた。手から離れていくこの感触。青空へと飛んでいくこの感じ。これを待ってたんだ。紙飛行機は黒い機体を力強く反らせて、校舎に沿ってぐんぐんと加速していく。一、二階の窓の横を駆け抜けていく。もう少し、あと少しで彼女のもとに辿り着く。そう思った瞬間、紙飛行機は大きく宙返りしてゆるゆると落ちてきた。


 まあ、そうなりますよね。

 でも、それでいいんだ。

 ゆっくりでも近づいて行こう。


 ***


 今日も紙ヒコーキ部は中庭で紙飛行機を飛ばしている。


 あの後、僕は部長にあの時のお礼と謝罪を何回もした。部長は困り顔で笑いながら「君のおかげでこの子は助かったから、こちらこそありがとう」と紙飛行機を掲げて言って、受け入れてくれた。


 不良たちとの決着は、結局紙ヒコーキ部のみんなが対話を取りなしてくれたことで彼らはもう僕に暴力や嫌がらせをしなくなった。


 その件で一番の功労者は海子さんだ。不良たちも海子さんの美貌には敵わなかったらしく、一目見て彼女に惚れてしまったらしい。その海子さんが一言、「私そういうことする人、最低だと思う」と言ってくれたおかげで彼らは大人しくなった。


 そして、僕は紙ヒコーキ部に戻ってきた。先輩たちの紙飛行機をキャッチ&リリースする役目も担いながら、僕はスキマ時間や自宅などで自分の紙飛行機をつくっていたのだ。そして昨夜、ついに自分の紙飛行機が完成した。ちゃんと飛ばせるかところ構わず飛ばしたくなる衝動を抑えながら授業をこなし、待ちに待ったこの時間で、やっと初飛行ができる。


 折り目や角度を念入りに整え、紙飛行機を飛ばそうとした瞬間、後頭部にコツンと何かが当たった。ピンク色の紙飛行機が足元に落ちていた。


「ごめん」


 これ何回目だろうかと思いつつ、飛んできた方向を振り返る。案の定、海子さんが相変わらずの無表情で近づいてきた。


「いえ、どうぞ」


 紙飛行機を拾って海子さんに手渡す。すると、海子さんは僕の持っているもうひとつの紙飛行機を凝視して言った。


「小野君の?」

「はい。初めてです」


 まだ真っ白な機体を愛おしく撫でて、海子さんに視線を向けると、彼女は笑っていた。その笑顔は、周りの景色が煌めくほどに綺麗だった。一瞬で鼓動が跳ね上がり、頬が熱くなる。


「よかったね」


 笑顔のまま、少し首を傾げてつぶやかれたその一言は、僕の中に深く染み込む。ぼんやりと見惚れていると、彼女は急に真顔に戻り、


「早く飛ばしなよ」


 とつめたく言い放った。言われるがまま萎縮して紙飛行機を構えるが、気持ちはまだ幸福に満たされている。


 僕らを照らす太陽に狙いを定め、軽やかに紙飛行機を飛ばす。

 水彩画のように優しい色をした青空に、白い機体が目映く舞い上がっていく。


 空は青く綺麗だった。今の気持ちのようにおだやかに澄んでいる。白い鳥が一羽旋回しながら飛び回り、ほかの鳥もやってきて楽しそうに白い鳥を囲んで飛び回り始めた。

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紙ヒコーキ部 森山 満穂 @htm753

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