第4話 夢心地

「静ちゃん、美咲ちゃん、おはよ~っ!」


清々しい日差しが差し込む中、私は軽い足取りで、ロビーにいた二人に元気よく朝の挨拶をする。


「おはよ。何?朝からやけに機嫌いいじゃない」


いつも通学時間ギリギリまで寝ている為、朝は大体寝惚け気味なのだけど、今日の私はいつになく頭が冴えていた。

そんな様子に、静ちゃんは驚きの眼差しを向ける。


「おはよう、紫織ちゃん。何かいいことでもあったの?」


そして、終始笑顔が絶えない私を見て、美咲ちゃんも優しい笑みを浮かべながら、やんわりと尋ねてきた。


「うん、ちょっとね。でも、全然大したことないから」


沸き起こる興奮を無理やり抑えつけ、私は喉まで出掛かりそうになった言葉を、何とか飲み込んだ。


全然大したことないとは言っているけど、朝から顔がにやけてしょうがない。それを何とか悟られまいと、私は平静を装う。

本当は今すぐにでも、声を大にして言いたい。何も知らない静ちゃんと美咲ちゃんに、昨日の出来事を洗いざらい話したいけど。


……でも、約束だから。


私と神谷君だけの秘密だから、喋るわけにはいかない。


……そう。私と神谷君だけの……。


「なんだ、こいつ。朝から随分気持ち悪い顔してんな」


フワフワと浮ついた気持ちで遠くの方を眺めている中、突然視界一杯に怪訝そうな顔をした蓮君が映ってきた。


「れ、蓮君!?」


急に現れたことによって、一気に現実へと引き戻された私は、肩が思いっきり飛び跳ねる。


「はよ、蓮。そうなんだよね。さっきっから紫織の様子が変なのよ。……まあ、マジで大したことないと思うから別にどうでもいいんだけど」


「ちょっ、ちょっと静ちゃん!?それ、少し酷くないですか!?それに、蓮君も気持ち悪いって……」


隣で静ちゃんの冷たい態度に軽いショックを受けつつ、蓮君の容赦ない言葉にダメージを受ける私。


本当に、何故にこうも、この二人は私に対して厳しいのだろうか。

私は項垂れながら小さく唸っていると、脇から美咲ちゃんの手が伸びてきて、私の頭にそっと乗せた。


「ほら、二人ともほどほどにしてあげて。紫織ちゃんがまたいじけちゃったでしょ」


そう言うと、私を哀れむような目で見ながら、まるで泣いてる子供をあやすように数回優しく頭を撫でてくれる。


流石、女神美咲ちゃん!


救いの手を差し伸ばされた私は、それに縋り付くように美咲ちゃんに抱き付いた。


「また美咲はそうやって甘やかすんだから。だから、この子はいつまで経っても、のほほんとしてる……」


再び静ちゃんのお説教が始まるかと思いきや、不意にピタリと動きが止まり、ある一点を見つめている。


「……静ちゃん?」


私は不思議に思い、視線の先へと振り返ると同時に、体が固まった。


何故なら、そこには、目を疑ってしまいそうになるくらい思い掛けない人物が立っていたから……。



「おはよう紫織ちゃん。相変わらず朝から賑やかだね」


周囲から驚愕の視線を浴びているのにも関わらず、その人物は気にする素振りは全く見せずに、私にとても爽やかな挨拶をしてきた。


……。


…………神様、これは夢でしょうか。



今起きている現象が信じられなくて、私は思わず自分の頬をつねりそうになる。

まさか、あの神谷君が自ら私に声を掛けてくれるなんて!?


その場で飛び上がりそうになる衝動を抑えて、私は慌てて気持ちを落ち着かせる。


「お、おはよう神谷君!ご、ごめんね。いつもうるさくて」


とりあえず、このまま固まり続ける訳にもいかない為、私はたどたどしくなりながら何とか言葉を探して挨拶を返す。

そして、神谷君は特にそこから会話を発展させることはせず、にっこり微笑むと、そのままスタスタと通り過ぎてしまった。


鳴り止まない鼓動を抑えながら、暫く茫然と立ち尽くしている私。

未だ夢見心地な気分に、神谷君が去った後もずっと一点を見つめていた。


その時、突然誰かに頭を小突かれ、私はハタと我に返った。


「おい、また意識が飛んでるぞ」


どうやら、小突いてきたのは蓮君だったようで、とても呆れた眼差しをこちらに向けている。


「……ちょ、ちょっと、紫織!?あんた、今あの神谷に声掛けられてたけど……一体どういうことなの!?」


その隣に立っていた静ちゃんは、落ち着いた様子の蓮君とは裏腹に、かなり焦った面持ちで私の肩を思いっきり掴んできた。


私も静ちゃんと似たような心境だけど、ここは何とか上手く収めなければと思い、どうこの場を取り繕うか思考を巡らせる。


「え、えと……神谷君とは昨日偶然にも図書館で一緒になって、それでちょろっと話したんだ」


とりあえず、事実と若干の嘘を交えながら説明する私。大筋は間違ってないだろうから、こんなものでいいだろうと、一先ず息をつく。


「……そっか。だから、朝からそんなにご機嫌だったんだね」


すると、隣で静かに聞いていた美咲ちゃんは、ピンと来た様子で見事言い当ててきた。

それを否定出来る筈もなく、私は思わず顔を引きつらせる。



「何よ、あんたにとっては凄く大した話じゃない。何で話そうとしなかったのよ?」


そして、更なる静ちゃんの追い討ちにより、私は益々表情が崩れていく。


だって、神谷君本人があの時の事は黙って欲しいって言っていたから、全て隠していたのに……。まさか、こうもあっさり私に関わってきてくれるとは。


なんて、理由を言える事も出来なくて、私はどう言い訳しようか頭を悩ませていた時だった。


「図書館でって……お前、あの後戻ったのか?」


思い悩んでいると、蓮君のふとした問い掛けによって話が上手いこと逸れる。


「……っあ、うん。実は携帯置き忘れてて取りに戻ったんだ。ちゃんとあったから良かったよ~」


窮地から解放され、私は胸を撫で下ろしながら昨日の出来事を満面の笑みで話した。


「アホか。だから、お前は抜けてんだよ」


そんな私に、蓮君は顔をしかめながら、吐き捨てるように暴言を吐いてくる。


「……もしかして、蓮と紫織ちゃん、あれから図書館にずっと居たの?」


すると、私達のやり取りを聞いて、美咲ちゃんがぽつりと吐いた台詞に私はぎくりと体が強張った。


「ああ。なんか見捨てるのもなんだから、俺のバイト時間までこいつの課題手伝ってたんだよ」


蓮君はやれやれといった面持ちで、溜息交じりに私を親指で差してきた。


「なにそれ?あんた結局人に迷惑かけてたの?……ほんっとに、どうしようもない子なんだから」


聞き捨てならないといった様子の静ちゃんは、蓮君と同じように大きく溜息を吐いて、じろりと私を睨みつける。

相変わらずの二人の厳しい視線を受けながらも、私はそんな事より、真横に立つ美咲ちゃんの様子の方がとても気になった。


明らかに表情が陰かかっている美咲ちゃん。蓮君が私の課題を手伝ってくれていたことに、絶対ショックを受けているに違いない。


私達がそんな関係ではないのは、この場にいる全員が分かっている事だけど……。

それでも、好きな人が例え友達だとしても他の女の子とずっと一緒に居たなんて面白くないよね。


私は美咲ちゃんの気持ちが痛い程伝わってきて、今すぐにでも弁解したいところだけど、本人の前じゃ出来るわけもなく、もどかしさに肩を落とした。


「おっす、蓮。……なんだ、今日も里中さんと一緒かよ。相変わらず羨ましい奴だな」


すると、突然背後から知らない声が聞こえると、蓮君の肩に手を掛けて現れた一人の男子学生。名前は知らないけど、よく蓮君とつるんでいる人で、この人も蓮君のように髪を明るく染めていて、チャラチャラとした雰囲気に私は苦手意識を持っていた。


「まあな。でも、紹介はしてやんねーぞ」


美咲ちゃんにつめ寄ろうとする男子学生に向かって、はっきりとそう言ってのけた蓮君の言葉に、美咲ちゃんの顔が一気に赤く染まっていく。


「っんだよ。本当につれねえな。……まあいいや、行こうぜ」


男子学生も舌打ちはするものの、特に深入りすることもなく、あっさりと身を引いて蓮君を連れ出して行く。

私達はそのまま蓮君に別れを告げると、講義が始まるまでの間、談笑しようとその場に留まった。


蓮君が去った後、ちらりと美咲ちゃんの顔を除くと、先程の表情とは打って変わり、明るい顔付きで目をキラキラとさせている。


「……美咲ちゃん、よかったね」


図書館での事をフォローするよりも先に、今の美咲ちゃんの心境に応えたかった私は、ぽそりと耳元でそう囁いた。


「……うん」


私の呟きに、美咲ちゃんは頬を染めながら、嬉しそうに頷く。

そんな私達のやり取りに、静ちゃんも勘付いたようで、私と同じように微笑ましい目で美咲ちゃんを見た。


「それにしても、あいつも見た目と違って律儀な奴よね。ちゃんと美咲のこと考えて下手な男を言い寄らせないようにしているしさ」


そして、感心したように静ちゃんは顎に手をあてて一人頷く。

私も、静ちゃんの感嘆の言葉に激しく同意した。


経済学部のマドンナ的存在である美咲ちゃんは、ことあるごとに男子から告白を受けている程のモテっぷりだ。


……まあ、この容姿と性格だから、それは必然的だと思うのだけど、美咲ちゃん自身はその事についてはあまり良く思っていなかった。


美咲ちゃんも割と男の人と話すのが苦手な方で、時たま言い寄ってくる男子学生の事をかなり煙たがっていた。それを知っている蓮君は、ああやって自分の目の届く範囲で美咲ちゃんにつめ寄る輩は、友達だろうがなんだろうが容赦無く断ち切る。蓮君のそんな所が逞しく思えて、私でもたまにドキッとさせられる事があったりするくらいだ。


だから、美咲ちゃんが蓮君の事を好きになる気持ちは、少し分かる気がする……。


「蓮は優しいから……。だから、紫織ちゃんの事だって見捨てないでいてくれてたものね」


思いに耽っている中、急に図書館での話を美咲ちゃんに持ちかけられ、私は思いっきり肩を震わせた。


「あ、あの……、なんか、ごめんね美咲ちゃん」


成り行きでそうなってしまったけど、謝らずにはいられなくなり、私はおどおどしながら頭を下げる。


「や、やだ、謝らないでよ!……まあ、確かに羨ましいとは思ったけど……あれが蓮の性格だから」


美咲ちゃんは勢い良く首を横に振ると、優しい笑みを浮かべた。その笑顔に、私は少しだけ安堵する。


「……本当に、早く付き合えればいいのにね。あいつ鈍感だから、美咲の気持ちなんて全然気付いてないし」


すると、静ちゃんがため息混じりに呟いた台詞に、美咲ちゃんの顔が再び赤く染まる。


「……そ、それよりも!紫織ちゃんも良かったね。ついに念願の神谷君と話せるようになれて」


まるで照れを隠すように、美咲ちゃんは無理矢理話題の矛先をこちらに向けてきて、私は若干戸惑った。


「あっ、う、うんっ!……なんか、今でも信じられないかな」


そもそも私が神谷君の会話を盗み聞きしてしまったのがきっかけで接近出来たという、あまり綺麗な出会い方ではなかったけど、結果的にはいい方向へと向かっている。私は再びじわりじわりと湧き上がってくる嬉しさに、気持ちが段々と高ぶってきた。


「おめでとう紫織。あんたのその熱心な想いに、神様が応えてくれたみたいね」


すると、静ちゃんらしからぬ祝福の言葉に、私は心を打たれた。


そして、いつもの厳しい目でもなく、呆れた目でもなく、とても温かい眼差しを向けて頭を撫でてくれる。

この時たま見せる静ちゃんの優しさに、私は凄く弱いのだ。


「静ちゃん~~っ!」


だから、私は涙目になりながら静ちゃんの腕に思いっきりしがみつく。


「こらっ!そんなに腕を掴まない!」


案の定。


静ちゃんから強いバッシングを受けたけど、ほんのり頬が赤くなっているとこを見ると、きっと照れているのだろう。

そんな私達の様子を、美咲ちゃんはクスクスと小さく笑いながら、とても微笑ましく眺めていたのだった。








それから、今日の講義も神谷君と一緒で、いつものように私は気付かれないよう熱い視線を送る。

やっぱり、遠くから見ているだけでも、私の心は満たされていく。


眼鏡王子と謳われている神谷凌君。そんな神谷君と会話が出来るようになれたなんて、本当に夢のようだ。

私は相変わらずフワフワした気持ちになりながら、数列前の神谷君の斜め後ろ姿にうっとりしていた時だった。


ふと、こちらの方へ振り向いてきた神谷君と視線が合う。

予想外のことに、私は心臓が飛び出しそうな程驚き、背筋がピンと伸びた。

そんな私に向けて、神谷君はにっこりと微笑むと、直ぐに視線を前へと戻す。

ほんの一瞬の出来事だったけど、私は暫くの間、茫然としてしまった。



なんということだろう。今までこんな事があっただろうか。

いつもいつも私が遠くから見ているだけで、神谷君がこちらに気付くことなんて全くなかったのに。


なのに、初めて神谷君が私の視線に気付いた。

それとも、敢えてこちらを見てくれたのだろうか……。

そんなことあり得ないと思うけど、もしそうだとしたら、こんな嬉しいことはない。


私は天にも昇る気持ちになり、完全に自分の世界へと陥っていく。


これはもう、神様の思し召しとしか言いようがない。ついに、私にも本格的な春がやって来たのでしょうか。


……ねえ、神谷君。私は期待してもいいのかな?



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