第3話 憧れの眼鏡王子



__それから一時間半後。



気付けば空は暗くなっていて、結局バイトの時間ギリギリまで蓮君に付き合ってもらった私は、お陰様で何とかレポートを終わらせる事が出来た。


「……あ~、バイト前なのにマジで疲れた。……ったく、お前本当にもういい加減にしろよ」


蓮君は肩を揉みながら、鋭い目で私をジロリと睨み悪態をつく。


「はい……。申し訳ないです」


ここまで付き合わせてしまった事に、今更ながら反省をし始めた私は、蓮君の忠告に素直に応じた。


「蓮君ありがとう。今度、学食おごる……」


「当たり前だ」


とりあえずお礼とお詫びの気持ちを示したら、最後まで聞かずに被せて即答してきた蓮君。遠慮のない反応に、私は若干笑顔を引きつらせながら、校門前で蓮君に別れを告げた。

なんだかんだ口調は厳しいけど、静ちゃんと一緒で、この面倒見の良さにはこれ以外にも何度か救われた。


とりあえず、課題のことを気にかけてくれていた静ちゃんに、一先ず無事に終わったと連絡をする為、鞄から携帯を取り出そうとした。

しかし、いつも内ポケットの中にしまってあるはずの携帯が、そこにない。


「あれ?奥に入っちゃったかな?」


私は肩から鞄を降ろし、大きく開いて中をくまなく探してみるも、一向に見当たらない。


……まさか、図書館に忘れた!?


私は、はたと気が付き、先程の自分の行動を振り返った。


あの時、蓮君のバイトの時間が迫ってた為、私達は慌てて図書館から出た。

そして、机に置いといていた携帯をしまった記憶が、見事にない。


確信した私は一気に顔が青ざめ、急いでその場から駆け出した。


ああっ、私は何でこうも抜けてるんだろう!


自己嫌悪に陥りながら、私は来た道を猛ダッシュで駆け抜ける。


まだまだ利用時間に余裕はあるけど、誰かに拾われると困るので、私はない持久力を振り絞って全力で走り続けた。



「……はあ、……はあ」


ようやく、図書館の前まで辿り着いた私は、一先ず呼吸を落ち着かせる。


ここから出て来てまだ十分ちょっとしか経っていないから、きっと大丈夫だろう。


そう思いながら、私は図書館の扉に手を掛けた時だった。


「……いる。……ああ」


何処からか聞こえてくる人の声。


声の大きさからして、そんなに離れてはいないと思うけど、姿が見当たらない。別に気に留めることでもないのだけど、何故か私はこの声に引っ掛かりを覚えた。


息を殺して、耳をそばだてると、段々はっきり聞こえてくる。


「……そうだな。……それは俺も同感だ」


そして、私はピンと来た。


……そうだ、この声は神谷君の声だ!


急激に心拍数が上がってきた私は、自分の耳を頼りに、声の発信源を辿っていく。

そのまま行き着いた先は、図書館脇に生えていた茂みの奥。


私は恐る恐る中を覗くと、案の定。


携帯を片手に誰かと会話している神谷君の姿がそこにあった。


こんな所で偶然出くわせたことに、気持ちが舞い上がる私。喜びを声に出したい衝動を何とか抑えながら、上手く会話出来る状況にならないか、私は神谷君の様子を伺った。


「今度の総会は俺も出席する。親父にも色々言われたしな。……ああ、六代目の跡取りとして正式に表に出るつもりだ」


……何だろう。


言ってることはさっぱりだけど、目の前にいる神谷君は、普段と少し雰囲気が違う。

いつもはもっと穏やかで、とても優しそうなのに、今そこに立っている神谷君は何だか殺伐としている。


それに、口調も普段と違うような気がするような……。


まるで別人みたいな様子にぽかんとしていると、程なくして通話を終了させた神谷君は、こちらの方へと振り向いた。


……っあ、不味い!


私は気付かれる前に、咄嗟に身を隠す。


何とか話せる機会を伺っていたところだけど、こんな場所で突っ立っているのが見つかれば、覗き見していたことがバレバレだ。


けど、今は茂みで上手く隠れられてるから、このままゆっくり引き下がれば大丈夫。


そう思いながら、私は右足を一歩後退させた時だった。



バキっ。



運悪く落ちていた小枝を思いっきり踏みつけてしまった私。しかも、その音は静寂が流れるこの空間によく響いた。


「誰だ!?」


そして、神谷君の耳にもそれはちゃっかり届き、驚いた様子で私の方へ勢い良く振り返ると、視線が見事にバッチリと合ってしまった。


暫しの間流れる沈黙と、張り詰めた空気。


私達は目線を合わせたまま、その場で微動だにしなかった。


「……あ、あの~……」


心臓が激しく脈打つ中、私は何とかこの状況を打破しようと、勇気を出して声を振り絞った。


「神谷君、ごめんなさいっ!立ち聞きするつもりは全くなかったの!」


そう言い放つと、内心かなり焦りながら勢い良く頭を深く下げる。


「……僕の名前、知ってるの?」


気付けばいつの間にか神谷君は平静さを取り戻していて、普段の穏やかな口調で私に尋ねてきた。



……しまった。


つい癖で名前を口にしちゃった。


慌てていたせいもあり、まだ面識がない状態だという事をすっかり忘れていた私は、今更になって後悔する。

せっかく、神谷君と念願の会話が出来たというのに、こんな気不味い状態で実現されても、あまり嬉しくない。


私は冷や汗を垂らしながら、どう言い逃れをしようか頭をフル回転させた。


「ほ……ほら、神谷君って女子の間ではかなり有名人だから、名前を知らない子なんて殆どいないよ」


何とか上手い言い訳を思い付き、作り笑いを見せる。


……まあ、嘘はついてないしね。


そう心の中で付け足しながら、私はその場を取り繕った。


「……そうなんだ」


そんな私の言葉をすんなりと受け止めてくれた神谷君は、小さく息を吐く。

そして、張り詰めていた空気が徐々に和らいでいき、私はようやく神谷君との会話に集中出来る余裕が出始めてきた。


……ああ。


やっぱり間近で見る神谷君は何て素敵なんだろう。


出会いはどうあれ、今この場で神谷君に認識されていることが凄く嬉しい。


私は浮かれ始める心境を表に出さないようにしながら、頑張って平常心を装う。


「……まあ、そう言う僕も、実は君の名前を知ってるんだよね。……確か、紫織ちゃん……だよね?」


すると、まさかの予想だにしていなかった神谷君の言葉に、私の心臓は思いっきり跳ね上がった。


神様、やはりこれは運命なのでしょうか!?


あの神谷君が私の名前を知っているなんて……!


しかも、下の名前をっ!


天にも昇る気持ちに、赤面状態になった私は思わずにやけそうになる口元を咄嗟に両手で隠した。


「な、何で私の名前を……!?」


嬉しさと驚きで声が震える。


……もしかして、神谷君って、私の事……。


走り出した妄想は止まらず、私の心は期待に満ち溢れていく。

私は目をキラキラと輝かせながら次の言葉を待っていると、神谷君はくすくすと小さく笑い始めた。


「いや……なんていうか……、君の友達が君の名前を叫びながら怒鳴っているのよく見かけるからさ。なんか、何となく覚えちゃった」


そして、苦笑しながら言う台詞に、私の気持ちは一気に奈落の底へと落ちていく。


……ああっ!


なんという事だろう!


まさか、神谷君に静ちゃんとのやり取りを見られていたなんて、恥ずかしすぎるっ!!


もう、静ちゃんのバカッ!


……。


…………。


……でも、そのお陰で神谷君に名前を覚えられたのだから、むしろ感謝するべきなのかな?


若干混乱し始める思考回路に、私は暫く視線を足元に落としていると、不意に神谷君がこちらに近付いてくる足音が聞こえた。


「……ところでさ、さっきの僕の会話……何処まで聞こえてた?」



……は?


少し声のトーンを落として言われた神谷君の問い掛けに、私は顔を上げてきょとんとした。


急に話を掘り返され戸惑ってしまうが、何とか心を落ち着かせて数分前の記憶を辿る。


「え、えっと……、総会に出席する……とか、六代目の跡取りがどう……とか……かな?」


私は空を仰ぎながら、ぽつりぽつりと思い出したフレーズを口にする。


すると、何故か穏やかだった神谷君の顔付きが、段々と影かかってきた。


「……神谷君、もしかして家業でも継ぐの?」


そんな様子を、私は特に気に留めることなく、立ち聞きした身でこんなこと聞くのも何だが、先程の会話を振り返ったところで、ふと浮かんできた疑問を投げつけた。


その瞬間、神谷君の眉がピクリと吊り上る。


些細な反応に気付くも、私は続けて自分の思ったことを話す。


「六代目ということは……相当な老舗だよね。神谷君のお家って凄い伝統的なんだね」


今私の頭の中で思い描いているのは、着物を着た神谷君の姿。伝統といえば、おそらく日本古来の物であろうから、必然的に和装姿が連想された。

そして、あくまでイメージだけど、着物姿の神谷君もこの上なく素敵だ。


どんどんと暴走し始める勝手な妄想に、私の意識はまた遠い所へと旅立っていく。


「……っぷ」


すると、突然神谷君が吹き出し、私は一気に現実世界へと引き戻された。


「……ああ、ごめん。気にしないで」


そう言うと、神谷君は柔らかく私に微笑みかける。


その笑顔に魅せられ、心を鷲掴みにされた私は、もう卒倒してしまいそうだ。


激しく高鳴る鼓動を抑えながら、その場で立ち尽くしていると、そっと神谷君の長い指が私の肩に触れた。


思わず過剰反応してしまった私は、急激に頬が熱くなってくる。


あの神谷君に、肩を触られているなんてっ!?


夢のような状況に、私はそれだけでとろけそうになる。


「……ねえ、さっきの僕の会話、誰にも言わないって約束してくれるかな?」


もはや心ここに在らずな私の耳元で、ぽそりとそう呟いた神谷君。更なる神谷君の温もりを感じた私は、背筋をピンと伸ばす。


「は、はいっ!分かりました!絶対誰にも言いませんっ!」


そして、深く考えもせず、私は興奮気味に二つ返事をした。


「……ありがとう。それじゃあね」


眼鏡の奥から見える優しい眼差し。


光り輝く爽やかな笑顔。


全てを虜にしてしまう程の魅力を振りまきながら、神谷君は一言そう告げると、その場を去っていった。



暫く夢心地状態の私。



神谷君が立ち去った後も、鼓動は鳴りっぱなしで、私はそこからなかなか動くことが出来なかった。



今日は、なんて素晴らしい日なんだろう。


ついに私は神谷君と話す事が出来た。


しかも、状況はどうあれ二人だけの秘密まで持てたなんてっ!


今までにない幸せなひと時を噛み締めて、私の気持ちは宙に舞う。

例え、電話をしていた時の神谷君の様子が変であっても。何故か会話の内容を気に掛けていて、しかも、ひた隠しにしようとしているのか疑問を感じたとしても。今の私は、そんな事なんてどうでもよかった。


兎に角、これでようやく神谷君とお近付きになれたんだ。


そのことだけが頭を一杯に埋め尽くし、心を満たしていた。




……そう。




その時の私は、特に深くは考えなかった。

神谷君の不可解な点を。



そして、これが辛い試練の幕開けになろうとは、当時の私は知る由もなかったのだった。

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