第2話 鬼と天使


「……それでね、静ちゃん!教授に指名されて答えていた神谷君ってば本当に格好良くて……」


昼時になり、私は食堂でランチを堪能しながら、静ちゃんに先程受けた講義での神谷君話を熱く語る。


「あ~……、はいはい。それは良かったね~」


そんな熱い想いを半分聞き流しながら、静ちゃんは生姜焼き定食に箸をつけた。


「ところで、次の講義の課題レポート終わった?あれ結構複雑だったから、私よく分かんなかったよ」


そして、耳が痛い話に切り替えられ、私は思わず言葉に詰まってしまった。


「……し、静ちゃん。あのレポート提出いつまでだったっけ?」


すっかり頭から抜けていた課題に、私は冷や汗が流れ始める。


「明日までだけど。まさか、まだ終わってないの?」


そんな焦る私を余所に、ぐさりと痛い所を突いてきた静ちゃん。その言葉に私は顔を青ざめながら、無言で首を縦に振った。

すると、みるみるうちに静ちゃんの眉間にシワが寄っていく。


「……紫織。……全く、あんたって子は……」


鬼の形相へと変わる静ちゃんに、私は段々身震いしてきた。


「神谷神谷言う前に、もっと地に足をつけなさいっ!落第したいのっ!?」


その上、まるで母親のような台詞を言い放ち、思いっきりテーブルを叩くと、静ちゃんは強く私を叱りつけた。



花咲はなさき静香しずかちゃん。


同じ経済学部一年生の友達。


名前には似つかず、女の子の中では長身な方で、ショートヘア姿にキリッとした凛々しい目付き。性格は男らしくサバサバしてて、夢見がちな私とは正反対の現実主義者だ。

そして、時たま浮かれた私を現実世界に引き戻してくれるお守り役でもある。


世間知らずで、しかもうっかり気味の私がこうして無事に大学生活を迎えられるのも、静ちゃんのお陰と言っても過言ではない。

なので、私にとって静ちゃんはとても大切で、大好きな親友。



「……ううっ、どうしよう。終わらないよ……」


そんな大好きな静ちゃんに厳しく諭された私は、泣きべそをかきながら、今日の講義終了後、一人図書館にこもって課題に取り組んでいた。


ある程度手は付けていたけど、途中で煮詰まり、そのまま放置していたことをすっかり忘れていた為、取り組みたくてもなかなかペンが進まない。


刻々と過ぎ去っていく時間と格闘しながら、私は参考書を読み耽っていた時だった。


「あれ?原田じゃん。珍しいな、こんな時間にここにいるの」


頭上から聞こえてきた低い声。

私は半泣き状態のまま顔を上げると、そこには見知った顔があった。


「……蓮君……」


思い掛けない登場だけど、心に余裕が全くない為、私は特に驚くこともなく、弱々しく目の前の人物の名前を呼ぶ。


「なんだよ。お前また花咲に叱られたのか。さしずめ、課題をやり忘れたってとこだろ?」


そんな私を見て、蓮君は大きく溜息をつくと、空いている向かいの席にどかっと座った。


「な、なんで分かったの?」


見事に言い当てられたことに目を丸くすると、ワックスで立たせている茶髪を弄りながら、蓮君はとても呆れた目を向けてきた。


「抜けてるお前がここで必死こいている意味なんて、大体そんなもんだろが」


そして、静ちゃんに負けないくらいの厳しい言葉に、私はがっくりとうな垂れる。


「ちょっと、蓮。幾ら何でも可哀想でしょ。紫織ちゃんだって好きでそうなった訳じゃないんだから」


すると、今度は背後から聞こえた穏やかな声。

私はその声に大きく反応すると、勢い良く後ろを振り返った。


振り向いた先に立っていたのは、ふわふわとした髪を揺らしながら近付いてくるミディアムボムの美少女。


「美咲ちゃん~……」


私はまるで縋り付くような顔を向けて、声を震わせながら美少女の名前を呼んだ。


同じ経済学部の中でも割と知名度が高いこの二人。


高城たかぎれん君と、里中さとなか美咲みさきちゃんは経済学部の美男美女コンビとして、それなりに知れ渡っていた。


神谷君程ではないけど、蓮君も綺麗に整った顔で、子犬のようにくりっとした二重の大きな瞳が特徴的なとても可愛い顔立ちをしてるのに、目付きが悪く柄も悪い。

おまけに赤っぽい茶髪だし、片耳にはピアスを二個も開けてるし、言葉遣いは乱暴だしで、神谷君とは大違い。


だけど、見た目とギャップがあるちょい悪な雰囲気が女子達のハートを鷲掴みにしているようで、神谷ファンに次ぐ、高城ファンも密かに存在している事を私は知っている。


一方、常に天使のような笑みを見せてくれる美咲ちゃん。優しそうな真ん丸の垂れ目に、神谷君のように長い睫毛。細くてふわふわした栗色の髪に、華奢なスタイル。

性格もとてもおっとりしていて、女神様のように優しく、まるで少女漫画から出てきたようなとても可愛らしい女の子で、私の憧れだ。


そして、経済学部の男性陣のマドンナ的存在でもある。


そんなカリスマ性の高い二人とお近付きになれたのも、全部静ちゃんの人脈からだった。


蓮君を紹介された時は、不良っぽい見た目に怯えさせられていた。

だけど、話していくうちに、まるで静ちゃんのような面倒見の良さに段々と打ち解けてきて、今では初めての男友達。

美咲ちゃんは、初対面の時から憧れを抱いていて、加えてこの穏やかな性格に一瞬で好きになった。

今は静ちゃんと蓮君に厳しい扱いをされている中での、唯一のオアシス的な存在で、私の心の癒しとなっている。


そんなこんなで、友達も増えて、私の大学生活は現在とても充実していた。


「……ったく、里中はこいつに対して甘いんだよ」


優しく私をフォローしてくれる美咲ちゃんに、舌打ちをする蓮君。


「蓮は紫織ちゃんに厳し過ぎるのよ。しつけ役は静香ちゃん一人で十分なんだから」


そう言うと、美咲ちゃんは肩に掛けていた鞄から小さなチョコレートの箱を取り出して、課題に苦戦する私の横にそっと置いた。


「……美咲ちゃんこれは?」


きょとんとした目で見上げると、美咲ちゃんは華が綻ぶような笑顔を私に向ける。


「新作のお菓子だよ。ちょっと気になったから買ったんだけど、紫織ちゃんにあげる。私はこれから最後の講義で手伝ってあげられないから、これ食べて頑張ってね」


甘い物には目がない私は、まるで恩恵にあずかったような面持ちで、美咲ちゃんの手を握り締めた。


「美咲ちゃん、ありがとうっ!もう本当に女神様だね!大好きだよっ!」


よくリアクションが大袈裟だと言われがちな私。

だけど、美咲ちゃんは嫌な顔一つせず、はにかむような笑顔で頷いてくれた。


「お前も、里中の気配りを見習えよ」


その隣で頬杖をつきながら、私達のやりとりをぼんやりと眺めていた蓮君は、ポツリと皮肉交じりに呟いた。


「……はい」


おっしゃる通りと、何も反論出来ないままシュンとする私とは逆に、頬を赤く染めながら視線を蓮君から外す美咲ちゃん。それを横目で捕らえた私は、美咲ちゃんの心境が手に取るように感じる事が出来た。


なんてったって、美咲ちゃんは蓮君の事が好きだから。


よく二人でいるところを目にするし、どちらかと言えば美咲ちゃんの方から積極的に蓮君に関わっているように見える。


それに、蓮君と話している時はいつも嬉しそうだった。


以前それとなく聞いてみたら、やっぱり図星だったみたいで、それから私と美咲ちゃんはたまに恋バナで盛り上がったりしている。

なので、蓮君に褒められて照れている美咲ちゃんを

見ると、とても微笑ましく思う。


一方、そんな分かりやすい美咲ちゃんの行動に全く気付かない蓮君に対して、私は密かに肩を落とした。


そうこうしていると、講義が始まる予鈴が鳴り響き、美咲ちゃんは私達に別れを告げ、慌てて図書館を飛び出していった。


その場に残された私と蓮君。

すると、蓮君は机に広げていた課題用紙を黙って取り上げ、さらっと目を通した。


「……なんだ、お前。この課題まだ終わってなかったのかよ」


そして、静ちゃんと同じ冷めた目付きで私を見据えてくる。


「うう……、それについては静ちゃんに散々怒られたので、もう勘弁して下さい」


私は再び涙目になりながら、身を縮こまらせた。

そんな私に向けて蓮君は特大のため息を吐くと、今度はレポート用紙を乱暴に取り上げた。


「……ちょっ、れ、蓮君!見ないでよ~」


自信が全くなく、しかも行き詰っているレポートを人に見られるのがこの上なく恥ずかしく感じる私は、慌てて取り返そうと椅子から立ち上がる。


「……ふ~ん、なるほどね。ここまではよくまとまってるんじゃね?」


必死になる私を片腕で制しながら、レポート用紙に一通り目を通した蓮君から、まさかのお褒めの言葉を頂けた私。

その言葉に不意を突かれ大人しくなると、蓮君は広げていた私の筆箱からもう一本のシャーペンを取り出し、手に持っていたレポート用紙を机の上に戻した。


「バイトの時間まで俺が付き合ってやるから、何処が分かんないのか言ってみろよ」


そして、私と向き合うような形で座り直し、真顔でそう告げた。


「……ほ、本当に!?」


願ってもいない蓮君の申し出に、私はみるみるうちに表情を明るくさせる。


見た目とは裏腹に、蓮君もそれなりに頭が切れる為、私は天の助けと思い、勢い良く机に向かうと、遠慮なく分からない所を話し始めたのだった。

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