第3話


8月も終わりの頃、いつものように翔太が散歩から帰ってきた。

今日は暑いのに外が気持ちいい〜。届いたばかりの真っ白なオシボリで顔を拭く。

店長!そろそろビーチパーティなんてどうですか?観光客も引いてきた頃、近所の海水浴場もナツのオワリには予約が取れやすいのだ。

そだな。今年は常連のお客さんに声かけして皆んなで美味いもんでも食うか。

僕がこの店を開いたのは去年の春先の事である。

だいきとの出会いから3カ月もたたない頃、すっかりバスケメンバーの一員となった僕はまだ寒いあの疲れの残った浜辺で考えていた。

此処に来たのには理由がある。いや、無いのかもしれない。理由をさがしに此処にいるとも言える。なんとも言えないふわふわした気持ちを抱えていたのだ。

僕は小学、中学、高校、何事も不自由なくただただ毎日を、すごく平凡に暮らしてきた。

高校を卒業した後は進学する事もなく、求人誌で見かけた新卒募集の会社になんのこだわりもなく、ただただ、その時の気分で入社した。

初めての仕事。それはただの日常で何に熱くなる事もなく、何に浮かれる事もなかった。

そんなありふれた生活の中で、あの震災が起こったのだ。望む日でもない有給を、たまたま気にかけた上司に取らされた日だった。

出さなくてもいいコタツでコンビニで漁ってきたアイスを頬張り、昨日の試合はどうだと新聞紙を広げながらテレビを見ていた。

突然現れた警報。

気にも止めず空になったアイスの箱をゴミ箱へなげいれる。

飛び散ったミルクの残骸なんて気にも留めやしなかった。もう一度警報がなる。

それでも警報に気を取られる事もない。左右ゆっくりと腰を横に動かしながら、テレビのリモコンを手に取った。

ハッとした。テレビの様子が変わる。

ここからは中継先の〇〇さんに繋ぎます。

緊張感をかもし出したアナウンサーが、中継先のレポーターへと繋ぐ。

こちらは〇〇県の〇〇市〇〇海岸に来ています。

今、ヘリが飛んできました。

皆さん、落ち着いて避難して下さい。

くれぐれも海岸へは近づかない用、どうぞお気をつけください。繰り返します。海岸付近にいる住民の皆様、またお仕事中の皆様、ただちに高台へ避難して下さい。繰り返します…

息を飲んだ。初めてみるその光景は時間が経つに連れて一層鼓動が早くさせる。

何分経ったのだろうか、繰り返し投げかけられた声はスタジオの女性の声に変わっていた。

定点カメラだろうか。ゆっくり左右に動くその映像は、船が沖へと向かう様子を写し出していた。

気がついた。人がいる。沖へ向かう船は我先にと気づいた様子もない。スタジオの女性が先程の声のトーンとは違う様子で、人がいます!津波到達予想時刻、後五分を切りました。

皆さん、落ち着いて避難して下さい。繰り返します。間も無く津波到達予定時刻です。沿岸付近にいる皆さん、ただちに高台へ避難して下さい。

彼女のその言葉はきっと、モニターに映る彼らへの必死の投げかけの言葉だったのかもしれない。

大型のクレーンにも似たような海に浮かぶ手すりに彼らはしっかりしがみついていた。

背の小さな男性がどこか当てもなく手を振っている。ぱたぱたぱたぱた…小さくなっていくヘリへ一生懸命に手招きしているのだ。

段々とあの波が近づく。白い軽トラックはスピードを上げて走り出している。第一波はしずかにそこへ近づいた。水位を増す。さっき見た道路が川のように段々と、ゆっくりと乾いた地を濡らしていく。

続く女性アナウンサーの声。

津波が到達致しました。どうぞ近くにいらっしゃる身体の不自由な方、女性、子供、どうか皆様へお声掛け下さい。一斉に高台へと避難下さい。繰り返します。津波が到達致しました。沿岸付近へは絶対に近づかないで下さい。スタジオの〇〇さん!どこからともなく中継先の男性の声が聞こえてきた。〇〇市、〇〇から、、大きな津波が到達しています。水位は現在の状況で把握する限り〇〇メートルと観測されました。繰り返します。現在〇〇村〇〇…逃げて下さい!

早く早く!押し寄せる荒波から声をかけるしかない住民の声が飛び交う。

そこからリポーターの声を僕の耳が拾う事はなかった。

そこに流れた風景はもはや見た事もないとても言い表せない程息が詰まるものだった。

深夜までテレビの前から離れられなかった僕は電気の消えた暗闇で考える。

ため息と胸苦しさと冷たい汗。

知っている人がいたのか。そうではない。

根っからの平凡島っ子の僕に遠くかけ離れた寒国の知り合いなんていやしない。

手すりの彼等はどうなったのだろうか。記憶が巡る。切り替わった映像は何処からきたのかわからない青いトタンの屋根や車を映し出した。

眠りについた頃すぐさま僕の目には鮮やかなオレンジ色のいつものキラキラとした光が差す。

カーテンを開ける余裕もなくすぐにリモコンを手に取る。こんな所にまで泥水が…跡形もない建物やまだ引かない水面。様々な、様々な光景をまとめた様子がそこには映し出されていた。

見る気にもなれない朝刊をそっとコタツの隅っこへやり、生温い珈琲を口に当て玄関先へ向かう。

エンジンが温まる事もないまま車を走らせた。

おはようございます。

いつもの朝がざわついていた。

僕の挨拶は後回しに、凄いなあれ。どうなってんだよ、こんな事ってあるのか。地球はどうにかしちまったんじゃねーか。俺らも備えなきゃな。

ざわざわとした様子のまま朝礼が始まる。

今日も一日よろしくお願いします!勤務開始時刻と共にいつもの日常が始まった。

仕事終わりに寄ったコンビニでふと気がついた。今日は給料日だったな。ATMへ向かおうと手にしていたおでん用の皿を置き、上がった試しのない給料を降ろした。

尽きたタバコを目的にレジへと並んだ。

ちゃりんちゃりんと前の人がどんどん入れていくその箱は募金箱。

いくら入れる?ふとよぎる。

2つ前のおっちゃんはお釣り全てを投入。

僕の前の誠実そうなサラリーマンは、銀色の効果を避けて投入していた。なぜかドキドキした。僕は試されているんじゃないかという気になった。

いらっしゃいませー。マイルドセブン3ミリひとつ。いつもよりもっと小さな声になる。

410円になりまーす。降ろしたての二千円札を差し出す。千五百九十円のお返しですねー。ありがとうございましたー。茶髪のねーちゃんがにっこりと微笑む。

レシートと重なった千円札と小銭。

全てを募金箱へ投げ入れた。

車へ戻り買ったばかりのタバコをふかす。ほんの数十秒、3分くらい考えたんじゃないかと言うくらいの量。自分なりの考えが浮かんでは消え、何を考えていたのかふわふわとよくわからないが、鼓動だけは早くなっているのを感じる。

分析したのだ。まえのまえのおっちゃんと同じ事をした。おっちゃんがいくらのお釣りを受け取ったのかはわからない。しかし、まえのサラリーマンは…募金する額を選んでいた。

僕はどうあるべきか。

僕は意図せぬ所で自身を試された気になった。

金額ではない。わかっている。ほんの気持ち…それでもない。

ここまで募金について考えた事もない。

確かに誰かの役にはたつであろう。

しかし、それを気持ちよく…か?気の向くまま…なのか?善意よりも焦り…気持ちなんて…誰の気持ちを考えてるのか。巡り巡ってもたどり着かない答えは自分自身を表す。僕、お釣りを投げ入れた僕が決めたのだ。

ほんの一瞬の大きな出来事。きっかけの理由にもならないようなそんなきっかけで。僕の人生がどんどん切り開かれていった。

家に着くまでにどんどん緊張感が増す。

実家の両親へ着信を入れる。続いて会社の上司へと指先が動く。

反対する者はいない。自己主張も甚だめずらしいのか、それともあの大きな出来事による答えなのか。二つ返事で承諾を得た。

何週間か経った頃僕はその地に着いた。

もはやボランティアの人数は把握すら出来ず、来た物も返される。そこにたどり着くまでに出会った佐々木さんとの出会いは僕の道標となった。

今ここにいる翔太と出会ったあの冬を思いながら、青山さんへビーチパーティ招待の電話をかけた。











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