第2話 絶望の顎門
出来れば、大地を刺激しないよう静かに移動したかった。
しかしこの正解の見えない状況、1グループ動きだせばそれにならう人間が相次ぐのは自然な心理か。
それぞれ集団ごとに“動く動かないの二択”を迷いはしたようだが、しばらく進んだころには再び地響きのような足踏みが起こっていた。
僕らは深く窪んでいる場所を大きく回りこんで歩いていく。
またいつアレが起こってもおかしくない…… 周囲を見れば、僕らのように起伏を避けて進んでいる集団もいるが、運に任せるようにずんずん直進していく人達もいる。
でこぼこの大地といってもその高低差はそれほど大きくはなく、回り道組と直進組では進行速度に少しずつ差が出てきた。
「暑いぃぃ……」
小太りの男がひっきりなしに弱音をこぼしている。
確かに、この気温が奪う体力は大きい。もしこのままあの地震が起きないようなら、思いきって最短距離に賭けたほうがいいのだろうか……?
僕の頭に迷いが過ぎり始めた……その瞬間──―
ドンッッ
「き、きた!!」
誰かが声を裏返らせる。
この眼に映るすべての人々が戦慄の気配を浮かべ、足を止め、うずくまり、あるいは窪地から駆けあがろうとし、壮絶なパニックの叫びを吐きだした。
そして、前回のそれよりももっと激しいうねりが容赦なく大地を奔った。
避難が間に合わず弾き飛ばされ宙をおよぐ無数の人々。
急激に、あまりに深く陥没した丘が甚大な高低差を生みだし、突如足場を失った人達が愕然としながら闇へ落下していく姿。
平地を選んでいた僕らは賢かったのか……などと自分たちを褒める余裕など今は皆無。うずくまって耐えしのぶこの位置もまた安全という保証など何もない。
「みんな……耐えろ……!」
青年が鼓舞してくれる。僕は隣の女の子を庇ったままただ歯を食いしばっていた。
前回より時間も長い。
だが、足の裏から伝わる震えや耳に伝わる轟音がわずかに緩慢になった気がした。
もうすぐ治まる……安堵の芽が顔を出そうとした──その時。
ごおおッと途轍もない咆哮が舞いこみ、僕らのすぐ側の窪地が隆起した。いや、もはや屹立……そして見上げた僕らの視界の彼方で、頂上が爆ぜた。
(――崩落!?)
「崩れるッ!」「みんな走って!!」
青年と僕が同時に叫ぶ。彼は隣の女性の腕をつかんで引き起こし、僕は庇っていた女の子の手を引いて、揺れる大地を必死に蹴った。
「ふわあぁあぁ! あし……足うごかないぃ!」
あの幼い少女が恐怖にすくんで泣き叫んだ。青年が女性の手を放し先に行かせ、少女に駆け寄って手を伸ばす。
大地の欠片が次々と降りそそいできた。ドスンドスンと重い音をたてて地面を抉る。
永遠にも思えた幾ばくの末、ようやくうねりが鎮まった。どうやら二波目の最後の一揺れだったようだ。
僕らは腰を落とし、四つん這いになり、全身で苦痛を追いはらう。
「ハァ……ハァ……だ、大丈夫?」
隣で背中を丸めている女の子の顔を見やる。彼女は苦しげにこちらを見て、小さく首肯した。
他のみんなは無事だろうか?
あの青年と少女は……!?
身体に鞭を打って立ちあがると周りを確認する。
(……四……五……足りない!)
出発したとき正確には十一人で組んだチーム。慌てて後ろの崩落跡に目を凝らす。
(人影……歩いている……!)
僕は手を貸すよう皆に叫びながら、大地の瓦礫の陰から現れる人物に駆けよった。
「あっ! 無事だったんですね!!」
あの青年だった。少女も愚図つきながら手を引かれてついてきている。
僕の後方から目の大きな彼女も駆けつけ、喜びの声をあげた。
青年は少女の背を優しく押して自分で歩かせると、しかし生還の安堵よりも沈痛な表情で歯軋りした。
「あの小太りのあんちゃん……救けられなかった。俺の目の前で……」
にわかの歓喜はあっけなく吹き消え、僕らは言葉を失った。
さっきの激震で失ったメンバーは四人。残った七人はいったん固まって腰を下ろし、心身ともに一服の休息を取った。
周囲にもいくつかの人影や声がうかがえる。だが、あのスタート時点が嘘のように、それは散在した気配だった。
生き残った人達はまだたくさんいるはず。
反面、いまの“波”で失われた命も数えきれないだろう。
ここに居る七人の顔ぶれは男性が三人に女性が四人……。
「そ、そろそろどうですか? ボクもこの暑さはまずいと……」
これまで比較的無口だった男……どちらかというと少年の顔立ちをした彼が提案した。暑さもそうだが、意気消沈しているチームの雰囲気にも堪りかねたという感じだ。
「そう……だな」青年が顔を上げる。目の前で仲間を失ったショックは顔色に残っている。
「なぁ、いまもあの予感は……目指す場所の確信は残っているのか?」
彼が僕に訊ねると皆の視線も集まった。それに少しだけ怯んだけれど、僕は一呼吸おいて深くうなずいた。
「残っているよ。それどころか強くなっている」
「私もです」
女の子もしっかりとした口調で言い添えてくれる。
青年は無言であごを引くと、立ちあがった。
あの少年がホッとした表情を見せる。すると彼に女性……背が高めで物静かなお姉さんといった感じの……が一歩近寄り、「頑張りましょうね」と言って笑顔をつくる。彼はどこか照れたように微笑みを返した。
目の大きな女性が不安そうな少女の前で腰を曲げ、同じ高さで顔を向き合わせると「あたしたちならきっと出来るわ、負けちゃだめよ!」と両手で頬をはさむ。少女はすすり泣きを飲んでうなずいた。
励まし合って再び歩き出した七人。
もう、誰も死なせたくない。
しばらくは落ちついた行軍になった。
相変わらず世界が微弱な震動をつづけ、パラパラと細かな崩落も起きているが、あの目を疑うような大変動はなりを潜めている。
おそらく与える刺激が減ったためだろう。
つまり……歩いている人、動いている人が激減した……大量の命が失われた、ということになる。
みんな無言だった。
僕と同じことを意識している所為かもしれないし、次なる災害に気が張りつめている所為かもしれない。
または、絶望感に支配されそうになっているのか……。
大きめの丘が二つ並んでいる場所に至った。
間の道幅は十分なものだと考えて僕らはそこを突き進んでいく。
……だがそれは、すぐ近い未来に重い後悔をもたらす判断ミスとなった。
しばらく歩いているとふいに女の子が僕の腕を強くつかんで足をとめる。その顔を見やると、彼女の目はどこを見るでもなくやや落として見開かれていた。
「聴こえ……ませんか?」
その言葉でハッとした。確かに、微かな唸りが。
皆も動きを止め、視線を中空や地面にさまよわせながら耳をそばだてた。
「……来るぞ……また……来るぞ!」
その唸りはみるみる膨らんでいき、ついには轟きとなった。そして――
強烈な衝撃が発生した瞬間、右手側の大きな丘が消えた。
前回も遠くで目視した現象だが、こうしてすぐ近くで目の当たりにするとあまりにも信じ難い光景。一瞬で丘が陥没したそこには底の知れない巨大な闇が口を開けていた。
しかも、その縁がメリメリと拡がりこちらへ侵蝕してくる。
「みんな走って!!」
僕は女の子の手を強く握ると、激しく揺れる大地に蛇行させられながら必死に前進した。
青年は目の大きな女性の右手を、女性はさらに、怯える少女の右手を引く。
あの少年とお姉さんも互いを気遣いながら走りだした。
右手から迫りくる恐ろしい
このとき僕が頭の中で、「それだけは起こらないでくれ」と叫んでいた最悪のシナリオ。
しかしそれが無慈悲な牙をむく。
左側の丘が、あっという間に陥没して深遠を誕生させた―――!
「きゃあああ!!」
手をつなぐ三人のなかで最も左端に寄っていたあの少女が崖へ片足を吸いこまれた。
そのままバランスを持ち直せずに右足も地面を失う。
最後尾を走っていた僕はその光景に絶望感を覚える。
しかし、あの女性が彼女の手を離さずに、さらに青年の左手を振りはらうと両手で少女の細腕をつかんで思いきり引っ張った。
自分の身体と、入れ替えながら―――
渡された少女の腕をしっかりと受け取りながら、青年はあの女性の瞳に向かって絶叫する。
彼女は呆然とした表情を一瞬だけ浮かべ、それから闇へ呑まれる前に確かに、微笑んだ。あの大きな目と大きな口が、優しく……。
「――走って! 走れ!! 右が来てる! 足場が消えるよ!!」
先頭から少年の必死の叫びが飛びこんだ。
それが呆然自失となりかけた僕らの意識を、今すべきことへ強制的に呼び戻してくれる。
青年は託された少女を抱きかかえ、僕と女の子は彼の背を追って、せばまっていくこの
二つの丘……いや、もはや二つの巨大な空洞となってしまったその間の細い足場を、僕らは転がるようにして抜け出る。
揺れは治まっていない。まだどんな変化が起きるか分からない。安全な場所などもう考えられない。
六人は止まらずに駆けた。よろめき、何度も転びながら。
一度うしろを振りかえった僕の目にとてつもなく広大な空洞が映った。あの二つの穴は隔たりを食い潰して一つになってしまっていた。
(僕があの道を避けようと言っていれば……)
最後に見たあの笑顔が浮かび唇を噛みながら前を向いたとき、繋いだままの女の子の手にぎゅっと力がこめられるのを感じる。
顔を向けると、こちらを見る彼女は両の瞳にうっすらと涙を溜めたまま首を横に振った。
「あなたのせいじゃない」
一言だけつぶやいた。
三度目の激震の去った後、僕らはどれだけ大回りになろうと丘や窪地から臆病なほどに距離をとり、その判断に誰の異論もないままあの地平を目指してただただ歩き続けた。
青年はあれ以来なにも喋っていない。
隣の少女はちゃんと自分の足で歩いている。彼の手をしっかりと握りしめ、今までのような泣き言を堪えて。
二人の胸に去来する想いがどれほどのものか、僕は量りきれないまま顔を前へ戻した。
そこには少年とあのお姉さんの後姿。
手こそ繋いでいないが、並んで歩くその光景には互いへの気配りが見える気がした。
「あ……」
その少年が小さく驚いたような声をあげ、こちらへ振り向いた。
「あとあの場所までほとんど平らですよ!」
回り込んでいる最中だった眼前の丘の端が切れ、目的地である地平線が左手に再び現れる。
彼の言うとおり、この先は大きな起伏がないただただ赤い平地があの場所まで敷かれていた。
「頑張ろう」
僕は頷きながら前の二人を励まし、さらに青年と少女を振りかえってもう一度口にする。
「頑張りましょう――」
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