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仙花
第1話 始まりへ
―――目を覚ました時、世界は激変していた。
地面はまるで怒り狂っているように、震動し、波打ち、その歪みに耐えかねてあちらこちらでぼろぼろと崩れていく。
足元も、一歩先も、十歩先も、延々と敷き詰められたでこぼこの大地の果てまで、そして三百六十度を囲う地平線からそびえたつ空の一面まで、一言でいうなら……“赤”だった。
そして何より、酷く暑かった。“熱い”と言った方が適切なほどに。
「……なんだよ……このアツさ……」
「ちょっと……私どうしてこんなとこに……?」
「てか、どこなんだここは!」
「おい、あんた大丈夫か?」
「なにもかも紅ね……痛いくらいだわ……」
次々と目を覚まして立ちあがる人、人、人。
瞬く間にその蠢きで地表がぬり変えられていく。
いったいどれだけの人数なのか数えようもない。ただ、どうやら“僕”はかなり最初の方に目を覚ました人間だったようだ。
すでに頭の中でつぶやき終えていた当惑や問いが、いま周囲から次々と言葉にされている。とてつもない数のざわめきは絡み合ってすでに轟音のようだ。
「どうなってんだこれ!? 俺達どうすりゃいいんだ!?」
「知らないわよ! 何が起きたのか誰か説明できないの!?」
「落ちつけよ、怒鳴り合って意味あるのか?」
「怖いよ……熱いよ……」
「どうやってこんなとこに来たのかしら? 憶えてる人いないの!?」
口々に戸惑いと不安、そして泣き言や苛立ちをぶつけあっている。
当然だろう、でも意味はなさそうだ。皆が僕と同じだとすれば、つまり、答えは「何も分からない」ということになる。
僕はなにか巨大な衝撃を最後の記憶としてここにいる。手足がばらばらになりそうな激しい圧力を感じたのは夢だったのかどうか……とりあえず生きてはいる……ようだ。
そしてちらほら聴こえてくる“最後の記憶”はやはり僕のそれと大差ないようだった。
当座の議論が行き詰まったそのとき、誰かがためらいがちに言った。
「とにかく……動きませんか?」
自信はなさそうだけれど、澄んだ女の子の声だった。
「動くったって……どこにだよ? 見渡す限りコレだぜ?」
「そうよ、“とにかく”で動いたってその結果何もなかったらどうするのよ?」
非難を受けてその子は黙ってしまったようだ。人垣に遮られてどんな様子なのか見えない。
「向こうだよ、目指すならね」
誰かの言葉に周囲の眼が一斉に集まる。
やや遅れて、その視線が僕に集まっていることに気付きハッと我に返った。
言ったのは僕だった。その無意識に口にした言葉に驚き、さらに自分の右手にも目を疑った。一点の方向を明確に指差して「さぁ行こう」とばかりに力強く伸ばしていたのだ。
「お前、なんでそう言えるんだ?」
さっきからちょっと横柄な男が、訝しげにゆっくりと迫ってくる。
「もしかして何か知ってんのか?」
「あやしいわね」
女が冷たい流し目で見てくる。
他の連中からも似たり寄ったりの感情が見え隠れしている。気づけば僕を中心にして十数人……いや、見渡せないだけでもしかしたら数十、数百の迷い人がこちらに注目して答えを待っているように感じた。
「何も……知らない。けれど……」
僕はためらった。でも、元より異常事態……ありのまま伝えるしかない。
「なんとなく、そう思ったんだ」
「はぁ?」と素っ頓狂な声がいくつも同時に湧いた。当然だが誰も納得していない。
「さっきああ言った時は、本当に無意識だった。手も勝手に……でも……」
でも……うん、やっぱりそうだ。
「いまは何だか確信している。目指すなら、向こうだ」
僕はもう一度さっきと同じようにまっすぐ指差した。ときに小刻みに、ときに悠然と起伏をえがく赤い大地の、ずっと果て。がたがたに波打ちながら世界を囲む地平線のその、ある一点を。
「……なんだよそれ? ただの勘じゃねぇか。それで誰が命を懸けると――」
「私は、行きます」
例の男の言葉をさえぎるようにして澄んだ声が滑りこんできた。それはさっきの女の子のものだった。
一生懸命に人波をかきわけてその子は僕の前に現れた。そしてホッとしたように小さく胸を上下させて、僕の目を見る。
「私も……同じように思ったんです。だから、思わず口にしていました」
“思った”……この頼りない言葉で二人の人間が同じ選択を示すという事態に、周囲は再びざわざわと乱れ始める。
合わせてるだけじゃないのか?とか、やっぱり何か知ってるグルじゃないのか?とか……。
「お前ら無責任に煽ってんじゃねぇぞ」
あの男がついに敵意すら浮かべて僕らを睨みつける。
「そうよ、勝手に仕切りはじめて……」
もう一人目立っていたあの女もあからさまに侮蔑の目を向ける。
「そんなつもりは……。確かに勘に近いし、無理に皆を連れていこうなんて思っていないよ。どんな危険があるか分からないし」
僕がそう言ったとき、一人の青年が軽く挙手をした。
「俺は付き合う。他の方向を選ぶ理由がないし……こうしていても暑くてたまらない」
彼は僕と隣の女の子を代わる代わる見ると、よろしくと微笑んだ。
それをきっかけに一人二人と道連れの希望者が出始める。
さらに、一気に皆を衝き動かすような変化が起きた。僕らをほんの一角として大地を覆うように犇めいている人の海から、いくつかの流れがせり出し始めたのだ。
「ちょっと、あれみんな同じ方に向かってるし!」
今しがた道連れに加わったばかりの目も口も大きい女性が喜びに似た叫びをあげる。
彼女の言う通り、動き出した複数の集団はどれも僕と女の子が示したあの方向を目指している。どうやら不思議な確信を抱いている人間は僕ら二人だけじゃなく何人もいるようだ。
これを切っ掛けとして、もはや僕らが先頭に立つ必要もなく誰もが次々とあの地平へ向かいだした。
異論を唱えていた二人も不承不承だが流れに乗ることにしたらしい。その際に男の方がかなり敵愾心の籠った眼差しを投げつけて行った。
「僕らも行こうか」
隣に立つ女の子に言う。
「うん」
彼女は微笑むとうなずいた。
そして最初に賛同してくれた青年や目の大きな女性、他にも合わせて十人ほどのチームとなって、僕らは共にあの地平線を目指して踏み出した。
──―しかし、ほどなく、突如“それ”は起こった。
大地の激動―――。
まるで、歩きだした僕らの数知れない足踏みに世界が耐えかねたように。
すぐさま信じられないような光景が眼前に展開される。
丘のように隆起していた赤い地面が瞬きの間に沈没し、逆に沈みこんでいた地面が驚くべき勢いで起ちあがる。
不幸にもその真上に立っていた人たちが途轍もない高さへ跳ねあげられるのを、僕は踏ん張りながら唖然と見上げていた。
手足をゆっくりばたつかせながら、成す術なく落下してくる人、人、人、人……耳を塞ぎたくなる凄惨な着地音。
でも僕の手は自分の両耳ではなく、隣歩く女の子を抱き寄せていた。それはこの地震から支えるためでもあり、彼女の眼差しをあの光景から逃がすためでもあったと思う。
僕らのチームはみんなその場に足を止めて、腰を落として、あるいは膝や手のひらを地について、励まし合った。
「身を低くしろ!」「落ちつくまで耐えろ!」「手をつないで!」
……どれくらい続いただろう?
やがてその激動が鎮まったとき、僕らは互いの手や腕を掴んで一塊の環を描いていた。
小さなすり傷や打ちつけた痛みはあっても、一緒に歩きだした誰一人として欠けていない。
だけど……見渡す景色は一変していた。
あんなにたくさん……これだけ居れば怖いものはないとすら思わせたたくさんの人達……その三分の一くらいの頭が見えなくなっていた。
あれが起こる前と比べてイヤに疎らに見える人波。
大地に目を凝らせば、飛散した犠牲者たちの体が僕らを囲んで、道なき道すら失わせていた。
絶句による数秒ほどの静寂の後、申し合わせたかのように爆発する悲鳴、絶叫、怒号。
とても聴き分けられないが、きっと、絶望する言葉や錯乱する言葉、誰かに責任を求める言葉や次の導きを懇願する言葉……それらに違いなかった。
「ど、どうすんの!? こ、ここ、これじゃ歩いたらまたなるの!?」
目の大きな女性がさらに双眸を膨らませて取り乱す。
「やばいよ……ボクもうヤだよ……」
小太りの男が弱々しく泣き崩れる。
「助けてよぉ……怖いよぉ……」
一番幼そうな少女が彼につられて泣きじゃくった。
「落ちつけよ皆。パニクっても意味ないだろ。結局進むか進まないかの二つしかない……けどこの暑さじゃ答えは一つじゃないのか?」
始めからついてきてくれた青年は比較的冷静だった。冷静というよりは達観という感じかもしれない。
その彼の目が僕に向いた。
「どうする? すぐ動くか? ちょっと休むか?」
いつの間にかリーダーの立場になっていたらしい事に一瞬狼狽したが、僕は深呼吸を一つすると抱き寄せていた女の子から腕をほどき、彼女の瞳を見つめた。
この中で唯一、僕と同じ確信を持っていた人。その彼女が何も言わずにうなずく。“任せます”……そんな声が聴こえた気がした。
もう一度深呼吸をして、動揺の余韻を押さえこむ。
「……進もう。ただし、丘にも窪地にもなっていない平坦な場所を選びながら。まっすぐ行けない分、道のりは長くなるけれど……さっきのうねりが起こっても助かる確率は高い、と思う」
僕の言葉に、皆は懐疑も期待も浮かべた。泣き顔の少女は激しく首を振っているし、小太りの男も怯えた色を両目に滲ませている。
でも、あの青年が力強くうなずいた。
「俺は乗る。ここに留まっていたら間違いなく干からびる。しかも闇雲に特攻するわけじゃないからな」
「あ、あたしも……行くわ。置いていかれるよりキミ達についていった方がまだ……希望がありそうだもん!」
彼の傍の彼女も両手を拳にして自分を励ますように言った。
残る皆は顔を見合わせ、そして不安げな面色のなかに一抹の輝きを灯しながら立ちあがった。
この先、想像を超える険しい道のりになることを、もしかしたら誰もが予感しながら。
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