第89話 有厚無厚 ゆうこうむこう

 ナミとサクラの話に適当に相槌を打ちながら、僕は昔を思い出していた。

 戦場にいた頃。


 英語もフランス語も多様な言葉と人種が混ざり合う戦場。

 共通の言葉は言語ではない、サインだけだ。

 指の動きで指示が飛ぶ戦場、指と目で意思の疎通を図る。


 言葉を交わすより厚い信頼を産むのは今思えば不思議だ。

 硝煙の匂いが時々懐かしく感じる。

 英語が耳に入ってくると嫌でも記憶を呼び起こされてしまう…ココに来て、どうにも落ち着かないのは、戦場を思い出しているからだろう。

 身体と心が警戒を解こうとしない。

 安全だと言われても、染みついたクセは治らないものだと、今、改めて再認識する。


「ねぇ、ユキヤ、お蕎麦来たよ…見た目普通だよ、なんか微妙にイメージが違うけど」

「食べて見たら美味いかもよ」

「そうだね、審査だね」

 そう言うとナミは箸を持って盛り蕎麦を口に運ぶ。

 ナミは麺をすすれない…食べ方はアメリカ人と同じ、箸でモゴモゴと口に運ぶ。

 僕は、その食べ方が嫌いで、どうにも美味そうに見えない。

 ココではナミが馴染んでいる。

 固執にしなくても良かったかもしれないほどに。


「美味しいですか?ナミさん」

 サクラが不安そうにナミに尋ねた。

「……うん…なんかねー…味がしないよね…」

 ナミは蕎麦をボチャッと麺つゆに浸し、すくうように食べる。

 その食べ方も嫌いだ。

「どれ」

 僕も盛り蕎麦を食べてみるが、ナミの言うとおり味がしない。


「ね?なんか足りないでしょ?なにが?と聞かれると困るんだけど」

「そうだね」


 言いつつも、固形の携帯食ばかり食べていた僕には、こんな食事すら考えたこともなかったのだ。


 まして笑って食事をするなど、考えたことがなかった。


 幸せなのか。

 隣で笑うナミの顔を見ると…僕の決心は揺らいでしまう。

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