第5話 果実を投げて、私に

 少女は立ち上がった。


 「そのまま、逃げても構わないんだけど、あなたにお願いがある」


 と少女に言った。


 「なに」


 「果実をとってきてほしいんだ。私はもう、なんにもしないから」


 少女は怪訝そうな面持で聞いていた。

 背をむけると、さっと走り去って、暗闇に消えた。


 待っても待っても、少女は帰ってこなかった。

 でも夜明けまでは待とうと決めていた。


 しだいに空が明るみ始める。

 朝風が、森のあいだから吹いてきた。


 いよいよ雲が赤く染まり始めたときに、少女が現れた。

 服を前に伸ばして、その上に山盛りの果実を集めていた。

 柔らかい腹が見える。


 「これでいいの」


 「それでいい」


 少女は、果実をぼとぼとと地面に落とした。

 土に跳ねて、無秩序に転がった。


 「その果実を投げてみて、私に」


 「え」


 少女は眉をひきしめて、こちらを見た。

 髪が朝風になびかれて、目にかかった。

 そのため一層まぶしそうに目もとを細めた。


 「ねえ、そうしよう。果実を投げておわり。それだけなんだ。さあ、投げてみて。思いきり」


 「でも」


 と迷っていた。


 「一つ投げてみて」


 少女は戸惑いながらも、果実を一つ拾った。

 それを投げると、ふんわりとした軌道を描いて、土に落ちた。


 「もっと強く」


 少女はまた一つ果実を拾った。

 今度は、強く腕を振って投げると、まっすぐ飛んできた。

 頬をかすめて、うしろの木にあたる。


 「おしい」


 また一つ投げ込まれた。


 「うっ」


 胸に強く当たった。

 軽い衝撃が体の奥に響いた。

 当たった果実は地面に転がっている。


 「うまい。その調子」


 「でも」


 と少女は言った。


 「いたくないの」


 「大丈夫」


 そう答えながら、顔に巻いていた絹をとった。


 「こんどは、ここに投げてみて、それがいい、さあ投げて」


 少女は、また投げた。

 しかし、顔には当たらない。

 今度は、軽く助走をつけて投げるが、当たらない。

 少女は何度も投げるうちに、息が上がってきたようだった。

 果実を拾う横顔には、髪の毛が、汗ではりついている。


 ふと投げるのをやめて、少女は果実をかじった。

 汁がしたたり落ちている。

 こちらをじっと見ながら、その裂け目を見せてくる。


 「投げてみて」


 かじりかけの果実が投げられると、体にあたった。

 赤い汁がいっぱいついた。

 血まみれのように見える。


 「いいねえ」


 なかば、やけっぱちになりながら、少女は残りの果実をどんどん投げてきた。

 大きく助走をつけて、掛声を上げながら投げてくる。

 果実の数はもうわずかになった。


 森には、夜明けが近づいていた。

 太陽は見えないが、木々のあいだが明るんでいる。

 わずかな光が森にみちていた。


 その時少女の投げた果実が、顔に当たった。

 果実は深く沈んで、消えてなくなった。


 「やった」


 と二人で言った。

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