長いまつげの裏側
突然だが、私はまつげが長いし濃い。そして多い。
目の縁にびっちり生え揃っている。日光が当たってまつげの影ができる、という描写が小説などにあるけれど、それが簡単に再現できる。
美容室へ行ったとき、担当する美容師さんが変わるとだいたい訊かれる。
「まつげ長いですね〜! つけまですか?」
つけまとはご存知の通りつけまつげのことである。私が違いますよ、と答えると、
「え〜じまつげですかあ! すご〜い! いいなあ〜」
とはしゃいでほめてくれる。
「じまつげ」とは自分のまつげ、すなわち生まれつき備わっているまつげのことらしい。近年つけまつげが広く流行したことにより生まれた言葉だろう。漢字で書くとすれば「地まつげ」か「自まつげ」か。正式名称といったものは統一されていないようなのでわからないけれど。
ほめられて悪い気はしない。むしろまんざらでもない顔で私は「いやいやそんな〜」と言いながらもにやける。
友人にも「まつげ長いよねえ」と言われたことは何度もあるし、母親にいたっては「あなたは本当によかったねえ、まつげが長く生まれて」と自分の功績を誇るかのように、何かにつけてそう言われる。
何だよ、ひねくれ話の次は自慢話かよ。いや、そうではない。
……いやいや違う。決して自慢じゃないとは言えない。確かに私の(ほとんど唯一)自慢できるものなのは本当である。
ただ、話はそれだけでは終わらない。
まつげとは、当たり前だが髪の毛や眉毛などと同じく、人間の体毛の一種である。したがってまつげが長くて、濃くて、多い体質ということはどういうことか。
つまり、体毛すべてが長くて、濃くて、多いということになるのである。
今までの自慢話にイラッとしていた方も、少しは気分を取り戻していただけただろうか。要は、私は生まれてこのかたずっと濃い体毛に悩まされ続けているのである。
私の母は、毛が薄い。柔らかくて色素もやや薄く、いわゆる「猫っ毛」と言われる毛質である。量も少なく、太い髪ゴムで束ねていると、その柔らかさと少なさで髪ゴムがひとりでに外れてしまうという。
反対に父は毛が濃い。眉毛、鼻毛、ひげ、脇毛、腕の毛、すね毛、そして指の毛、などなど。量が多いだけではなく、毛質も硬い。年齢は六十代に入ったばかりであるが、髪自体はまだふさふさと表現できる量を備えている。同年代の方と比べても残っている方と言えるだろう。ちなみに白髪染めを欠かさないため、初対面の方からはたいてい「お父さん若いね」と驚かれる。
そしてそんな両親から生まれた娘……私は、あろうことか父の毛質を受け継いで生まれてきてしまったのだ。
赤ん坊の頃は髪の毛がかたく、それはまあ母を嘆かせたらしい。せっかく女の子に生まれてきたのに、と。母自身が柔らかな髪質だったこともあったろう。その頃の写真は正に「生まれたばかりのスーパーサイヤ人」という状態だった。
母が色んなシャンプーとリンスを試したお陰で、まともな髪質になった、とのことだ。真偽は不明だが。
さらに保育園に通う頃になると、今度は別の体毛が母をまた嘆かせた。鼻の下の産毛である。
みなさんも小さい頃、小学校や保育園のクラスで一人くらいは見かけなかっただろうか。鼻の下の産毛が濃いために、それがひげに見えておじさんのように見える子を。私もそんな「おじさん幼児」の一人だったのである。
男の子であればまだいい。成長すれば当然ひげが生えてくるようになるのだから、笑って許せる範囲である。しかし、女の子にはそれが許されない。というか、母は許せなかった。
三人兄弟の中で唯一生まれた娘の私。それがおじさん幼児とは。
「子供は自然が一番いいってわかってたけど、これだけはかわいそうでねえ。お出掛けする前はいつも、あなたをなんとか大人しくさせて産毛を剃ったよ」
と申し訳なさそうな顔で母は教えてくれた。
お母さんありがとう。そしてごめんなさい。心から思った瞬間である。
そうして時折母のフォローを受けながら私は順調に成長し、中学生になった。その頃には私も当然身の回りのことはたいてい自分でできるようになっていたし、外見をかなり意識するようになっていたから、自分の毛の濃さに大いに嘆くことになった。
「どうして母の毛質を受け継がなかったのか」と思い、思春期という時期も相まって、自分のことが大嫌いになった。パンツ一枚で風呂から上がってくる父を見るとげんなり。呪いたくなるほどだ。
一番ショックだったのは、同級生の男子にそれを指摘されてしまったときだ。
「なんで女子なのにひげ生えてんの?」
うーん。今思い出してもむごい一言だなあ。半笑いで言ってきたからなあ。彼としてはひげが生えている女子の存在があり得ないもので、それを整えもせず放置している私が許せなかったのかもしれない。でもね、整えるか放っておくか、自分としては判断が微妙なところだったんだなあ。
今となっては笑い話だが、当時私が受けたショックたるや、大変なものだった。何しろローティーンの女の子(笑)だったから。
それからというもの、私は二、三日に一度無駄毛処理を行うことにした。
女性の皆さんは経験されていると思うが、男性のひげそりとは違い、なんとも哀しい作業である。慣れれば嫌でも事務的になるのだけれど、最初は剃り落とした毛の量に哀しくなったものだ。
腕、脚、鼻の下……脇は高校生になってからだったろうか。指の毛なんか哀しいの最たるもの。外国では無駄毛の処理を全くしない文化を持つ国もあると聞いて、素直に羨ましいと思ったくらいだ。
また余談だが高校生のとき、体育の授業で女性の先生が、
「こらー、女子は毛をむしるなー」
と注意していたのをよく覚えている。思えば女子にあるまじき行為だったなと反省している。
体操服を着て体育座りをすると、膝頭が顔の傍に現れる。すると毛の剃り残しも視界に入る。視界に入ると気になって、爪で引っ張って抜こうとするのだ。共学校で、男子が隣にいてもお構いなし。彼らにはどうせ何をしているかわからないだろうと半分タカをくくっていた。
あのとき捨てた恥じらいを卒業と同時に取り戻せたというのも不思議な話だ。正気に戻ったと言うべきか。
……すみません。話を戻すと。
要するに、大きな声では言いにくいけれど、まつげが長くて濃くて多いからといっていいことばかりではないよ、ということである。
ちなみに現在はといえば、私は大部分の体毛とは縁を切っている。
高校、大学と体毛と闘い続けた私だったが、就職後、必死で貯めた何回分かのボーナスをすべて全身脱毛につぎ込んだのだ。親も何も言わなかった。
一〜二年半くらいか。長い施術がすべて完了したときの身軽さと言ったら、天にも昇る気持ちというものを実感した瞬間だった。施術がかなり痛かったことや、医療用レーザー脱毛の副産物(らしい)として、肌もつるつるになったこともその一因ではあったけれど。
というわけで、私はまつげをほめられたら、うれしいと思いながらも自虐ネタとして言ってしまう。
「まつげが長いのはいいんだけど、その代わり鼻毛も長いからねえ。あはは」
いいことばかりではないのだという、ささやかな主張である。
あ、もちろん相手が女性の場合に限ります。その辺りの慎みは忘れてない。
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