第3話『大人だけの国』

「さて。到着だよ、クラーク君」

「足元がまだ、フワフワする」

「ふふっ、長いこと機関車に揺られていたからね」


僕とリタは、貨物列車の終着駅──つまり、目的の街のホームに降り立っていた。

貨物列車が駅に止まるまで「どうやって降りるものか」と頭を抱えていたが、いざ着いてみたら事は独りでに解決した。

幸運にも仮眠室とホームが同じ向きにあったため、難無く窓から抜け出すことができたのだ。

作業員が数人、貨物列車に積まれたコンテナの運び出しを行なっていたようだが、用心する事と言えばその程度で、容易に貨物列車から抜け出すことができた。

さて、次は駅から出るだけなのだが。


「……誰も、いないね」


僕は、思った事を簡潔に告げる。


「そうだね。もしかしたら、貨物車が走る時間帯と旅客車が走る時間帯が、大きく分断されているのかもしれない。さっきの従業員に見つかったら事だ。今のうちに街に出ようか」


そう言ってリタは、出入り口へと続く無人のゲートに爪先を向けて歩き出した。

僕も「そうだね」と頷いて後に続こうとした──その時だった。


「おい、お前達」


突然、緑色の外套を羽織った茶髪の男がゲートの反対側から顔を出し、僕達に話しかけてきた。

駅員だろうか……だとしたらマズい。

如何にもな魔法使いの正装姿のリタと子供の僕という組み合わせでは、どう足掻いても先ほどの作業員の一員ですとは誤魔化せそうにない。

そして、僕達が出てきたホームに停まっている列車は、まがうことなき貨物列車ただ一台。


「……リタ」


僕は、リタに最善策を仰ごうと彼女の顔を見上げる……が、リタは白い額に汗を滲ませ、目を泳がせていた。これは、駄目なやつだ。

おそらく今の彼女の脳内には、懲役だとか罰則だとか、そういった単語が行ったり来たりしているのだろう。


「……ごめんなさい。アレに無賃乗車しました」


「こういう時は、素直に平謝りしなさい」と、誰かが言っていた気がしたので、それに従う事にした。

確か、隣に立って冷や汗をかいている魔女が前の国で言っていた気がしなくもない。

あぁ、無賃乗車した直後に言っていたっけ。

……それなら、仕方がない。


「罰金でも終身刑でも、このリタって魔法使いが受けるので、どうかお手柔らかにお願いします」


リタを売っても、バチは当たらないだろう。


「クラーク君、君だけは理解者だと思っていたのに……」

「ごめんね、リタ。無賃乗車する魔女って時点で、最初から理解不能だったよ。今までありがとう。リタとの旅は結構楽しかったよ」

「目付きが全然『ありがとう』って感じじゃない……」

「ああー……お二人さん。取り敢えず、早くこっちに来てくれないか? アイツらに見つかったら面倒だからよ」

「「……え?」」


男は手招きして、無人の駅員室へと入っていった。

僕らは、顔を見合わせる。


「どういう事だろう?」

「さぁ……取り敢えずアレに見つかりたくないのは私達も同じだし、ついて行ってみよう。それと──後で覚えていろよ、クラーク君」


……どうやら、リタとの旅はまだ終わらないらしい。

僕達は、彼の後に続いて改札口の脇にある小さな駅員室の扉をくぐる。

すると、部屋の奥で来客用らしきソファに腰掛けた茶髪の男が「扉は閉めておいてくれ」と言うので、僕は頷き、後ろ手で扉のノブを引いた。

リタは、長机を挟んで男の対面に置かれた椅子に腰掛ける。

それに続いて、僕はリタの隣に座った。


「さて。まず確認したいんだが、お前達は他所者よそもので合ってるな?」

「私達は旅人だからまぁ、他所者で合ってるかな」

「旅人? こんな小さい子も旅しているのか、凄いな。ところで……」


男は目を丸くして、しばらく僕を見つめていたが、不意にリタの方に視線を向けた。

リタは、首を傾げる。

よく見ると、男の視線はリタではなく、リタの少し上を見ているようだった。

そこには、リタが普段から、肩掛けの鞄に紐で結んで持ち運んでいる箒があった。


「ずっと気になっていたんだが、そのほうきは何なんだ?」

「何って、エニシダをくくって作った箒ですけど……」

「そうじゃねえ。何でそんなモンを持ち歩いているんだって聞いているんだよ。それに、その変な三角帽子……まさか、魔女じゃあるまいし」

「魔女ですけど?」

「はあ? ……まあ、そんなことはどうだっていいんだがよ」


男は、短く咳払いをする。

どう見ても「どうだっていい」という顔ではなく、不審者を見るような目でリタを見つめているようにしか僕には見えないのだが、男は後頭部をガシガシと掻いて構わず話を続けた。


「お前達がなぜあの貨物列車から出てきたのか、気になるところではあるが……まぁ、あいつらと無関係なら、そこはどうだっていい。お前達、この国に何の用で来た? 観光か?」

「そんなところだね」

「それなら悪い事は言わない。早いところ引き返せ。特にお前はな」


男はそう言うと、肘掛けで休ませていた右腕を上げ、僕の眉間を指差した。


「……えっ、僕?」

「お前は、この国には立ち入らない方が身の為だ。連れのアンタも、こいつの身を案じたければ、すぐに引き返すべきだ」


僕達は、互いに顔を見合わせる。

リタは男の方を向き直り、訝しげな表情で口を開いた。


「どういうことです?」

「この国には、子供がいない──謂わば、"大人の国"ってやつなのさ。だから、子供であるコイツが立ち入ってはならない。まぁ、本来は連れのアンタも立ち入ってはならない存在なワケだが……」

「"子供がいない"? そんなまさか」

「試しに見に行ってみろ、と言いたいところだが……取り敢えず、この国から早急に離れるべきだ。それに、観光とか何とか言っていたが、そんな嘘はバレバレだ。貨物列車以外に列車が走っていないこの国に、観光客なんざ来るワケがねえだろ」


用件を全て伝えきったのか、男は満足したようにソファから立ち上がり扉の方へ向かうと、そのままホームへと消えていった。

リタは顎に手を添えて、テーブルの天板をじっと見つめている。


「リタ、どうしよっか」

「まぁ……断片がこの街にある限り、退くつもりは無いよ」

「そうじゃなくて。どうやってこの国を探索しようかって聞いているんだよ」

「……ふふっ。そうこなくっちゃ」


リタは跳ねるように椅子から立ち上がると、辺りをキョロキョロと見渡し始めた。


「どうしたの?」

「いや、ある程度のアメニティが揃っているなら、ここをしばらくの拠点にしたいんだけれど」

「"アメニティ"って、ホテルじゃないんだから……で、ここにするの?」

「うーん……当然ながらお風呂が無いね。ここまで随分根無し状態だったから、そろそろお風呂に入りたかったんだけれど……そうだ!」


リタは唐突に、駆け足で扉の方へと向かう。


「どこに行くの?」

「この辺りに水道か井戸があればまあ、ここでもいいかなって」


リタはドアノブを捻り、手前に扉を引く。

リタに落とされる、長身の黒い影。


「一端の女の子が、外で風呂を済ませようとするな……」

「うわああっ!!?」


扉を開けると、壁のように先ほどの男が立ちはだかっていた。

リタは、思わず変な声を上げて二歩後退りする。


「ま、まだいたのか……!」

「そりゃあ、お前ら絶対に大人しく出て行ってくれないだろうしな……それに。観光客も寄せ付けない、何故か大人しかいない……そんな小さくて奇妙な国にわざわざ夜中の貨物列車でやってくるなんて、余程の事情があるんだろう?」


リタは開いた口を真一文字に結ぶと、肩ひとつ分上にある男の顔を見上げて大きく頷いた。

僕も椅子から立ち上がり、リタの隣に立って男を見上げた。


「中途半端に安全な場所でコソコソされちゃあ、余計に心配だからな。お前達に、しばらく俺の部屋を寝床として貸してやろう」


男は呆れ顔でそう言い、数秒の間をおいて「仕方なく、だぞ」と付け足した。

リタは嬉々として瞳を輝かせ、男に向けて首を伸ばす。


「いいんですか?」

「あぁ。お前らもしっかり落ち着ける寝床の方が良いだろうしな。ただし、一週間だけだぞ。それ以上の滞在は、流石にお前達もボロが出るだろうからな」

「いやいや、一週間もあれば十分だよ。ありがとう、えーっと……」

「"ギン"だ。お前らは、リタとクラークだったか」

「うん。私はリタ。そしてこっちはクラーク君」


僕は小さく会釈をする。

すると男は羽織っていた緑の外套を脱ぎ、僕に巻きつけるように被せた。


「えっ?」

「顔を隠して喋らないようにすれば、背の低い大人にしか思われないだろう。この街にいる間はコイツも貸してやる」

「そう簡単に誤魔化せるのかな……」

「大人しくしてりゃあ大丈夫さ。子供が混ざっているだなんて、この国の住人は思いつきもしない筈だからな。さぁ、行くぞ」


ギンは、開けたままの扉を片手で支え、出発を促す。

僕達は、一列に並んで順に駅員室を後にした。

ギンの後ろに続いて、そのまま駅のホームを抜ける。

夜明けのホームの周りには、誰もいなかった。強いて言うなら、屋根で羽を休めている小鳥がいるくらいか。

所々雪が積もり始めたレンガ造りの道を、朝日が斜めから眩しく照らす。

僕は少し早歩きになって、目の前を歩くリタの隣に並んだ。

それに気が付いたリタは、僕の方に視線を落として首を傾げた。


「ねえ、リタ」

「ん……何?」

「今思ったんだけどさ。別に僕、外套で顔を隠さなくたって"断片"に姿を変えられるから、リタが望の書ごと運べば確実にバレないと思うんだけれど……」

「ああー、その手があったか。まあ、二人で探索した方が見つかる物が多いからさ。普段はこのスタイルでいこうか」

「……そっか。分かった」


僕は頷き、歩く先へと視線を戻した。

早朝の雪道は、朝日に照らされ続いている。



それから僕達は、駅から伸びた大通りを道なりに歩き続けた。

既に時計の針は7時を指している筈だが、やはり駅の周りに人影は無かった。

大通りを挟むように並んだ建物は窓が全て閉めきられていて、どこめ砂埃で燻んだシャッターが下りている。


「まるで、空き店舗が立ち並んだ商店街みたいだ」

「さっき外から駅を見た時は、大分だいぶ小綺麗な感じだったけれど……ここはむしろ、人々から忘れ去られたふうだね」

「この辺りは、国民からしたら何も用事ができるような建物が建てられていないからな。いや……"建てていない"が正しいのか」

「? それってどういう──」

「さぁ、着いたぞ。ここが街の入り口だ」


ギンはそう言って、立ち止まる。

僕達も歩くのをやめ、ギンの背中から顔だけを乗り出して行く先を眺めた。


「わぁ……」


つい、感嘆の声を漏らす。

簡潔に言うならば、そう。

街にはそれなりの活気があって、平和な時間が流れていた。

杖のように長い焼き菓子を紙袋に差し、それを両手に抱えて歩く婦人。

のんびりと海色の自転車を漕いでいる、大柄の男。

街灯脇のベンチでは、コートを羽織った初老の男が、スケッチブックとにらめっこをしている。

まるで、ナントカの休日にありそうな光景だ。

どこからか聞こえてくるギターの音色は、この街の気儘きままさを演出しているようだった。

リタは街を、視界の隅から隅まで流れるように見渡して「うーん」と唸った。


「何というか……想像していたよりも、良さ気な街だね」

「うん。だけれど……本当に、子供が一人も見当たらない」

「これで分かっただろ? ここが大人の国だってことがよ」

「……大人の国、ね」


リタは意味あり気にそう呟いて、顎に右手を添える。


「リタ、どうかした?」

「……いや。また後で考えるよ」

「そう」


どうも、何か腑に落ちない点があるらしい。

それは、僕もまた同じだった。


「それじゃあ、俺の家まで行くぞ。くれぐれも、外套は取るなよ」

「はーい」


子供のいない、大人だけの国──どのような理由があって、そのような国が成り立ったのだろうか。

"子供が嫌いな大人がこぞって集まり、この地に子供がいないひとつの国を作り上げた"。そんなところだろうか。もしくは──。


「断片の仕業、かな」

「誰かが断片のチカラでこの街から子供を消したって言うのかい? まぁ、不可能な話では無いけれど……そんな願い、一体誰が望むんだろうか」

「断片? お前ら、何の話をしているんだ?」


男はこちらを振り向かず、僕達に問う。

僕は、リタの顔を見上げた。

断片の事を一般人に教えるべきか……その辺りの判断は、いつもリタに委ねている。


「断片は、私達が探している物だよ。この街にも、それを探しに来たんだ」

「そいつは何だ、さっきの口振りからして、願いを叶える代物なのか?」

「まぁ、大雑把に言うとそうなんだけれど……こちらからお願いして叶えてくれるような便利グッズじゃないから、ギンがもし断片を探したとしても、断片はギンの願いを叶えてくれるわけじゃない。アレは、強い願いを抱く者の前に現れて、契約した悪魔のようにそれを叶えてしまう曲がり者だ」

「じゃあ、何でお前達はそんな物を探しているんだ?」

「……やけに興味津々だね。もしかして、ここの断片について何か知っているのかい?」

「……いや。残念ながら、知らないな」

「そう。なら、これ以上はもう教えない。何せこれは、機密事項コンフィデンシャルな話だからね」


リタが気取った風にそう言うと、ギンは「そうか」と答えて、それ以上何も聞かなかった。



「よし、到着だ」

「……酒場?」


ギンに連れて来られたそこは、酒場だった。

道に面した一切の壁が取り払われており、街路からも店内に積まれた樽や酒瓶が確認できるため、一目で酒場だと分かった。

朝方だが、客席は少しだけ埋まっていた。酒を飲んでいる様子ではなく、皆ウインナーだか目玉焼きだかを頬張っている。日中はカフェのような立ち振る舞いをしているのだろう。

隣に立つリタは、店内を見渡して上機嫌に口角を上げた。


「中々趣味の良い酒場だね。夜になったら久し振りに飲もうかな」

「それで……ここが、ギンの家?」

「いや、ここの二階が俺の部屋なんだ。狭いだろうが、好きに使ってくれ」


そう言うとギンは、カウンターに立つ髭面の大男……乃至、酒場のマスターの元へと向かう。

マスターと話し終えたギンは、思い出したように「階段は、カウンター横の扉を開けたところにあるからな」と僕達に教えると、扉の鍵をリタに手渡して来た道を辿るように歩き出した。


「ギン、どこに行くんだい?」

「あぁ、言ってなかったか。俺はしばらく野暮用で部屋を空ける予定だったんだ。だからこの街を出て行くときは、そこの店主に鍵を返却してくれりゃあいい」


ギンは「それじゃあな」と後ろ手で手を振り、街の中へと去っていった。

唐突に取り残された僕達は、呆気に取られて言葉を失う。


「……取り敢えず、部屋を見に行こうか」

「そうだね」


リタは輪っかに通された金色の鍵をカウンター横の扉に差し込む。鍵を時計回りに半周させると、板張りの黒い扉は小気味の良い音を立てた。


「よし、開いたっぽい」


リタが扉を手前に引くと、そこには幅の狭い階段が現れた。

一列にならないと通れそうにないので、リタの後ろについて一段目を踏む。

一段、また一段と駆け上がる度に、木板の軋む音が木造りの狭い空間を満たした。

等間隔で壁掛けされたランプの灯りが、階段に僕達の影を伸ばす。

やがて、階段を上りきったところに扉を見つけた。


「ここみたいだね」

「どれどれ……」


リタはドアノブを捻り、扉を開ける。

扉を開けた先は、六畳ほどの一室が広がっていた。

棚と机が隅にひとつずつと、大きなベッドがひとつ。ワインレッドを中心とした配色が印象的な部屋だった。


「おぉ、思ったよりマトモだ」

「ギンに失礼だよ。でも……確かにマトモだね。お風呂とトイレは酒場のものを使うのかな」

「酒場に風呂場ってあるの?」

「さぁ……ギンが住んでいるなら無いなんてことはないだろうし、後でカウンターのオジさんに聞いてみようよ」


リタは肩掛けの鞄をベッドの上に下ろし、閉めきられた窓のカーテンを開いた。

カーテンに遮られていた日の光が、小さな部屋を照らす。


「早速、街の人達に聞き込みしに行く?」

「いや、日暮れまで寝よう。ベッドでしっかり寝たい……」

「そっか。じゃあ僕、ちょっと街を歩いてくるよ」

「外套脱がないようにね……あぁ、そうだ。この帽子も使っていいよ」


そう言うとリタは、自身が被っているツギハギの三角帽子を取り、僕の頭に深く被せた。


「うんうん、似合ってる似合ってる。これなら顔まで外套を巻かなくても大丈夫そうだね」

「ありがとう、リタ」

「うん。ついて行ってあげられなくて悪いけど、私はしばらく寝るとするよ」


リタはベッドに横になり、静かに目を閉じた。


「あっ。せっかく開いたばかりだけど、カーテン閉めようか? 眩しいよね」

「……」

「もう寝てる……」


どうやら、相当疲れが溜まっていたらしい。

僕は、なるべく音を立てないようにカーテンを閉めた。

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