第2話『異分子』

 車輪の転がる音を立てて揺らぐ地平。張り付くように凍える肢体。

 私の意識が先に覚えたのは、そんな異質の感覚でした。


「……ティ」


 闇夜を更に暗幕で囲ったような漆黒。


「お……バティ……」


 耳元で囁く、男の子の声。


「……リバティ。聞こえたら返事をしてくれ」


 ──私は静かに、重い瞼を開きます。


「う、ん。ここは……?」

「やっと目を覚ましたか。ここは荷台の中だ。俺が見えるか?」

「荷台の中……? ううん、暗くて見えない。どこにいるの?」

「そりゃあそうか、まだ起きたばかりだもんな。そのうち、目が慣れれば見えるようになるさ」


 辺りは真っ暗闇で、男の子の姿も見えません。

 荷台に窓が付いているのか、上の方から、まるで太陽のように眩しくて小さな光が差し込んできていますが、その光も下にいる私達を照らすことなく闇にかき消されていました。


「……ねぇ」

「何だ?」

「どうして私達は、荷台の中にいるの?」

「そうか、お前は何も覚えていないのか」

「……? うん。何も覚えてない」

「俺達は人攫いに捕まったのさ。どこか遠くで売り飛ばされて、奴隷にでもされるんじゃないか」

「ど、奴隷……!?」

「シッ! 声がでかい」


 男の子は、人差し指を立てて私に注意を促します。

 私は、彼のポーズを真似して指を立て、訳もわからず口を噤みます。

 ……気付いたら、いつの間にか荷台の中が見渡せるようになっていました。 彼の言う通り、目が慣れてきたのでしょう。


「……声が大きかったら、どうしていけないの?」


 私は、声を小さく絞って問いかけました。


「運転手に聞こえちまうからさ。アイツも人攫いの仲間だからな」

「"アイツ"?」

「俺をこんな目に遭わせやがった、ここの運転手さ」


 そう言うと男の子は、鎖に繋がれた足を私の前に差し出します。

 足は、膝から脹脛ふくらはぎにかけて、ハンカチのような布でぐるりと巻かれていました。

 彼は、布の結び目を解いてみせます。

 ──その足は、暗闇で見ても分かるくらいに、赤黒く変色していました。


「えっ……な、何これ、どうしたの!?」

「言ったろ? 運転手の奴にやられたのさ。荷台に詰め込まれた時にちょっとばかし抵抗してな」


「酷い」と。

 自然と口から溢れてしまうほどに、それが容赦の無い暴力によってできた傷だと分かりました。


「さて、と」


 男の子はハンカチで再び足の傷を隠すと、その場に胡座あぐらをかき言いました。


「目も慣れてきたみたいだし、早速本題に移ろうぜ」

「本題? って……何の話?」

「ここを出る計画の話さ」

「ここを出られるの!?」


 男の子は再度、人差し指を立てて自身の口元に充てがいました。

 声を張り上げすぎた事に反省しつつ、私は肩を縮こませて彼と同じポーズをとりました。


「ここを、出られるの? ……本当に?」

「あぁ、本当さ。でも、そのためにはお前の協力が必要だった。だから、お前を起こしたんだ」

「私の、協力……?」

「あぁ。作戦としては、俺達の住む隣国まで逃げて、助けを呼んでくるって寸法なんだが……俺はこの通り、足をやられてる。それに、見た感じお前が一番年長っぽいからな」

「一番年長って、貴方以外他に誰か……あっ」


 私はふと、気付いてしまいました。

 この荷台の中には、私達二人以外にも、別の人影があるようなのです。

 視界の隅に目を凝らすと、壁に寄りかかるようにして、小さな子供達が何人も膝を抱えて眠っていました。


「この子達は……?」

「俺達と同じ、人攫いに捕まった奴らだ」

「こんなに小さな子供達まで、奴隷にされちゃうの!?」

「あぁ。だから、それを俺達がどうにかするんだ……どうだ、力を貸してくれないか」

「……いいよ。私も、このまま奴隷にされちゃうなんて絶対に嫌だもん」


 私がそう言うと、彼は安堵の溜め息を吐いて微笑みました。


「そう言ってくれて良かった。俺の足になってくれる唯一の仲間に断られちゃ、どうしようもなかった」

「それで……私は、どうすればいいの? 私達の住んでいた国に助けを呼びに行く、みたいな事言ってたけれど……」

「そのままの意味さ」


 バツン。私の足元で、そんな鈍い音が鳴り響きました。

 音のした辺りを見ると、そこには2つに千切れた鎖がありました。

 片方は私の足首の枷に、もう片方は男の子が握っています。


「足枷の鎖は外した。多少走りづらいかもしれないが、これで逃げられるはずだ」

「これ、私に付いていたの? というか今、どうやって鎖を──」

「さぁ、次はこっちだ」


 彼は、私の質問などまるで聞こえていないように立ち上がり、足を引きずりながら荷台の小窓がある場所まで歩きます。


「何してるの……?」

「何って、出口を作るのさ……くそ、ギリギリ届かないか。俺の鎖も邪魔だな」


 そう言って彼は、自身の足と荷台の壁とを繋いだ鎖をぎゅっと握りしめます。

 すると、その手はどこからか淡い光を生み、包み込んだ鎖をまるで魚の骨のように、ポキリと簡単に折ってしまいました。

 彼が手を開くと、鎖は断面から淡い光を放ちながら、彼の足元に虚しく転がり落ちました。

 私は開いた口が塞がらず、口元を手で押さえます。


「凄い、凄い! なに、今の!?」

「さぁな。これに名前をつけた事が無いから、何とも呼びようが無いが……まぁ、いいや。今から荷台の扉も開ける。後ろで寝ている奴らは鎖で繋がれてるからいいが、お前は風で躓いたら危ないからな。どこかに掴まっていてくれないか」


 私が頷いて壁をうパイプのうち一本に掴まると、彼は両開きの扉の取っ手に8の字で交差するように巻きつけられた鎖を握りしめ、目を閉じました。

 すると、先ほどと同じように彼の手は淡い光に包まれ、中の鎖をボロボロに崩していきます。

 やがて、千切れた鎖は音を立てて床を跳ね、その場に転がりました。


「まずは街を突っ切って駅に行くんだ。あとは駅を正面から見て右に、レールに沿ってひたすら走れば俺達の街に辿り着ける。ただし、絶対に街の大人達には見つかるんじゃないぞ」

「どうして? 街の人達でも、優しい人なら助けてくれると思うけど……」

「いいから、絶対に見つかるな。いいな?」

「……わかった」

「よし。それじゃあ、ここからは任せたぞ」


 彼は、扉を掴んで力一杯に押し開けます。

 荷台は大きな口を開け、満月の夜を露わにしました。

 外は大粒の雪が吹雪いています。

 終始聞こえていたタイヤの転がる音が、ダイレクトに私達の耳に聞こえてきました。

 トラックは、レンガ造りの薄暗い路地裏を走っています。

 私は、男の子の隣に並んで荷台の淵に立ちました。


「ここから降りればいいの?」

「あぁ。だけど、このスピードじゃ流石に降りられないな……このままだとどんどん駅から遠ざかっちまう。バレちまうが仕方ねえ、車を止めるぞ」

「……えっ?」


 彼は、扉の蝶番に触れて、鎖の時と同じ要領で今度は扉をトラックから切り離しました。

 荷台と分離した扉は、トラックの後方で大きな音を立てながら地面に落下しました。

 すると、それに運転手さんが気付いたのか、急ブレーキが掛かり車はピタリと止まりました。


「さぁ、行け!!」

「貴方はどうするの!?」

「お前が助けを呼んでくれれば済む話だ!! いいから、早く行け!!」

「……わ、わかった!」


 私は荷台から飛び降り、着地と同時に走り出します。

 道がレンガ造りだったお陰で、裸足でも石が食い込むことはありません。

 運転席の扉が閉められる、大きな音。

 背後から聞こえてくる、大人の男の人の怒号と、男の子の声。

 何やら争っているようですが、振り返る暇などありませんでした。


 私は、力の限り雪の積もった路地裏を蹴り上げて駅を目指します。

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