魔女が紡ぐ物語

倉野 色

第1頁『不羈』

第1話『魔女と目次』

 初雪の降る日は、毎年決まって町の広場まで遊びに行きます。

 私に手を引かれて真っ白になった町を隣で駆ける母は、仕方がないといった風に優しい笑みを浮かべてました。

 なので今朝、食器棚の上に置かれたラジオが「今日の晩から明日の昼にかけて、今年最初の雪が観測できます」と、男の人の声で話しているのを聞いた時は、それはもう両手を上げて喜んだものです。


 ──そして、今。


 小さな窓から今年最初の雪が風と共に舞い込んできて、私の小さな掌をしっとりと濡らします。

 私は、不意に感じた冷たさに、重い瞼を開きました。

 しかし、瞼を開いてもそこは、眠っている時のように真っ暗なままです。


 ゴトゴト、がとんがとん。


 車の中を彷彿とさせる揺れと地べたの冷たさが、段々と私の惚けた目を覚ましていきます。


 夜よりも暗いそこに、隣で微笑む母の姿はありませんでした。


 *


「──おや。おはよう、クラーク君。よく眠れたかい?」


 聞き慣れた、若い魔女の声。

 彼女の言葉で、自分がいつの間にか目を覚ましていたことを知る。


「リタ。そうだね……誰かさんのせいで、今夜の寝床が貨物列車の仮眠室になっていなかったなら、もっと快眠できたかもしれない」

「寝起き早々嫌味だなんて、クラーク君もとんだクソガキになったなあ。最初に会った頃はあんなに……いや、あの時も割と、クラーク君はクソガキだったかもしれない」

「……ねてもいいかな」

「もー……冗談だよ、冗談」


 僕は、草臥くたびれたマットの敷かれたベッドから起き上がると、両手を上げて大きく伸びをした。

 リタはそんな僕をニコニコと楽しそうに向かいのベッドから眺めている。

 不意に車体が大きく揺れ、腰がふわりと浮き上がる。

 それと同時に、狭い仮眠室を照らしていた橙色の裸電球が二、三度点滅した。

 電球から視線を下ろし、向かいの二段ベッドの上段を陣取っているリタを見つめると、丁度こちらを振り向いた彼女と目が合った。

 僕らはどちらからとも言わず、互いに視線を外した。


「いやー、機関車でも隣国まで結構かかるモンだね。短距離ならいつもほうきであっという間だけどさ」


 リタは脈絡もなく在り来たりな話題を投げかけてくるが、僕は短く「そうだね」とだけ答えて、ベッドの木枠に肘を置き、頬杖をついた。


「……まだ眠たそうだね?」

「まぁ、寝起きだから多少はね」

「さっきは文句垂れてたけどさ。実際のところ、よく眠れたでしょ? 前の国は大した宿屋も無ければ、強盗に殴り合いに集団誘拐と、治安も最悪だったし」

「うん。あの国はもう御免だよ」

「次は、治安が良い国だといいけどね?」

「……口にすると、本当にそのまさかになっちゃうオチだよ、リタ」

「悪い予想って案外的中するからなあ」


 リタは、両手で頬杖をついてケタケタと笑った。

 薄黄色の塗装が所々剥がれ落ちた、小さくてどこか閉鎖的な仮眠室は、一定のテンポを刻むように小気味良く揺れている。

 視界の端でなびくカーテンを見ながら、僕は先ほど見た夢の事を思い出していた。


「初雪……か」

「初雪が、どうかしたのかい?」

「いや、なんでも。夢を見ただけだよ。ただ、僕の記憶とは違う──なにか、他人の思い出みたいな夢だったから、少し気になって」

「他人の思い出、ね……ああ、そうだ。クラーク君、おいで」


 リタは起き上がり、四つん這いでカーテンの揺れる窓に歩み寄った。

 そうしてベッドから降り、彼女は僕の方を振り返って小さく手招きをした。


「……何?」

「いいから、おいで。良いものを見せてあげるよ」

「"良いもの"?」


 言われるがまま、リタの隣に並ぶ。

 リタは、組み立てる前の本棚が入った箱を開ける時のようにそわそわしながら、錆びついた窓枠に指を掛ける。

 そしてそれを、力一杯に開け放った。

 吹き込む風に、カーテンが羽ばたくような音を立てて揺れる。

 開け放たれた窓の向こうには、純白に覆われた森が広がっていた。


「わっ……雪だ」

「さっきラジオで言ってたんだ。"今日の晩から明日の昼にかけて、この年最初の雪が見れる"ってね。それにしても……凄い雪だね。もしかしたら、明日も晩まで降り続けるんじゃないかなあ」

「"今日の晩から、明日の昼にかけて"……」

「また、夢の話?」

「また、夢の話」


 僕らは、互いの顔を一度も見ずに、まるで雪と会話しているかのように窓の外を眺めながら、言葉を交わす。

 すると、リタが唐突に、隣で何やら情けない声を上げた。

 僕は思わず振り返る。リタは、両腕をさすってぶるぶると震えていた。

 彼女は困り顔で、苦笑いを浮かべた。


「ははっ……さすがに寒いね」

「そりゃあ、夜の雪だからね。もう閉めようか?」

「うん、それがいい……けど、クラーク君はいいのかい? もう少し雪を見ていたいとか、そういう気持ちは──」

「別に無いから、いいよ。リタが寒いなら閉めよう」


 シャッター式の窓を閉じる。

 風の音がピタリと止み、車輪の駆けるゴトゴトという音が、足下からよく聞こえるようになった。

 リタは、僕の向かい──先ほどまでいた二段ベッドの下段に今度は座り込み、手元に毛布を手繰たぐり寄せた。


「リタって、意外と寒がりなんだね」

「別に意外でも何でもないと思うけどな」

「意外だよ。リタがあの館にやってきた時も外は吹雪ふぶいていたし、そもそもリタは炎の魔法使いじゃないか」

「ははっ、それは流石に偏見だよ。いくら私が炎を扱う魔法使いだからって、体温まで高いワケじゃない……というか、私が館に来た時に外が吹雪いていたのは、別に私の寒がりとは何も関係な──」

「おい。今何か、話し声みたいなのが聞こえなかったか?」


 突如聞こえてきた若い男の声に、僕らは反射的に声の聞こえた扉の方を凝視した。

 扉の向こうで、カツカツという二人分の乾いた靴音が響く。


「話し声? ここは貨物列車だぜ、荷物が喋ったって言うのか?」


 ふとリタの方を見ると、彼女はやけにウキウキと身体を振り子のように揺らしていた。


「ねえ、リタ……」

「シーッ。見つかったら面倒だから、ここは静かにやり過ごそう」

「あぁ、まあ……そうなんだけどさ」


 なぜ彼女は、この状況をこんなにも楽しんでいるのだろう。

 やがて、男達の足音は遠ざかっていった。どうやらやり過ごせたらしい。

「危なかったねぇ」なんて言いながら悪戯っぽく笑うリタに、僕は深い溜め息をついた。


「ねぇ、わざわざ貨物列車に無賃乗車なんかしなくてもよかったんじゃない? お陰で僕まで立派な犯罪者だ」

「よくないね。あの街には、魔女狩りの連中が彷徨いていたみたいだし。それに……」


 リタは、すみれ色の外套がいとうから、一冊の本を取り出した。


「一度断片に逃げられちゃあ、手間だからね」

「……それは、そうだけど」


 辞書のようなそれには、分厚い背表紙に反して2ページしか紙がじられていない。

 表紙には、何やら怪しげな陣が描かれており、金色の印で『のぞみの書』とだけ記されていた。

 ──この本は所謂いわゆる、魔道書というやつだった。

 安直なタイトルだが、お陰でどんな本か察しがつきやすい。

 リタは、綴じられた二枚のうち、手前にある『目次』というページを開く。

 その一番上に手書きの赤い文字で書かれた"Clarkクラーク"の文字。

 リタは、その文字を指先で撫でると、こちらを向き直った。

 どちらも無言なものだから、変な沈黙が流れる。


「……リタは、さ」

「うん?」

「断片を全部回収したら、何を願うつもりなの?」

「うーん……秘密、かな」

「そっか」


 いつも通りの回答だった。

 僕は、こちらを見つめるリタから視線を外すように目を閉じて、ベッドに横向きに倒れ込んだ。

 掛け毛布に顔をうずめると、毛布の中で温められていた空気が鼻先をくすぐった。

 すると少し遅れて、向かいのベッドからも倒れこむような音が聞こえてきた。

 僕は、横向きに寝転んだまま、瞼を開く。

 ちょうど視線の先で、リタも同じような体勢をとっていた。

 ベッドの上を、肩まで伸びた金の髪が枝葉のように這っている。

 そして彼女は、子供っぽい笑みをこちらに向けた。

 僕はムッとして口を真一文字に結ぶ。


「……何で真似するのさ」

「別に理由なんか無いよ」

「そう」


 リタは、顔の前で重ねていた両手を広げ、仰向けに寝返りをうった。

 僕も続くように仰向けになる。

 リタは、横目で僕の方を見た。


「何で真似するのさ」

「別に理由なんか無いよ」

「ふふっ……ひひひ」

「何、その笑い方」

「なーんでも? いやあ、クラーク君は可愛いなあー」

「やめてよ、嬉しくもない」


 リタは「何だよお」とからかうように言うと、声を出して笑った。

 僕も馬鹿馬鹿しくなって、つられて笑みをこぼした。


「──そういえば、僕ってどのくらい寝てたの?」


 リタは腰を起こし、ベッドの下から革の鞄を引っ張り出した。

 そして、中から銀色の懐中時計を取り出した。

 懐中時計の銀は、天井の照明で橙色に輝いている。


「えーっと、今がちょうど深夜3時だから……」

「だいたい5時間か……結構寝たなぁ」

「到着までまだ2時間はあるし、私もそろそろ寝ようかな」


 リタは右手で口を覆い、大きな欠伸をする。

 そういえば、リタの目の下には薄らとくまができていた。

 口振りからして、どうやら今までずっと起きていたらしい。


「リタも寝ればよかったのに。何してたの?」

「ちょっと魔法陣を組んでいたら、時間を忘れちゃってね。それに、二人とも寝て覚めたら牢屋の中なんて嫌だし」

「魔法陣……? まぁ、街に着いたらここを出なきゃだし、今のうちに寝ときなよ。僕が見張ってるからさ」

「ああ、うん。そうさせてもらうよ」


 リタは外套を脱ぎ捨てて、外套と同じ色の三角帽子をベッドの下に置いた。

 そうして再び仰向けになって、天井を仰ぐ形で両の目を閉じた。


「ねぇ、クラーク君」

「何?」

「今回は、何事も無ければいいね」

「……そうだね」

「それから、今度の街にはマトモな宿が──」

「リタ、おやすみ」

「……ああ。おやすみ」


 リタは微かに笑みを浮かべて、やがて浅い寝息を立てた。


「……残念だけれど、何事も無くはなさそうだよ。リタ」


 不穏な夢の事を思い出し、僕はそう呟いた。

 リタは返事をしない。どうやら早くも、爆睡モードに入ったらしい。

 僕は腰を起こして、リタがほうった外套からくだんの魔道書を取り出した。

 少し角の削れた表紙を捲ると、一番上に目次と書かれたページが現れた。


「……次の街は、どうだったかな」


 僕は望の書を閉じて、それを外套の内ポケットに仕舞い込んだ。

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