第6話:カラスとの旅立ちは羽ばたかない
一通りやるべきことは終わった。 あとは用意を終えて、旅立つだけだ。
旅立ちには良くない曇り空を窓の外に眺める。 装備は心許なく、いつもの服装と、最低限の刃物としてナイフに、夜中のためにランプ、それにパンを一切れを鞄に入れる。
聖女様グッズは……持ち歩くのは無理だろう。 金銭は、到底足りるはずもないが育ててもらった恩をほんの少しでもと、すべて置いていくことにしようか。
「お金なくて、大丈夫?」
「まぁ、大丈夫。 ……あんまり、いろいろ持って旅立つのは趣味じゃねーッス」
一応、鎖は装備しておくか。 これがないと魔物との戦いが出来ない。
小さな古びた鞄を持ち上げる。 片手で振り回せるほどに軽く、身軽な旅立ちと呼ぶには相応しい出で立ちだろう。
いや、もう暖かくなり始めたのだから上着はいらないかと脱いで壁に掛ける。 肌着と茶黒い長ズボンに、肘までしか袖のない薄い服。
身軽になった身体で立ち上がり、鞄を掛ける。
「軽装だね」
「これぐらいが旅立ちには丁度いいんスよ」
「どこに行くの?」
「てきとー、って言いたいところッスけど、迷子になって餓死は嫌だから街道に沿って街から街へッスかね。
とりあえず王都に見物旅行を目的にして」
鈴を転がすような高い声が、嬉しそうに弾む。 楽しそう、と二人で笑い合う。
旅を舐めていると言えばそれまでかもしれないけれど、ほんの少しの高揚感はある。
「荷物はなく、計画は無計画、それに健康な身体と最高の相棒」
「準備万端」
白いカラスを頭の上に乗せて、扉に手を掛ける。 そして扉を開こうとしてーーーー扉が勝手に開いて見慣れた母の顔が見えた。
少し曇った顔は、空と同じように見える。
「行くんだ。 旅に」
止めてくれたら、嬉しい。 そんな情けないことを思いながら、笑みを浮かべて母に言った。
返って来ない声に少しだけ傷を付けながら母の横を通り過ぎる。
「ちゃんと、食べて寝ること。 レイヴは……いつも無理するんだから」
「うん」
「どうにもならなくなったら、帰ってくること」
「……うん」
「恋人とか、お友達とか、お嫁さんとか……大切な人が出来たら、紹介しに来ること」
「母さんも、俺が帰ってきたら、紹介してよ」
俺の言葉に母は苦笑して、横髪を撫でた。
「お父さんに似て、綺麗な黒い髪と黒い眼。
きっと……うん、絶対、強くてかっこいい男になれる」
「もうなってるッスよ」
「知ってる。 行ってらっしゃい」
玄関の扉に手を掛けて、少しだけ開く。 曇り空の切れ間から光が差し込んできて目が焼けるように眩しい。
頭の上のリロを軽く撫でながら、俺はゆっくりと扉を開けていって出そうになる涙を抑えながら小さく口を動かした。
「いってきます」
明るい外に一歩踏み込んで、扉から手を離す。 ゆっくりと閉まっていくドアの隙間から、膝をついて倒れ込む母の姿を見た。
もう少しだけ、子供としてあそこにいたかった。 でも、もう子供の時代は終わらないといけない。
「よかったの?」
リロの気を使う言葉に頷いて、止まっていた脚を動かす。 女の子の前で気丈なフリをするのは、当然のことだろうか。
「よかったんだ。 これで」
「……うん、かっこいいよ」
屈託のない笑みを浮かべながら「知ってるッス」なんて……言おうとしたけれど、唇が震えてそんな軽口が出てこない。
街の外に出ることの出来る門に辿り着き、門兵に見られながら通り過ぎて、街道を沿って歩く。
少し歩いてから、軽く振り返って見てみると、高い塀に囲われた街が見える。
あんなに小さな場所に俺はずっといたのか。 前を向き直れば、無限に広がっているとさえ思える世界がそこにあった。
胸を焦がすような緑色に恋をするかのように、心臓が跳ね出す。 歩幅が自然と大きくなって、景色が流れていく。
俺は、旅に出たんだ。
幾ら手を伸ばしても掴めない青い空に、ただただ広がる真緑の草原と、ひたすらに続く一本の石畳の街道。
この光景は、ありふれたものなのだろう。 決して珍しい風景でもなければ、特別物があるわけでもない。 だが、それでも、この無限に広がっていく緑と、それすらも覆い包む青のことは、俺は決して忘れることはないだろう。
心の底から溢れ出る思いを口から吐き出す。
「俺は、旅に出たんだ」
日の光は遠く空は蒼々と。 真白いカラスは感嘆のため息を吐き出してその心情を吐露した。
「鳥に、なったみたい」
元々鳥だろう。 いや、違うのか。
生物としての鳥ではあったとしても、鳥はもっと自由なものだ。 飛ぶこともなく、あんなちっぽけな街の中で生きていたのだとすれば、彼女は鳥だったとは言い難いだろうか。
風が吹く。 薄い服では肌寒く、この調子だと一夜はまだ街につかないので、街道沿いで過ごすことになりそうで先がもう既に思いやられる。
「人になって温める?」
「服ないんで、ちょっと無理ッス」
まぁ、旅をするのだから、アクシデントは付き物である。 夜には風が止んでくれていたらいいが。
一歩を何度も積み重ねている内に日が沈み始めて、やがて星空が広がり始めた。
脚を止めて、リロを腕に抱いて上を向く。 寒い風が身体を冷やすが、それを忘れられるほどの星空が広がっている。
「……きれい」
確かに綺麗だ。 一つ一つのキラキラと輝く星々に手を伸ばす。
「星には届かないよ。 鳥にでもならないと」
「鳥なら、届くんスか?」
「うん。 鳥だもん」
リロは本気で言っているらしくて、少しだけ面白い。 鳥になったら届くのか。 少なくとも今よりかは高いところから手を伸ばせそうだ。
嫌いな鳥に憧れを抱いている。 そんな不思議なリロになんとなく親近感を抱く。
くちゅん、と可愛らしいくしゃみが聞こえ、白い羽毛を撫でてから持ち上げる。
「寒くなってきたから、中に入るッスか?」
「ん、いい。 大丈夫」
「なら、俺が寒いんで暖を取らせて」
「……しかたない」
襟元から頭だけ出るようにして、リロを服の中に入れる。 サラサラとした感触がむずかゆく、暖かい。
これ以上歩き通すのは大変だと思い、街道から少しだけ離れた場所に腰を下ろして、鞄の中からパンを一切れ取り出す。
細かく千切って、手に並べてリロの前に出す。
「ありがとう、美味しいよ」
「ん、どういたしまして。 喉乾いたッスね」
「……気づいてなかった。 生きるには必要」
「生きる為に必要なもの、女の子?」
「水だよ。 ん、女の子なら、私がいる」
女の子とはいえ、カラスである。 人になれるけど今はカラスで俺を潤すことは出来そうにない。
女の子の潤いよりも、水の潤いの方が今は欲しいけれど。
人も通っていないので、どうしようもないと思っていると、馬の蹄が石畳を蹴る音が聞こえてくる。
風の音に紛れながらだが間違いなく、どうにか水を手に入れられないかと立ち上がった。
「……いや、馬じゃない。 あれは……」
赤い目が闇の中でよく見える。 近づいてくるそれを見てみれば、明らかに形も違えば、大きさも違う。
蹄が石畳を蹴っているのと勘違いしたのも仕方ないような、硬質さを持った身体。
図鑑で見たことのある姿だ。 岩の身体と四足の脚。
「……魔物も街道を利用する時代なんスね」
「逃げる?」
街道を爆走しているところを見ると、草原を走るのにはあまり適していない形をしているのかもしれない。 リロの言う通り、街道から離れたら逃げられるかもしれないがーー。
「いや、現状は街道から離れる方が危険ッスね。 迷子になったら軽く死ねるッス」
「勝てる?」
「まぁ、これぐらいなら」
明らかに俺たちに向かってきているのを確認してからリロを鞄に詰め込んで、鞄を背中にまわす。
腹に巻いていた鎖を引き出して、輪を作る。
早退する魔物はストーンスターグ。 シカに似た岩の魔物で、重量と硬質さが厄介な魔物だが、それ以外には大した特徴はなく、戦うには難しいものではない。
「……無理、しないでね」
リロの言葉に頷いてから、鎖を構える。 魔物の突進が当たる瞬間に横に避けながら、岩の角に鎖で作った輪をかけて、街道から離れながら鎖を引っ張る。
根性である。 並大抵のことは根性でどうにかなる。
俺に躱されたことで方向を転換しようとしていた魔物の身体を街道から引き摺り出すように引く。
抵抗している魔物と綱引きのようになるが、魔物の脚は踏ん張りの効かない岩で出来ている。
馬鹿力。 昔誰かにそう呼ばれた膂力を以って街道から引き摺り下ろした。
これでどうにかなるかと思ったが、魔物は身体になんとも異変がないことを確認してから、俺に突っ込んでくる。
「あ、普通に草原でも走れるんスね」
「……少しだけ遅い?」
もしかしたら草原だからではなく、勢いがなくなったからかもしれないが、それはどうでもいいか。
力なら勝っていることは分かっている。 突進してくるシカの魔物の角を掴み、勢いに押されて後ろに動くが、皮の靴で草を掴むように踏ん張って徐々に勢いを減らしていく。
ゆっくりとなったところで、背を少し逸らしながら、角を掴んだままの腕を無理矢理に上に振り上げる。
「おお」
少し緊張感の削がれる感嘆の声を聞きながら、背を大きく逸らして、岩の身体をした魔物を持ち上げる。そのまま背中をエビのように逸らして、腕を全力で振り上げーー魔物を後方へと叩き落とす。
岩が砕ける音が聞こえる。あらぬ方向に首が曲がっている岩のシカを見て、思い切り息を吐き出しながら倒れ込む。
息が止まっていることを確認してから、体から力を抜く。
「うあー、疲れたー。 背中がめっちゃ痛い」
「大丈夫?」
「ういー、身体、固くなってるっぽいッス。 カラスも怪我ないッスよね?」
「ううー、ないよー」
「うえー」
「うおー」
なんとなく和んだところで、まだ暖かい魔物に触れる。
ナイフしかないので、解体とかは無理そうだ。 次の街まで放置するのも疲れるので、放置が基本だろう。
パンを取り出して、小さくしたそれをリロの前に置く。
自分も残りを食べて息を吐き出す。
「初勝利……ッスね」
「おめでとう」
曲げすぎたせいで背中が痛むのと、喉の渇きが増したこと以外には変化はなく、得るものは何もないが満足感はある。
魔物に力勝ちするというカッコいいところを見せたし、リロちゃんに惚れられたかもしれない。
今は白いカラスにしか見えないが、これでもカラスの神格であり、女の子になることが出来る。 しかもものすごく可愛いし、期待してしまうのも仕方のないことだろう。
女の子にモテるのは男の夢だ。
チラチラとリロを見てみるが、反応は特にない。
「……レイヴくん。 疲れたなら、寝てていいよ。
私、見張りしてるから」
「まぁ、眠くなったらお願いするッスよ」
旅立ちと戦いの高揚で、まだ眠ることは出来そうにない。 疲れは明日まで残ってしまいそうだが、それも悪くない。
息を吐き出して、身体が冷めていくのを感じる。
「男の子だもんね」
「何がッスか。 別にピクニックとかの気分でテンションが上がってるってわけじゃないから」
「そう。 ……起きてるなら」
リロは星空を見上げながら、寂しそうに呟いた。 長い白い髪がサラサラと流れる、そんな少女を幻視して目を擦る。
リロと同じように夜空を見上げれば、同じ景色が俺の目に入ってくるのだ。
いつもの夜空と代わりはしないはずだけれど、何故だかヤケに澄んで見えた。
「起きてるなら……。 レイヴくんの話が、聞きたいな」
そんな少女の言葉に苦笑する。 こんな木っ端な男を気にかけてくれるとは、本当に神らしくなく人のように見える。 遠くから流れ落ちてきた鳥の羽を掴み取り、茶色いそれを月の光に照らして見る。
「俺の話か。 普通の、何の珍しさもないッスよ。
当然面白くもなくて」
「うん。 そんなレイヴくんの話が聞きたいの」
俺の話。 何を話せばいいのかも分からないほどには何もない人間だ。 例えば好きな食べ物とか、得意なこととか。 そんな誰もが面白くないような話しか出来はしない。
まだ、面白い話をして、などと頼まれた方がよほど気が楽なぐらいだ。
「俺はあの街で産まれてーー」
「うん」
「そこのパン屋が上手くてーー。 力持ちなのは自慢でーー」
「さっきも、カッコよかったね」
「将来の夢とかも、ないッスね」
「いいと思う。 目標は一緒に作ろうよ」
話すことは何もない。 それでも絞り出したことに、カラスの少女は嬉しそうに答えていく。
こんな話が本当に面白いのだろうか。 けれども嬉しそうなリロを見ていればそんな気持ちも薄れていき、饒舌になったかのように言葉が止まらない。
夜空にほんの少し明るみが射してきて、星が減ったころに、やっと眠気がくる。
「おやすみ」
リロの可愛らしい声に頬を緩めてから目を閉じた。
からからと、横の街道に車輪の走る音が聞こえる。 明日には知らない街だ。 今は少し、この神様に甘えて休んでしまおうか。
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