第5話:カラスの心配

 俺は怪力である。 ただの人間としては圧倒的と呼べるほどの筋力があることは自惚れではなく、確かな事実として自覚している。


 手の痺れ、何とか竹刀を握りしめたままに入れたが、想像を遥かに超える膂力に、頬から汗が滲み出てきた。


「まだまだ、行くぞ!」

「ッ!」


 片手に握っていた竹刀を両手に握り直し、上段から振り下ろされた竹刀を斜めに受ける。 振り下ろし、からの、振り上げ。前に飛び込むことで回避して、苦し紛れに背中へと竹刀を振るうが容易に竹刀で受けられる。


「レイヴくん」


 リロの心配している声を聞き流しながら、袈裟に振られた剣を竹刀の柄で受けながら勢いに押されて後ろに吹き飛ぶ。 体勢を低く留めながら着地し、それと同時に横に飛ぶ。

 だが、ヨクの方が速い。 振り下ろしが避けられたことを理解したヨクは、悪い体勢のまま力付くで俺の後に張り付き、竹刀を逆袈裟に振るう。


「ッス! どんな無茶苦茶な契約したんスか!」


 ヨクは確かに素でもそこそこ強い、腕の立つ男だった。 それに身体能力を大幅に強化する異能が加われば鬼に金棒だろう。

 だが、それでも普通の強化ならば俺よりも力はないだろうし、これほど追い詰めることは出来ない筈だ。


 考えられるのは、契約の際の誓いの言葉。 より神に尽くす言葉であればあるほどに、神からの恩恵も大きく与えられる。


「世界で一番強くなる」


 契約としては不適切な馬鹿らしい言葉。 だが、その契約は為されている。


「よく、通ったッスね」


 俺がそう言いながら、ヨクの連撃を受ける。

 徐々に後退しながら衝撃を逃していくが、道場の壁が近づく。

 追い詰められたその時、道場の奥にある刃の神ヒトタチの神像から高い女性の言葉が響く。


『コイツの言葉を信じている訳ではない』


 やはり見ていたのか。 刃の神。

 舌打ちと共に目を細め、竹刀の柄の尻で胴に振られた竹刀を受け止める。 荒い息が口から漏れ出て、予想以上の強さに顔を歪ませる。


「じゃあ、何でッスか」

『コイツには才能もないな。 やる気はあるらしいが、やる事は愚鈍で効率が悪い。 武とは凡ゆる効率の極限であり、それを持たない奴に最強はあり得ない』

「じゃあ、何でッスか!」


 苛立ちと共に一太刀流の技を放つ。 竹刀同士がぶつかる瞬間に腕を引き、相手の剣を振り切らせる技だ。

 俺の竹刀とぶつかると思っていたヨクの竹刀は大きく空振り、その隙に壁を蹴りヨクの横を転がる。


「コイツは嫌いッスけど、それでもそれは不快ッスよ!」

『面白いだろ? 才能のない奴がどれだけ強くなれるか』


「さっきから、一人でゴチャゴチャと……!」


 竹刀をヨクに振るう。 神により強化された筋力により受けられるが、ぶつかると同時に竹刀を巻き取るように動かし、竹刀を奪い取ろうとするが力負けする。


「そんなんだから嫁ぎ遅れるんス」

『……別に、言い寄ってくる男ぐらいいた。 私よりも弱い男に身を許すことをしなかっただけだ』

「はんっ、100年も前のことッスからどうとでも言えるッスね」

『チッ』


 その舌打ちと同時にヨクに流入する力が増していき、横振りを竹刀で受けるが、圧倒的な威力に勝てずに身体が吹き飛ぶ。 リロの心配をする声が聞こえ、それを嘲笑いながらヒトタチが言葉を発する。


『言い様だな、レイヴ。 私ではなく、こんな小娘としたからだ。 お前に私の力があれば、そこの小僧の言っている「世界で一番強くなる」という望みだって、不可能ではなかっただろう』

「うるさいッスよ」


 ヨクは強い。 俺の一番の自慢である力は圧倒的に負けていて、速さも紙一重で付いていけてるだけ。


『あれだけ目を掛けてやったのに……。 そんな小娘に靡いて』

「はんっ、100歳越えてる性悪女よりも、優しくて可愛いリロの方がいいに決まってるッスよ」


 何度も吹き飛ばされる中、竹刀が力に耐えきれずに歪んできた。 ヨクの振り下ろしを避けて、そのまま放たれる振り上げを竹刀で受けながら、跳ねる。

 勢いに逆らうことなく飛ばされて、天井に着地する。 それと同時に脚のバネで下に跳ね飛ぶ。


「そんなに俺が嫌いッスか!」

「嫌いだが、これは試合だからな!」

「うるせえ、お前に言ってんじゃねえんスよ!」


 竹刀を構えているヨクへと叩きつけ、俺の竹刀がヘシ折れて上に飛んでいく。


「まだ、まだまだ!」


 竹刀が折れた程度で負けを認める筈もなく、それでヨクが納得する訳もない。

 地面に着地、折れて短くなった竹刀を思い切り振るう。


「私は……貴女のこと、知らないけど」


 リロの鈴のような声が道場の中に響く。


「嫌い。 レイヴくんに意地悪するなら、嫌い」

『小娘が、先に目を付けていたのは私だ』


 俺を巡って二人の女の子が喧嘩しているーー。 が、喜べる状況ではない。

 徐々にヨクへと流入する力が増していき、動きに付いていくことが難しくなってきた。

 だが、速くなった分、自分でも意識が付いて行けてないのか普段よりも単調で分かりやすい。


「一太刀流剣術:波読ノ型【過振】」


 力の流れは、もう今までの打ち合いで把握している。 振り下ろしを斜めに受けて、ツバ競り合いになる前に引き、ヨクの竹刀を横から力を加えて力の向きを変化させる。


「ーーッ!!」


 気が付いたらしいが、もう技は極まっている。

 力向きが変化している中、短い竹刀でヨクの竹刀を巻き取り、身体能力は上がっていても重さは増えてはいないヨクの身体を浮かせ、操った剣を振る力を自由にさせる。


 遥かに自力を越えた力が、空中で解放されたとなったらどうなるか。 ヨクの身体は空中でひっくり返り、体制を整えることも出来ずに地面に落ちる。


「弱えッスよ、ヨク。 少なくともいつもよりも」


 驚いたように立ち上がりながら、ヨクは俺に向かって竹刀を振るうが、斜めに受けて受け流す。


『まぁ、分かりきっていた結果か。 私の直弟子であるレイヴが、向こう見ずなだけのコイツに負けるはずもない』

「んぅ、弟子?」

「後で教えるッスよ」


 力に振り回されているヨクに、更なる力が流入し、身体を極限にまで強化される。


『まぁ、このままは面白くないな。 こんな小娘に、良いようにされてるお前を見るのは不快だ』

「それにヨクを利用するな。 コイツは嫌いだがーー」


 ヨクは手を何度か開閉してから、竹刀を握り直す。

 そして、明後日の方向に投げ付けた。 神像の破砕音が聞こえて、思わず苦笑いを覚える。

 流入していたはずの力がヨクの元から抜け落ちていく。 一方的な異能の受け取りの拒否。


 俺と刃の神の会話が聞こえていたわけではないだろう。

 けれど、ヨクは不快そうに顔を歪めた。


「なんだ。 今のは」

『神像を壊されたのはどうでもいいが、思うようにいかないのは気に入らないな』

「力が、どうなっている」


 ヨクは自分で破壊した神像を睨み付け、吐き捨てる。


「邪魔を、するな」


 それでこそ、俺のライバルである。 などと偉そうに思いながら、折れた竹刀を神像に向かってぶん投げる。


「……邪魔者もいなくなったところで、やるか」


 先の突進を見れば愚鈍としか言えないほど遅い疾走。 近付いたときに放たれる拳。 それを受け止めることはせずに横から拳を逸らさせて、腕を絡ませ、空いた手でヨクの道着を掴む。 力付くで上に持ち上げて、壁に向かって投げ飛ばす。


『まぁ、レイヴ相手に初太刀を決められなかった時点で、勝てる見込みはなかったな』

「そうとも、限らないみたいッスけど」


 ヨクは空中で体制を整えて、脚から壁につき、その優れた感覚と脚のバネにより衝撃を壁へと逃す。

 そこから床に跳ね、地を這うような低姿勢の疾走。 その姿勢は四足の獣よりも低く、立った状態では手の届く位置にいない。 剣を持っていたとしても、捉えにくいことには違いなく。


 相手の行動を制限し、その上で自分は思うがままに暴れまわる。 一応は一太刀流の技にあるが、扱われることはない。


 単純に、マトモに動くことすら出来ないほどの低姿勢において、戦闘のような高速で動き続けるのは至難の技であり、打ち合って転ける程度しか扱えていないのならば自滅でしかない。


 奇策中の奇策。 下策ですらあるかもしれない技だが、ヨクは何の戸惑いもなく俺に突っ込んでくる。


 脚で蹴り飛ばそうとするが、当たる寸前でヨクは手を床に付ける。 ヨクはそのまま身体を腕の力だけで直角に曲げた。


 大ぶりの蹴りは横を過ぎていく。 明確な隙を、俺のライバルが逃す筈もなかった。

 腹に突き刺さる拳。 神の力で強化されていないとは言えど、鍛えている筋力は一撃で俺の身体を浮かせるほどの威力は持っている。


 強烈な痛みと胃を圧迫された吐き気、息が思い切り喉から出ていった妙な感覚の中、体を捻り二撃目を回避し、三撃目を受け止める。


 受け身を取られる前に投げきる。 浮遊した体のまま腕を引き、地面についた瞬間に足のバネと背筋によりヨクを持ち上げ、力付くで道場の床にと叩きつけようとした。

 だがヨクはそのバランス感覚と身体操作する技術により足から床に当たり、脚を曲げることで投げの勢いを落とす。


 投げが通じなかった。 ならば、と掴んだままの腕を揺さぶりながら、足払いを行う。 目論見通りにヨクの体は傾き地面に落ちていくが、その中でヨクは俺の襟首を腕を掴み、自身の方へと引く。


 ヨクは足払いにより転げる身体を回転させて床との激突の威力を分散させながら、一緒に倒れ込んだ俺の腹に足を当てる。

 回転の勢いのまま、俺を蹴り、掴んでいた部位を離して吹き飛ばす。


 回転のせいで空中での姿勢維持が難しく、楽に着地とはいかない。 木張りの床に指を突き刺し、握り込む。


「レイヴくん……」

「全然問題なし」


 正直、結構頭が揺れて、腹を殴られた吐き気が増しているが耐えられないほどでもない。

 ヨクは目を真っ直ぐに俺に向けて、俺を睨む。


 互いに投げ技は決め手にはなり得ないことが判明したところで、拳を握り込む。


 もはや、異能もなく技もない。 刃の神の信徒が行うような試合ではないけれど、それでも「強さ比べ」という意味ならばこうなっていくことは当然だ。


『情けないな。 剣を持て』

「うるさいッスよ、男同士の話に入ってくるなッス」

『さっき小娘も……』

「リロは別ッスから」


 文句を言う刃の神の言葉を無視しながら、大振りに振られたヨクの拳を避けて、その顔に向けて拳を振るう。

 当たった。 と思ったが、拳が酷く痺れる。 拳に向かっての頭突き。

 馬鹿らしい攻撃に笑みを浮かべ、空いた左手で襟首を掴み上げ、右手で殴り付ける。


 ヨクは足を振り上げて俺の腹を何度も蹴り、襟首を掴んでいる手に爪を立て始めた。 思い切り顎に向けて拳を振るい、一瞬意識を飛ばさせて襟首を掴んだ腕を振り回して床に叩きつけた。


 一瞬の油断。 流石に弱っただろうと、あるいは瞬時に攻撃することはないだろうと、ヨクを舐めていた。

 肺から息が漏れ出て、身体が仰け反る。 続いてくる拳を顔で受けながら、拳を振るってヨクの顔面を潰す。


 拳に殴られながらも、その隙間から見たら殴られながらもヨクが笑っていた。

 負けてたまるか、と俺も無理矢理に顔を歪ませて笑う。


「ははは!」

「は、よくやるッスね! 倒れてもいいんスよ」


 笑顔に向かって拳を振るい、ヨクの顔が仰け反る。 伸びきった腕を掴まれて、引き摺られながら顔を殴られる。


 ただの殴り合いを繰り返す。 弱ったところを見計らい、腕を掴んで地面に投げつける。


「弱えッスよ! 立てよ!」


 倒れているヨクの腹の上に乗り、何度も殴り付ける。 だがそれでもヨクは弱る姿を見せず、俺の腹を殴打する。


「ッーーせぇな!」


 ヨクは俺を無理矢理に押し退けて立ち上がり、吼えながら足を空に大振り、地面を踏み潰すように踏み込んで床を揺らす。


 道場ごと揺らすような怒鳴りと気迫。

 ヨクの拳が顔に突き刺さり、俺の拳がヨクの腹を凹ませる。


「まだ、まだまだやれるぞ!!」

「訂正するッスよ。 弱くはないッスね!」


 何度も何度も、殴り、殴られる。



◆◆◆◆◆


「レイヴくんのばか」

「……正直すまんッス」


 どうやって家に帰ったのも朦朧としている。 ほんの少しだけ声を吐き出すだけでも、口を開くだけでも身体に痛みが走る。


「……らくしょーって、言ってた」

「すまんッス、メンゴメンゴ」


 軽口を叩くけれど、泣きそう。 リロに頭を撫でられるが、心地よいどころか痛い。

 まぁ、骨折もしていないので寝ていたら治るか。


「……大丈夫?」

「当然ッスよ」

「分かった。 してほしいことがあったら言ってね?」


 エッチなことを頼んでもいいのだろうか?

 軽く光に手を伸ばしながら、息を吐き出す。


「明日、旅に出るッスよ。 結局、誰にも謝れなかったけど」

「それどころか壊したね」


 軽く笑う。 まぁ、七柱の神なら、どこの町にでも神殿だとかがあるので、別にいいだろう。 川の神ナルルガはマイナーな神なので、この街でしか会えないけれど……まぁ、うん、謝りに行くのは止めとこう。 死ぬ。


 樹の神も謝らないでいいか、確か王都には神殿があったはずだ。 本体はこの街にいるけれど、何故かこの街ではほとんど樹の神は知られていない。


 目を細めながら、リロを見る。

 何故、彼女は俺の横にいてくれるのだろうか。 考えても結論が出ることはなく、考えている内に眠りに落ちた。

 明日からは、もうここで寝ることはない。 そんなことを薄らと頭に過ぎらせながら。

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