第4話:カラスと自己紹介
カラスと甘い物を買いに行くことにしたが、屋台でなくてカラスを連れていってもいい飲食店はあるのだろうか。
美味しそうな匂いを横に、カラスの身体を撫でる。
「どうしたの?」
「いや、別に」
言葉が詰まり、それを気にしたようにカラスは俺を見た。
この街にいるのも、この道を歩くのも、もうこれで終わりかと思うと寂しく思う。
「そういえば、この街に住んでいたのか?」
白いカラスは少しだけ動きを止めて、路地の裏に目を寄せた。 片方だけの羽を動かして、頭の上から跳ねて肩に乗り換える。
「うん。 ……産まれたときから、ずっとこの街の中」
「俺と一緒ッスね」
バタバタと片方だけの翼をはためかせても、空を飛ぶことは出来ない。 白い羽根が少し空を舞って、ゆっくりと溶けるように下に落ちていくだけだ。
「さみしいの?」
「まぁ、少しだけ。 寂しくないんスか?」
「私は……少しだけ、うれしい」
反対の言葉がカラスの口から出てくる。 俺は負の感情で、カラスは喜びの感情。 しかしながら、生まれ育った街を離れることに喜びを覚えるのは何となく物悲しい。
素直に祝ってやることも出来ずに息を吐き出す。
「そうッスか。 この街は、嫌いなのか?」
「ううん。 ……嫌いじゃないよ。 レイヴくんは」
「俺は好きッスよ。 生まれ育った街だから」
「なら、私も好きかな」
なんだそれ。 と、少し笑ってから気分が良いまま、店先に並べられていた砂糖を固めた菓子を見つけて、二袋掴んで店員に店先まで出てもらって金を払う。
わざわざ出てきてくれた顔見知りの店員に礼を言ってから再び家に向かった帰路に着く。
「レイヴくんのこと、知りたいな」
「んー、名前はレイヴ=アーテル。 歳は16歳で、特技は鎖術……ぐらいしか思いつかないな」
「ん、全部知ってる。 好きなものと嫌いなものも、教えて?」
本当に人間らしい神様である。 まだ聖餐も生み出せないほど力がなく神に成り立てだからか、あるいはそういう性質だからか。
「好きなものは……聖女様に、美味しいもの、母さんも好きッスし……」
「私は……?」
青い瞳をこちらに向けて、不安げな声を出す。
かわいらしい仕草に頰を緩ませる。
「もちろん、好きッスよ。 かわいくて、いい子で、触ったら気持ち良くて……」
「レイヴくんの、えっち……」
確かにお尻は触ったらすごく気持ち良かった。 また触りたい……ではなく、違う、カラス形態の触り心地の話だ。
それを弁明しようとするが、焦って舌を噛み、悶える。
「うぅ……違うんスよ……」
「ちがうの?」
「違わないけど……。 いや、違うの、本当に。 そんないやらしい意味じゃなくて」
「もう、しないでね」
「はい。 ごめんなさい」
あれだけの狼藉を一言の謝罪で許してくれたカラスの少女に感謝していると、翼をバサバサと羽ばたかれて続きを促される。
「えと、嫌いなものッスか。 辛いものとか」
「カラいの、私も嫌い」
「人混みとか……あと、火事が嫌いッスね。 嫌いというか、怖いという感じッスけど」
「火事?」
目を閉じて、あの光景を思い出すと少しだけ汗が滲み出て、頰に伝う。
誤魔化すように砂糖菓子の袋を開けて、一粒取り出してカラスに渡す。 嘴で砂糖菓子を咥えて、ぱくりと口に含んだ。
「びみ」
「それは良かったッス。 君のことも教えてくれるッスか。 いつまでも君とか、カラスって呼ぶのは」
「うん。 自己紹介、がんばる」
がんばる必要はないけれど。 気合を入れているカラスを横に、俺は道を曲がって近くにまできた家を見る。
「名前、初めて名乗る」
「カラスにも名前ってあるんスね」
なかったら名付けてみたかったような気もする。 カラスは首を横に振って俺の言葉を否定した。
「ううん。 神になって、ぱーって、頭に浮かんだの」
アバウトな言葉に首を傾げるが、本題はそれではないので、それ以上尋ねることもせずに、耳を傾けてカラスの鈴の音の声を聞き続ける。
「私の名前は、リロ。 リロイア=レーヴェン、です」
「リロ……。 リロイア=レーヴェン」
カラスの名前、いや、リロの名前を聞いて、口に出してその名前を繰り返す。 嬉しそうな笑い声がリロから聞こえる。
「いい名前ッスね」
「ん……えへへ」
カラスを撫でて、家の扉に手を掛ける。 ノブを捻って、扉を開けると、後どれぐらい中にいれるのかも分からない室内が広がる。
右手に持ったパンを軽く持ち上げながら、母親のいる部屋に入っていく。
「買ってきたッスよ」
「ありがと。 紅茶淹れなおすね」
特に疲れてもいない脚を休めるために椅子に座って、リロを肩から机の上に移動させる。 砂糖菓子を幾つか取り出して、皿に乗せてリロの前に置く。
すぐにがっつくかと思ったけれど、俺と母さんを待っているのか、机の上ながら行儀よくしている。
こうしてみると、人化しているときにはなかったが、片翼が千切れてなくなっていること意外にも傷が多くあり、痛ましい。
「お待たせ。 じゃあ食べようか」
「食べるね?」
「ああ。 あ、リロ、トマト好きか? あげよう、皿に乗せるッスよ」
パンに乗せてあったトマトをリロの前の皿に置いて押し付ける。 母さんにため息を吐かれるが、気にしないことにしよう。
「ありがと。 トマト好きなの」
可愛らしいと思うが、これが人に成ると思えば微妙な気分だ。 いや、人間の形態も驚くべきほど可愛らしいが、それはそれでこれはこれというか。
頭をガリガリと掻いて息を吐き出す。 ……相棒になる、と話をしていて、人に成ると知り思ったのと違うからしっくりこないのか。
自分の肝っ玉の小ささを不快に思いながら、パンを口に含める。
母親には伝わらないように口の中で収まるような囁き声で言う。
「リロ、さっきの自己紹介。 嫌いな物に、俺を追加で」
リロがトマトを突く嘴を止めて、俺の方に青い瞳を向ける。
「かぁ……」
弱々しく鳴いた声に、詰まらないことを言った事に気が付き、リロの片翼を撫でて小さく笑みを浮かべた。
かりっ、と小さな砂糖菓子の粒を一つ突いて半分に割り、嘴に咥えて俺の元に跳ねる。 昨日のことを思い出して、手を置くと真白なカラスはその手の上に置いて、皿の元に戻っていく。
「さっきの、自己紹介の続き。
私、リロイア=レーヴェンの好きな物。 笑っちゃうくらい、単純だけど」
リロの高い声は薄いと感じるほどに小さくか細い。 手に握られた砂糖菓子を見る。 砂糖が固められただけの物で、甘さしかない代物だ。
身体から力が抜けていくような感覚。
「……リロ?」
感覚的に分かる。 契約が打ち切られた。 だとすると手に握られたこの砂糖菓子は。
大切にそれを摘み上げる。 リロの不安げな声を聞きながら、口の中に広がる甘さを感じ笑みを漏らす。
「レイヴくん。 ……ごめんね。 ありがとう」
「この俺には二言はないッスよ」
元に戻ってきた、力無き力。 白いカラスの神性、リロイア=レーヴェンの力が体中に染み渡り、何の違いも起こらないことを確かめる。
所詮格好つけでしかなく、出来ることならばリロと旅をしながらでもリロの異能ではなく他の神の異能が欲しかったが……やっぱり、それは格好悪い。
「レイヴ、どうしたの?」
「ん、リロとの話ッスよ。 な、リロ」
「かあ」
格好付けしいは格好付けしいなりにはプライドがあるのである。 結局それだけのことで、決してリロに好きと言われた心地良さから契約を再び結んだわけではない。
「別にいいけど、旅ってどこに行くの?」
「んー、とりあえずは王都ッスね」
聖女様と一言でいいから話したい。 という願望は当然として、他にも王都には何でも揃っている。 一応、働ける場所として視野に入れているのは迷宮だ。 魔物を狩るにしても多く存在する迷宮は効率が良いし、なんか宝物とかが発見されることもあるらしい。
「あんた、聖女様好きだね」
「まぁ、好きッスけど……」
最後のパンを口に含んで直ぐに飲み込む。 リロが欲しがるので皿に再び砂糖菓子を乗せてから紅茶に口を付ける。
砂糖菓子を一つ手にとって、口に含む。 さっきの半欠片の砂糖菓子よりも味が薄いような気がするのは勘違いだろうか。
紅茶を飲みながら、リロの言葉を聞く。
「好きな物は、他には……キラキラした物、甘い物、ゆっくり出来る場所かな?」
「あー、いいッスね」
「嫌いな物は……鳥」
鳥? 聞き返そうかと思ったけれど、リロの砂糖菓子を突く早さがゆっくりになっている。
嫌な思い出でもあるのだろう。 痛々しい傷跡を見て、口を噤んだ。
「リロが嫌いなら、俺も嫌いッスよ」
「……かぁ」
嬉しそうな一鳴きを聞く。 カラスは元々群れる生き物で、近くにはリロ以外のカラスはいなかった。 そういうことなのだろう。
色が黒の仲間の中で、真白なカラスは奇怪で仕方がなかった。
かあ、かあ。 かあ、かあ、かあ。 俺が部屋の中で寛いでいる時のカラスの鳴き声に、リロの鳴き声は、リロの泣く声はどれほど混じっていたのか。 かあ、かあ。 などと物悲しい声を聞いたことはなかったか。
砂糖菓子を食べ終えたカラスを連れて、自室に戻る。
「リロ。 旅は、楽しみッスか?」
「うん。 楽しみ」
なら、楽しい旅にしてやる義務があるか。 リロは布団の中に潜り込み、プクリと布団が膨れたかと思うと少女の可愛らしい頭だけが布団から出される。
「嬉しそうッスね」
人の姿をとったリロは、身体を布団で隠しながら俺に笑いかける。
「そうなの?」
「笑ってるッスよ?」
リロは白い手でペタペタと自分の顔を触り、不思議そうに首を傾げる。
「よく分からない」
「まぁ、人になれるようになったばっかりなら、表情のことも分からないもんッスよね。
今から、他の神様に謝りに行くッスけど、着いてくるッス? 家でお菓子食べててもいいけど」
「いく」
即答したリロはカラスの姿に戻り、俺の足元にまで跳ねてくる。 手に取って頭の上に乗せてから、鎖が腹に巻かれていることを確認し、部屋の扉を開いた。
家の外に出ると、空高くに巨大な鳥が羽ばたいている。 ヒラヒラと一枚の羽根が揺れ落ちてきて、リロの愛らしく吐き出された息が髪をほんの少し揺らす。
美しいと思った。 おそらくそれはリロも変わらない。
嫌いという言葉の陰に、羨望。
「謝りに行くッスよ。 とりあえず、光の神……はいいとして、刃の神が始めかな……」
「どんな人?」
「んー、美人さんッスよ。 あと、超強いッス。 武を嗜むものとしては、人の身で刃を極めて神に至ったのは憧れッスね」
リロは小さな声を発する。
「ごめんね。 私と契約したせいで、強くなれなくて」
「いや、気にする必要はないッスよ」
竹刀を打ち合う音と男の叫び声。 刃の神の道場では昼夜問わずに聞ける音で、道場に近づいたことを知る。
道場の戸に手を触れて、ゆっくりと開く。
「道場の人だって、別にみんながみんな刃の神の加護をもらうわけじゃないッスしね。
それにーーーー」
開けた瞬間に挨拶代わりと、放たれた竹刀の横振り。 指の先を引きながら当てさせ、指の腹、手の腹、と何度もクッションを挟むように勢いを弱めさせてから、手で掴む。
そのまま身体を捻りながら竹刀を奪い取ろうとするが、しっかりと掴んでいるらしく竹刀の持ち主は離れない。
それならそれで都合が良い。 竹刀を握っている者ごと、竹刀を持ち上げる。 驚嘆の声を横に聞きながら、竹刀を上段に振り上げて振り下ろす。
竹刀の逆の端を握っていた男は道場の床に叩きつけられて呻く。
「それに、
当然の事実。 その言葉にリロは納得したように「かあ」と鳴く。
「まぁ、それを目指してるわけじゃないッスけど。
俺からしたら不利も有利も、似たようなもんッスよ」
少なくとも、人のせいにして弱さを甘んじることはない。
手を伸ばして、地面に叩きつけた男に手を差し出す。 当然のように払われて、俺を睨む。
「相変わらず弱いッスね」
「お前は独り言が多くて気持ち悪いな」
ツンツンとした青い頭の男が立ち上がるのを見ながら、頭を掻く。 狭い街なので当然なのだが、男とは一応幼馴染という間柄でこの対応のされ方にも、対応の仕方にも慣れたものだ。
「今日か明日には出るッスよ」
「……早くないか? まだ異能に慣れてないだろう」
「出来が違うんスよ。 ヨクとは」
「まぁ、俺には関係ないが」
竹刀を此方に向けて、俺を睨む。 肌がピリつくような不快感、先の不意打ちとは違う明確な敵意。
何が言いたいのかはよく分かり、頭の上のリロを触る。
「リロ、少し離れといて」
「いや」
「危ないッスから」
「危ないことするなら、いや」
俺とヨクは喧嘩友達のような関係で、いつも殴りあったり、試合の真似事をしたりとしている。 だから大丈夫というわけではないが、互いに大きな怪我をするようなことはない。 そう説明して離れてもらう。
今回はそう怪我をしないとはいかなさそうだが、まぁ仕方ないだろう。
「本当は、刃の神に謝るだけの予定だったんスけどね。 上手くいかないもんだ」
「これで、互いに加護を得たんだ。 もう手加減はない」
ヨクは俺より二つ歳上で、二年前に加護を得た。
「二年。 それだけ待った。
負け続けていたが、今回だけが本番だ」
手加減していたという言葉は正しく。 ヨクは今の今まで、俺との戦いで刃の加護を扱うことは一度もなかった。
もうこれで最後となる。 一抹の寂しさを覚えながら、ヨクから竹刀を受け取った。
道場の奴らに見世物扱いされながら、一角に陣取る。
リロが遠くに見えたことを確認してから、頷いた。
竹刀と竹刀がぶつかり合い。 高い道場の天井に、甲高い音が響く。
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