深夜あかね食堂_番外

少年は自分の『体質』を呪っていた。真白い髪にそれを上回る白磁のような肌、長い睫毛に縁取られるは濃灰色の夜明け前の瞳。そんな奇異な見た目に加えて、彼は類い稀な戦闘センスと異様にいい五感を持っていたのだ。自分を眇め見る好奇の目に、囁かれる心無い言葉たち。目も耳も、永遠に閉じておくことはできない。だから少年は心を閉ざした。誰にも心を開くまいと口を噤んだのだ。


雪白の眠りは深い。学園の生徒会長をして寝汚いと言わしめる眠りはちょっとやそっとで解けはしない。……食物が絡んでいない限りは。百八十cmの痩躯がむくりと起き上がる。真白い髪の青年は、寝ぼけ眼で時計を確認した。夜の一時である。健康に気遣いを欠かさない『父親』の指導の成果か、この家の消灯時間は十一時だ。それなのに雪白の鼻を刺激するこの匂いは。

「甘味……それも……焦げている……?」

甘い物は大好物だ。しかし腹にたまるものではあるまい。夜食には向かないそれを、しかし誰かが作っている。それも、この香りからして、失敗している。

確認しようと扉に手をかけた瞬間、外からドアがバァンと開いた。

髪を下ろした夜の姿はいつも以上に幼い、ノ風だった。ノ風はぐいぐいと雪白の肩に手をやり部屋に押し戻そうとして来る。

「なんです、ノ風」

「えっと、その……わかんねーよ俺にも!」

「はあ」

逆ギレした年下の少年を雪白は見下す。何を言っているんだこいつは。

「とにかくあれだ! 俺と勝負しろ! ほらお前の部屋床広いし暴れられるだろ!」

「暴れるつもりは」

がらんと空いた腕を雪白は掴み、一気に背負い投げる。

「ありません。足止めなら樒を寄越すべきでしたね。何を隠している」

「ってえ……いや暴れたろ今! はー! もう知るか知るか! 行っちまえ!」

転がされたままバタつくノ風に、雪白は本当になんだったんだと溜息をついてから台所へ向かった。


「おーおー、やっぱりノ風じゃ無理だったか」

「やっぱりボクがいくべきだったって、茜くん」

台所まで来て仰天した。談笑しているのは確かに茜と樒である。この真夜中、どうして三人共起きている。雪白はそれを確かめるべく調理台に向かって……阻止された。

男にしては長い、首元で切り揃えられた髪のよく似合う少年……樒は、雪白の手首を掴みずんずんと歩き出す。

「ばか! お前って本っ当ばか! なんで気持ちの1つも組めないわけ!? 空気読めっての!」

攻撃されているわけではないから反撃もできず、なぜ罵倒されているのかもわからず、雪白は台所から引きずり出された。

「おい樒! あんたがいなくなったら困るからノ風に行かせたんだろうが!」

茜の焦ったような、珍しく途方にくれたような怒鳴り声に、樒は噛み付くように答える。

「自分一人でやりたいって言ったの茜くんでしょ! あとは頑張りなさい! じゃあね!」

基本茜には極上に甘い樒が怒鳴っているのを見て、雪白は僅かに目を見開いた。珍しい光景である。

そのまま歩いた樒は雪白の部屋に勝手に入り込み、どっかりと腰を下ろした。図々しい彼はそのまま口を開く。

「雪白、今日は何の日?」

「……三月十三日ですね」

「何の日かって聞いてるの。あともう日付変わったから」

「……ホワイトデー……ああ!」

雪白は全ての合点が言ったという風に頷いた。茜は女子だが女子にモテる。大方そのお返しを作っていたのだろう。律儀で料理上手だが流石にスイーツは畑違いだと、樒も呼んで。……ノ風がどうしていたのかは分からないがわ

「違うわばか」

「まだ何も……」

「言わなくても察してる。大方茜くんのお目付役がボク〜とかでも考えてるんでしょ? 分かるわ親友ナメんな」

そこまで言い切ったところで樒は脱力したように床に倒れこんだ。

「ああ〜あ……ボクもお前が喜ぶもの作りたかったのに、茜くんに先越された……」

さらに首をひねる雪白。そこでドタドタと響くは騒々しい足音。間違いなくノ風である。勢いよく扉が開いた。

「ずりーぞ樒! 雪白に誕生日おめでとうって言うのはジャンケンで茜が最初って決まって……あ」

そこでようやく雪白は今日が何の日か思い出した。寝転んだままの樒がうがーと叫ぶ。

「ノ風のばかー! 計画全部台無しだよ!」

「しょうがねえじゃんかよ! 言っちまったもんは」

雪白は樒とノ風の顔を順繰りに見た。

「今日は、……私の誕生日、ですか」

「そうだよ。絶対忘れてるだろうから、朝にみんなで祝ってやるつもりだったの」

樒は不貞腐れたようにそっぽを向いている。雪白はその脇腹をつんと突いた。

「ひゃわっ。何するのさ」

「樒。ノ風。……ありがとうございます」

頭は下げなかった。二人は少しの間の後、にっこりと笑う。

「おう! おめでとー」

「……おめでとうっ」

少し神妙な、と言うべきか、照れ臭い雰囲気になったところで雪白が樒の方を向いた。

「では、茜は?」

「もう計画めちゃくちゃだし、確かめて来たらいいんじゃない?」

「そうします」


そうして戻ってきた台所には、相変わらず焦げ臭……香ばしく甘い香りが漂っていた。近づくこちらに気付きもしない小さな背中は、何やら平たいバットと健闘している。

特に意味もないがそっと近づいて肩を叩いた。茜の丸い肩がぴょんと跳ねる。

「あー。驚かせるなよ樒……って雪白!?」

珍しく感情を露わにした生徒会長殿は、咄嗟にバットの中の物を隠そうとする……が伸ばした雪白の手の方が早かった。手に取ったそれはコロンと丸く、粉砂糖が愛らしくまぶされている。知らず雪白の喉が鳴った。

「……それな。ホワイトデーのお返しなんだ。あんたみたいな朴念仁はホワイトデーなんて行事知ったこっちゃねえだろうが、一応もらったもんは返せと龍さんに叩き込まれてるもんで。そういえばあんたバレンタインに有り得ない量もらってたろ、返すもん作るの手伝ってやろうか……んむ」

雪白はその丸いクッキーを茜の口に押し当てていた。茜が黙ったのを見届けると、それを雪白は口に運ぶ。茜から「ぁ、」と小さな声が漏れた。

「待ってくれ雪白。それはあんたのじゃない。それにそれは……失敗作なんだ。食ってくれるな」

初めて口に運んだその菓子は顎が溶け落ちそうなほど甘かった。随分硬くて、少しほろ苦い。雪白は一度、二度と大事にそれを噛み締めた。

「私に作ったものなのでしょう。私が食べます」

強く言い切る。茜は一歩下がって、俯いた。

「……悪い。慣れてなくて。苦いだろ」

雪白は次の一個に手を伸ばしながら、じっと茜を見つめる。夜明け前の空を閉じ込めた宝石のような目に見つめられて、茜はたじろいだ。

「……祝っては、くれないのですか」

ああ、本当に自分は贅沢になった、と雪白は思った。昔なら誕生日なんてただの数ある一日の内の一つでしかなかった。誰も祝ってくれなかった。生まれたことを呪っていた。

絞り出したような一言に、茜は背中から抱きついた。

「祝うさ……! 誕生日おめでとう雪白。生まれて来てくれてありがとう。俺と出会ってくれてありがとう、雪白」

その体温を背中に感じ、雪白は。

今時間が止まればいいのにと、強く強く願っていた。


「なんで邪魔するんだよ樒! 俺らも行くところだろ!」

「お前も空気読めないよね! ボクらはお呼びじゃないよー!」

……。

雪白は軽く溜息をついた。

「聞こえています、二人共。こちらに来てください」

「げっ」

「地獄耳」

恐る恐る出てきた樒とノ風は、台所で繰り広げられる光景を見てギョッとした。

何せ茜が雪白に背中から抱きついていて、当の雪白は構わずクッキーを食べている。

動いたのは樒だった。

「ずっるい! 何それ雪白! 茜くんもずるい! 二人だけでずるい! それならボクはこうだ!」

樒は脇から二人に抱きつく。

「えー! じゃあ俺はこっち!」

ノ風も反対側から二人に抱きついた。

「おいやめろあんたら、男同士でむさ苦しい」

「茜くんは女でしょ! なにぎゅってしてんの! ボクもぎゅってする! 雪白もぎゅってする!」

「樒の言うことなんていうか知ってるぜ! 支離決裂だろ……!」

騒がしい。上に暑い。もう春だ。それだというのにこの三人は。

ふっ。

「……おい、今あんた笑ったか?」

「……さあ? 賑やかな、誕生日ですね」

雪白は思う。目も耳も開いていよう。心だって気の向くままで構わない。雑音なんて彼らがかき消してくれる。自分には、仲間がいる。今は心からそう思える。

「そういえば雪白、知ってるか。そのクッキーの名前」

「さあ。なんですか」

「スノーボールクッキーだ。あんたの名前が入ってる」

「そうですか。私の名前が……」

この名前は五年前に茜が雪白につけたものだ。また一つ、クッキーを手に取って口に運んだそれは、顎が溶けそうに甘い。

大丈夫だ。この名前と、仲間がいれば、自分は何にも負けない。生まれたことを呪うこともない。

雪白は、そう思った。

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