第13話 赤と青の魔法陣
月の棟へ続く廊下は、青いタイルで覆われていた。イルラナは、何だかここにきて急に怖くなってきた。少しでも足を止めれば、そのまま歩けなくなりそうだ。
(エリオン、どうしちゃったんだろう)
仮面を外したときの、王の、いや、エリオンの? 冷たい目付きが頭に蘇る。
(本当に洗脳されちゃったの?)
『あんたの幼なじみはたぶんもう戻ってこないよ』。心の中で意地悪く響く、アレヴェルの言葉。
「おい」
記憶ではなく、現実のアレヴェルの声がして、イルラナは我に返った。
突き当たりにに小さな扉が見える。横の壁に背をつけ、警戒しながらアレヴェルは扉を開けた。
部屋の真ん中にディサクスが背を向けて立っていた。仮面が床に落ちている。
「エリオン!」
駆け寄ろうとしたイルラナの腕をアレヴェルがつかんだ。
「おい、無防備に飛び込むなって!」
言われて、そこで初めて部屋の様子が目に入った。
中は四隅に置かれた燭台で明るい。だだっぴろい天井も壁も床も、廊下と同じ青いタイルで覆われている。床の端に、碧 (あお)と金、黒で描かれた魔法陣が一つ。
そして部屋の奥に、巨大な青灰色の(かたまり)があった。奴隷仲間が言っていた、今では加工できない岩でできたそれは、歪(いびつ)な人の姿をしていた。
像は大きく、イルラナの身長の三倍はあった。四角い頭部は、大きな岩や小さな小石などが溶かした金属で固められ、苦痛で歪められたような表情を作り出している。手足は短く、不恰好だ。顔も体も同じ素材でできていて、悪い皮膚病にかかっているように見えた。
(これが、神像……)
ここルウンケストの国を作ったとされる神をかたどった像。イルラナはなんとなく、もっと美しい、美男か美女の姿をした神々しい物を想像していた。けれど実際に目にすると、どこか背中がぞわつくような、まがまがしい物に見えた。
「一体、お前は何なんだ?」
警戒した口調でアレヴェルが言う。
「俺が斬りつけたときに、お前は老人の姿をしていた。でも今はエリオンと同じ姿だ」
ディサクスは黙ったままだ。
「まあ、もう理解できなくてもいいさ」
素足がタイルを踏む音が遠くで聞こえる。
「おい、こっちに道があるぞ!」
「月の棟か! 一度見てみたかったんだ!」
アレヴェルはディサクスを見据えた。
「もうすぐ反乱軍がここに来る。多勢に無勢だ、イルラナにゃ悪いが、そうすりゃあんたは八つ裂きだろ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、エリオンが八つ裂きだなんて!」
イルラナの言葉は二人に無視された。
「何も考えずに私がここに来たと思ったか?」
ディサクスは碧い魔法陣に踏み込んだ。
碧い魔法陣が淡い光を放った。
(キレイ……)
そんなことを考え、イルラナは自分でもノンキだと思った。
これは魔法だ。エリオンが嫌っていた、自然に背く術(わざ)。きっととてつもなく悪いことが起きるに違いないのに。
「なぜ私の姿が変わったのか、もうすぐ理由がわかるだろう」
ディサクスの目がイルラナを捉えた。
その視線に嘲りの色が混ざる。大事なことを何も知らない、愚かな者を見る目付き。
(私が何を知らないっていうの?)
ディサクスの視線がイルラナには恐かった。
「いいことを教えてやろう、女。もうエリオンは死んでいる」
エリオンと同じ顔が、醜く歪んだ。
「嘘! だったらその姿は? あなた、なにかの方法でエリオンを操っているんでしょ?」
ディサクスはちらりと自分の体を見下ろした。
「嘘ではないさ。さらに言えば、この錬金術師が死んだのは、アレヴェルのせいでもあるのだぞ」
「は? 何のことだよ。俺はこの男とまともに会ったこともないんだぞ」
アレヴェルは訝しげに眉をしかめる。
「お前の短剣で、私は死の危機に瀕していた」
それはディサクスにとって屈辱の記憶らしく、王の両手は強く握られ、震えていた。
「だが、ちょうどその時旅の男が神殿の近くを歩いていてな。ありがたいことに若く、見目も悪くない。だから我に体を捧げる栄誉を与えてやったのだ」
「それって……」
床がやわらかくなったように、足元がおぼつかない。
つまり、エリオンはディサクスに体を奪い取られたというのか。
「だったら、本当のエリオンは? エリオンの……魂は、意識は?」
「だから死んでいるといっただろう。魂のある体をのっとることはできないからな」
物分かりの悪い子供を相手にしているように、ディサクスは少し苛立っているようだった。
エリオンが連れて行かれたとき、役人が慌てていた、と収容所で奴隷仲間は言っていた。
その意味がようやくイルラナには分かった。
アレヴェルに殺されかけていた王は、死ぬ前に大急ぎで器を用意しようとしていた。ちょうど神殿に入り込んで来たエリオンを。
しかし、どうやって? どうやってエリオンの体を奪い取った?
ゆらりとエリオンの体が傾いた。糸の切れた操り人形のように、魔法陣の上に横たわる。
「エリオン!」
イルラナが叫んだ。
「ばか、だからなんでお前は無警戒に突っ走るんだ!」
駆け寄ろうとしたイルラナの肩をアレヴェルが押さえる。
バラバラと砂のこぼれる音がして、二人は神像のほうへ目を向ける。
神像が大きくほとんど隠されていたのでわからなかったが、像の下に魔法陣があったようだ。像の足元から赤い光が湧いている。像が大きかったためパッと見ただけでは分からなかったが、よく見ると岩でできた足の間から、赤い魔法陣がのぞいている。
白いモヤのような物が、エリオンの体から立ち上った。それは惑うように空間に円を描くと、神像の中へ吸い込まれていった。
「なるほどね」
こめかみに汗を浮かべながら、アレヴェルがいった。
「『魂のある体をのっとることはできない』。あの赤い魔法陣に入れられると、魂を消されて殺されるようだな。そして空っぽになった体に、蒼い魔法陣に入った人間の魂を送り込むって所か。もっとも、命のない像じゃあ、最初から死体みたいなもんだから関係ないようだけど」
ゴロゴロと重い鉄球を転がすような、岩の擦れる轟音をたて、神像が身じろぎした。
奴隷達が神殿の中に入り込んでくる。
「な、なんだ!」
目の前の光景に、奴隷達は武器を構えることすら忘れ呆然とする。
像が左足を踏み出した。そしてゆっくりと歩きだす。異形の像が床を踏み付けるたび、細かい振動が体に伝わる。
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