3章9話 義経、推して参る②

 カプセルが開いた途端に液体が溢れ出し、立ち込める煙。

 立ち込めるそれは部屋中に広がり、そして何もなかったように消えて行く。


 内部に満たされていた液体は空気に触れたことで気化しているようだ。

 それは液体の沸点が非常に低いことを示し、事実先程までとは空気の質が変わって頭が重く感じられる。


「けほっ、けほっ」


 マシン子は液体を吐き出し、えづき出す。

 口から吐き出す途端に気化するので、エクトプラズムを見ているようだ。


「マシン子、大丈夫か! しっかり!」

「けほっ、よ、しつ、けほっ、けほっ」


 覚醒した彼女は、しかしすぐには俺の言葉に対応できず咽返ってしまった。

 確か液体酸素を抜く時は十数秒かけてゆっくりと抜かなければいけないはずだ。

 うろ覚えの映画知識だが、失念して急に喋りかけてしまった愚かしさを呪う。


 しばらくえずき続けたマシン子は、やがてゆっくり起き上がろうとしたが、上手く力が入らないのか途中で崩折れてしまった。俺は慌てて彼女の背中を支え、起こしてやる。


「義経、けほっ。どうしてここへ……」


 支えている彼女の身体は異常な程に冷たく、まるで氷の彫像に触れているようだ。

 もしも人間ならこの体温で生きては行けないだろう。

 でも彼女は人間じゃなくて……。


 違う、違うぞ!


 マシン子が人間かどうか、そんなことは関係ない。

 そんな生物学的な理由に俺は価値を見いだしたんじゃないだろう!


「御伽噺で読んだことないのか? お姫様を助けるのは王子様の役目だからな」

「アハハ……、それにしては頼りなさそうな王子様ね。背中にアサルトライフルでも隠しているのかしら」


「いいや。あれは入口の金属探知に引っかかった」

「それは残念。でも他の乗客にしてみれば僥倖ね」


「どうかな。俺が拳を取り上げられなかった時点で皆不幸だと思うけどな」

「アハハ……。強がった台詞も……、お姉さん大好物だゾ」


 すぐれない顔色で、いつもの軽口を飛ばしてくるマシン子。

 支えてやらなければ満足に起きていられないくせに、場を和ませようと努力している姿が痛々しい。


「はいはい。じゃあお姉さん、そろそろここから脱出しましょうかね」

「え、でも……」


「ここにいたらヤバいことになるだろ? その前に逃げようぜ」

「聞いたのね……」


 肩に力を入れて彼女を立たせようとするも、彼女自身が抗うかのように体重をかけてくる。女性にこれをいっては怒られるだろうが、正直めちゃくちゃ重い。


「身体が上手く動かないのは解るが、もう少し体重をだな」

「この国にとって自我に目覚めた人工生命体は価値があるの。未来が加速するの。造られた私はそれに従う義務があるの……」


「そんな義務、あるわけないだろ! いいから立ってくれ。話は追々しよう」

「それにね、自我に目覚めたっていわれても私は嬉しくも何ともなかった。日元人には気味悪がられたし、日本に飛ばされた後も正体を隠さなきゃと思って出来るだけ人と関わらない生活を続けてきたの」


「マシン子、何を……」

「友逹なんていない。気にかけてくれる人もいない。ないないづくしの私が出会った初めての友逹、それが義経だったの。でも義経にも知られちゃった。アハハ……気味悪いでしょ? みんなは人間で、私はその姿を真似ただけの物。義経だって本当は距離を置きたいわよね。それに……」


「それに、何だよ」


 いつになく真剣な、思い詰めた表情のマシン子。

 今まで彼女の心境なんて深く考えたことはなかった。


 その奇抜な名前や気さくな性格に惹かれて異世界まで着いてきたが、それが彼女にとってどれだけ決心のいることだったのか。


 無職になる俺を気遣ってくれたんだな。と、その程度にしか考えていなかった。

 価値だ何だと偉そうなことを考えながら、本当に大切な物を何も見いだせてはいなかった。


「それに私の代わりは幾らでもいるし……」

「油断も隙きもないなっ! 心の葛藤を返せ」


 このタイミングでスレスレネタをぶち込んでくるとは思わなかった。

 何だよコイツのポテンシャルは。


「だって、今いわずにいついうのよ!」

「お前はもっと空気を読むことを学べ!」


「こんな私に、誰が教えてくれるっていうのよ!」

「ばかやろうっ!」


 パシッ! ぷるん。


「そんなもん、俺が幾らでも教えてやる!」

「どうして……」


「俺が教えられないならメグさんが、広島が、俺の両親がきっと教えてやれる!」

「どうして頬じゃなくて……」


「だからお前は、安心してこれからも生きていけば良いんだよっ!」

「胸をぶったのよ」


 無意識だ。他意はない。


「とりあえずここから離れるぞ。外に置いてきたブラン子のことも心配だしな」

「解ったわよ……行ってあげる……」


 仕方ない風を装ったマシン子の、しかし表情は先程よりもはっきりと輝いていた。

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