2章14話 牛蛇

「そろそろ出発してもよいかの?」


「すまないメグさん。あまりの光景に、つい気を取られすぎた」

「うむ。この場所が気に入ったならいつでも来るがよい」


 ブチッ。


 そう言ってメグさんは俺に自分の腕から外した鱗を渡して来た。

 今、ブチッって聞こえたけど痛くないのか?


「これは?」

「水妖の中でも妾達人魚族はしるしを大事にするでのう。それを見せれば妾が同伴しておらずとも水妖の支配地域で襲われることはないはずじゃ。好きな時に来るがよかろう」


 ここは水妖や土妖の支配地域なので、本来なら俺達人間が入れる場所ではない。

 それを見越した上での通行手形ならぬ通行鱗。

 俺のことを思っての善意に涙が出そうになる。


「メグさん、ありがとう! 俺の宝物にするよ!」


『何と大胆な! 聴いておる妾が赤面しそうじゃ。まあ義経も若いでの。妾の鱗を宝物として何に使おうとそれは義経の勝手。精々、妄想の中で妾を愛でるがよい。フフフッ』


 違うから! 宝物の意味が違うから!


「では改めて出発じゃ。ピイィーッ!」


 指笛が洞窟の壁に反響して響き渡る。

 出発の合図かと思いきや、その場から動かず仁王立ちのメグさん。

 あれ、出発しないのか?


 あれかな、ボケてるのかな。ツッコんだほうが良いのかな。


 俺が気を利かせてツッコもうとした時、微動だにしなかったメグさんがスッと遠くを指差した。


 湯気の向こう、地底湖の水面に幾つもの影が揺らぎ、それがどんどんこちらに向かってくる。やがて目視できるまでになったそれは……人間の女性?


 いや、違うな。

 頭の両側に短いツノがあり、チロチロと唇から出し入れしている舌は先端が二股に分かれている。


 しかしそれ以外の、湖面から覗く姿はとても美しい人間の女性。

 服をまとわず、たわわなぷるんをビーチボールみたいに抱えながら泳ぐ姿が目の得、もとい目の毒だ。


「メグさん、彼女達は?」

「彼女? 彼奴きゃつらに性別などありはせん。水妖の中でも下等な種族、両性類と呼ばれる牛蛇ぎゅうじゃよ」


 水中に隠れていた彼女達の下半身は蛇のようで、ギリシャ神話に出てくる半人半蛇の魔物ラミアを彷彿とさせた。


 確かラミアはゼウスの寵愛を受けたが故に、その妻ヘラによって我が子を全て殺され自身もまた魔物に姿を変えられたんだっけ。どうでも良いけどゼウスに好かれると碌なことにならないよな、ギリシャ神話って。


「両性類の牛蛇?」

「うむ。妾の家畜共じゃ。乳を搾り、食肉とする為に飼うておる」


 当たり前のようにそういい放ったメグさんを、少しだけ怖いと思った。

 見た目は人間に近く、それもマシン子に優るとも劣らない美貌を持った者達を家畜として飼っているとは。


「義経、私と交互に見比べるのはめて」


 俺が安穏と暮らしてきた地球とは、かけ離れた生態系。

 その中で構築される、こちらでは常識なのだろう主従関係。


「義経、チラ見も止めて」


 俺は死ぬような目に遭っておきながら、まだどこか楽観的に構えていたようだ。


「好きなヤツの背中に乗るがよい。一直線に奥へと向かおうぞ」


 ここは地球じゃない。

 正真正銘の異世界で、俺の常識だけで善悪を判断できることばかりではない。

 もっと大きな視点で物事を捉えなければ。


「義経、妄想も止めて」


 大きな視点でこのぷるん――、牛蛇達を、こういう種なのだと認めなければ。

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