2章5話 ウィークハート

 絶景とは何を持って絶景とするのか。

 その解釈は人によって様々だろう。


 ただ単に美しいと感じた風景を絶景と呼ぶ人もいるだろうし、美しさに加えて幻想的な雰囲気があってこそ絶景だと主張する人もいるはずだ。


 俺にとっての絶景とは後者の意見が当て嵌まるのだろうな、とつくづく思った。

 今、目にしている光景以上に絶景といえる物は見たことがないし、今後も見る機会はないだろう。


 だから許してくれマシン子。

 お前を助けるタイミングに、多少のズレが生じることを――


 話を整理するとこうだ。


 半魚人との駆け引きで何とか危機回避に成功した俺だったが、その身体はボロボロだった。


 どこというのがバカらしくなる程に酷い裂傷だらけだし、右手首は熱を伴って腫れている。更には全身隈無く樹木や地面に打ちつけたようで、小さな面積の内出血が規則正しく並んだ水玉模様よろしく身体中にデザインされている始末。半魚人との対面で無理に動いたのも良くなかった。


 つまりはマシン子を探しに行く気力はあっても、身体がいうことを聞いてくれそうもないのだ。俺は暫くジッとして体力が回復するのを待った。


 襲ってくる痛みに身体が慣れ、無理をすればゆっくり動けるようになったのは小一時間程経過した頃だった。動けるようになった俺は川岸の反対方向、墜落して滑ってきたと思しき方向へと歩き出した。


 その方向には森があり、何かがぶつかって折れた枝や葉が散らかっていた。

 俺があの森から滑ってきたのだとしたら、マシン子はきっとあの中だ。


 太めの枝を杖にして森の中へとゆっくり分け入った。

 歩くたびに身体中が千切れそうに痛む。


 森は随分と広葉樹が密集していて、所々生えている下草は広葉樹に栄養を摂られるのか元気のないものばかり。日本の山なら人が手を加えて不必要な木は伐採されるのだが、ここにはそうする人がいないのだろう。


 しかし密集していたからこそ俺は助かったのだろうし、俺が助かっているのだからマシン子も無事なはずだ。そんな願望にも似た気持ちを持って歩き続けていると、それが見えた。


 それは本当に絶景と呼ぶにふさわしい光景だった。


 神話の世界樹みたいな大樹に、ハングライダーごとぶら下がっているマシン子。死んでいるのではと焦ったが、揺れるハングライダーに合わせて胸が上下しているので呼吸はしているようだ。


 大樹はその葉の一枚一枚に至るまで煌めく粒子で覆われていて、その粒子がキラキラと日光を反射しながら地面へと落ちて行く。とても神秘的で、俺は暫しその光景に呆けてしまった。


 いや、呆けた原因はそれだけじゃない。


 木々を通り過ぎた際に破けたのだろう。

 マシン子の上着はズタズタに破れ、ズボンも所々破れている。

 怪我をして破れた皮膚から配線が覗き、パチパチと火花を散らしていなくて本当に良かった。……いい加減マシンから離れろ、俺の思考。


 まあそれは良い。それは良いんだ。


 俺だって着ていた物はズタズタになっているし、背負っていたリュックに至っては残骸すら残っていない。


 だからマシン子がそうなっていても何ら不思議ではないし、寧ろあのスピードで突っ込んでこの程度で済んでいることに驚きを隠せない。


 でもね、やっぱ見ちゃうだろ?

 俺だって男だし、悪気はないけど見えてるモノは見ちゃうだろ?


 マシン子のズタボロになった上着はもはや上着としての役目を果たしておらず、普段その薄い布一枚で隠されていた活火山を惜しげもなく大自然にさらけ出し、ハングライダーの揺れに合わせてぷるんぷるんと、それが独立した一つの生命体であるかのように激しい主張を繰り返していて――。


 色、艶、形、大きさ、向き、どれを取っても満点だった!


 幻想的な風景の中に存在する神秘。

 俺は生まれて初めて神の存在を知覚し、その御業の素晴らしさを知った。


 二度と目にできないであろう光景を暫し目に焼きつける。

 その愚行に躊躇いなんて感じない。


 だから許してくれマシン子。


 お前を助けるタイミングに 少しだけズレを生じさせる 俺の弱い心を――

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