第22章 「加速」の力

二人が先に進もうとした時、横から声が掛かった。

「君たち、ここで何をしている?Bブロックから抜け出してきたのかい?」

 黒スーツの男三人組だった。

 一人は、身長180センチメートルくらいで細身だが、肩から胸筋に掛けて筋肉が恐ろしく隆起している。顔には、サングラスを掛けて頭髪をワックスでオールバックにしていた。

 もう一人は横幅が二メートルに届きそうなほど肩幅が広く、また腕の上腕二頭筋が膨れ上がった男で、こちらもサングラスを掛けた上に金髪を刈り上げていた。

 最後の一人は、身長は悠太たちより少し高いくらいで、両脇にいる大柄の二人に比べてはるかに小さく華奢だった。彼だけは、サングラスを掛けた上で顔の下半分を黒いマスクで隠している。

 この三人がただの警備員ではないことは明らかだった。

 左側の長身の男が、悠太たちに向けて回り込むように近づいてきた。視線と足取りには、明確な警戒心と敵意が込められている。悠太は、背中からぶわっと汗が噴き出してきた。

「まあ、話はなんだ。とりあえずここは、意識が醒めてから話すとしよう」

 長身の男は、滑らかな足取りを崩さないまま、次の第一歩で急加速した。

音もないまま男の身体が前傾したかと思うと、男は次の三歩で二十メートル離れた悠太との間合いを詰めてしまった。

「なっ…」

悠太たちは声を出す暇さえなかった。

男はそのまま問答無用で右足を跳ね上げた。

 男の脳裏に一瞬、蹴りを受けきれずに身体を吹き飛ばされる悠太の姿が映った。しかし、男の右足は弧を描いて地面へ降りた。

「なにっ!?」

 男が小さく呟いた。何が起きたのか、状況を把握できない。蹴りの惰力を全身を捻って減殺し、それが終わった瞬間バックステップをした。

再び3歩で15メートル程後ろへ下がった。

男は、何が起きたのか把握しきれないまま、直ちに左右を見回した。そして、自分たちのいるより奥側に立つ悠太と小林を捉えた。

「きさまら…!」

 男の脳は、状況を理解できないなりに情報を整理し、対策を検討した。そして、1秒間の思考で出した結論は、警戒しながら接近すべし、というものだった。

 一方、悠太と小林は、冷や汗を止められないながらも、一時的に安堵した。今回の侵入では、おそらくいくつかの予想外の展開が起きると話し合っていた。

その一つが、この月の裏側の組織と鉢合わせするというものだったのだ。

「小宮山さん、何とか避けられましたね」

「ああ。でも、ここからは僕一人でやる。小林は、そのまま後ろに下がっていて」

 悠太がそう言うと、小林は悠太から3メートルほど後ろへ下がった。

 悠太がリカのいる風俗街を出た日から、何の準備もしなかったわけではない。悠太は、次にもし何か暴力的な手段に訴えられた場合、何か対抗手段は無いか彼なりに必死で考えた。

 そして最善の対抗策として行き着いた策が、万梨阿の持つ特殊能力を使うことだった。

 男たちは、相当な場数を踏んでいるようで、ハイエナのように間合いを取ってうろうろ歩き出した。。

 悠太は、両腕を上空でクロスさせ、ゆっくりと左右に開いて息を吐いた。

「ダブル・アクセル!」

 悠太がそう唱えた瞬間、彼の皮膚がかすかに青く発光しはじめる。身体から発するエネルギーによって服が内側から膨れ上がり、悠太の周囲だけ風が巻き起こっているような状態になった。

 悠太はそのまま、金属板を捻じ曲げて作った手製メリケンサックを装着した。

「おい、○○。俺も出る」

 今まで立っていた金髪の巨漢がそう言った。

「いいのか、○○。ここは俺一人でやるが」

 〇○と呼ばれた細身の男が言う。

「いいや、何やら思ったより厄介そうだ。二人でやるぞ」

「承知した」

 そういうと、金髪の方は身にまとった上着を脱ぎ、それをそばの柱の取っ手にひっかけた。上着の下から出てきたのは、今にもはち切れんばかりに張りつめたスーツと、異常に膨れ上がった男の胸筋、三角筋、上腕二頭筋だった。肩から手に掛けては、まるで丸太をカットしてそのままつなぎ合わせたようになっている。

明らかに薬物か手術をして発達させている。

 巨腕の男は、腰を落としながら両腕をまるで振りまわすように構えた。〇○と呼ばれた男も、腰を低く落とし、右足を一歩引く。右手には、先日上官が持っていた電気ショッカーが握られていた。

 悠太も右足引きボクシングの構えを作ってみたが、なんとなく居心地が悪かった。悠太は1年間ほど、空手の道場に通った経験があるのみだった。

 最初に動いたのは、巨腕の男だった。数歩踏み込んだと思うと、右ひざを前に突きだした。

 その瞬間、膝から何かが弾け飛び、紺色の煙幕が悠太の顔面を覆った。

「あっ!」

 悠太が声を上げた瞬間には、男はもう悠太を射程距離内に収めていた。そして、無慈悲な腕の鉄槌を横殴りに悠太に叩きつけた。

 しかし悠太はその瞬間、再び叫んだ。

「『ダブル・アクセル』!」

 勢いよく近づく男のハンマーが遅くなった。煙幕の流れも緩やかになり、悠太には状況が一気に鮮明に掴めるようになる。

 悠太は、右側へ大きく跳躍することで拳の軌道から身体を外した。

 その瞬間、はるか上空からカアアンという鐘の音がなり、時間の流れが戻る。

 男の拳は何も捉えられないまま空を切り、続けて左腕も振り上げられるが、何の手ごたえも無い。

○○と呼ばれた男は二歩下がって煙幕から離れた。そして、煙幕の外に避難する悠太を見つけた。

途端に、怒りの声を上げた。

「きさま!小賢しいマジックでも身に付けているのか!」

 悠太は一瞬、気を緩ませた。

煙幕の脇からもう一人の、細身の男が回り込んできた。さっきと同じように無音のまま加速し、安心しかけた悠太に向けて蹴りを放つ。

 悠太は、再び時間を加速させる。

 男の蹴りをぎりぎりで屈んで避け、次の一歩で右こぶしを男の前に突きだした。その間、2秒だった。

 次の瞬間、再び時間が戻った。悠太の拳は倍速の勢いで、無防備な男の鳩尾に抉り込んだ。

「げふっ!」

 男が抉り出すような声を出し、身体が宙に浮いた。男の身体は勢いよく後方にはじけ飛んだ。

 悠太の拳には、若干の痺れと同時に、内臓を抉る独特の不快感が残った。

 巨腕の男は、吹き飛ぶ仲間を見ながらも、眉一つ動かさなかった。

 後ろに下がり、距離を取った。何やら、残ったもう一人と話している。悠太は、ここを抜け出すのは今しかない、と確信した。

「小林!」

 悠太はそういうと、小林の方へ駆け寄った。小林は、一瞬呆気に取られたものの、すぐに状況を判断した。

悠太と共に奥に向かって駆け出した。

 後ろから男たちが駆けてくる音が聞こえた。しかし、悠太は小林の手を掴んだまま再び「ダブル・アクセル」と唱えると、男たちの足音は急速に遠ざかっていった。

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