第11話地下の秘密

二〇分後、悠太と万梨阿は、裸電球がぽつぽつと設けられた、横幅・高さ三メートルの坑道を、ひたすら前へ前へと歩いていた。

 万梨阿は、もともと歩けない。悠太は、彼女を負んぶしながら、よたよたと前に進んでいた。

 彼女の身体から伝わる体温が、分厚い上着越しにも伝わってくる。万梨阿の体温は相当高いらしい。

 悠太は、不思議に思った。

万梨阿を幽閉していた地下も、地下二〇メートルくらいにあったのに、ここはさらに深い場所になる。足元を見れば、何か鉄のレールの様なものが一直線に伸びていて、暗くて見えない彼方までずっと続いていた。

 悠太は、最初、ここに着地し、万梨阿の下敷きになってしばらく悶えた後、声を出してみた。すると、はるか向こうにまで声は反響し、返ってくることはなかった。つまり、この先は行き止まりではなく、どこか別の場所に繋がっている、と考えるのが自然だった。

「それにしても、不思議だな。こんな地下道、あるなんて全く知らなかった。しかも、あちこち電球が壊れてて、かなり時間が経ってる。

これ、OISDが作った道じゃないな」

「うん、そう。ここは、今の人たちがここに来る前に、作られたものなの」

「万梨阿は、知ってたのか?」

 万梨阿は、無言でこくりと頷いた。そして、暗闇の向うを指さした。

「この先に、さっきの人たちも知らない、秘密がある」

「それって、なに?」

「見ればわかる」

「なんで万梨阿がそんなこと知ってるの?」

「ないしょ」

「そうですか」

 悠太は、表面的なことしか話さない万梨阿に、不満を覚えた。しかし、口には出さなかった。

 薄暗く、足元すらはっきり見えない暗い道は、果たしてどこまでも続いているようだった。いつの間にか、悠太の頭の中では、万梨阿を背負う手足の痺れも忘れて、さっき上官が言っていた言葉の断片が乱雑にリフレインしていた。

 彼の言葉に、悠太は自分の父親の言葉を重ねていた。

『絵を描くことと月へ行くこと、どっちが有意義か、どうして分からないんだ?』

 それは、父親が彼を月へ送り出すとき放った言葉だった。悠太にとって、その言葉は非不愉快なものに違いなかった。一方で、ある意味において正鵠を射ているような気がして、今までも何度も真剣に考えた言葉だった。

 上官のいう『ムーン・クレイドル』では、果たして悠太の望む自由な感情は大切にされるのだろうか?

 彼が理想とする社会とは、物質だけでなく、そこに住まう人々の価値観すら一つにまとめ上げてしまう究極の画一的な社会だった。きっと、個人の持つ自由な感情は、不必要なものとみなされてしまうだろう、と悠太は思う。

彼の説く『正義』こそすべてで、それ以外は『悪』とはみなされないまでも、きっと不必要なものだと考えられるに違いない。

 『ムーン・クレイドル』の柱となる力が、資本の力である以上、悠太たちの自由は資本力で上から押さえつけられるだろう。この月面での乾いた生活を、きっと地球の人々にまで押し付けるつもりだ。

 それで人々は本当に一つの安住の場所を見いだせるのだろうか?本当にそれしか、みんなが共存していく道は無いんだろうか?

 悠太は、気づけば下を向いて、前に進めなくなっていた。

 お金と権力の力は、どこまでも悠太たちを掴んで離さない。父親もそうだった。彼よりずっと頭の性質のいい上官も、違った過程で同じ答えに辿り着いた。

 父親よりも社会経験が無く、きっとこれからも上官以上に賢くなる自信の無い悠太は、もうあきらめて彼らに従うしかないのだろうか?

「ユウタ、どうしたの?」

 悠太が前に進めなくなったのを察して、万梨阿が尋ねた。

 悠太は、一瞬、躊躇したが、素直に万梨阿に言葉をぶつけてみた。

「ねえ、万梨阿。絵を描くことより、星屑を集めたり、他の奴らと競争したり、出世したりすることの方が、僕にとっては大事なのかな?」

「どうしたの?」

「…なんだか、分からなくなってきちゃった。

 上官は、お金の力でみんなを救える社会を作る気だよ。でも、そんな社会では、きっと僕らのちっぽけな感情なんて、どうでもいいものとみなされちゃんじゃないかな?

 ねえ、このまままっすぐ進めばいいのかな?この先が、もう先の無い行き止まりだったとしたら?五年後、一〇年後、地球へ帰って、『ここで諦めて引き返しておいて良かった』って素直に思える日が来たら?

 素直に引き返して、上官の言う通り地球に帰って、奨学金で公立高校に行って、将来は公務員か大企業の会社員になって、家庭を築いて親孝行して、休みの日は息子とキャッチボールして、その先は、その先は…」

 思考すれば思考するほど、隅々まではっきりと見渡せた。それなのに、その一つ一つの光景が、まるでモノクロ写真のように、ねずみ色に染まっていた。

 悠太の頬に、一筋の涙が零れた。

その先は、何も無かった。これ以上、何もない人生しかなかった。そこには、今現在いる「小宮山悠太」はいなかった。

そこにいるのは、名前も知らないどこかの誰かだった。名前も知らない誰かは、きっと「卒業」を待っているんだろう。

学校を卒業し、両親から卒業し、独身から卒業し、大企業から卒業し、人生から卒業する。きっとその先にいいことがあるんだ、と本気で信じているんだろう。

でも、悠太は「卒業」の先には、きっと何もないんだろうなあ、と思った。

「…そんなの、僕の人生じゃ、ないよ」

 万梨阿を背負ったまま泣き出してしまった悠太は、そのまましばらく立ち尽くしていた。薄暗い地下の通路は、いつまでも時間が止まってしまったかのように、静寂に包まれていた。

「ユウタ、さっきの魔法の言葉、覚えてる?」

 万梨阿が、背中越しに悠太に声を掛けた。

「魔法の言葉?時間が加速したやつか?たしか…」

「「『時よ止まれ、貴女はとても美しいから』」」

 悠太と万梨阿の言葉が重なった。

 考えてみれば、矛盾した言葉だ、と悠太は思った。

 呪文は、時間が停止することを要求している。それなのに、実際は時間が加速しているだけで、時間停止は起きていない。

「これね、私のおじいちゃんが教えてくれた言葉なの」

「おじいちゃん?万梨阿のおじいちゃんは、哲学者なのか?」

「ううん、政治家。それ以上は教えないからね」

「そう…」

「それでね、言葉の意味なんだけど、『今、この瞬間を生きていければ、今日を生きていける。今日を生きていければ、明日も生きていける。明日も生きていければ、一生、生きていける。そういう風に、毎日を生きていけばいいんだよ』って」

「なんだか、分かるようで、分からないような」

「ユウタは、先のことを心配し過ぎてるんじゃないかしら?きっと世界って、悠太が考えているほど、一つじゃないんだよ」

「一つじゃない?」

「そう。きっと思ってるようには、ならないはずだよ」

 薄暗く、一〇メートルおきに裸電球が設置されている通路は、正確には分からないが、緩やかな上り坂だったらしい。

 三〇分近く、万梨阿を背負って坑道を歩いた時、鉄の線路の上に、タテヨコ二メートルくらいの箱型の物体が見えた。

 悠太は、すぐには分からなかったが、裸電球の下まで来て確認すると、何かを運搬する目的で足に車輪の付けられた荷車だった。真ん中のスペースは一立方メートルくらいだろうか。

 正面に、棒状に突き出たレバーが取り付けられていた。

「これ、乗って」

 万梨阿が言った。

「でも、これって人間が乗れるようには作られてないと思うけど、大丈夫なのか」

「知らない」

「知らないって、これ、加速したらやばいんじゃあないか?」

 周囲を見ても、ブレーキらしきものは着いていなかった。これでは、道の先に何かあれば、激突してしまう。

「だいじょうぶ。最悪、わたしの力でどうにかするから」

「そ、そうか」

 悠太は、それ以上反論の言葉が見つからなかった。彼女にどうにかする、と言われてしまえば、なんだか本当にどうにかなってしまいそうだった。それは、彼女が不思議な能力を持っていることに加えて、落ち着き払った態度にその理由があった。

 悠太は、まず、万梨阿を進行方向の逆に座らせ、自分はレバーの突いた前側に恐る恐る入った。そして、レバーを握る。

 裸電球で照らされた道の向うは、今までと違って明かりが低い位置にある。それは、ここからは下り坂であるということであった。

 悠太は、恐る恐る金属レバーを手元に引いてみた。

 錆びついて動かない恐れがあったが、金属の擦れる嫌な音が少しするくらいで、レバーはなんとか動いた。それを手前に引いてみると、レバーの下の歯車が動いて、台車の両輪が駆動する仕掛けだった。

 まるで産業革命前のヨーロッパの炭鉱の遺物のような機械を、悠太は必死に数回漕いでみた。

 時速四キロメートルくらいでなんとか台車は進んでいった。しかしこれでは、徒歩で歩いたほうが早いようにも思われた。

 しかし、一〇メートルくらい動いたところで、急にレバーが軽くなった。

 下りが始まったのだ。

 後は、別にレバーを引く必要は無かった。台車は、自重に引っ張られるように、滑らかな下り道を走っていく。正面から吹き抜ける風に、迷彩柄のベレーが飛ばされそうになって、慌てて手に持った。

 悠太は、万梨阿の方をちらりと見た。このくだりが楽しいらしく、側面に乗り出して、先の方を覗いていた。風が彼女の髪を乱したせいで、顔中に髪の毛が張り付いてしまい、それを必死に手で払いのけていた。

 その様子に、悠太は思わず笑ってしまった。

 道は、しばらく下った後、急に左側にカーブした。

 横からのGが掛かり、悠太と万梨阿の身体は大きく右の方に傾いた。万梨阿が身体を投げ出されそうになって、悠太は慌てて抑え込んだ。

 トロッコ列車が坂を下って、一〇分ほど経った頃だった。

 急に、列車のスピードが弱まった。そして、徐々に減速していき、やがてゆっくり停車した。

 その先は、まだまだ暗闇だが、裸電球は悠太たちの近くのものと同じ高さにある。どうやら、ここからは平たんな道らしい。

「もうそろそろ、ついた」

 万梨阿が言った。

「ついた?ここが、秘密が隠されている、ってところなのか?」

「うん。さあ、いこ」

 そう言うと、万梨阿はまた悠太に背負ってくれ、と要求した。

 悠太は、万梨阿が少しふてぶてしいように感じたが、あえて口にはしなかった。黙って彼女を背負うと、さっきと同じ重さが身体中に圧し掛かって来た。

 悠太はなんとか立ち上がり、そのままずっと道を歩いて行った。

 そこからの道は、さっきと同じでほとんど物音のしない静寂の支配する空間だった。たまに、天井あたりから水滴がぽつぽつとしたたり落ちる場所に出会った。

 悠太は、以前、ニュースで、月面に水の流れていた跡が発見された、という報道を聞いたことがある。

あれはたしか、まだJAXAが解体されないまま残っていた時代だった。今、こうして見ている水滴は、もしかしたら人類が初めて月面で発見した水かもしれない。

 薄暗い道は、一キロもすると終わりを迎えた。急に、通路の四方がコンクリートで塗り固められた人工物に変わったのだ。

 悠太は、それでも歩を止めず、何も物音のしない通路を歩いて行った。

 すると、ぱっと視界が開けた。

 狭苦しい通路から一転して、広い広い大ホールに悠太は立っていた。

壁はあちこちコンクリートで塗り固められ、他から出入りできなくなっている。大ホールは青天井となっていて、コンクリートで塗り固められた円柱形の空間五〇メートル上空には、月面で見ていたのと同じ銀河系の星が強い光を放っている。

 そして、部屋の空間の真ん中を見て、悠太は驚愕した。

「な、なんだこれ…!?」

 巨大なホールの中央の空間は、まるでカッターで切り取ったきり絵のように、真ん中だけ違う風景を映し出している。タテヨコ二〇メートルもある巨大な切り絵の先に映し出されていたものは、濃い緑の樹木たちだった。

「み、緑だ…。すごい、大発見だ!」

 悠太は、万梨阿を背負いながら、興奮して叫んだ。

「万梨阿、木だよ、木!この月にも、木が生えてるんだ!すごい!」

 切り絵のように森林を映し出す空間の周囲には、朱色のプロペラを取り付けた巨大な扇風機が六台稼働していた。それらはすべて、上空に向けて回転し、空気を上部へ送り出している。

「木だ!きっと、木が作り出した酸素を、上空に飛ばして、月面の空気をきれいにしてるんだ!」

「…ちがうわ」

 悠太は、万梨阿の方を見た。興奮気味の悠太に比べ、万梨阿はまったく笑っていなかった。何か深刻な事実を打ち明けているように、眉間にしわを寄せて、不愉快そうな顔をしている。

「私の力で、空間を捻じ曲げているだけ。月には空気も樹木もないわ」

「空気も木も?でもそれって、おかしくないか?だってほら、僕らこうやって」

 悠太は、胸を大きく膨らまして、空気を思い切り吸い込んで、吐き出した。

「息をしてるじゃないか」

「ここは、月に空気を送り込むために、空間に穴をあけただけ。わたしの力は酷使すれば、空間座標を突き抜けることも出来るの」

「うそだろ?」

「ほんとよ。ほら、悠太が死にかけた時だって」

 万梨阿は、悠太の前で手を振って、呪文のジェスチャーをしてみせた。

「私が時間を巻き戻して、元に戻した」

「万梨阿、一体ここで、なにが起こっているんだい?」

「分からない。でも、スターダストは、結晶を使えば、重力を操れるの。重力で、時間と空間を捻じ曲げれば、空間と空間を繋げることだってできる」

「それは、魔法の力なのか?」

「さあ」

「それにしても、この空間は、どこに繋がっているの?」

「富士山の近く」

「富士山の近く…青木樹海ってこと?」

 悠太は、以前何度か、その名前を聞いたことがある。富士山を取り囲む巨大な樹海で、中に入るとコンパスが効かなくなることから、ミステリースポット扱いされていた。毎年、何百人も自殺者が入って行って、戻って来なくなるのだ。

「そんな、こんなこと、どうして今まで秘密にしておいたんだ?」

「きっと、とても大事なことだったの。だから、隠した」

「自分たちの支配を絶対的にするために、知られちゃいけないことだったのか?そうか、だんだん上官が言っていたことの全部が分かって来たぞ!

 万梨阿を知っていれば、きっと彼女の能力に気付く。そうすればいつか、自分たちの計画の大事なところに、辿り着かれてしまうかもしれない。それは、自分たちの計画の中身を知られることよりも、もっとまずいことだったんだ。

 そうだ!そうだよ!でも、まさかこんなすごいことが出来るなんて…」

 悠太は、改めて万梨阿の持つ不可思議な能力の強力さに驚いた。彼女にとっては、フィギアを変形させることも、時間を加速させることも、大して難しいことではなかった。それどころか、その力を土台にすれば、科学の力では不可能な月面での活動も可能にできてしまうのだ。

「OISDは、ただの国際機関じゃないな。きっと裏に仕掛けがある!なんだ、誰なんだ!こんな、こんな仕掛けを作ってまで、月の上を支配しているのは…」

 その時、悠太たちは気付かなかった。

 目の前の景色に気を取られ、背後の岩陰に誰かがこっそり佇んでいることを。

そしてその誰かがこちらに駆けだしてきた時も、悠太は振り返る直前まで気づかなかった。そして、ふと背後を振り返った時には、すべてが終わっていた。

「ヴっ…!?」

 背後の異様な気配に振り返った悠太の口元に、いきなりガーゼが押し付けられた。そこからしてきたのは、以前舐めていたアルコール度数九〇%の『まずいジン』のようなアルコール臭だった。

 たちまち、肺にむかむかするような不快感が襲ってきて、思わず口元を押さえつける手を握った。

 そこに立っていたのは、迷彩柄のスウェットにズボンを履いたベレー帽の青年だった。彼は、悠太がみるみる身体の力を失っていくのを確認した。すると、急に腰から取り出した長さ二十センチメートルのプラスチック容器―それはどうみても注射器だった―を悠太の左腕の血管にむりやり押し込んだ。

 悠太の身体に、すぐに強烈な脱力感が襲ってきた。強烈な眠気で頭がボーっとする。それをまずい、と思う思考が働くが、それもすぐにボーっとする空白に塗りつぶされていく。

 強烈な脱力感と眠気に、悠太はすぐに倒れ込んだ。

―まずい、頭が機能していない。

 しかし、そういう自覚も徐々になくなっていく。

 注射器を指した男の顔をなんとか確認しようと、彼が振り向きかける瞬間まで、悠太はなんとか起きていようとした。

 すべては闇に溶け込み、意識は完全にそこで分断されてしまった。

 男は、万梨阿にまで注射器を打ち込むのに、三秒とかからなかった。そして、悠太同様、万梨阿が意識を失っていくのを確認すると、倒れ込む二人を眺めながら、ベレー帽を脱いだ。

彼は、二人を見下ろしながら、呟いた。

「コインのウラの次は、オモテが出ると思ったか?」

 彼は、左手に持ったコインを、空中でピンと弾いた。そのコインは、空中で弧を描いて再び手に収まると、裏向きの面を見せていた。

「ざんねん。ウラの裏がオモテの確率は、かならずしも二分の一じゃないんだぜ?」

 そのコインの両面には、裏向きのマークが掘り込んであった。

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