第8話二つの言葉

「小宮山さん、ききましたか? この月面に、女がいるんですよ」

「女なら、万梨阿がいるだろ?」

「いえ、彼女は特別の任でここへ連れてこられた人でしょ?

そういうのじゃなくて、いわゆる『吉原』みたいな場所が、ここにもあるって、よく話題に上っていますよ」

「吉原…?」

 悠太は、小林の話を聞いて、ポカンとした。吉原という場所がどんな場所で、どんな目的で利用されるかなど、悠太に知る由は無かった。

小林は、悠太の困惑した顔を少し眺めて、あまり言葉にしたくないという顔で言った。

「吉原は、江戸時代の日本最大級の風俗街です。風俗が言っていうのは、男が金銭を払って女性に性的サービスをさせるんです。そういう町は、江戸時代よりもうずっと昔からあったらしいんですけど、今に残るくらい大きな政治的経済的影響力を持っていたのが、その吉原という街なんです」

「ふうん、そんなものがあるんだ…」

 悠太は、再び困惑した。

 やっと最近、自己とか社会とか、将来とかいうものへの意識が芽生え始めた彼にとって、風俗街の話などあまりに突飛すぎて、想像が及ばなかった。それでも、吉原という街を動かす金銭の力が、ある種自分が憎んでも憎み切れない圧倒的な力であることを思って、少し不愉快になった。

 小林は、そんな悠太の気持ちなど気づくはずも無く、話を続けた。

「もとはここに視察に来る、OISD、経団連、政治家のお偉いさんの相手をさせるために、向うのA地区六ポイントの寮の向うに、隔離して作ったらしいです。それが、なんでか知らず、僕たちの住むB地区の近くに移転されたらしくて、アメリカ人の青年が恐いもの見たさで行ったのですが、もう、すごかったみたいです」

「すごかった?何が?」

「彼は『oh, my god』とだけ言って、それ以来口を閉ざしてしまったらしいです」

「なんだよそれ。っていうか、僕たち少年編隊でも、行けるのか?」

「以前は、そもそもA地区の最深部に厳重な警備態勢で隔離されていて、誰も存在すら知らなかったんです。

ところがいつの間にか、徐々に六ポイントから姫たちが抜け出すようになったらしくて、なし崩しのような形で、Aの一の宿舎の一角で不正行為が行われているそうです。そうなれば、もう相手がどうとか関係ないみたいで、求めるのは純粋な対価だけみたいです」

「それって、つまり…」

「小宮山さんも想像に難くないはずです。これですよ」

 そういって、右手と左手で輪っかを作って、コインの形を作って見せた。

「…まあ、そうなるよな」

 悠太は、それを聞いてももう何も思わなかった。

ただ、心の奥にまだ残っている、この世界に金銭や生活より大事なものがあると信じたがっている自分を、また自覚しただけだった。

それにしても、そういうことにほとんど興味を示さない小林が、こんな下世話で遠い世界の話をしてくることが、驚きだった。

「おまえってそういう話、普段はしないけど…興味あるのか?」

「興味が無い、といえば嘘になります。それでも、僕が愛するのは、この世界の人間ではありませんから。僕が愛するのは、純粋な二次元だけです」

「じゃあ、なんでそんな話…」

「警告ですよ、警告。

聞くとこあろによると、編成隊のリーダー達が、部下の金を巻き上げて、そこにちょくちょく行くんだそうです。

小宮山さんもまさかとは思いますが、誰かに誘われても、絶対にいっちゃいけませんよ」」

「ああ、そうだな。あいつらに目を付けられたら、厄介だもんな」

「リーダー個人に目をつけられるだけならまだいいんですが、彼らを敵に回すことは、編隊全体を敵に回すのに近いですからね。しかも、金と女と権力がからんでいるわけですから、もう危険な匂いしかしないというわけです」

「金と女か…、まさか、こんな僻地でそんなことが巻き起こるとはな」

「人情沙汰は、人がいるかぎり付き物ですよ。それより、そんな女の人なんて、いったいどこから引っ張ってきたんでしょうね」

「そりゃ、金を積めばいくらでも来たいやつはいるんじゃないのか?」

「そりゃ、日本でだって、稼ぐ額はすごいらしいですからね。

でも、こんな僻地、しかも相手にするのは国際機関や国のお偉いさんですよ?一体どんな人が、ここで風俗を勤めるんですかね?」

「そりゃ、世界各国の選び抜かれた人たちだろ」

「そういうコンテストでも、あるんですかね?」

「そりゃ、僕にも分かんないよ」

 悠太と小林は、それぎりその話をすることを止めてしまった。

 悠太と小林は、この日も片道二時間もかかる月面の舗装路を、えっちらおっちらと二班十人で歩いていた。

 先頭を歩いているのは、悠太の直属の上司、リーダーの中のリーダー、上官である。

悠太は、あれきり一度も上官と口を聞いてはいない。この編成隊の中で万梨阿の存在を知っているのは唯一、上官のみである。それに、上官は悠太があの夜、銃撃を受けて深手を受けた時、その場に居合わせた唯一の人物であった。

 石拾いの業務に当たる時は、至って事務的な彼は、悠太がわずか一週間で編成隊に復活した時も、「…そうか、戻ったのか」と軽くこぼしただけで、それ以来話すのを止めてしまった。

 悠太は、あの時、自分を銃撃したのはもしかしたら上官ではないかと内心彼を恐れていた。それは、あの時悠太の丁度死角にいた人物であり、暴かれてはならない秘密―万梨阿の存在を知られたことで、自分を抹消しようとする可能性のある人物だからだ。

 万梨阿を地下に監禁しておくことは、月面の資源開発が目的とはいえ、明らかに人権無視だろう。地球の資源枯渇の救済策という大義名分はあっても、地球の人権団体に秘密を暴露すれば、ただごとでは済まなくなるのではないか。

 以上が、悠太の考えた推測である。

 しかし一方で、普段からあれだけ生真面目で、熱っぽく社会のことや月面の地質、地球の政治問題を話している彼が、そんなことをするようには全く思えないのであった。

殺人や人権侵害は、どこまで突き詰めても彼の個性に馴染まないのではないか―半年と言う短い期間であるが、一緒の班で行動を共にしてきた悠太には、そう思えてならなかった。

 万梨阿の監禁についても、「やむを得ない」ことと上層部に言われ、しぶしぶ承諾しているのかもしれない。上官の持つストイックさ、修行僧じみた強迫観念のようなものは、他人に向けられる以前に、まず自分に向けられていることを悠太は知っていた。

 悠太は、そんなことを考えながら、採掘場への舗装路を歩いて行った。

舗装路とはいっても、小さな岩石はあちこちに散らばっており、少しでも気を抜けば足を躓かせて転倒しかねない。

 ここに来て二か月目に、歩行中の別小隊の一人が足を躓かせ、それにつまずいた後ろの者たちがみな一様に倒れるという事故があった。幸い死者は出なかったが、三人が足の骨を折り、七名が軽傷を負うと言う結果になった。

 小隊はそれ以来、班員に一メートル以上の間隔を置くことをルールとしていた。二列で歩くため、悠太の隣はほとんど毎回、小林だった。

 その日の夜、労働を終え、夕食を済ました悠太は、偶然一人きりになれた自室で、スケッチブックを抱えて座り込んでいた。

 悠太は、ふとした瞬間、答えのないような哲学的な問いに悩まされる癖があった。

 以前、上官がタイムを計りながら、急いで星屑を採集している時、疑問を抱いた。

 例えば、今、ここで自分が星屑を拾うことを止めて、しばらく動かないままにしていたら、果たして上官はどんな反応をするのか?

 そもそも、今、自分が「月面に居る」という絶対の証拠は、どこにあるのか?

 もしかしたら、自分は夢を見ているのかもしれない。

長い長い、そして前後関係がやたらはっきりした夢を見ていて、多少つじつまの合わない事実も夢補正でむりや納得しているのかもしれない。自分はもしかしたら、普通に公立高校に進学し、退屈極まる昼下がりの授業中、うっかり昼寝をしているのかもしれない。その中で、「ここではないどこか」を夢想する気持ちが、はっきりと目で見える形で現れたに過ぎないのかもしれない。

 そもそも、客観的事実というものは、本当に存在するのだろうか?

 各個人が、見たいように見ている自分勝手な現実のうち、共通する事実だけを抜き出しているだけではないのか?だとしたら、「現実」というものは、それぞれの心の中にしか存在しないことになる。

 それぞれの心の中にしか存在しないなら、今、自分の目の前の現実を、自分は操れる「神」になれるかもしれない。

 朝、前日の疲れの抜けきらないまま起床するあのだるさも、ぼそぼそに乾燥したパンに、保存料と砂糖だらけのジャムを塗って食べる朝食の味気なさも、毎日十キロ以上も歩いているせいでパンパンに膨れ上がってしまっているふくらはぎの痛みも、もしかしたら自分の主観的変換で、ないもの同然として過ごせるのかもしれない。

 だとしたら、と悠太は思う。

 自分が真っ先に変更したいのは、朝のだるさでも、食パンのあじけなさでも、ふくらはぎの痛みでもない。先の見えない混迷する未来に対して、なかなか元気を出せないでいる自分自身の心の持ち方だと思った。

 そんな結論を勝手に出しながら、ラフなスケッチで宇宙空間を鉛筆でなぞるように描いてみた。その向こう側に、万梨阿を象徴する天使型の人間を描く。顔の輪郭まで描いたところで、ふと筆が止まった。

「顔、どんな風に書いたらいいんだろう…」

 アニメ調のやたら大きな邪気眼にすれば、絵全体の重みが消え去ってしまう。写実的に瞼を描けば、生々しいだけで万梨阿の持つ幼い美しさが消え去ってしまうだろう。絵のいくつかの技法を探せば、もっと有力な描き方が見つかるかもしれない。

 しかし、今日はこの辺で筆を置くことにした。

 何より、明日も朝が早い。早く寝なければならなかった。

 悠太は、こうして細切れ時間だけでも絵を描くことに対して、抵抗があるわけではない。しかし出来れば毎日、一時間なり二時間なりと言った纏まった時間を利用して、絵を描く時間的心理的余裕が欲しい。

 しかしぜいたくは言えないので、仕方なく今のままがんばろう、という結論に一人至るのだった。

 悠太は、携帯を取り出して、時間を確認した。

 月面は、Aブロックにしかネット環境が無いため、ここではネットの類は一切使えない。悠太の目的は、検索をすることではなく、万梨阿との待ち合わせの時間を確認することだった。

 万梨阿は、相変わらず研究施設の地下で幽閉されてる。

 悠太が思ったほど万梨阿に対する周囲の扱いは劣悪なものではないらしい。

万梨阿が鎖で足元を封じられていたのは、不思議な能力を使って、彼女が逃亡してしまう恐れがあったからだ、と後に分かった。

 普段は、毎日、スターダスト研究者や医学者が訪れ、彼女や、彼女の能力についてのメンテナンスを行っている。万梨阿は、一人では自立して行動することも出来ない状態なのだと言う。

 悠太は、絵を鞄にしまうと、部屋を出た。風呂場に向かおうと、階段を降りようとした。

 その時だった。

 階段の向うから、万梨阿がやってきた。

しかし、いつもの彼女とは明らかに様子が違う。

 悠太は、まず、待ち合わせの時間より明らかに早い、と思った。万梨阿とは今日の二一時、寄宿舎入口の角で待ち合わせていた。目的は、悠太の今日一日の何でもない単純労働の中で起きた出来事を話すこと。

悠太にとっては、単調極まりない鉱物採集でも、一日中、部屋に幽閉されっぱなしの万梨阿にとっては、意外な発見があるらしい。彼女は、特に、小林を含む上官や、班員たちのことを聞きたがった。

 階段の踊り場の陰から現れた万梨阿は、もちろん実体でない以上、二足歩行が出来る。

 しかし、よく見れば階段の手すりにもたれかかるように、まるで深手の傷を負ったけが人のように歩いている。顔は下をずっと見ていて、表情までは分からないが、明らかに疲弊して息を切らせている。

 のそのそとヘタるように歩いてきた万梨阿は、悠太が階段の上に居ることに気付くと、コンクリートの踊り場の床に座り込んだ。

「万梨阿!」

 悠太は、驚いて万梨阿のところに駆け下りて行った。

 彼女は、悠太を見るでもなく、下を向いてゼーゼー息を切らしている。

胸の大きな上下によって肩まで伸びている髪の毛が上下する様子を見ると、彼女の実体がまるで目の前にいるようだった。

「万梨阿、どうしたの?」

「…助けて」

「え?」

「…助けて、ユウタ。悪い人たち、来ちゃった。一人じゃ、敵わない」

「悪い人?研究所に、誰か来たのか?お前の本体は、まだ無事なのか?」

 悠太が言葉を言い終わらないうちに、まるでアナログテレビのように、彼女の幽体に砂嵐が掛かった。それは、まるで彼女の意識と連結するかのように、呼吸に合わせてザザーッと彼女の姿を隠した。しばらくすると、また彼女の姿が現れた。

「私、もう、限界。本体の意識が、なくなっちゃった。こっちも直に消える」

「え?眠らされたのか?今、行けば間に合うの?」

 また、彼女の姿に砂嵐が掛かった。

 砂嵐の間隔は、呼吸の間隔よりも短くなってきた。それは、加速度的な勢いで彼女の姿を見えなくさせていく。

「ユウタ、助けて」

「あ、ああ!」

 次の瞬間、ザザーッと言う砂嵐が掛かったかと思うと、テレビのスイッチが切れたように、ふっと彼女はいなくなった。後に残ったのは、いつもの冷たいコンクリートの廊下だけだった。

 悠太は、自室に戻ると、外出用の迷彩柄のコートを纏った。部屋着の上から、迷彩ズボンを履き、きちっとベルトを締めて、下がらないようにする。そうすると、貴重品の財布も持たないまま、部屋を飛び出した。

 悠太は、自分があまり積極的に人と関わるタイプの人間でないことを自認している。努力をしてまで友人を作りたい、と思ったことは一度もない。だから、学校時代も友人と呼べるような存在はいなかった。

 しかし、ここで知り合った小林、万梨阿は悠太にとって初めて出来た本音を分かち合える友人だった。

だから彼女に「助けて」と言われれば、それが消灯過ぎだろうが、他に要件のある日であろうが、喜んで行っただろう。ただ今回は、求められたわりには、じりじりと脳裏に嫌な予想が浮かび、いやな気分しか起こらないのではあるが。

 寄宿舎を飛び出した悠太は、守衛を勤めるOISD事務員(日本人)に適当な理由を告げて、外へ飛び出した。頭の中では、いやな予感ばかりが渦巻いていた。

 寄宿舎から万梨阿の幽閉されている地下研究室までは、徒歩二〇分と言ったところだった。悠太が本気で走れば、十分程度でなんとかたどり着ける距離だ。

 いつものように、入口からまっすぐ伸びる舗装路の脇の「keep out」テープを飛び越え、ごつごつとした月面の未整備の岩肌を、飛び移りながら移動していく。道の左右に大小さまざまな石ころが転がっていて、歩く邪魔をしている。

 月は地球同様自転していて、二四時間周期で明るくなったり夜が来たりする。月面時間二一時は当然、昼間よりも暗いということになる。それでも、うすぼんやりと地平線の向こうまで見渡せる。地球に比べて小型の惑星である月では、夜の時間帯でもぼんやりと明るいのだ。

スターダストは月面でも、指定された場所でしか採掘されない。正確には、月面の鉱物にはどれも少量ではあるがスターダストが含まれている。しかし、純度が一〇パーセントを越える燃料用の鉱石は、決まった場所でしか手に入らないのだ。

 足元の瓦礫を踏み越え、地面に向かって斜めに向かって伸びる大穴まで、一〇分で辿り着く。研究所の入口は、相変わらず先がまったく見えない深さで奥へ伸びている。風すらまったく流れてこない。

 悠太は、すぐに階段を降りはじめた。

 前回、万梨阿を発見した時とは、ごつごつした洞窟は、全く別の表情をしていた。

 万梨阿がいた時は、彼女の気配があったため、あまり孤独は感じなかった。それが、ただでさえ静寂の支配する月の上で、普段単独行動などしない悠太が、一人で寄宿舎を抜け出しているのだ。孤独を感じないわけがない。

 悠太は、風も流れてこない階段を、迷彩コートのポケットから取り出した懐中電灯で足元を照らしながら、降りていく。足音だけが、音のしない空間に響き渡り、まるでこの世界のうちに生き物は自分だけのような気がしてくる。

 悠太は、階段を降り切ったところにある研究室の、厚さ四〇センチはありそうなドアのノブに手を掛けた。

 ドアは、最初から空いていた。

 中に入ると、前回と同じような薬品の匂いが鼻を突く。

 全体が白塗りで、縦横十メートル、高さ四メートルの簡素な部屋だった。

 入って左手に、鉄パイプの簡素ベッドが置かれていて、白いシーツの上の布団がめくれあがっている。右手には、白いガラス窓の棚があり、錠剤らしきものや薬品らしき液体が入っている。棚の手前には、心音計や血圧器など、簡易な医療器具が壁にフックでつるされている。

 そして部屋の真ん中、万梨阿を地面に直接つなぎとめている鉄の錠があった。

 しかし、綺麗にぱっかりと開いて、そのまま放置されている。万梨阿はもう部屋にはいなかった。

 悠太は、部屋に入ると、周囲をじろじろと見渡した。

 自分がここに来るまで、まだ一〇分しか経っていない。彼女は、もう連れ去られてここにはいないのだろうか?それとも…。

「こ、これは」

 悠太は、部屋の奥に掛けられた壁際のカーテンレースを見た。何の目的で付けられたのか一切分からないが、白塗りの壁の一部を覆うように、純白のレースが掛けられている。

 悠太は、そこに手を掛け、そっと捲ってみた。

 そこには、研究室の入口とまったく同じような、鉄のドアが取り付けられていた。今まで全く気が付かなかったが、この研究室は通路だったのだ。

 悠太は、おそらくこのドアは、OISD研究施設のあるAブロックと繋がっているのだろう、と考えた。そうすれば、研究者たちがどこからこの部屋に来るのか、簡単に説明がつくからだ。

 悠太は、ノブに手を掛ける。

「……!?」

 手を掛けたノブは、何か強靭な力で上下左右をプレスされたように、ぐにゃりと変形している。ノブが破壊されていないのは幸いだが、もう少し強い力を掛ければ、ノブが壊れてドア自体が使い物にならなかっただろう。

 悠太は、万梨阿が以前、小林のフィギアを念力だけで変形させたのを思い出した。

「ん、何だこれ…?」

 歪んだ金属のドアノブの下に、紙のメモが挟まっている。それを拾い上げて見てみると、二つの文句が記されていた。

 何か詩文の様な、似通った文句が二つ、記されている。しかし悠太は、その意味はまったく分からず、それを一応、ジャンパーのポケットにくしゃくしゃに丸めて入れた。

 不規則にねじれたドアに手を掛ける。

案の定、開いていた。それは、もしかしたら万梨阿が意図的に残した足跡なのかもしれなかった。悠太は、そのままドアを開いて、中に入った。

 ドアを開けた瞬間、目の前の景色が開けた。

 広い広い空間だった。タテヨコ百メートル近くあるかもしれない。明らかに最近人工的に作られたもののようで、白いコンクリートで塗り固められている。

 高さは、奥行きに対して低く、五メートルくらいしかない。見渡す限り何もない、ただっぴい、無機質な空間だった。

 その部屋の中央、正確には研究室側に、五人の人間が立っていた。

 全員、悠太と同じ、少年編成隊使用の迷彩ジャンパーとダボダボのズボンを履いていた。

真ん中の男は、星型の金色のバッジを制帽のベレーの上に付けている。何事につけても透徹したような冴えた視線と、悠太より少しか高いくらいの身長で、一目で分かった。上官だ。

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