第7話喫煙所での談笑

ここ数日、喫煙所で悪い遊びが流行っていた。

 その遊びというのは、一種の賭け事だった。

もともと娯楽の類のほとんどない月面において、数少ない余暇の時間を如何に過ごすのかという問題は、少年たちにとって非常に大きなものだった。

 あるものは、地球からもってきたトランプでゲームに興じていた。これは非常にグローバルな娯楽であって、言語の通じない異国の少年が日本人の部屋に出入りすることがあった。

ある者は、家庭用電子ゲーム機を地球からのスペースシャトルに載せてきて、それを活用して一人遊びに興じていた。しかし二四時間の集団生活、しかも厳密な上下関係が敷かれているせいで、一人遊びは大抵、つまはじきにされたものが興じる遊びだった。

 そこで考案されたのが、アルコールと喫煙だった。

 政府の体裁上、青少年の健全な月面での研究活動を掲げているため、酒の類は支給されていなかった。その代り、誰が持ってきたのか分からないが、ほとんど純粋なアルコール成分で出来た液体が出回り、それを舐めながらつたない英語でコミュニケーションに興じる少年達の姿がよく見受けられた。

 かくいう悠太も、何度か、上官に叱責を受けた時、憂さ晴らしで舐めたことがある。

口に含む前から消毒液の匂いのぷんとする液体は、日常生活では決して飲めたいものではない。しかし、生活モラルの低い、不良少年たちは、よくこれを舐めて話している。

悪いことをする時だけは、人間は団結する生き物らしい。

彼らが一緒にいるのは同じく粗暴で明らかにまともな生活を地球でも送っていなかったであろう、ロシア人、アメリカ人、どこかわからないが浅黒いアジア系の少年たちだった。ロシア人に言わせれば、これは「最高にマズイウォッカ」だという。また、イギリス人に言わせれば、「粗悪なジン」なのだという。酒を飲まない悠太にはその見解の真偽は分からない。

しかし、悠太は煙草は好きではなかった。あの鼻を突くつんとした匂いがたまらなく気持ち悪い。なぜ燃やした煙を肺の中に充満させて、口からもったいぶって吐かなくてはいけないのか?

 地球では先輩にあたる青年に一度、率直な感想をぶつけてみたことがある。

「最初はまずいもんさ。でも、だんだん気持ち良くなるんだ」といって、箱から貴重品なはずの一本を勧めてきた。

 悠太はそれを丁重に断った。そして、なるべく喫煙所には近寄らないでおこう、と心の底で誓った。

悠太も小林も、ここの交流の輪からは完全に外れてしまっている。悠太は趣味の合わない先輩隊員たちと一緒にどうでもいい痴話話に興じることが嫌いだったし、小林はそもそも対象から除外されている。

 そんなことだから、寄宿舎一階の広いホールの端にある喫煙ルームは、悠太にとってなるべく関わり合いたくない人間たちの巣窟だった。

 それが、である。

「おい、小宮山。お前、ちょっとこっち来いよ。ほら、そっちの、なんだっけ、小林か?お前も、来い」

 一日の仕事が終わった月面時間午後七時、悠太を呼びつけたのは三班リーダーの河上という一八歳の青年だった。

 彼は、典型的な天才タイプで、一度見聞きした数字や情報を一瞬で暗記し、数日後にすらすら話すことが出来た。大学受験を終えた直後だと言うが、上官ほどではないにせよ、悠太でも知っている有名大学の経済学部に進学が決まっていた。

 そんな秀才がどうしてこんな場所に来たのか、悠太には分からない。しかし頭の性質が一級品の河上は、人間としてはゴミ屑以下だった。

 彼は、規律規範をよく守り、ルールをよく守った。同じ日本人だからという理由もあるかもしれないが、各班リーダーを取りまとめる上官も、彼を叱責したのを見たことはない。スターダストの採集もそつなくこなし、いつも可もなく不可もない実績を残していた。

 しかし、悠太は河上の暗黒面をよく知っていた。

悠太に限ったことではない。河上より地位の低い者は、彼の部下に対する態度をよく知っていた。

 彼は、良識を振りかざして、部下に理不尽を働くのだ。煙草を自腹で買いに行かせたり、自分が座って煙草を吸っている間、部下たちを働かせて星屑を集めさせたりした。ある時は、他の班のリーダーにコネを作っておいて、自分の班の達成できないノルマを他の班の者に集めさせたことがある。

 その班のリーダーは、河上に毎日煙草を三本ずつ譲ってもらう代わりに、彼の理不尽を見て見ぬふりをした。結果、その班員たちはその日、二時間も余分に採掘場に残って、星屑を集めなくてはならなかった。

 そんな男が、悠太と小林を呼びつけたのだ。いい予感のするはずが無かった。二人は、特に抵抗しないまま、喫煙所の前に置かれている分煙板の裏に回った。

 案の定、ロシア人、アメリカ人、中東系の青年を含む七人もの悪党たちが、椅子に腰かけていた。

 河上は、流暢な英語で彼らに話し掛けた。すると、拙い英語の返事が返ってきた。悠太は、自分たちが彼らのコミュニケーションのおもちゃにされることを一瞬で悟った。

「おい、ゲームしようぜ」

「ゲーム、ですか?」

 悠太が聞き返すと、河上は一枚のコインを取り出した。

 ゲームのルールは簡単だった。

 河上が、コインをはじいて空中でキャッチする。そのオモテが上なら右手を、ウラが上なら左手を上げる。簡単なルール故、悠太も小林もすぐ理解できた。

 三回勝負で上位三名が、最下位三名からタバコの支給を受ける。現物が無ければ、現金で対応。幸い、両替商をやっている中国人がおり、彼のところに持って行けば日本円でも外国貨幣に換えられる。

 悠太は、悪い予感がしながらも、場を漂う雰囲気からして、うまく断る手段はないと判断。小林も、いつものように猫背の背中を一層傾けて、彼らを見ないようにしている。

「分かりました。やります」

「よーし、そうこなくっちゃなあ。さあ、START!」

 一回目は、悠太と小林はともに右手を挙手。結果は、オモテだった。

 二回目は、悠太は右手、小林は左手を挙手。結果は、ウラだった。

 三回目は、悠太は左手、小林は右手を挙手。結果は、オモテだった。

 ゲームの性質上、二回以上正解した小林は、二回目終了時ですでに勝った側に回ることが出来る。悠太を含む白星一回以下の少年四人が残り、ゲーム続行。小林含む三名は離脱。

 四回目は、悠太は右手を挙手。結果は、ウラ。

 五回目は、悠太は右手を挙手。結果は、ウラ。

 この時点で、二連勝のロシア人が勝ち抜けし、下位三人が決定。続く最後の勝負で、悠太はまたも黒星を引いてしまった。

 ―五回やって、白星一つ…。

 悠太は、最後の勝負で右手を挙げながら、河上を見やった。あらかじめそうなるとでもいいたげな悪意の感じられる笑みを浮かべている。

「あの、これって、本当にフェアな勝負なんですか?」

「チート疑ってんの?あるわけないじゃん、ほら、コイツ勝ったし」

 河上は、勝ち抜けした小林の背中をバンバン叩いた。小林は、相変わらず黙っている。

「そんな、でも…」

 だめだ、反論の言葉が見つからない。悠太は、直感では八百長を確信しながら、それを立証できない自分の頭脳を憎んだ。

「それじゃあ、そういうことだから、ほら」

 そう言って、指を三本突き立てる。

「三…って」

「三万だって。それで、許してやる」

「待ってください、煙草はここでは、高くても千円くらいじゃ」

「その時々で相場が違うんだって。ほら、まさか、一度した約束、破るの?」

「いや、そういうわけじゃあ…」

「俺らだって、自腹きって勝負してるって、覚えてるよね?あくまでフェアなんだって。それとも、それも疑うなんて、お前、そんな卑怯者なの?」

「いや、そんなんじゃ…」

 悠太は、しばらく口をもごもごさせていた。口を付く言葉は、見つからなかった。相手のぎらぎらする悪意に自分の権利と意思が蹂躙されることが、堪らなく不愉快だった。

 しかし、ここで食い下がっては、おそらくますます河上の思うつぼになる。

彼は、実際的な報酬以上に、自分の理不尽で相手が蹂躙される様を見ることに精神的な快感を覚えるのだ。そんな彼自身の心も、以前、誰かから歪に押し曲げられてしまったのではないか、と悠太は考えていた。

 しばらく肩を上下させ、荒い息遣いをしていた悠太だが、口を突いて出た言葉は驚くほど弱弱しかった。

「…もってません、そんなお金」

 これは事実だった。悠太は、ここに持ち合わせてきた現金は、一万円だったのだ。それを聞くと、河上は「財布、見せてみろ」と言ってきた。

 悠太は、財布を手渡す。中身を確認し、中に入った一万円を抜き出すと、外国人の青年たちに何やら英語で話しかけた。

 すると、何やらアメリカ人の金髪の青年の言った言葉で、場に笑いが起きた。河上は、そのジョークに乗っかるように、悠太の方に振り向いて言った。

「それじゃあ、罰ゲームだ、お前を手術する」

「…手術?」

「そう、手術。Hey!」

 そう言うと、スラブ系の大柄な茶髪の青年が歩み寄ってきた。悠太の体躯の一.五倍はあるその体躯の青年は、ポケットから紙包みを取りだし、それを広げた。

 中に入っているのは、煙草の比にならない程太い、葉巻だった。直径二〇ミリメートルはありそうだった。

 青年は、一本を口にくわえると、ライターを取りだし、ジュボっと火を点けた。そして、ゆっくりとそれを吸いこむと、プウっと紫がかった灰色の煙を吐いた。

 それを三回ほど繰り返した後、それを河上の顔に持って行く。河上は、男の手から直接葉巻を咥えると、プウーっと分厚い煙を大気中に吐き出す。煙草とは違う、鼻をむずむずさせるトウガラシのようなにおいが、悠太の鼻を突いた。

 河上は、悠太に向かって言った。

「小宮山、手、出せ」

「え…何をする気で」

「いいから、出せって」

「…いや、です」

「だから、罰ゲームだって。まさか逃げ出すの?みんなフェアに闘ったのに?じゃあいいよ、ほら、」

 そう言って、中東系の青年に何か言う。すると、青年は椅子から立ち上がって、ロシア人の前に立った。そして、右手を出す。

「よーく見とけ。ほら、three, two, one」

 ぜろ、と言った瞬間、ロシア人が葉巻を勢いよく中東系の青年の腕の甲に押し付けた。

 青年からは、「Oh!」と悲鳴に近いような苦痛の声が漏れた。ジューッという皮膚が焼け、肉が焦げる嫌な音がする。葉巻の匂いにも、人間の脂の匂いが混じってきた。

 そして、なぜか場に笑いが起きた。

 このようなことをして笑いが起きる理由が、悠太にはまったく理解不能だった。それでも、ここではおかしいことがおかしいまま、笑って受け止められるということはよく分かった。

 中東系の青年は、三秒ほど煙草を押し当てられた後、そこに残ったやけどの跡を他の者に見せつけた。とたん、他の者から賞賛の拍手が巻き起こった。中東の青年も、それをさも当然のように手を挙げて受け止め、自分の席に戻っていった。

 再び、視線が悠太に戻ってきた。

「ほら、出せって」

 河上が言う。

「い、いや…その…」

 そう言うと、アメリカ人の少年が、河上に何か言う。

「そうか、やらないっていうなら、身代わりを出すか」

 河上は、そう言って、小林を見た。

「え、え…?」

 小林は、何を考えているのか分からない、狼狽した顔を作った。

「小宮山が犠牲にならないっつーなら、お前が罰ゲームくらうしかないな。トモダチだろう?」

「それは、やめてください」

 悠太は、引きつった顔でそう言った。これは、本音だった、いくら理不尽でも、自分の代わりに友人が犠牲になることは、もっと耐えられないことだった。

 河上は、また顔に笑いを浮かべて、悠太に行った。

「じゃあ、手、だせよ」

「…はい」

 悠太は、投げやり気味に、左手を差し出した。右手を出さなかった理由は、上官への報告がある時、右手を上に挙げるからだった。ここでの嫌がらせは嫌だったが、それを上官たちに伝えた暁には、もっと恐ろしい事態になるように思われた。

 ロシア人が、二本目の葉巻を取りだし、ゆっくりと吸い込む。そして、それを河上に差し出す。

 河上は、いきおいよくそれを悠太の手に押し付けた。

 鈍いジュウっという音とともに、肉の焦げる嫌な臭い。それに続いて、皮膚を貫くような、まるで刃物で切られたようなつんとした痛みが腕に走った。

 悠太は、思わず目を閉じ、身をよじった。左手には、自然と力がはいり、強張る。

 悠太の反応が思いのほか鈍かったことが、あまり面白くなかったようだ。青年達の間には、笑いと言うよりも苦笑の様なものが広がった。

 悠太は、心の底で思い切り彼らを罵倒しながら、再び目を開けた。

手の甲には、はっきりと、葉巻サイズ大の、皮膚を溶かした赤いやけどの跡が残る。腕の甲は、未だ苦痛でジンジンと痛んだ。

 河上たちは、しばらく英語で談笑していた。合間、二、三度悠太の腕の甲の火傷の後を見せろと言った。しかし、悠太の苦痛の表情が思ったより穏やかだったので、それがあまり面白くなかったようだった。

 彼らは、直に連れ立って一階のホールを出て行った。

 喫煙所には、悠太と小林だけがぽつんと残された。

「小宮山さん、大丈夫ですか?」

 最初に口を開いたのは、小林だった。悠太の火傷を心配している。

「…くっそう、ちくしょう…」

「小宮山さん?」

 悠太の顔には、火傷の苦痛より、権力を利用して自分の権利を蹂躙されたことによるくやし涙が浮かんでいた。悠太は、思い切り歯を食いしばった。

「地球に行ったらあんな奴ら…ちくしょう…」

 小林は、悔しさに涙を浮かべる悠太の顔に、何も声を掛けられなかったようだった。ただ、「傷を見してください」と言って手を差し伸べた。

 悠太は、気乗りしなかったものの、左手を拳のまま突きだした。そこで、あることに気付く。

「あれ、小宮山さん、傷が…」

 小林に言われて、悠太は左手の甲を見る。そこには、さっき付けられたはずの火傷が、きれいさっぱり消えている。傷の痕跡を残すように、煙草の火を点けられたところだけが、浅黒い点になっているのみである。

「これは…」

「分からない。どうしてだろう?」

 悠太は、身に起きた事態に思考が追いつかず、頭を捻った。しかし、解答らしいものは、もちろん見つからない。

「待てよ…、そう言えば、前の銃創も」

 悠太は、脇腹の辺りをさすってみた。悠太は、ほんの二週間前、何者かに銃撃を受けた。確かその時の傷も、今はほとんど他の皮膚と識別が付かなくなっている。

 明らかに、異常な治癒能力。これではまるで、自分が人間ではないかのようだ。

「小林、ナイフ、持ってる?」

「ナイフなら、以前、支給品で貰った奴が…どうぞ」

 小林は、そう言ってナイフを差し出した。悠太は、それを腕に翳すと、大きく一つ、深呼吸をする。

腕の裏の、二の腕のところを五センチほど、ナイフで切り裂いた。

 途端に、刀傷による鋭い痛みが駆け抜ける。まっすぐ引かれたラインから、血液の球がぽつぽつと出てきて、すぐに下に流れ始める。

 悠太は、痛みに顔をしかめた。しかし、すぐに傷口に起こった異変に気が付いた。

 さっきまで、あれほど鋭かった痛みが、徐々に鈍くなっていく。それと同時に、傷口からかゆいような感触が沸き起こり、思わず爪を立ててひっかきたい衝動に駆られた。

 それでも我慢していると、やがてかゆみも消え、やがて痛みは完全に引いていった。それにともなって、傷の後までが、中央に引き集められるように小さな線になり、ぷつっと小さな点になり、完全に消失。

 その間、わずか三秒足らずだった。

 二人は、しばらく沈黙していた。いまだ、目の前で起きた現象を呑み込めないでいた。しかし、最初に口を開いたのは、小林だった。

「…小宮山さん、そう言えば、銃撃を受けた時も、たった三日で退院しましたよね」

「ああ、そうだった。目が覚めた時には…傷はもう、ただのシミになってたよ」

「それって」

 超能力ってことですか?

 小林は、そう聞いてきた。

「分からない…どうしてだろう。どうして、どうして…」

 悠太は、思わず推論に耽った。それに思い当たるのは、たった一点だった。

「万梨阿と…何か関係があるのか?」

「彼女ですか?奄美ユキの人形を壊した…」

「本当か信じちゃもらえないかもしれないけど、あいつ、実体が別の場所にあるんだ」

「実体が別?何を言っているのか、にわかには理解しかねますが」

 そう言って、小林は首を捻った。悠太も、改めて首を捻る。これは、明らかに万梨阿の能力と関係がある。ということは、自分にも万梨阿と同等の能力が備わっているということか?

 そのわりには、自分の身体は自由がきかない気がするんだが。

「とりあえず、万梨阿に詳細を聞いてみよう。何か、分かるかもしれない」

「そう…ですね。そうしますか」

 真剣に考えごとにふける悠太の手前、小林は未だどこか納得がいかないと言う顔で悠太を見ていた。

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