第5話万梨阿の能力

悠太はそれから三日で、病室を退院した。

 傷はすでに塞がっており、不思議なことに、ほとんど体力の消耗も無かった。それどころか、彼は服を脱ぐとき、自分の腹の中央に深々とある銃創から、まるで乳液の様な匂いがしていることに気付いた。

 それは、もしかしたら臓器の一部が破壊された後、再生した直後の匂いなのかもしれない。しかしそれはまるで、生まれたての赤子から漂ってくる匂いのように思えてならなかった。

 意識が覚醒した翌日、悠太の下を訪れたのは小林だった。

 小林は、悠太が銃で撃たれたのではなく、落石に巻き込まれたのだと思っていた。

「いやあ、まさか、あの後そんなことがあったとは…」

 その日は、地球で言えばキリスト教のイースター当日、一〇月二五日だった。この日は、地球に向けて祈りをささげることが許され、クリスチャンの少年たちは仲間の部屋に集まってささやかな祈りを捧げていた。

 いつもは喫煙や痴話話でうるさい寄宿舎の通路はしんと静まり返っている。そのうち、ラマダン期間中のイスラム圏の学生への特別措置も検討されているが、とりあえず今はイースターと年末年始が、特別休暇として許されていた。

「それでも、小宮山さん、なんだかけがをしていないようにも…」

「そんなことないぞ。ほら、ここを見ろ」

 悠太は、そう言って腹を捲り上げた。腹の中央直径二センチの銃創を囲うようにして、腹の周りに血管の様なものが隆起していた。

「いやあ、それはひどい傷でした。それでも、一命を取り留めたのは、幸運と言おうか不幸中の幸いと言おうか…」

「まあ、幸運、ってことにしておこうと思うよ」

「そうですか。そういえば、小宮山さん、これ、何か分かりますか?」

 小林は、手元の縦横三〇センチくらいの箱を取り出して、悠太に見せた。

「なんなの?」

「昨日届いたばかりなんですが、『リアル・マーメイド』奄美ルカの南国ver.ですよ!これを届くのを、待っていたんです。奄美ルカは沖縄出身二〇歳、キャラコンセプトは『天真爛漫』。南国育ちの開放的な女性で…」

 悠太は、小林が話を始めた時、後ろに誰かが立っていることに気付いた。全身を白のドレスコードで身を包み、肩のところまであるくせッ毛をくるりとさせている少女だった。

「ああ、君は…いつからそこに」

 小林の話を制して、悠太の口から不意にそんな言葉が出た。小林は、悠太が後ろの誰かに声を掛けたのに気付いて、慌てて振り向いた。

「え…てか、誰?」

 小林は、悠太と少女をきょろきょろと眺めまわして、聞いてきた。悠太は、それを打ち消すように、答えた。

「最近知り合った女の子で、ここで生活しているんだ」

「へえ、それはそれは…」

 少女は、しばらく口を噤んでいた。しかし、口を開いて話した。

「まりあ、わたしの名前は、まりあ」

「ま、まりあさん、でいいんですか?」

 小林がなおも困惑していると、まりあという少女は、右の人さし指で感じを描いた。「万」「梨」「亜」と三つの感じを描いて見せた。

「『万梨阿』さん、なんですか?」

「そう、万梨阿」

 悠太も、万梨阿の名前を聞いたのは、今回が初めてで、そんな難しい感じを使うとは知らなかった。それよりも、彼女を視認できるのが自分だけではなく、小林も見ることが出来ることは、驚きだった。

 彼女は、肉体を地下の研究室に幽閉されていて、肉体はそこから出ることは出来ない。しかし彼女の精神自体は、肉体をすり抜けて、月面をまるで幽霊のように移動できるのだ。

 不意の万梨阿の登場に、場はしんとなった。小林は、彼女の不意の登場に、困惑しているらしかった。万梨阿は、自分に関してそれ以上口を開くことは無く、むしろ小林の手に持つフィギアを指さした。

「なに、それ?」

「これ、ですか?」

「お人形さんなの?」

「そ、それはまあ…」

「なんだか、かわいくないね。わたしがもっとかわいいの、あげるわ」

「な、なにを…!?」

 小林の顔に、戸惑いが浮かんだ。それは、万梨阿にフィギアが見られたからではなく、奄美ルカのフィギアを「可愛くない」と称されたことから来る戸惑いだった。

「あ、あなたには分かりませんでしょうが、彼女はキャラコンセプトが『天真爛漫』で…」

 小林が、悠太にしたのと同じ説明を万梨阿にしそうになった時だった。万梨阿は、人形に向かって手を差し伸べた。

「はい」

 万梨阿は、幽体―実態のないはずの手を奄美ルカのフィギアにかざしてみせた。そして、小林の説明を聞かないまま、目をつむって、眉を眉間に寄せた。

「むー」

 万梨阿は、目をつむってしばらく唸っていた。すると、不意にフィギアが振動し始め、カタカタと揺れたフィギアは、粘土細工のようにぐしゃりと変形した。

 小林は、手に持ったフィギアが捻じ曲がってしまったことに驚嘆し、悲痛な声を上げた。

「わー!ぼ、僕の、僕のフィギアが…」

「待って!まだ、終わってない!」

 半狂乱になった小林の手から、変形したフィギア―プラスチックの塊がポイッと放られた。それが近くの床に落ちたのを、万梨阿は拾いに行く。それを、床に落ちた状態で、今度は両手をかざした。

 そしてまた、「むー」と唸り声を上げた。すると、さっきまでねじれていたプラスチック人形が、またぐしゃりとねじれ始め、それは瞬く間に人型に集束していた。

 そこに再び転がっていたのは、リカちゃん人形を彷彿とさせる、まつ毛の長い八頭身のドレスを纏った人形だった。

「こ、これは…」

「な…」

 小林も悠太も、驚きに閉口した。さっきまで『奄美ルカ』の形を取っていたフィギアは、今ではまったく似ても似つかない別の趣味の人形だった。

「どう?」

 万梨阿は、少し得意げに小林に聞き返した。

 悠太は、さっきから起きている事象に呆気にとられて、言葉が見つからなかった。それをどう自分の中に落とし込んでいいのか分からなくなっている時、小林がすぐに言葉を発した。

「ぼ、僕の『奄美ルカ』が!あなた、なんてこと、してくれたんですか!」

 小林の顔は、万梨阿の起こした現象に行く前に、自分のフィギアを壊されたことから来る怒りで反射的に歪んでいた。

「なんですか!これ!こんなの、元のフィギアじゃない!あなた、あれを買うために、あれのために、僕は、僕は、この三か月、働いてきたのに…」

 小林の顔は、悲痛の顔で歪んでいた。半分べそを掻いてさえいる。

 それに驚愕したのは万梨阿も一緒らしい。

「な、なによ!あの可愛くない人形を、せっかく可愛くしてあげたのに…」

「あなたにとっては可愛くなくても、僕にとっては天使そのものなんですよ!

 それを、こんな、こんな…」

 小林は、半狂乱になっていた。それを見た万梨阿も、彼女の中では褒めて然るべき行為をけなされたせいで、怒りに震えていた。

「な、なにあなた?私のお人形さんを、欲しくないの?」

「ええ、欲しくないですよ!こんなの、こうして…」

 小林は、怒りに満ちた表情で、人形の下半身を覆う衣類の布を破り始めた。これに万梨阿は、悲鳴を上げた。

「きゃ、きゃー!へ、へんたい!」

「は、ははっ…ははっ…」

「ちょっとお前ら、いい加減にしろ!」

 悠太は、思わず大声を張り上げた。その直後、それがしんと静まり返った寄宿舎に声が木霊したことに気付いて、思わず口を噤んだ。誰かが部屋の中に駆け込んでくることが危惧されたが、どこからも足音は響いてこない。よく見れば、病室の中は今は誰もいないらしく、しんとしたままだった。

 悠太は、自分まで熱くなりかけた頭を落ち着けるように、「こほん」と小さく咳払いをした。

「まず、お前ら、お互いのこと、まだ話してないだろ?万梨阿、こっちは小林。僕の友達なんだ」

「へえ」

 万梨阿から帰ってきた声は、道端に投げ出された地蔵仏のように無機的だった。

「小林、どこから説明したらいいか分からないけど…彼女は、不思議な力が使えるんだ」

「そうですか、そりゃあ結構なことで。能力よりも、使う頭をもっと鍛えた方がいいとは思いますけど」

 小林も、万梨阿に対して皮肉に満ちた返事で答えた。

「あ、あのなあ…」

 悠太は、困惑しきってしまった。小林にいつか万梨阿を紹介しなくてはならない義務が発生することは予測していたが、両者はまるで水と油のようだった。

「それよりも、万梨阿、君は人形を作りかえたりも、できるの?」

 見過ごしそうになってしまった話題に、悠太は本腰を入れようと考えた。

「んー、まあ」

「それって、どうして?」

「知らない」

「コツとか、あるの?」

「こう、こうやって、手を当てて、祈るの」

「祈るんだ。そう。それで?」

「おわり」

「……」

 悠太は、万梨阿の自分の能力にあまりに無自覚なことに驚いた。

「お前、それって、きっとものすごくすごいことだと思うんだけど…」

「分からない」

 ダメだ、彼女相手では話にならない。悠太は、当たり前の事実を悟った。彼女は、自分の力を使いこなすわりに、その能力発現の原理原則にはまるっきり関心がないようだった。

「小林は、どう思う?さっきの」

「どうもこうも、僕には黒魔術にしか見えませんでしたね。きっと悪魔と契約を結んだんでしょう」

 皮肉屋の割には冷静な視点を持っているように思われた小林は、さっきの事件で完全に冷静な思考を失っていた。

 う言えばこいつは、自分のことになると、急に水平な視点から物事が見えなくなるんだっけ…。

 悠太は、そんなことを考えたが、仕方がないので、一旦会話を切り上げるよう働きかけようとした。万梨阿には、今度いついつにここにこい、またぜひ話がしたいから、と伝えた。小林には、代わりのものを自分も探すから、今日はこれで勘弁してくれないかと言った。

 小林は不満を抱えたままではあったが、悠太が協力を名乗り出ると、「そこまでする必要はありませんよ」ともったいぶったように話した。そして、また明後日来る、といって部屋を出て行った。

「……」

「……」

 二人残された悠太と万梨阿は、思わず口ごもった。先に口を開いたのは、万梨阿だった。

「絵、また描くの?」

「あ、ああ…」

 悠太は、そう言えばつい昨日、彼女の本体を見つけて、号泣してしまったことを思い出して、少し恥ずかしくなった。しかしそれは当に彼女に割れている事実なので、今更隠しても仕方ないと思い、改めて言った。

「今度はその…万梨阿を描こうと思って…」

 悠太は、むずかゆさに声が小さくなった。

「わ、わたし…?」

 万梨阿は、痩せこけて大きくなっている両目を、余計に大きく見開いた。

「そ、そう。なんか、テーマは、『天使と宇宙』かな…。ど、どうかな?」

 ヤバい、超恥ずかしい。

 悠太は、穴があったら入りたいような気持になった。それでも、言葉は気持ちをほとんどそのままストレートに表現していった。

「僕にとっては、万梨阿が、天使に見えたんだ…。救いがないと思ってた、どうしようもないって思ってた。絵を描いたりものを作ったり、そんなこと、ここじゃあ、生きていくためには必要ない、役に立たないことだと思ってた。

 でも、万梨阿に言われて、気づいたよ。役に立たなくも、意味がないことも無いんだ。僕は、自分の全てを、そこに集中させるつもりだよ。

 信じることが、大事だったんだ。それがすべてで、それ以外、僕の生き方にはありえなかったんだ。ずるい計算も、賢い頭も、現実逃避も、初めから必要なかった。

 僕は、もう一度、『絵を描く』ために、それだけのためにここで闘うよ。いや、僕にとっては、絵だけがすべてじゃないな…。

 そうだ、僕だけじゃない、小林の、皆の中に眠っている、こう、熱い気持ちを、目覚めさせたい。みんなの心を豊かに出来るよう、ここで僕は闘うよ。

 いつだって、大事なことは単純で、シンプルだったんだ。僕は、やっとそれに気付けたよ。だから、それを信じる気持ちを、形にしたい。みんなに伝えて、みんなでもう一度、地球に戻るんだ。

 そんなこと考える僕は…変かな、万梨阿?」

 悠太は、自分の言葉の拙さを自覚しないではいられなかった。それでも、万梨阿が笑顔でうなずいてくれていることに、恥ずかしさと同時に、嬉しさを感じた。

「うんうん。きっと出来るよ」

「ありがとう」

 悠太は、なんだか非常な幸福感に包まれた。それは、月面に自分が送り込まれて苦しんできたことすべてを帳消しにしても、許せてしまえるようなものだった。ここに来たものの中で、自分と同じような真理に気付いたものは、きっといないだろうと言う優越感も含まれていた。

「じゃあ、楽しみにしてる。わたしは、もういかなくちゃ」

「え?」

「私の身体の近くに…誰か近づいてきた。早く意識をもどさなくちゃあ」

「それって、危ないやつじゃあ、ないの?」

 いざということがあれば、自分が飛び出して行って戦う、と悠太は名乗りを上げようとした。幽体の彼女と違って、彼女の本体は足を鎖でつながれ、言葉を話せない程の不具を抱えていた。

しかし万梨阿は、それを打ち消した。

「ううん、多分、お医者さんか、学者さんだと思う。大丈夫、悪い人たちじゃないから」

 万梨阿は、そういうと、裸足の足を出口に運んで行った。そして、部屋を出る時、悠太に向かって軽く手を振った。そして入口の陰に後姿は見えなくなった。

 悠太は、もぞもぞ起き上がると、部屋の出口に足を運んで行った。

 あにはからん、そこにもう彼女の姿はない。白い鳥の羽のようなものが宙にふわりと浮かんで、それはゆっくり地に落ちて行った。

 悠太は、それを見ながら改めて彼女の不思議を思った。

 不自由な身体にありながら、自らの意思で身体を抜け出し、自由に動き回る万梨阿。彼女の天然極まりない性格もそうだが、彼女は不思議な能力をいくつも持っている。スターダストの採集場を直感だけで探知したり、フィギアの形を変えたり、本体に近づく人間を感知したりする。

 彼女は、どうしてそのような不思議な能力を使えるのだろう?彼女の家族は、親族は、友達は?彼女はここでの生活が終わったら、一体どうなるのか?

 悠太の脳裏に、一瞬、静かな病院の一角の光景が浮かぶ。しかしそれは今の悠太にはあまりに漠然とした記憶で、それを考えるのを止めてしまった。


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