第45話7.残された……想い

 後日、歩実香の手紙にあった真壁信二が訪れた。

 歩実香の遺影を提供してくれたのは彼だった

 線香をたて、遺影に手を合わせ、その姿を今も存在し得ているかのように見つめていた。

「初めまして、正式に挨拶をするのは今日が始めてだね杉村将哉君」

「こちらこそ……」

「僕の事は、歩実香さんから」

「いいえ、彼女が残してくれた手紙で知りました」

「そうか……なんて書いてあったかは分からないが、君は僕を憎んでいるだろう。少なからずも僕は歩実香さんを自分のものにしようとした男だからね」

「憎むも何も……ただ、僕がいたらなっただけです。僕がもっと歩実香の事を、一番よく彼女の事を理解している……いや、一番彼女の事を解ってやれていなかった」

「そんなに自分を責めるな杉村君。彼女を解ってやれていなかったのは僕も一緒さ。それに僕は彼女から僕のプロポーズを断られた。彼女の中にはずっと君がいたからね。歩実香さんは最後の最後までどんなに苦しくても君、将哉君をずっと想っていたんだよ」

 その言葉がまた僕の心に突き刺す様に響く。

 どんなに今悔やんでも、もう歩実香はいない。

 真壁信二は小さな箱を僕に差し出した。

「これは……」

「僕が歩実香さんにプロポーズした時に渡そうとした指輪だよ。これは君に持っていてもらいたい」

「どうして僕に」

「嫌かい? 歩実香さんが僕から受け取ってもらえなかった指輪。そして君から歩実香さんを奪おうとした男。そんな奴からこんなものを渡されても君は嫌悪するだけだろう。でも……これは君に持っていてもらいたい。


 この指輪には僕の、歩実香さんに対する気持ちが込められている。そしてそれを断った歩実香さんの気持ちも込められているんだ。


 僕の気持ちは君にとっては不要なものだろう、だが歩実香さんが断ったその気持ちは君のものだ。僕は勝ち目のない勝負に負けたんだよ。もっとも初めから勝負にはなっていなかったのかもしれない。

 だからこそ彼女の気持ちがこの指輪には込められているんだ。


 今は辛いだろう。だがいつか君もこの辛さを乗り越えられる時が来ると思う。その時この指輪が君は必要になると思う。

 これでも僕は精神科医だ、最も今は心療内科だが、専門は生理心理学だ。だからこそ歩実香さんのためにも君は立ち直ってもらいたい。そしてそれが今、彼女が願っている一番の事だと信じている」


 歩実香が今願っている事……

 彼女はいつも僕の事を想い見つめそして支えてくれていた。

 歩実香はもう僕の前にはその姿は現してはくれないだろう。でも、これからも僕を支えてくれる人としてこの僕の中で生きていていく……生きていてほしい。

「解りました。真壁先生のお気持ち僕は素直にお受けしたいと思います。僕だけのためにではなく。僕と歩実香二人の想いとして」

「そうか、ありがとう。これで僕もようやく整理がついたよ。これで僕は医者を辞められる。これから医師を目指そうとしている君には悪いが、医者と言う仕事に見切りをつけたかったんだ。僕は医師には向かない人間だ。


 でも君は……いい医者になれると思うよ。人の心をしっかりと診る事が出来る人の様だから」


 真壁信二はそう言い残し去って行った。

 その小箱を僕はそっと開けてみた。

 小さなダイヤが光る指輪。その指輪をそっと歩実香の傍に置いた。

「真壁先生が僕らに送ってくれた指輪だ。訊いたよプロポーズされたんだって、びっくりしたよ。やっぱり歩実香はモテるんだって確信したよ。そうだよな、あれだけ美人で明るくて、気が強くて……そして、ぼ僕をずっと愛してくれていた。歩実香……歩実香」

 堪えようにももう堪える力さえ僕にはなかった。涙はまた溢れる。溢れ落ちる。流した涙が僕の心をまた苦しめるように歩実香への想いを、何もしてあげられなかった悔しさが湧き上がる。

「この指輪は僕が預かっておくよ」

 そっと蓋を閉じ歩実香の元から僕のカバンに移した。


 出来ればこのままこの秋田にとどまりたかった。

 歩実香と共にいつも一緒にいられるように。

 だが、今はそれは願い叶うものではない。

 もう東京に戻らなければいけない時が一刻と迫っていた。

 例え姿がなくともまたあの歩実香のぬくもりを二度と感じ合えなくとも僕はここにとどまっていたかった。


 だがその心の奥深くに思う、呼びかけるように感じる

「なんのために私が苦しんでいたの。将哉、私の希望をあなたの光をもう一度取り戻して」

 歩実香が僕に呼びかけるように聞こえる。悲しみと悔しさのその奥の深い底から


 一人おばさんを残すのは忍び難かったが、近所の人たちがおばさんを暖かく支えてくれている姿を見て僕はまた東京に戻る。


 また来るよ……歩実香。きっとまた一緒に暮らせる日が来る。その時までもう少し待っていてくれ。


 秋田を離れ、東京に降り立った時

 僕の心の中に大きな穴が開いているのを感じた。

 例え、離れていても僕らはずっと繋がっていたんだと言う事を、この東京と言う街の景色を眺め悲しみから逃れようと必死に耐えた。

 そう僕は「……その日常に感謝することを怠っていた」んだと改めて感じさせられた


 外科医局に戻り医局部長、指導医の笹山先生に挨拶をし、業務に研修に戻った。

 気を使ってくれているのだろう

 あれだけ僕を怒る笹山先生の姿はみられなかった。

「杉村、無理はするな」

 最近は先にその言葉が笹山先生から出るようになる。

 やはり今の僕は抜け殻の様になってしまったんだろうか。

 実際、研修とはいえ業務なのにまるで身が入らない。

 近親者の死とはこれほどまで心と体を変えてしまうんだろうか。

 業務もICU管理から外され、外来の診察も外された。

 外科の研修も後残すところあと4週間を切っていた。

 当直、と言っても上級医と一緒に努める時間も無くなり、週48時間の休暇と1日8時間だけの勤務になった。

 実際今僕のやることは何もなくなったと言ってもいいだろう。

 そう、僕自体が無気力さを感じ始めていた。


 ある日、笹山先生から呼び出され屋上に行った。

 屋上には白いシーツやタオルが干され風に静かに揺れていた。

「笹山先生」

 屋上から煙草を吸いながら遠くに広がるこの街並みを静かに眺めていた。

「おう、来たか杉村」

 吸っていた煙草を携帯灰皿でもみ消しポケットに忍ばす。

「煙草の事は内緒だぞ」少し笑いながら言う。

 そしてまた街並みをのぞみ

「杉村これからどうする?」

 一言そう言われた。

「戦力外通知ですか?」後ろで呟いた。

「誰もそんなことは言っていないだろ。勘違いするな」

「それなら……」

 言葉を遮るように笹山先生は話し出した

「歩実香君の事がまだ癒えていないのは医局の人間全員が理解している。逆にそんな状態でがむしゃらに業務をされたら逆に皆が困る」

「それはどういうことですか?」

「今のお前がこの悲しみを忘れるために仕事にのめり込めば必ず事故が起きると言う事さ。今、お前が大人しくしてくれている事が周りの医師からしてみれば安心なんだよ」

「それなら、今のままでいいんじゃないんですか」

「でもなぁ、それじゃ駄目なんだよ。周りが良くてもこの私が駄目なんだ。杉村、お前の専攻診療科は今どこにある?」

 僕は迷わず

「外科です」

「そうか」彼女は呟く様に言う

「ならば次の研修診療科は何科だ」

「次は内科・精神科です」

「そうか、ならば今この外科で残された時間を有効に使え。そして次の研修を2か月で終わらせろ。そしてまた外科に来い」

「そ、そんな事出来るんですか?」

「出来るも何もお前次第だ。初期研修医は一応名目上カリキュラムが組まれている。だがそれは指定診療科の研修を最低限行うというルールさえ守ればいい。その期間はその施設、言わばその病院が勝手に決めた研修内容だからな。初期研修は一つの診療科に拘らず幅広い医療と言う現場を体験する期間だ。だから各診療科を廻る。そして残りの1年近くは自分と地域との医療の研修に入るはずだ。一つの事にこだわらず幅広い経験をさせる事で医師としての道を見出すんだ」

「そ、それはそうですが……」

「今はいい、今この外科にいる時間はお前のために使えばいい。歩実香君も多分そう言うだろう。ただ、前に進もうと言う歩みを止めてはいけない。今のお前はその歩みを止めようとしている。それは彼女も望んでいる事なのか? 私は違うと思う。彼女は、歩実香君は君の姿を夢見てそして、それが彼女の希望の光でもあったんじゃないのか」

 何も言えなかった。笹山先生の言う通り、僕は歩むのを止めようとしていた。

「今の時間は自分ととことん向き合え。そして歩むことを止めるな。自分の為じゃなく彼女のために」


 そう僕は進まなければいけない。

 僕のためだけじゃなく歩実香の願いをかなえるためにも


 歩まなければいけない……この世界で






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る