夜空に咲く花火の様に………

第46話1.なびく潮風の向こうに

歩実香がこの世を去り、僕の前からその姿が消えてからの1年間は、僕にとって人生の大きな岐路となった。


「今は自分の為にこの時間を有効に使え」

外科研修時、指導医だった笹山医師が僕に言った言葉。

僕が脱落……自分の夢に向かい歩むのを止めようとしていた時、その歩みを止めさせなかった言葉。

自分に向き合え、自分の声をちゃんと聞け

そう僕は心に念じるかのようにあの外科の研修期間を終えた。

「2ケ月で次の研修終わらせて外科に戻って来い」

笹山医師はそう言ったが現実はそう甘いものではなかった。

内科の研修は外科とは違いその症状と感覚から今の状態を検査データと共に読み取り治療計画を立てる。

急変する患者、検査結果では何の異常数値も見られないが苦痛を訴える患者。様々なケースが僕の目の前に立ちはだかる。

この病院では内科と精神科は切り離すことなくいわば一つのチームの様な感じで連携している。

内科と一言に言ってもその分野は様々な分野に細分化される。

まずは消化器系、そして循環器系。またその分類からさらに細かく分類がされている。

外科の研修の時の様に指導医が一人就くと言った感じではなく、その分野の上級医すべてが指導医として僕に指導を行う。

治療の方針も様々で、がんの様に初期であればその患部を切除いわば外科的処置を行いその後緩和ケアとその病理に対するアプローチを時間をかけ対応する。

内科における患者の多くは長い時間の治療を必要とする患者が多い。

そのため心身共に疲れはて、心を患う患者も多い。

精神科、その科の科目は本当に広かった。

僕は始め精神科はアルツハイマー、いわば認知症やうつとされる患者の治療を行う科目の様な感覚でいたが、実際は違っていた。

その治療方針や方法は一言で言い表せるほど簡単なものではなく、より奥の深い研究が日夜必要な分野であった。


何故かはわからい。

僕はこの精神学を学ぶ時、心が物凄く穏やかになる。

自分の心が病んでいるせいだろうか……その症状を埋め込むように自分自身に問いかける日々が続いた。


少しづつもとに戻るこの姿を笹山医師は静かに見守ってくれていた。

後ろからドンと肩を叩き

「杉村、頑張っているか」

僕の指導医を離れてからも彼女は僕に気を使ってくれていた。

気性は荒く気位も高い。そして向かう患者には己の全霊を注ぎ込み立ち向かう女戦士の様な外科医師。

それが彼女だ。

「また外科に戻って来い」

笹山医師のあの言葉がいつも彼女と会うたびに蘇る。

またともに彼女と外科で業務をする事を目標に


だが、それは……ある過酷な時間を共にすることで消えうせてしまった。


3月、東京の桜の花は蕾を膨らませ、もうじきその可憐な淡い色の花を咲かせようとしていた。

月に一回、日帰りだったが僕は歩実香のもとに訪れた。

2月に訪れた時、僕の中にいた歩実香の姿が次第に変わってきているのを感じた。

線香をあげ、真壁信二が映してくれた歩実香の遺影を眺め

「歩実香が苦しんだ想い、僕にもようやくわかって来たよ」

そう一言つぶやく自分がいた。

悲しみは沸いてこないされど、不思議と心の中が歩実香の傍にいると暖かくなるのを感じる。

「将哉さん、忙しいのに毎月来てくれてありがとう。また今日もすぐに東京に……」

「ええ、帰ります」

「そう、でもあんまり無理はしないでね」

「はい、ありがとうございます」

「あの子は、歩実香は幸せな子よ。あなたにこんなにも愛されていたんですもの」

「それは僕が言う言葉です。僕は歩実香に本当に愛されていたんだ。だから苦しんだ。でもこの苦しみは僕と歩実香にとってお互いの本当の気持ちの表れだったんじゃないかって思っています。


歩実香を苦しめたのは僕です。そしてその代償に僕は歩実香の苦しみすべてをこれからも彼女の気持ちの本当の姿として受け入れていきます。……僕の一生をかけて」

「将哉さん、そこまであなたは自分を責めなくてもいいのよ。あなたのその想いがあるだけで私も歩実香も十分に幸せだと思っている。だから、これからはあなた自身の事ももっと大切にして」


「僕は歩実香と共に生きます」

そう言い残し一路東京へと戻った。


ずっと僕の中では歩実香は生き続けているんだ。姿はないけど……ずっと僕の中に歩実香はいる。


3月僕は秋田に向かう事は無かった。


2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒

東北で起きた日本を震撼させた未曾有の災害。


東日本大震災


東京にも多大な被害が発生していた。


その揺れは突如に襲い掛かった。


病院内の器具は散乱し一部の窓ガラスが割れ、入院中の患者の中にも怪我をした人がいた。

その時僕は内科担当のオペに見学実習として立ち会っていた。

執刀医は笹山先生、第一助手は内科の担当医

患者はステージ3aの胃がん。

腹腔鏡でのオペも検討されたが、がん層部の侵食が思いのほか深かった。

検査上では他臓器への転移はまだ受けることはなかったが、開腹術を行う事に合意し今そのオペが行われている。


麻酔科の医師が

「バイタル安定、心拍76でサイナス」

執刀医の笹山医師がいつもよりもやわらかな声で「それでは前庭部胃壁における癌摘出術を行う。よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いいたします」

患者を取り囲むすべての医師と看護師が声をそろえ返す」

不思議と緊張感は感じられない。

実際オペの開始時からみんなががちがち状態ではどうにもならない。

まして先頭に立つ執刀医が緊張感丸出しではスタッフが不安になる。数多くのオペをし、その緊急の対処についても冷静に対応できる心構え。それがオペには一番必要であると僕は彼女から教わった。


「メス」執刀が始まる。

「モノポーラ」かすかな白い煙が患者の開胸部から立ち上がる。

笹山医師が僕に向け言う

「杉村、奥に引っ込んでないでちゃんとその目で見ろ」

「はい」

僕を術式エリアの中に引き込む。

「よし到達した。開胸器」

切開した部位を広げ術野を広げる。

胃部を少し表に引っ張りだし患部の状態をまずは探った。

胃の裏側から手を入れ患部を触診する。

「ん、」一瞬笹山先生の顔が険しくなる。

第一助手の内科医師に

「先生、ここ」と触診をさせた。

「開いてみないと解らないけど多分肝臓に転移しているんじゃないですか?」

「うむ、否定は出来ないな。だが初期段階であるのなら胃部の摘出を優先しその後の状況判断で対応するしかないだろう」

「解りました。それでは予定通りに」

「お願いします」

「サテンスキー、サンゼロポリプロ、クーパー……」

笹山医師の体に沁みついたような手技、器具出しの看護師が的確に指定された器具を手渡すたびに、まるで絵を見ているかのように綺麗にしかもはっきりとした病巣部が露わになるさまを僕は目にしていた。

胃、前庭部が摘出された。

「病理へ」その患部を病理部で癌の進行状態と癌病巣部が的確に摘出されている事を検査し確認する。

そして、疑いを持つ肝臓部へ目線を落とす。

「やはり侵食していましたね」

「そうだな。だがまだそれほど広がってはいない様だ」

「どうされます?まだ今なら適応範囲だと見ますが」

「肝臓だこれからだと長引くぞ。まずは造影でどの程度のものかを精査した方がいいだろう」

「解りました。造影剤を患部に投与CTにて病巣部を確認後の判断と言う事で」

「ああ、そうしよう」

ハイブリットオペ室に装備されているCTを通し肝臓の病変部を確認する。

その判断と迅速な動きを僕はただ目にしている事だけしか出来ない。

いや、その場に立ち会いその状況をこの目で見て、この状況の対応を学ばなければいけない。それが今の僕の仕事だから……

「杉村、よく見て置け、どんな時でもどうすればいいかをその場で判断と行動を同時に行う。そして決して自分だけが先行してはいけない事を学べ」

「はい」

「笹山先生は杉村にぞっこんですな」

「ええ、杉村は昔の私を見ているようで、目が離せないんですよ」

「厄介な先生に惚れられたな杉村」内科の上級医が僕に言う。

「まずは頑張れ」そう励ましてくれた。

肝臓部のCT画像を眺め、

「病巣部は小さい、続けましょう。笹山先生宜しいですか?」

「大丈夫です。それではまいりましょう」

麻酔医師に目を配りその医師はその意図を踏んだように頷き器具と輸液量を調整する。

「それでは引き続き、肝臓への病巣部の摘出をおこないます。ペアン、サンゼロ」

ペアンの先端の曲部をうまく使い血管を挟み込みラチェットをかける。血管を結紮し、ようやく病巣部の切除の下準備とでも言うのだろうか? アプローチする準備が整った。


その時……病院は戦場と変わり果てた。









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