第40話2.残された……想い

 久しぶりに訪れた前の職場……病院、施設

 こんなに大きかったかしら

 その建物の大きさに今自分が勤める病院との差を感じていた。

 ロビーの受付の職員に

「済みません、杉村先生はいらっしゃますか」と尋ねた

「杉村先生ですか?何科でしたでしょう」

「えーと、何科と言われましても………研修医の杉村先生ですけど」

「研修医?そうですかそれでは少しお待ちください」

 事務的な受付の女性の作業。

 大勢の人を毎日相手にするからだろうか、少し冷たく感じるのは私だけなんだろうか。


 外科の医局の電話がコール音を発した。

「はい外科医局、ん、杉村?ああいるよ。おい、杉村お前にだ」

「あ、はい済みません」

 電話を取り来客が来ていることを知らされた。

 そのまま向かっても良かったが、やりかけの仕事をほったらかしてしまうような感じに思われたらまたどやされる。そんな想いが先立ち

「誰だろういったい。そうだ、笹山先生に連絡は入れておいた方がいいな」

 ピッチを取り出し笹山先生に掛けた。一応念には念を……

「おう、杉村どうした。て言うより、今お前に掛けようとしていたところだ」

「え、何でしょうまた何かありましたか?」

「脅えるな、とりあえず、すぐに1回のロビーに来い。わかったな今すぐだぞ」

「あ、はい今行きます」

 今すぐ来い。笹山先生のその言葉は今ではもう条件反射の様に体が勝手に動いてしまう。

 来客がいるにも関わらず、笹山先生の方が最優先だ。

 エレベーターは1回から上がってくるようだ。

 階段を使うしかないな。5階にある医局から階段を駆け下りるように1階を目指す。

 あちこち本当に動かされているせいもあって意外と苦には感じなかった。

 ロビーの待合席に座る外科の制服の姿、笹山先生の場所はすぐに確認できた。駆け寄るように笹山先生のところに向かいふと隣にいる人を目にした時、僕の体は動くのを止めた。

「……歩実香?」

 恐る恐る今ここにいるはずのない彼女の名を僕は呼んだ。


「ご無沙汰しています……杉村先生」


 信じられなかった。目の前に歩実香がいる。

 でもこの声、そして僕を見つめるあのまなざしは歩実香だ。

「なにぼさっと立ってんだ。会うの久しぶりなんだろ、何か言う事ないのかよ」

 ニヤニヤしながら笹山先生は僕にけしかける。

「でもどうして……笹山先生と」

「何2階のエントランスから懐かしい顔が見えたんでな、もしやと思い行ってみたらやっぱり辻岡さんだったんだ。ほら、杉村、彼女に何か言う言葉は無いのか?はるばるお前に会いに秋田から来たと言うのに」

 あまりの突然の事で出る言葉がなかった。ようやく出た言葉が


「ご無沙汰しています」


 何とも自分でも呆れるほどの言葉だった。

「なんだそれ、お前ら長い間付き合っている仲なんだろ。それなのになんだ、まるで他人同士が久しぶりに会ったみたいな挨拶は。


 あ、そうか……邪魔なのは私か?」


「そんな事ありません笹山先生」

 歩実香がにっこりしながら言う。

「変わってないね将哉。びっくりした?」

「びっくりした」

「ごめんね急がしいのに押しかけちゃって」

 笹山先生がちらっと時計を見て

「1時過ぎかァ……。杉村、お前顔色悪いな」

「え、そうですか?特別悪い所はないですけど」

「いや調子悪そうだ、午後診も今日はないし……早退しろ」

 笹山先生は玄関の方に目をやり呟く様に言った

「す、済みません。ありがとうございます」

「ああ、部長には適当に言っといてやるよ」


 それじゃ、辻岡さん


 そう言い残し彼女は僕たちの前から消えた。

 僕は素直に笹山先生の好意を受け入れた。

「歩実香ちょっとここで待ってて、着替えてくる」

「うん」

 数分後急いで着替えをし、歩実香の元に戻って来た。

「ごめん待たせたね」

「ううん、それよりお腹すかない?お昼まだなんでしょ」

「まぁね、歩実香は何が食べたい?」

「そうねぇ、久しぶりに……あれ、食べたいな」

「あれって言う事は、決まりだな。白猫亭の

「うん」にっこり微笑む歩実香のその顔、胸が締め付けられる。


 僕らがよく通っていたこじんまりと小さな喫茶店、白猫亭

 歩実香が秋田に行ってから通う事もなくなったその店に、僕らは二人足を一歩づつ進ませた。

 学生の頃は、離れていてもよく連絡を取っていた僕もまだ余裕があったんだろう。あの頃は……

 でも、いくら研修生とはいえ社会人として仕事をするようになり、時間と自分の余裕のなさに振り回される日々。

 次第に減る連絡の回数。それが、当たり前の様に感じて来ていた自分が今、歩実香を目にして物凄くわびしく感じる。


 そっと自然に、二つの手は繋がれた。

 歩実香の手の温もりが伝わる。

「秋田とは違ってやっぱりこっちは暖かいわね」

「そうかぁ、夜になると結構冷えるけどな」

「そう……」

 小さく答えた歩実香のその表情が少し気になる。

 あの頃の、あの歩実香とはすこし違う感じが僕の心の中をすり抜けた。

 電車に乗りようやく白猫亭に着いた。

「わぁ、懐かしい。何も変わっていないんだ。あの看板もそのまま」

 ウッドドアの入り口の上にある猫の形をした木のプレートに「白猫亭」と書かれている看板。

 薄抹茶色の壁に木のぬくもりを感じさせる建物

 この店は僕らの待ち合わせの場所だった。

 あの頃の懐かしい想いがまたよみがえってくる。


 午後2時を過ぎていた。もうランチタイムは終わっていたが、店主が僕らの事を覚えていてくれていた。事情を放すと快く二人分のオムライスを作ってくれた。

「本当に懐かしいなぁ」

「うんそうだね、よくここで待ち合わせしてたな」

「そうそう、時間に遅れて来たのに一言も謝らなかった将哉に怒った事もあったわね」

「ああ、そう言えば、そんな事もあったかな?」

「あったわよ。何回も、幾度も………」

「そうかなぁ………」


 そんな僕らにお店の店主が

「二人とも本当に久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」

 久しぶりの再会にと、歩実香にパフェをごちそうしてくれた。

「わぁ、ありがとうございます。ご無理を言ったのにごちそうにもなって済みません」

「なぁに、僕からの細やかな君たちへの気持ちさ。ずっと離れていても仲良しでいられる君たちへのね」

 店主には歩実香が秋田に行った事を前に話したことがあった。

 とても残念そうにしていたが「君たちならどんなに離れていてもやっていけるよ」と励まされたのを思い出した。

「今日は天気がいい。まるで歩実香がこの気持ちい晴れの空を連れてきてくれたようだ」

 コービーを飲みながら窓辺に映る空を眺めていると

「ねぇ将哉、そのコート大学時代の時に買ったコートよね」

「ああ、歩実香と一緒に選んだコートだけど」

「やっぱり、もう型崩れしているじゃない」

「そうかぁ、でも気に入っているんだこのコート」

「そうぉ、私が選んだから?」

「……多分ね」

「それじゃ」歩実香はずっと持っていた大きな手さげの紙袋を僕に手渡した。

「ずっと気になっていたんだけど………これは?」

「将哉、開けてみて」

 綺麗に包まれた包装を開くと、きっちりと真新しい箱に収められたコートが入っていた。

「歩実香、高かったんだろこのコート」

「ううん、そんなんじゃないわよ。高給取りの将哉にしたら安ものよ」


 あの時、私が必死に守ったコート。本当は包装は破れ雨に濡れ少しシミが出来ていた。

 入っていた包装だけでも綺麗にしたかった。買ったお店に事情をそれとなく話をし包装だけでも新しいものにしてほしいと頼んでみた。

「少しお待ちいただけますか」と店員が一言言った後、少ししてから店長らしい人が私に

「ご事情は分かりました。実は、警察の方がこのコートについて聞きに来られましてね。よほど大切な人のためにお買い求めされたんですね。そして手前どものこの製品を守って戴きありがとうございました。宜しければ、同じ新品のコートをご用意させていただきますがいかがでしょうか」

「そ、そこまでして頂かなくても………」

 一度は断ったが

 店長の一言「あなたの心の傷が大切な人によって早く癒されますように願っています」

 その言葉に私は素直に店長の心遣いを受け入れた。

「ありがとうございます」

 商品を渡された時「がんばってください」と一言言われた。

 そう私は止まってしまった自分を取り戻さなければいけないんだ。そう改めて感じさせられた。


 そしてようやく将哉にこのコートを渡すことが出来た。

 それだけで、もう私は、私は嬉しかった。


 でも、彼に、将哉に本当の私の事を話す勇気は………無い。


 目の前にいる、将哉に


 一筋の涙が頬をつたいこぼれた。









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